Cogito

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師走に

2005-12-13 22:50:43 | 日記・エッセイ・コラム
日中は暖かいので、日のあるうちに、混雑しないうちに、と東京まで行って来た。

小田厚からの景色は、紅葉は過ぎたがまだ葉を落とさない木々、その枯れた色が、日をうけて落ち着いた錦のようにきれいだ。

つくずくと高層ビルを見ながら、昨日の若手国会議員たちの言論を思い出した。
彼らは、都内の一等地にある公務員住宅を槍玉に挙げていた。低家賃で。それはまな板にのせるべきではある。しかし、
その住宅を取り壊して、民間委託して、上だけ国の所有権を認めるとか、中央郵便局の高さは4階ぐらいだからこれを高層ビルにして、収益を図れとか、わめいていた。彼らの意見には経済優先、金儲けだけ、東京を安全な都市にしようとか、
美しい都市に使用とかいった発想はかけらも感じられなかった。まだまだ50年前の発想だ。いまの若い人達は海外に行っているだろう。海外の美しい都市を見ているはずだ。他所の美しい都市は、そのまま美しい都市だとおもっているらしい。そこに住む人々の努力が美しい都市を作り支えていることなどわかっていないようだ。
美意識がかけているんだね。勉強ばかりで育った世代だ、教養もゆとりもないのかもしれん。で国会議員が、しかも若手がこれじゃぁ、日本は美しい国にはならないだろう。

高島屋へ行った。
今日のお酒は山形のお酒だ。後藤酒造の純米大吟醸「弁天」。米は山形産酒米・出羽燦々100%
精米歩合 35%。日本酒度プラス3。
にごり酒も買ってきた。

そうだ。思い出した。
いつも虎屋で箱入りの小型の羊羹「夜の梅」と「おもかげ」を買って常備してある。隣は鶴屋吉信。のぞいては「京観世好きなんだけど、一本は多すぎるのよねぇ。半分のもの出来ないかしら」と言っていた。今日「きみしぐれ」を買おうと思ってのぞくと、なんと「お客さまの声を形にしました」と表に書かれた、半分の小型の京観世が置いてあった。「あら~、じゃぁ、買わなくてはね」と買ってきた。小家族になったし、何か集まりでもなければ、大きいのは食べきれない。時間がたつと味も落ちる。」それがもったいないんだよねぇ。


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サクラ

2005-12-12 16:01:37 | インポート
12-2

12-1

マメザクラ
冬と春に咲く。春の方が華やか。

サクラ(ソメイヨシノ)も葉がすっかり落ちた。そこでサクラの枝を下ろしてもらった。サクラは切る時期があり、勝手に切ったりすると枯らしてしまうのだ。いつも伊豆熱川の加藤さんにお願いしている。加藤さんは樹医さんであり、自然そのものを大事にしている人だから、信頼して任せている。切った霧口には薬剤を塗る。今回はおろした枝を機械で傍からチップにしてくれた。へぇ~、である。

このサクラは私がタキイから苗木を買って植えたものである。2本買った。一本は将来隣近所の人達とお花見が出来るようにと考えて下の段の、土地の真ん中の日当たりのいいところに植えた。木を囲めるように。もう1本は予備に植えた。防火水槽下の日当たりもよくない場所に。ところが日当たりの良い、言ってみれば条件のいいところに植えたサクラは枯れてしまい、継子扱いされたサクラが生き残った。しかも日を求めるから、木も高くなって、枝も十分広げている。花も見事だ。

我が家の庭は、植えたのもあるが鳥さんが持ってきてくれた木々もあり、住宅地にちょっとした林が出来ている。貴重な緑なのだが、住宅地の人達はきれい好きだから、なにかと苦情が多い。そこで加藤さんに切って貰っているわけである。

毎度のことながら、加藤さんから「この枝を切ったら木が枯れてしまう」とか、いろいろ教わる。加藤さんは言う。「この木々がどんなに周りの人のためになっているか。この木々が出す酸素を金に換算したらいくるになるか、人間は理解していない」と。

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あなたの優しさを

2005-12-10 17:29:13 | 日記・エッセイ・コラム
oozora

大阪に野宿生活者を支援しているNPO団体「おおぞら」がある。いまどきの言葉で言えば、ホームレスの人々に手を差し伸べている人達である。以前からこの人達の活動には頭が下がる思いでいる。少しばかり石けんを送った。石けんは必需品なのである。

みなさんも不必要な石けん、タオル、防寒具などがあったらぜひ下記に送ってあげてください。

おおぞらのパンフを紹介」すると:

<日本の野宿生活者について> 

ここ10年ほどの間に、野宿生活者を余儀なくされる人達が急増しました。日本の野宿生活者は」、「失業」と強く関連しています。どんな理由で失業したかを簡単に申し上げます。

① 社会保障のない肉体労働をする働き口で長年仕事してきて、仕事の需要が減ったために失業して、再就職ができずに野宿生活者に至った人たちが一番多い。平均年齢56歳。
② 職人さんとして(例えば大工、旋盤工、塗装工など)腕一本でやってきた人たちは、規格品時代、IT時代になって、職場を失いました。
③ 中国へ企業を移して人員整理になった人達。90年代待つの大規模リストラにあった人達。
④町工場や下請けなど、小零細企業に勤めていて競争に勝てず父さんで解雇された人達。
⑤コストダウンのために若い人達を安く雇う企業の体制はますます強まっています。住み込み、派遣社員、パート、アルバイトなど、非常に不安定な就労をしている人達は、人員整理や転職が上手くいかなかった等、ちょっとしたきっかけで失業しやすいので、今後の塾生活者の仲間入りをしてしまう危険性が高い。

