まだ南太平洋には行ったことがない。誰もが行くグァムやハワイにすら行ったことがない。南の島には憧れはあるのだけど。今回の目的はイースター島、モアイでお馴染みの世界遺産の島だ。どうも私も、滅び行くもの、滅びてしまったものに心引かれる傾向がある。ましてや残された遺跡が解読不能だとか、謎めいているとなお興味を抱く。実際、絶海の孤島に残されたイースター島の遺跡も謎を秘めている。
イースター島への行き方は一般的に南米のチリ経由とタヒチ経由がある。チリ経由はアメリカの都市で乗り換えなければならない。現在のヒステリックなアメリカには近づきたくない。もちろんニュージーランドから入ることも出来る。時間的にはタヒチ周りが早いようだ。そこで飛行機はタヒチに直行するタヒチ・ヌイを選んだ。
さて、ハワイ、ニュージーランド、イースターを結ぶ三角形をポリネシア・トライアングルという。ポリネシアとはギリシャ語で「多数の島々」の意味だ。ポリネシア人のルーツを調べると、アジアから渡って行った人々のようだ。長身で体格もがっしりしている。優れた航海術を駆使して、南太平洋に一大文化圏をつくっていった人々だ。ニュージーランドのマオリの人々とイースター島の人々は言葉は違っても、コミュニケーションが出来るのだそうだ。
イースター島で連発したラパヌイ語、「イオラナ」(挨拶)、「マウルル」(ありがとう)はタヒチでは「イアオラナ」、「マウルール」。ちなみにマオリ語で挨拶は「キオラナ」、ハワイではありがとうは「maharo」となる。
今回は娘と二人旅。手配はお馴染みの「風の旅行社」に頼んだ。ここならわがままが聞いてもらえるから。
長~い一日(2004年1月17日)
ホテルのシャトルバスで空港へ。関東、というより湘南地域に大雪警報が出ている。papasanには雪が降ると心配なので、そのままホテルから帰ってもらう。若い人なら、ここから薄着で出かけられるのだが、寒がりのオバサンはそうはいかない。ダウンのジャケットは車において、代わりに裏つきのコートにはしたけど、後は防寒着のまま。外は寒い。空港で娘はコートを預けたが、私はマフラーだけポケットに入れてもらい、後は持っていくことにする。
チェックインの前に、布袋に機内で必要なスリッパ、コート、ガイドブックなどを入れた。荷物は小さくて軽いが、今回は預けた。チェックでフィルムをいちいち開けられるのが面倒なのと、パペーテに着いてから十分時間があるので、時間延ばしもかねて。娘もショルダーとザックだけなのだが、ザックは預けた。布袋は娘が持ってくれたので、私はカメラバッグだけ。とはいえ、いつもより2本レンズが余分だ。こうなると、もう一回り大き目のカメラバッグがほしい。大きくするのはいいが、その分重くなるので躊躇している。後ろの方だが、ウィンドサイドはとれた。
16番ゲートはと目をやると、ガラスの向こうに止まっている翼の端に白い花の絵が描いてある機体に気がついた。
「あれじゃないかな。なんかそんな感じ」果たして、それがタヒチ・ヌイだった。ヌイは「大きい」という意味だ。タヒチは二つの島がつながっていてパペーテのある大きな島がタヒチ・ヌイ、小さな方がタヒチ・イティという。
タヒチはたくさんある島のひとつの名前で、フランス領ポリネシアに入る。フレンチ・ポリネシアは海洋の面積も含めてヨーロッパ全域に相当する広さがあり、118もの島からなる。タヒチ島のパペーテはフランス領ポリネシアの首都である。フランス領ということは、フランスの海外領土ということである。したがって元首はジャック・シラク大統領。パリの上院、下院に代表議席を持っている。大幅な自治権が認められているとはいえ、独立運動も無いわけではないそうだ。ポリネシア人が75%、ヨーロッパ系白人が15%、アジア系が10%。人口は約13万人(1999年)うち26,000人がパペーテに住む。
