Cogito

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ウルグ ベク

2017-08-25 18:52:15 | 日記
コズミックフロントで「イスラム天文学」を紹介していた。イスラムの科学はヨーロッパをはるかに超えていたのだが、あまり知られていない。本では読んでいたが、ウズベキスタンを旅したとき、サマルカンドでウルグベク天文台をたずね、その業績を知って驚いた。なにに驚いたかと言うと、15世紀すでに恒星の観察から、1年を365日6時間8秒と計算した。現代の計算と29秒しか違わない正確さであったこと、と、なによりも地動説を唱えていたことであった。地動説というと、コペルニクス(1473~1543)、ガリレオ(1564~1642)を思い浮かべるが、ウルグ ベクの学者たちの研究は、その二人よりずっと前のことである。

ウルグ ベク(1337~1449)はチムールの孫であり、君主であると同時に優れた天文学者、学者、文化人でもあった。ウルグベク天文台は彼が建てたものである。ウルグ ベク天文台には中世イスラム世界の優れた天文学者たちが勤務していた。言ってみれば、エリート集団がいたことになる。またウルグ ベクは学者や文人たちの擁護者でもあったので、彼の在位は、トルクメスタン文化の黄金期とも言われている。ウルグ ベクとはペルシャ語で「偉大なる指揮官」という意味で、これはチムールが孫のために与えた名前であった。華麗なる建築群も彼の指揮のもとに作られている。残念なことに暗殺されてしまった。彼の死後、ウルグベク天文台は大部分が破壊されたが、1920年代に地下部分が見つかり、復元されている。

番組ではコペルニクスとこのイスラムの天文学者たちの接点を紹介していたが、コペルニクスの著書にはイスラム天文学の研究がずいぶん用いられているのが証明されていた。イスラムの学者たちとヨーロッパの学者たちの交流はあったようである。
「星の王子さま」にアラビア風の服装で研究発表しても世間は耳を傾けなかったが、同じ学者が西洋風の服装で同じ研究発表をしたら、すごい研究だと驚く話が書いてある。それを思い浮かべて思わずクスリと笑ってしまった・・。


ウズベキスタンついでに先日テレビで見たタシケントのナボイ劇場のことにも触れておこう。この旅のはじめタシケントでナボイ劇場へ行った。そこで上演されるオペラを見に行ったのである。ところが主演のテナーが病気で急遽休演となってしまったが、この劇場は日本人の捕虜が建設に携わったとちらっと聞いていたので、劇場が見たいと、粘って楽屋口から入って舞台にも上がらせてもらい、3階までこと細かく見せてもらった。ナボイとは中世の詩人の名前だったと記憶している。ただなんで日本人の捕虜たちが携わったのかは知らなかった。
テレビで見ていると、それは第二次世界大戦時、ソ連に抑留された捕虜たち、400人が連れていかれたのだった。シベリアに送られたた人たち同様多くの人がその地でなくなっている。当時の生き残った方々はいま3人いられるそうだ。建設の労働力となった日本人捕虜は丁寧な仕事をしたようだ。やがて日本人たちは日本に帰ったが、その後、タシケントを大地震が襲った。ほとんどの建築物が崩壊する中で、日本人が作ったこの劇場と??はびくともしなかった。日本人は手抜きをせず、きちんと作ってくれたのだと、ウズベクの人たちは感謝したのだという。帰った一人はその後木彫りをしているという。ナボイ劇場を見学したとき、壁にはめ込まれた実に繊細で見事な木彫りの模様を見た。とても美しかった。あれも彼らの作品だったのか。劇場の案内人は、日本人が作ったとか、そんな説明は一切しなかった。劇場の前で、先生に引率された、中学生ぐらいの子供たちに出会った。劇場を背に、写真を撮って学校あてに人数分送ってやったのだが、子供たちに「日本について何を知っているか」と聞くと「工業の発展している国だ」と答えた。

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暑い!

2017-08-24 06:47:46 | 日記
夏なんだもん、暑くて当然だが、ずっと梅雨時みたいな、光のない、低温の日々が続いていたから、この暑さ、こたえる。

こんな時は冷たい仕事と、冷凍庫の整理をしている。凍っていると何が何だかわからないのでラベルはつけてある。「リンゴ」とラベルがついている袋を見つけた。白ワイン煮とは書いてない。パイ用のリンゴか、コンポートかわからないが、これでヨーグルトケーキを作ろうと解凍した。やはりコンポートではなくパイ用だったので、暑いときにパイは嫌だと、再冷凍した。もうスポンジはカットしてカルバドス入りのシロップをかけ、冷蔵庫に入れてある。そこでまたごそごそ保存袋を出しているとラ フランスの白ワイン煮が出てきた。秋になればまた作るから早めに使ってしまおう、とこれでヨーグルトケーキを作った。もう一袋ある。ブルーベリーの赤ワイン煮も出てきた。これは何にしたらいいだろう?といろいろ考えている。