<野宿生活者について>
①健康状態が悪い人達が多いのに、医者にかかることができません。夏の暑さ、冬の寒さで命を落とす人があります。
②住所がないために、 就職が出来ません。
③生活費はアルミ回収している人で1日1000円前後です。ほとんどの人が深刻な栄養失調に陥っています。

<野宿生活者のまとめ>
①日本国憲法25条「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」から、漏れている国民です。
②社会的に徹底的に排除された人々で、のぞまずに日本の最極貧階層に陥った人々です。

<野宿生活者支援について>
野宿生活者支援は、昔から心ある民間の人々によって支えられてきました。
3年前に「ホームレスの自立支援等に関する特別措置法」という法律ができ、政府はようやく野宿生活者に目を向け始めました。しかし、その支援はまだまだ出口の見つからない状態が続いてたままです。

<NPO「おおぞら」の活動について>
2年前にNPOの認証を受けました。野宿生活者をいろんな方法で支援しようとするグループです。野宿生活巡回相談、就労支援、生活リハビリ、物資提供、グループホーム活動(予定)、などの支援を行っていますが、これから本格的にやっていこうとしている段階です。
あなたが何らかの方法で理解や協力をしたいと考えてくださるなら、お名前の登録をお願いします。
協力内容:巡回訪問活動、イベントボランティア、債務相談など法律面での助言活動、職業開拓、指導、ホームページづくり、会員加入、物資提供、古自転車の提供など。

連絡先、物資の送り先:NPOおおぞら
〒大阪市淀川区東三国3-10-3-509
代表理事 大川記代子
℡ 06-6395-0100
fax 06-6392-4629

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12月8日

2005-12-08 20:25:59 | インポート
あぁ、今日は12月8日だ。
昭和16年12月8日、愚かな戦争への始まりだ。
ほんとにバカなことをしたもんだ、と過去を振り返る。
さて、12月8日を、思い出すのは日本人のどのくらいになってしまったのだろうか。

しかし、昭和20年8月15日、8月6日、9日と同じく、昭和16年12月8日は忘れないでいよう。


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12月

2005-12-05 15:10:00 | 日記・エッセイ・コラム

5-1
ハゼの枝先

5-2
ハゼの実

12月5日
寒い寒い。寒波は列島を覆っているのだそうだ。今朝は良い天気。

台所から外を見る。一晩でハゼの葉がすっかり落ちている。葉が落ちた枝先が、新芽のように鮮やかな赤い色をしている。毎年、そうだったかな、記憶がない。ハゼの実も熟して銀色になってきた。シジュウカラが付け根をつついていた。もうじき、野鳥たちがこれを目当てに来るだろう。たのしみだ。

いやな事件が続いている。命を大事にしない社会のツケガあちこちに現れてしまっている。日本もおしまいだなぁ。とはいえ、被害にあった子どもたちは可哀想でやりきれない。

筑紫哲也のエッセイに「メニューインと箸」の話があった。(図書12月号)
メニューインは敗戦後の日本にやってきた最初の一流ヴァイオリニストであった。私も父に呼ばれ、正座してラジオから流れるヴァイオリンに耳を傾けたものだ。バッハのシャコンヌだったと思う。なぜ父がはメニューインに限って、演奏を聞かせたのかよくわからないが、たぶん一流演奏家のヴァイオリンをピアノを習っていた私に聞かせようと思ったからだろう。

メニューインの演奏、焼け残った日比谷公会堂しかなかったが、は歴史的な演奏会だったという。それはそうだろう。演奏会に行けない地方の子どもだった私でさえ、ラジオの前で正座して聞いたのだから。

そのメニューインが豊かになった日本に再来日したとき、筑紫さんがインタビューした。
「すっかりかわったでしょう」というと「確かに見た目の光景は変わった。しかし日本人はそう変わらないと思う」とメニューインは答えた。そして彼は、変わらない理由として、「日本人が箸をつ使い続ける限り・・」と言った。
メニューインは音楽院を創設し、後に続くものたちを育てた。アジアの子どもたちにもその手は差し伸べられた。なかで日本の子どもたちや若者がどうしてデリケートな指使いに優れているのか考えた末の結論が「箸」だったらしい。

ここでブログにカキコミが出来なくなってしまって、思考は中断。
どうしてもアクセスできなかったが、いまは出来る。どうして???

メニューインは音楽院をつくって多くの後輩を育てる。アジアや日本の子ども達も学んだ。日本人の手先の器用さは、箸を使うことにあると彼は結論したらしい。

その日本人の手先の器用さが戦後の日本を作ってきた。そして大きく発展させることになった。ところが、その器用さがいまや危なくなっている。筑紫さんの主張と私達の主張は同じである。

箸を上手に使えない子が増えている。子ども達はアメリカナイズされた食べものを喜んでいる。それだけでない。食卓を囲んでの一家団欒もなくなってしまっている。家庭でも物を作る楽しみとか喜びがなくなってしまった。何でも売っているからだ。これは社会問題だ、と私達も声を大にして訴えてきた。こころが育っていないよ、怖いよ、とも。切れる子が多いのも食べ物のせいだとも。こんな残酷な事件があいついているのを見ると、戦後の日本の失ってしまったものの大きさに愕然とするばかりでなく、この先日本はどうなるのだろうか、心配である。私達老人が心配しても仕方ないことだろうか。まだ引き返すことが時間があるのだろうか。

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