11時30分発。時間通り。私が窓際だ。といっても窓際の効力は全くなし。太平洋上は厚い雲で覆われている。機内は窓際の席は埋まっているが中央は空席が目立つ。機内食はやっぱりフランス系、美味しい。ワインを何杯も飲んでいるが、日本時間でいえば昼間だから、ちっとも眠くない。映画も見ないし、音楽も聴かない。ひたすらモニターとにらめっこをしながらにゲームをやっている。いささかゲームに疲れてマップを見るが、ただ海の上を飛んでいるだけ。ブラインドを開けると、きれいな夕日。思わず「わぁ~きれい」と声をあげる。この声で娘も目を覚ます。タヒチ近く、光の島が見える。電気の形からボラボラ島のようだ。さぁ、もうじきだ。
現地時間3時40分着のはずが定刻より1時間も早く着いてしまった。外気温は27度。タラップを降りて、空港事務所へ歩いて向かう。入り口では民族音楽の生演奏が迎えてくれ、女性が客にティアレ・タヒチのつぼみを配る。甘い、いい香り。南国ムードそのもの。ティアレをガイドブックにはさむ。イミグレで「Bon jour.」そうだ、ここはフランス語圏だ。思わずにこっりと「Merci!」
ここの通貨はフレンチ パシフィック フラン(FPC)。円で両替できる。とりあえず3万円を両替した。ここで披露するため明細書を取っておいたのだが、見つからない。1FPC=約1.2円。この時は気がつかなかったが、後になってよくよく見ると手数料が高い。これはATMを利用した方がいいみたいだ。夜明け前だというのに暑い。トイレに行って、着替えをする。と言っても、バッグから、着替えを出すのも面倒なので単に下着を脱いだだけ。
モーレア島までの船は7:15分発。それまで空港で時間つぶしをしなければならない。こんな時間に着くので、ほとんどの客は移動のため、ここで朝まで時間を過ごすみたいだ。椅子はすくない。外人さんたちは直に床に寝ている。有料でいいから休憩スペースを作るべきだ。観光地なんだからとむくれている。仕方がないのでカフェテリアに行って、ジュースを買って席は確保。店はほとんどしまっているが、ふらふら歩いている。みやげ物屋の前にバニラの写真と説明がある。そうだ、ここはバニラの産地だ。勘で読むフランス語、それによるとバニラはオーキッド(蘭)の仲間ということだ。花は白、ティアレに似ているが葉が違う。モルジブ産のバニラビーンズを使っているのだが、もう底をついてきた。スリランカでも買ってきたのだが、どうしちゃったかな。買って帰ろうと思ったが、日本並みに高い。マルシェで探してみよう。
空港が明るいからか、ムクドリやハトがやってくる。こうなると悪いくせが出てきて、そっとパンをちぎってやっている。ムクドリはちゃんともらっていく。椅子に座っていると寝ぼけた隣の新婦さんに叩かれた。「痛い!」と声をあげると、相手もびっくり。謝ることしきり。「ママが叩かれるなんて・・」と言って娘が笑っている。そう、叩くことはあっても、叩かれることは先ずない。
夜が明け始めた。タヒチはこの時期雨期だが、空に雲はあるものの晴れそうだ。6時15分、迎えの車が来た。ティアレ・タヒチのレイ(ここではなんというんだろう)をひとりずつ首に掛けてくれた。私を叩いた新婚さんも一緒。もう一組、新婚さんがいる。そこへ大きな荷物を持った、体の不自由な白人女性が乗り込んだ。この人たちもモーレア組みらしい。
船着場につく頃はもう暑い日差しが遠慮無く降り注いでいる。快速船だ。新婚さんたちはクーラーの効いた室内へ。私たちは船上へ。船上はベンチが並んでいる。座っている人たちは土地の人。男性は上半身裸かTシャツ姿。tatoo(刺青)が新鮮に見える。もちろん、港からモーレア全体の姿は見える。モーレアまで30分の船旅だ。大型のフェリーが先に出た。あれだとモーレアまで1時間かかる。どこかで追い抜くんだ。定刻に船は走り出した。私はカメラを持ってへさきに頑張っている。
モーレアが近づいた。山の頂に雲がかかっているが山は見える。島には三つの頂が見える。近くにいた人たちに、どれがバリハイかと英語で尋ねる。ところが英語が通じないのか知らないのか、角度が違うのか、みんなそれぞれに違うことを教える。もう一度、片言のフランス語で同じことを聞いたが、やっぱり答えは同じ。まぁいいや、島に行ってから聞くとしよう。
モーレアにつく頃は空も晴れ上がって、南国の緑がまぶしい。浜辺近くにはココヤシが群生している。南の島っていうと、ヤシを思い浮かべるが、けっこう南国のヤシは自生種でなく、植林されたものが多い。ここらへんも100年ぐらいかけて計画的に植えられたと聞いている。
