なぎのあとさき

日記です。

11月16日から、その週末 その1

2017年11月21日 | 日々のこと

木曜、いつもどおりプールで泳いで帰ったら、
全く予期せぬ訃報が待っていた。

今年の夏、ご夫婦で東京に来たとき、
暑さと湿気でバテてたけどお元気だったし、
前の週にお米を送ってくれたばかり。
気は動転、実感はわかなかった。
東京物語だった。M子ちゃんは春子よりずっと優しいけど。

金曜の朝にママに話して、
ママはすぐに猫の世話をしに来てくれることになり、
お通夜に間に合うようにチケットを手配して、
職場に行ってすぐに帰って、お香典や喪服を準備。

母は早めに来て、
ありものの白菜と鶏ムネ肉でご飯を作ってくれた。
ダーもその日は仕事に行って、
帰ってからもわりと普通。
訃報を聞いたその日も、サッカー見てたし。
育ての親はおばあちゃんだし、
私とママの関係、つまり普通の親子の関係とはかなり違う。

なぜか、パパも来た。
パパ「パパはママとセットだから」
ママ「ママのあとにどこにでもついてくる」と仲良しで、
いつも二人なのに、たまには一人を満喫、
とはならないらしい。
パパは都内で誰かと飲んできたみたいで、
こんなときにごきげんだった。

ママには猫の投薬を実演。
出発の朝に殿のホエキ。
投薬はママやってみてもらったら、
ビーは成功、殿はできなくて私がやり直し。

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空港までNくんが迎えにきてくれて、
一緒に来た甥っ子Sくん(高2)は
前回は子供だったのに、ゴツいラガーマンに。

お通夜ぎりぎりの到着で、
着替え終わる頃にはお寺さんの声が聞こえていて、
急いで席についた。

お経を聴いてご焼香の匂いをかいでいると、
みるみる実感がわいてきた。
急いで座ったのでハンカチを忘れ、
大量の涙も鼻水も手で拭くしかなかった。
その頃には、“死”に圧倒されはじめていたけど、
すぐに言葉にできることは何もない。

コーラスに書道、ダンスにお茶と好きなことをして、
家のことはあまりやらなかったM枝ちゃん。
11月の寒い夜、たぶん、気温が関わっている心筋梗塞。
倒れていたところに、苦しんだ痕跡はなかった。

M子ちゃんと、弟の奥さんのY子さんは
よく気がつくし優しくて感じがよくて、
ろくに帰省していない私もすぐに打ちとけられた。

姪っ子たちの成長ぶり、レベルの高さにびっくり。
かわいこちゃん揃い。足長いし顔ちっさ。
Kちゃんはちょっと大人びた高3、
Hナちゃんもしっかりして賢そうな小6、
Hメちゃんはまだ子供らしい小4。

外は、冷たい強風が吹き荒れていた。
日本海は、荒れていた。
山々の上のほうは紅葉していた。

夜、コタツを囲んでM子ちゃん、Y子ちゃん、
T川のおばちゃんとおしゃべりして、
その場でKちゃんは勉強していた。

男たちはメイン会場で飲んでいて、
ダーと弟のKくんは朝までお線香の番をする、
といってずっと飲んでしゃべっていた。
次の日大丈夫なのか、と思ったけど、
Y子さんが「途中で寝るよ」といっててその通りに。
朝まで持つお線香だったし。

寒いのに、田舎サイズのGがいて、
恐ろしかった。

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ママは何度も写メを送ってくれた。
殿は調子よくてご飯を食べる後ろ姿の写真が何度も来た。
ビーは抱っこしてと鳴くし、
モンちゃんは遊んでほしくて鳴くし、
殿は薬飲んでくれないし。
ビーは簡単に2錠飲んでくれたそう。

夫婦そろっての外泊はもうここ数年なかったことで、
殿だけでも病院に預けようかと思ったけど、
投薬は私がやってもしょっちゅう時間差で吐きだして
飲ませられてないことが多いし、
投薬のためだけに入院させるのもなんなので、
2、3回分なら、だめならだめでいいか、と。
ママはちゅーるに混ぜたりいろいろやってもだめで、
投薬だけで疲れきっていた。

M子ちゃんのワンちゃんたちは、
病院に空きがなくてホテルに預けたそう。
(1泊2匹で26,000円)

私はいつ帰れるか分からなかったので、
調子がわるそうなら病院に連れて行ってもらおう、
と思っていた。
どんな緊急事態だって、人生に一度の時だって、
日々の猫のお世話は積み重ね。いっさい手は抜けない。

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