今夏、初めて「つくつくほうし」の声を聞いた。夏も終わりに近いから、もうそろそろと思っていた矢先のこと。君らはちゃんと心得ているね。
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財政再建

2017-08-23 07:31:42 | 日記
福地町のついでに、財政破たんして一躍有名になった、こういう比喩は悪いな、夕張市の今をのぞいてみた。
ネットに35歳の夕張市長 「見せしめはもう勘弁」夕張破綻10年、35歳市長の覚悟 北海道夕張市長 鈴木直道氏が語る、という談話が載っていた。当時の赤字額は353億、財政再建計画は18年計画で、今年で10年、昨年、予定通り95億を返済した、とあった。タイトルの「みせしめはもう勘弁」、この言葉、痛いほどよくわかる。私が読んだ限りでも、地方財政の本には必ずと言っていいほど夕張市の例が載っていた。いかにして赤字隠しをして、決算を切り抜けたのか。よく覚えている。初め赤字額に、どうして議会がチェックできなかったか、不思議に思っていたのだが、チェックできないほど巧妙なやり方だったのだった。

談話はここ↓
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO03666070W6A610C1000000?channel=DF180320167086&style=1

切り詰められるところは切り詰め、緊縮財政を貫いているとはいえ、そのシビアさに愕然とするばかり。「高負担、低サービス」で、「希望がない」と夕張市を去っていく人たちが増え、しかも流出できる人から出て行くので、出ていけない人たち、高齢者の割合がが高くなることになる。これが一番の負債だろう。一方、市民が力を合わせてできる所は協力しているところは、これからの地域の財産になるだろう。





よそ事だと思っている財政破綻(いろいろな事情が加味されてくいるから単に放漫財政とは言えないのだ)、そんなことがわが町におらないように、やはり住民もチェックしていく必要性を感じている。そのためにも、情報公開が大事なんだが、今の町はあんまりよろしくない。こういう例は町民も読んでおいたほうがいい。ネットには論文もいくつも載っている。
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行政財産

2017-08-21 09:35:15 | 日記
福地町の自治法違反の記事を読んだ。あらまぁ福地町だ、福地町は知っている、行ったこともある、なにをやらかしたんだろう。記事によると、行政財産の町営住宅を、元町議に、自治法に定められた手続きもせず、家屋は無償、土地代129万円で払い下げした、とある。手続きとは、行政財産を払い下げするには、行政財産を普通財産に変更するか、国交省の許可を得なければならない、という規定がある。

普通財産にするには、住宅を撤去して更地にする必要があるのだが、元議員は増築していたので、増築部分も壊さなけれなばらない。そんなこともネックになっていたようだ。町営住宅は2軒建っていたが、老朽化を理由に払いさげを計画していたという。
よくよく読むとかなりの裏があるようだ。元議員が払い下げを強く要求、払い下げに難色示していた課長を町長が排除して係長に任せていたことなども明るみに出てきた。この払いさげられた住宅は、川に面していて、この川の護岸工事のため、県がこの土地の一部を買い上げ、さらに工事用の用地使用も入れて県は4600万円を元町議に支払い、元町議は町中に新築移転しているという。な~んか田舎町のどろどろとした物が見え隠れしている。自治法違反に問われれば、契約は無効になる。果たしてどうなることやら。

福地町の例規集を読んでいないから、わからないが、町営住宅を勝手に増改築していいものかねぇ、許可を取ってあるのかもしれないけど、それにしても町議にずっと貸しておくのも住民感情としてはどうなんだろうねぇ。

NB:「行政財産}
自治体が所有する「公有財産」のうち、庁舎や学校、図書館、公園、公営住宅、公民館の他、地上権や特許権なども含めた公用や公共用に使われる財産。原則として売却や譲与はできず、違反すると取引は無効となる。それ以外の公有財産は普通財産で、自治体の権限で売却や譲渡ができる。

福地町って文字に引っ掛かったのは理由がある。地方財政の本を読んでいた時だ。日本で初めて「財政再建団体」に陥った自治体が赤池町だということを読んで覚えていた。財政再建団体についてはこのブログでも何度も説明した来た。

何年前になるだろうか、福岡は上野焼(あがのやき)、小石原焼(こいしわらやき)、小鹿田焼(おんたやき・ここは大分県日田市に入るが)の地を訪ねたことがある。小石原、と小鹿田はこの間の大水害で多大な被害を被った地でもある。報道映像で小石原焼を買ったお店が写っていた。中は見えなかったが、みなさんご無事で、被害が少なければいいが。