車が迎えに来ていた。予約したホテルの客たちをまとめて拾っていく。これは合理的だ。だから途中、他のホテルにも止まっていくので、他のホテルの様子も見られる。珊瑚礁独特のエメラルドグリーンの海の色がなんとも美しい。バリハイというホテルで体の不自由な女性が下りる。まわりの人たちが手を貸している。大きな体を杖にあずけながらゆっくり歩いていく。大きな荷物を持って、しかもひとりで、偉いものだと感心して眺めている。
二つの湾を通って、シェラトン ラグーン リゾートに到着。私を叩いた新婚さんもここ。フロントには日本人女性のユリさんがいた。まだ9時過ぎだったが、チェックインしてくれた。まずはウェルカム・ドリンク。パイナップルのフレッシュ・ジュースだが甘くて美味しい。モーレアのパインは美味しいとは聞いていた。あれは電気自動車なんだろうか、小さなオープンカーに荷物を後ろにのせ、水上コッテージまで案内してくれた。通路にはブーゲンビリアやハイビスカスの花々が咲き乱れている。
ラグーンに突き出た木道をはさむようにして、コッテージが並んでいる。私たちのコッテージは88番、内海側。鍵をあけてもらい中に入ると、ガラス窓の向こうから青いラグーンが先ず目に飛び込んできた。そして対岸の白いビーチが。わ~、すてき!
部屋の一角にガラスがはめ込まれていて、下の魚の泳ぐ様子が見える。これはいい。ゆったりとした部屋には大きなベッドがひとつ。あらら、ツウィンじゃないんだ。傍らには長いソファもある。天井からは扇風機がぶる下がっている。テレビ、冷蔵庫などは当然、お茶のセットから、CDプレイヤー、アイロンまでこまごまとしたものまでおいてある。インテターネットもつなげそうだが、PCを持って来なかったし、持ってきたところで、今の私にはまだ無理。
汗をかいたから、先ずは汗を流そう。化粧室はシャワーとバスタブが左右にある。真ん中に洗面台。そっからも下のラグーンが見える。シャワーは嫌いなのでバスタブに湯を張る。半袖と綿パンに着替えた。ついでに洗濯。テラスのマットの上に洗濯物を並べておく。日差しが強いので、乾きはいい。
「ねぇ、山に雲がないから、今のうちに山へ行ってこようよ」
と娘に言うが、「少し休みたい」という返事。
タヒチと日本との時差は19時間。タヒチ時間から5時間引くと日付は違うが日本時間となる。日本から続いている長い土曜日。陽射しはまぶしいが、言ってみれば徹夜したことになる。まぁ、今回はこの娘の休養もかねての旅だから、のんびりするとしよう。
私もテラスの日陰のベッドに横になってそのまま眠ってしまった。お昼近く目を覚ました。ラグーンは光の具合でさっきよりもっとあざやかになっている。ただし山には雲がかかっている。やはり山は朝でないとダメみたいだ。気分をかえて、リゾート内を探索する。花がいっぱい。ティアレ・タヒチの葉を見ると、なるほどクチナシの仲間だ。しかし外は暑い。日差しも痛いくらいだ。娘が日焼け止めクリームは塗らないか、と聞くが、大丈夫だとつけずにいる。真っ白なビーチを歩くと、サングラスはかかせない。ショップで絵葉書と切手を買って、ランチを食べに行った。ランチハウスはビーチにテント張り。
近くのヤシの木に海鳥がたくさんいる。この鳥、図鑑で見たことはあるんだけど、名前がわからない。望遠を部屋に置いてきたので、70mmで写している。すぐ傍までムクドリ(common myna)が来る。bulbul(ヒヨドリの仲間)もいる。ネパールでもよく見かけた鳥たちだ。食欲がなかったので、トマトジュースと生魚のココナッツ和えを頼む。娘はサンドウィッチ。ところが一天俄かにかきくもり、あっという間に雨が降りだした。しかも土砂降り。いそいでカメラに帽子をかぶせ、避難。降るのも早いが上がるのも早い。でも降雨量は多いので、他のテントの上はプール状態。こんなところにプールをつくってくれなくても、すぐ傍にプールはあるんだけどねぇ。
ココヤシの殻に小口に切った生魚と野菜がココナツミルクで和えたのが入っている。付け合せはたっぷりのポテトのフライ。マイルドだが、私にはもう少し塩気と酸味がほしい。塩は機内から持ってきたのがある。機内の塩って、細かくて塩辛すぎるのが難点。
