小泉首相が「『政党ですから、よく現実の情勢を踏まえながら、対応するんじゃないでしょうかね』と自民党を離党している『郵政反対組』について、来夏の参院選前後にも復党を容認する考え」を「訪問先のヨルダンで記者団に語った」と「朝日」の7月14日(06年)の朝刊に出ていた。
法案に反対したからと昨夏の郵政民営化法案否決解散による衆院選では党公認を与えず、無所属で立候補した者や新党を結成した立候補者には対立候補(刺客)まで放って当選を阻むといったことまでして、その上除名・離党勧告を出して党籍を奪う容赦のない排除を行っておきながら、来夏の参院選では厳しい戦いが予想されるからと「参院選で自民党候補のために全力を尽くす努力を一生懸命にやっていただくこと」(武部幹事長)を交換条件に〝排除〟を1年そこそこで、舌の根も乾かぬうちにと言うべきか、なりふり構わずにあっさりと撤回しようとする。
政治にしても如何に自己都合(=自己利害)で動いているか、その最たる証明であろう。尤もなりふり構わない自己利害の印象を薄めるべく、小泉首相は「自民党を応援してくれる人なら何でもいいという考えは政治家、政党の常だが、政策を推進するうえでプラスかマイナスかを判断しなければいけない」(同記事)ともっともらしげな条件をつけているが、郵政民営化法案棄権・欠席組には衆院選での公認との引き替えに「郵政民営化と小泉構造改革に賛成する」旨の文書提出を要求して、要求どおりのことをさせている。
そのような一旦は示した反対の意思表示を撤回させた〝公認〟をエサとした賛成への転向は、それを要求した側にしても、要求されて応じた側にしても、相互の政策意思を不問し合う行為で、「自民党を応援してくれる人なら何でもいいという考え」に立った無節操を既に犯しているのであって、小泉首相の今さらの言葉が如何に奇麗事に過ぎないかが分かる。
そのあと小泉首相は「『参院選の協力具合によって(復党の可否を)判断してもいいだろうという動きも出てくる。今ことさら決めることはない」と語り、次の総裁に判断を委ねる考えを示した」(同記事)と言うことだが、参院選挙を戦う当事者である自民党青木幹雄参院議員会長の、会長という立場上、例え議席を減らしたとしても敗北を喫するわけにもいかない危機感がまずあり、小泉首相の意を受けて先頭に立って造反組いじめを展開してきた武部幹事長が「参院選で自民党候補のために全力を尽くす努力を」といじめをケロっと忘れた復党予定の露払いを既に務めているのである。それに引き続く小泉首相の意思表明である以上、「今ことさら決めることはない」どころではない既に決定事項となった復党であろう。
既定路線となった復党であるにも関わらず、「今ことさら決めることはない」は除名・離党勧告・協力文書提出を主導した張本人がそれらを不問に付して自ら決定する形とした場合の信念を曲げたとの批判が起こることを避けるための先送りであって、その言葉自体も自己都合(=自己利害)を優先させた奇麗事に過ぎないことが分かる。
郵政民営化法案に反対して自民党を離党した無所属らが計画していた新会派結成の年内の計画見送りにしても、自民党側の復党受け入れ意思を受けた自己利害からの展開だろう。復党願望を持ち続けていたということだから、当然と言えば当然の自己利害行為とは言えるが、自らの政策意思を自ら棚上げにする、あるいは不問に付す自己信念を捨てた自己利害行為であることに変わりはない。
昨夏の衆院選で造反組に刺客として対抗馬とさせられ、当選した新人を含む議員たちは彼ら造反組が復党した場合の次期衆院選で選挙区が競合しかねない恐れから、復党を慎重に行うよう党執行部に申し入れることを検討したということだが、これも当然の自己の利益を守るための自己利害行為ではあるが、「政策を推進するうえでプラスかマイナスかを判断しなければいけない」とした小泉首相の主張とは無縁の議席を維持できるかできないかだけの自己利害騒動となっている。
真に切実な問題は政策ではなく、選挙に勝利するかしないか、議席を維持できるかできないか、復党できるかできないかであって、小泉首相の復党容認にしても、選挙に勝利するかしないかの自己利害からの意思表明であり、それを誤魔化すそれぞれの奇麗事の展開に過ぎない。
将来的に増税せざるを得ない消費税率をはっきり明示しないことも、参院選の勝敗を睨んだ自己都合(=自己利害)であって、それに続く自己都合(=自己利害)が造反組の復党というわけである。