上野焼は福地町にある。福地町は上野焼のある赤池町、金田町、方城町の3町が合併してできた町である。驚いたことに赤池町のみならず、金田町も北城町も財政再建団体だった町であった。ここはかつては炭鉱の町として栄えていたのだが、閉山に伴い衰退してしまった自治体だ。こういう例は日本中たくさんある。

上野焼の窯元のマップを見ていると駅名の「赤池」に目が行った。赤池、もしかしたら財政破綻した赤池町のことではなかろうか。そこで福地町役場に電話をしてその旨聞いてみた。その通りだと教えてくれた。窯元巡りなのでお邪魔は出来ないが、機会があったらおたずねしてお話を伺いたいと話した。今、普段使いに使っている銘々皿はこのときの上野焼である。

福地町のHPに財政再建団体に落ちて再建するまでの経過が載っていた。なかなかの内容である。早い話、消しゴムひとつ買うにも国の判許可がいる。住民サービスはすべて国のチェックで決める。公共料金も上がった。本当に苦労だったようだ。再建計画は12年だが、厳しいチェックと我慢の末、10年で目標を達成し、晴れて自由?の身になったそうだ。そんな再建団体経験の3町が合併してやって行けるのかという疑問に応える意図もあって、経過報告がなされているようであった。
ところがその間、滞っていたインフラ整備や住民サービスで、また財政難に陥っているとは今回知った。のど元すぐれば熱さを忘れるだねぇ、と思わず笑ってしまった。でもそれは仕方がないことだけど、それにしても行政ミスは困るねぇ、しっかりしておくれよ。遠くから応援している人もいるんだよ、福地町のふるさと納税は評判がよかったからさ。


財政再建団体


地方財政再建促進特別措置法に基づき、実質収支の赤字額が一定割合(都道府県で5%、市区町村で20%)を上回った自治体が対象。指定されると、国の指導で増税や公共料金値上げ、人件費削減などの歳出カットを含む財政再建計画を立て、赤字解消を目指す。出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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ぐずぐずした天気

2017-08-21 08:57:56 | 日記
室内干しの洗濯ものが煩わしい。除湿器があったことを思い出した。それは洗濯ものをつるしてあるその下にあったのだ。コードを手繰ると、なんとコードは電源にさしたまま、1年以上さしっぱなしになっていたのだ。いつもまめに使わない電気器具のコードは抜いておくのだが、忘れてしまったようだ。そこでさっそく通風した。洗濯物乾燥というきーも見つけた。そこでそれを押してつけておいた。ただ痛風だけでは早く乾かないだろうと、横に置いてあるストーブもつけた。ストーブの暖かい空気は除湿器の風で動かされて有効かもと考えて。で、予備にもう1個のストーブのカートリッジタンクに灯油を満タンにして横に置いた。タオルの引き出しを開けようとして前に置いてあった灯油のタンクを倒した。それが私の左足の甲を直撃した。「痛~い!」思わず声を上げるほどの痛さだった。しばらくじっとしていた。傷みが和らいだので、あとはいつものように動き回ってたり、テレビを見たりしていた。

夕方、立ち上がろうとしたら、左足が痛くて立てない。さっきの打ち身のせいだなとは思ったが、こんなに立てなくなるとは思いもよらなかった。靴下を脱いで左足の甲を調べたが、何ともなっていない。甲は小さな骨や筋が集まっているところ。だから立つこともできるし、歩くこともできる重要なところ。ただし脂肪や肉に覆われていないので、弱所でもある。甲を痛めることは子供のころから何度も経験していることだが、歳をとっては影響が大きいのかもしれない。両素足を比べてみた。左は、右に比べるとむくんでいる。甲もやや腫れているようだ、湿布をし、早めに寝ることにした。眠れれば痛さなんて忘れてしまう、明日になれば回復しているだろう。

私が歩けなくなることは、我が家では重大事である。湿布を出してもらうにもPapasanは場所がわからない。的確に指示しているのだが、それでもなかなか。夕食の支度も、カレーがあるからと言ってもカレーがどこにあるのかわからない。冷凍庫、と言うと、他を探している。冷蔵庫が3台もあるから、間違えるのは仕方がないけど、毎日上げ膳据膳はいけないかも。片足ではねて、台所まで行って、一つ一つ指示するのだが、とにかく時間がかかる。でも何とか遅い夕食にありつけた。ストーブを消し除湿器も止め、腰痛用の痛み止めセレコックスをのんで、横になったが寝つくくまでは痛かった。目が覚めたのが、なんと12時。まだ朝じゃなかったの~とぼやいていた。

恐る恐る立ち上がってみた。甲はまだ痛いが、大丈夫、歩ける。ちょっとぎこちないけど。歩けることは歩けるが、きっとどこかかばっていたらしく、あちこちが痛い。今日もおとなしくしていよう。
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