家族連れがプールに入って、泳ぐでもなく、静かにしている。温泉なんだろうか。プールサイドに行って手を入れてみた。水だ。私が手を突っ込むのを見て、おじさんが何とか言って笑った。フランス語だったので、よくわからなかったけど。あっはっは、フランス旅行はまだ先だと思って、フランス語をやっていなかったけど、あのときからやっておけばよかったのだ、残念!(口先だけ)
コッテージに戻ると、鍵が開けられない。二人でがちゃがちゃ試している。でも開かない。我が家には鍵はないし、papasanとの旅行では私が鍵をあけることはない。困っていると、といってもコッテージの前は共同のレストスポットだ。私は座ってのんびりと、やっぱりケセラセラ党首だと笑っている。娘がひとりでガチャガチャやっている。すると、奥のほうから家族連れがやってきた。もちろん助っ人を頼む。なんのことはない、鍵は反対にまわすのだった。
中に入ると、あれ、さっきの通り雨で洗濯物はびしょびしょ。もう一度洗いなおして、今度は軒下の椅子に掛けた。娘は水中眼鏡とシュノーケルをつけてラグーンに入るという。この娘が小さい頃、磯によく連れて行った。タイドプールで海岸生物を捕まえては遊んだから、大きくなってもこういうのは興味があるんだろう。私はパンをちぎって魚たちに与えている。さんご礁の魚は見たことはあるが名前は知らない。いろんなのがたくさんやってくる。縞々のあるもの、カワハギみたいに口がすぼんだもの、ピンクと青のグラデーションのもの。いろとりどりできれいだ。水面が動いているので、水底は光が変化してキレイだが、魚を撮るには邪魔だ。まさか水の中にレンズをいれるわけにはいかないからやめた。珊瑚なのか、藻なのか、松ぼっくりをしたようなものがいくつも潮にただよっている。
変なオバサンは床下を覗き込んで排水がどうなっているか探している。垂れ流しはしていない。休憩所になっているところで浄化しているようだ。そうだろうな、垂れ流しをしたら、元も子もなくなる。
小型のハト(zebra dove)が様子を見ている。こんな小さなハトははじめて。このハトはパペーテの空港にもいたし、ここにもずいぶんいる。午後からジュース工場へ行こうと言っていたのだが、空模様が怪しいのでまたまた寝てしまった。今度は室内の長いすに寝転がって。リゾートでの時間の過ごし方はぼ~っとしていいのだが、ぼ~っとどころか居眠りしきり。覚えていることは、魚にパンをやったことぐらいだ。
日が落ち始めたので夕日を見ようと木道を外れまで歩いて行く。ところどころにベンチが置いてある。ここを歩くだけでもいい散歩になる。ラグーンの中とはいえ、外海に近いところはリーフの先に砕ける波の音がよく聞こえる。薄明の中のバリハイはちょっとムードがある。近くのコッテージに泊まっているご夫妻が食事に出かけるのだろう、ベンチに座っている私に声をかけて行った。
ポストに入っていたメッセージに今夜はディナーショーでタヒチアンダンスがあるから、希望者はフロントに申し込んで欲しいと書いてあった。「見たい?」って聞くと、「見なくてもいい」という返事。なら、アラカルトでワインを飲もうということになった。食事に行くと、持ってきたメニューは飲み物だけ。ともかくワインはサンテミリオンの赤を頼んだ。料理を聞くと、「オンリー・ブッフェ」だという。おやまぁ、夕食のブッフェは嫌いなんだけどね、しかたないね、と取りに行く。
「すみません」と日本語で声をかけられた。見ると、さっきの新婦さん。
「これ食べた分支払うんですか?」
「いえいえ、料金は同じだから、食べられたらいっぱい食べた方がいいのよ。はじめは少しずつ取ってきて、気に入ったらいっぱい持ってらっしゃい。何回取りにいってもいいのよ。ただし飲み物は別料金よ」
「そうなんですか。私、お腹ぺこぺこ」
「それは良かったわね。私たちはお腹が空いていないから、ブッフェはいやなんだけど、今夜はこれしかないみたい。あそこにロブスターもあったわよ」と知恵をつけている。そして私は、すばやく氷の上に並んでいる生牡蠣をみつけた。ちょっとこぶりだが、ここで生牡蠣にあえるとは。ひとりで山のように皿にのせている。これとワインで十分。後は果物とケーキだ。おや、スイカがある。刺身も持ってきたのだが、これは残した。
