殿、御乱心、か

2006-07-06 02:03:47 | Weblog

 北朝鮮ミサイル発射

 北朝鮮が国際社会の自制を求める声を無視してミサイルの発射に踏み切った。06年7月5日午前3時半から8時半にかけて6発。そして同じ日の午後5時30分頃に7発目。3発目はテポドン2で、発射に失敗と見られているという。TBSの深夜近くの報道番組で軍事評論家が7発目は3発目の失敗の印象を薄めるための発射ではないかといったことを言っていたが、北朝鮮の最初の6発のミサイル発射に対して日本政府が採った北朝鮮の貨客船万景峰号の今後6ヶ月間の入港禁止や北朝鮮当局者の日本入国禁止、北朝鮮から日本へのチャーター便の乗り入れ禁止等の9項目の制裁措置にキム・ジョンイルが怒り狂って、その腹癒せに改めて7発目を発射したと考えると面白い。

 例えそうではなくても、各国を刺激して、自分で自分の首を絞める自傷行為の意味合いが強く(日本の9項目の制裁だけでも経済的にもメンツの上からも、自ら招いた重大な種となるに違いない)、「御乱心」としか考えられない。報道されるように北朝鮮軍部の力が突出してキム・ジョンイルが制御できなくなった権力構造の変化が招いたミサイル発射ということであっても、北朝鮮全体の自傷行為とならない保証はない異常行為であろう。

 そうであることは小泉首相にしては珍しくまともなことを言って裏付けている。「どういう意図があるにせよ、北朝鮮にとってはプラスはない」

 但しそういった常識的な分析や日朝平壌宣言に違反するといった当たり前の批判、さらにミサイル発射行為に相当するそれ相応の制裁措置だけではミサイル発射への懲罰に限定したものとなり、相手に届く声に限りが出る。

 いくら北朝鮮がミサイル開発に血道を上げ、核開発を国家体制維持の最終手段に位置づけようとしても、ただでさえ乏しい国家予算の国防費への重点的配分が北朝鮮経済の疲弊、ひいては国力の疲弊を招く、軍事力の増強が国力衰退につながる二律背反の関係にあること、北朝鮮が例え外国に対して戦争を仕掛けたとしても、相手国に相当な打撃を与えることは可能でも、国力の脆弱さがかつての日本のように戦争を長続きさせることができずに、必ず惨めな敗北を喫して、体制維持目的が逆の体制崩壊を自作自演することになるだろうこと、アメリカの先制攻撃を防ぐ唯一最善の方法は北朝鮮が世界に脅威を与えない民主国家となること、為政者の基本的な務めは国民を飢えさせずに食べさせる政治を行うことであること、他国から食糧援助を受けながら、国家予算の多くを軍備増強に回す政治は正当・正道な政治とは言えないこと、国力は経済規模によってのみ計ることができ、経済の充実が国民への豊かな生活を保証し、そのような生活が保証されることで手にすることができる国民の活力が国を支える源泉となること、強制した愛国心、あるいは強制から生まれた将軍崇拝心は見せかけの力しか生まず、国の力を高める真の支えとはならないこと――そういったことをはっきりとしたメッセージとして伝えることがミサイル発射に限定しない北朝鮮に対する本質的な警告となるのではないだろうか。

 北朝鮮にとって、そういったことをするしか道は残されていないのは事実であるし、その事実を明確に伝えるべきであろう。日本人拉致問題にしても、キム・ジョンイル体制の崩壊と北朝鮮の民主化を待たずには根本的且つ全面的な解決が望めないのは分かりきっていることでもある。 

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