なぎのあとさき

日記です。

天にゃんたちの季節

2021年06月21日 | にゃんトーク


エキナセア パープレアどんどん咲いてきた
14日の月曜に関東は梅雨入り
雨が止んで庭に出ると、ほかのエキナセアもぐっと伸びてツボミが上がってる


3月はスッカスカだったここがこんなになって


ここもこんな


ムスクマローも咲き始めた
オルラヤの種をとってどかしたところで、もう隙間はない



バラの二番花もぽつぽつ

Tは出社とテレワーク半々くらいで、Tがいなくて私1人だとマオちゃんはのびのび。
仕事してるとPCのぞき、キッチンに立つとシンクにぴょん、ご飯食べるとテーブルに乗ってお皿くんくん、寝室に行くとついてきて、撫でると高い声でキューン。かわいんですけどー


こんなになってたら、人になつくひまがない

にーたん!


よーしよし


どんだけ!

今年も夏至が近づいて梔子が咲き、空は明るさを増し、あれやこれやの記憶が鮮やかになる。
ビーが旅支度を始めたのも去年の今頃でモンチの旅立ちは6年前の20日の今日。
夏至の光に包まれたすべての記憶が愛しい。眩しい。



猫たちが天にゃんになることは、空から月が消えるほどの、惑星の並びが変わるほどの壮大な出来事だった。
人間ふぜいの私に、どうこうできるレベルのことではなかった。
すべてを理解できることでもない。
だから今は後悔もない。
夏の空に旅立った猫たちは、今も祝福されていることを、空を見上げる度に感じて、寂しくもない。

寂しくないのは、マオちゃんがあのふたりを鮮烈に感じさせてくれる、見せてくれることも大きい。1日に何度も何度も。
あのふたりがいた空間を埋めてくれるだけでもいいことなのに、あのふたりの動きや表情、佇まいを見せてくれる。
殿のことはモンちゃんが小出しに見せてくれる。

一年前、外で泣きながらレゲエのeverything i ownを歌った、私のすべてをあげるから、もう一度戻ってきておくれ、という祈りが、叶ったように思える。夏至の明るい空に、何度祈ったことだろう。

モンチは、天にゃん齢も6歳と長くなったし、もともと人間ふぜいには手の届かないような猫なので、こちらが行かないかぎりは、と思ってたけど、マオちゃんは動きの一つ一つにモンチを見せてくれる。

軟便なとこまで似てるので、今から食事やンチに気をつかい、日々ここにいてくれることに感謝している。

ディアバスター始めてもまだ軟らかい。においはふつうになった。元気いっぱいで脱水もない。


20日の海は浅瀬は濁り岩まわりは澄み、風波がけっこうあった。岩に釣り人がいて賢い兄さんたちはいない。タカノハダイ、フグ数種、ベラはたくさん、黒いチョウチョウウオ、タナゴの形の大きい魚。

お寺は紫陽花が満開で、梔子、百合も咲きだした。蓮にはツボミが出た。ガビにウグイス、ホトトギス、フクロウ、リス、カラス、トンビの声。秋の虫みたいな声もした。先週の雨で空気はしっとり。

ストレッチしてる時、東の空の一角、雲の隙間が蛍光ピンクから深い青のグラデーションに染まり、今にもモンチが顔を出しそうだった、出していた、小さくて見えなかった。帰りの車で、モンチやらノンチやらモユやらビーやらハナやら殿やらモンちゃんマオちゃんやらみんなの話をした。

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先週も、仕事の合間に公園のベンチで本を読んだ。かなり日射しが強くなって、30分いただけでも焼けそう。
フロイト「モーセと一神教」はまだはじめの、モーセはエジプト人説と割礼の話。
藤原さん「水と○」、砂漠をらくだのカサンドルと旅する前と後、ループしながら時間を作っていく話。面白い。

雨の休日、Tも休みなら傘さして駅まで散歩して、買い物して、薄暗くなったら家でプライム映画。中田ヒデオのホラーがたくさん見つかってしばらく飽きない。1人で見てるのはリトル ファイア。

花がきれいで緑がイキイキして可愛い猫たちといつも一緒でTもほとんど家にいて、散歩してプール行って幸せな日常。
とは裏腹に、仕事は、なんてこった!なことが進行中、その話はまた。

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