食事中、突然、太鼓の音が響くと、ダンサーたちが飛び込んできた。あれ、ディナーショーなんだ。客が少ないからみんなこれに組み込まれていたんだ。ならゆっくりと楽しむとしよう。と言いながらもカメラを持って前に出て写真を撮っている。これがあるとは思わなかったから、ストロボは内蔵のものだけど。小さな女の子が3人、腰をふりふり踊りだした。可愛い。こんな小さなうちから踊り出せば上手になるよね。
ダンサーも上手な人もいれば、下手な人もいる。横を見ながら踊っているのもいる。これはないよな~。終わり近く、観客を引っ張り出して踊らせる。どこも同じだ。出て行って踊ってもいいんだけど、タヒチアン・ダンスは腰を激しく振るからぎっくり腰になりそうだ、とやめる。ショーが終ったので、デザートを取りに行くと、さっきの新婦さんが鍵の閉め方がわからないと聞きにきた。「お姉さんに聞いて」というと、娘に聞いている。
さぁ、星が出始めた。南十字星はどこだろう。星座表を片手に星を眺めている。雲がかかるのでよくは見えない。オリオンが見える。だけどオリオン星雲のある三ツ星が上にある。北半球とさかさま。偽十字は見つかった。パトロールなんだろうか、車が来たので止めて「La Croix du Sud(南十字星)はどこ?」と聞くと外洋のほうを指差した。でもそっちには雲がかかっている。これでは満天の星空は無理だろうなァ。しかし、オリオンの後ろに天の川が流れていることは見て取れる。ということは私が若い頃の日本の空もこのくらい澄んでいたのだ。
ビーチの灯りも消えた。コテージの下に電気がつき、ガラスの下の海底が見えるようになっている。眠ってしまったらしく魚たちの姿はない。真っ黒な長いナマコが岩のようにごろごろしているのが見える。あれは食べられないのかな、沖縄の砂地にもごろんごろんしてた。どこかで、ゴムぞうりの代わりにナマコの粘液を使っていたのを思い出した。あのナマコは役に立たないのかな。
さっき買ってきた絵葉書を書いている。きれいな青い海の絵葉書でベラルーシにも書いた。ときおり思い出したように、何回も部屋を抜け出し、空を仰いだが状況はかわらなかった。かくして長い一日目は終った。
ぐっすり眠ってしまったらしい。まぶしい光に目を覚ました。娘がカーテンを引いたのだ。
「何時?」「7時半」「しまった~。」
夜明けのラグーンを見たかったんだ」もうあたり一面、光り輝いている。テラスに出でると、少し先のコッテージに朝食を届けに行くカヌーが見える。望遠レンズを向けると、女性のひとりが手を振った。こちらも手を振りかえす。
「じゃぁ、食事に行こうか」木道を歩くと、泊り客が戻ってくる。
「Good morning.」と声をかけると、返ってくる挨拶に「Good morning.」「Bon jour.」中に「Morgen.」もある。先ずはフロントに夕べ書いた絵葉書を出しに行く。日本までは130CPFだが、ヨーロッパも130CPFでいいのか確かめるために。でも大丈夫だった。朝食もビュッフェ・スタイル。紅茶はティーバッグを入れてもって来てくれた。パインは小さいが美味しい。スイカの味はいまいちだが、日本人としては、この時期にはうれしい。また魚にやるため、パンを余分に持ってくる。ポートに遊覧船が止まっている。あれで島のまわりを回れるようだ。乗ろうかというと、船はいやだと娘が言うので、車で島巡りをすることにする。荷物をまとめ、フロントに行き、チェックアウトしてもらう。
「いいところですね。昨日はとうとう一歩もここから出なかったんですよ。すっかりのんびりしました。飛行機の都合だから仕方ないけど、もう一日欲しかったですね。今度は夫と来ますよ。」
荷物を預かってもらうと、「ずいぶんコンパクトですね」とユリさん。
「えぇ、いつもこんなものです。今夜イースター島へ発つんですよ。」
「私も行ったことがありますが、モアイ以外な~んにもないところですよ。」
タクシーを呼んでもらう。ワンボックス・カーが来た。二人ではもったいないくらいの大きさ。ドライバーは女性。