〝脱派閥〟のマヤカシ

2006-07-27 05:50:02 | Weblog

 06年7月26日の『朝日』夕刊にこんな見出しの記事が載っていた。

 『安倍長官、森派離脱へ』

 「安倍官房長官は9月の自民党総裁選に立候補するに当たり、所属する自民党森派を離脱する意向を固めた。8月下旬に正式に出馬表明する際に表明する方針。
 総裁選では、福田康夫元官房長官が不出馬を表明しており、森派は安倍氏で候補を一本化する。ただし、派閥横断型の『再チャレンジ支援議員連盟』が安倍氏を後押ししていることもあり、安倍氏としては、派閥を超えて幅広く協力を仰ぐ方が得策と判断した。再チャレンジ議連の森派以外の中堅・若手にも、安倍氏の判断を歓迎する声が出ている。
 小泉首相も森政権時代には森派会長を務めていたが、01年4月の総裁選では『派閥の弊害を打破する』として、森派を離脱した。安部氏には、小泉首相の『脱派閥』路線を引き継ぐ思いもある。
小泉首相は6月中旬に森前首相と会談したときに9月の首相退任後は森派に復帰しない考えを示しているが、森派の若手の中には『脱派閥を明確にするために、安倍氏も首相退任後は森派に戻らないと宣言した方がいい』との声もある」――

 「派閥横断型の『再チャレンジ支援議員連盟』が安倍氏を後押ししていることもあり、安倍氏としては、派閥を超えて幅広く協力を仰ぐ方が得策と判断した」

 あくまでも計算上の「得策」、つまり自己利害からのご都合主義であって、自らの政治姿勢が必要とした脱派閥でないことはミエミエである。党所属の政治家でありながら、県知事選とか市長選に立候補する際、党派色を薄めると同時に無党派層からの支持を得る自己利害から党籍を離れて無所属で立候補するのと同じ線上にある「得策」判断に過ぎないだろう。

 記事には書いてないが、首相就任後の支持率獲得に影響することも計算に入れて、〝脱派閥〟のスローガンが国民受けがいいことも狙った国民向けのポーズでもある「得策」なのだろう。

 〝小泉政治継承〟を謳っている。「小泉首相の『脱派閥』路線を引き継ぐ」ことで、〝継承〟をより強く印象づけることができることを「得策と判断した」自己利害、あるいはご都合主義ということもあるに違いない。

 森派の前身であるかつての福田派(福田→安倍パパ→三塚→森)のプリンスと呼ばれ、岸元首相の娘婿でもあった安倍晋太郎を父親とする毛並みの良さから初選挙からして森派の世話になり、当選後は二世議員として大事に育てられ、売り出されてきているのである。いわば森派という派閥の産湯にどっぷりと漬かって現在の安倍がある。派閥の申し子みたいな存在であって、派閥と一心同体だった政治家が総裁選立候補という都合で「派閥離脱」を図る。これを自己利害からのご都合主義と言わずして、何と言ったらいいだろうか。

 大体が8月下旬の正式出馬表明まで待って離脱するということ自体がマヤカシそのもので胡散臭い。ご都合主義の自己利害からではなく、純粋に政治姿勢に促された「派閥離脱」なら、8月まで待たずに直ちに離脱するだろう。

 小泉首相が森派に戻らないのは、自分の息のかかった安倍晋三の後継者が確実視されている現状で、森派に戻るよりも、戻らずに直接安倍晋三に影響力を及ぼした方がマンツーマンの対応ができて効果的と見ているからではないか。森派に戻れば、森派の意向というクッションを通して働きかけなければならない場面が生じないとも限らない。一人の立場でいれば、その煩わしさを免れることができるし、自由自在に影響力を及ぼすことができ、望みどおりに操ることもできる。

 安倍晋三の〝脱派閥〟の「判断を歓迎する声が出ている」ということだが、無派閥議員なら「歓迎する」資格はあるが、派閥所属議員にはその資格はない。自分がいずれかの派閥に所属しながら、派閥の意向とは別に次期総理・総裁として支持する政治家の〝脱派閥〟は「歓迎する」では自ら矛盾を犯すマヤカシ行為となるからである。自らも〝脱派閥〟を実践してこそ、「歓迎」に整合性を与えることができる。

 派閥に片足を置いていながら総理・総裁候補の〝脱派閥〟にもう片方の足を置く――どちらを軸足としているのだろうか。総理・総裁は変わるから、軸足は当然派閥に置いた方の足だろう。来夏の参院選の結果次第では、安倍政権が1年も持たない短命政権で終わる可能性だってある。終わった場合、外に置いていた片方の足をそっと派閥に戻すのだろう。

 「森派の若手の中には『脱派閥を明確にするために、安倍氏も首相退任後は森派に戻らないと宣言した方がいい』との声もある」ということだが、首相を2期・3期と全うしたなら、小泉首相みたいに見せかけの実績をバックとして以後の活動を支障なくこなすこともできるだろうが、そこまで行かないうちに選挙の敗北以外にも何らかのアクシデントで任期途中で辞任に負い込まれるといった事態が生じた場合、実績もなしでは派閥をバックとしなければ何ができると言うのだろうか。

 「森派に戻らない」を「派閥離脱」と同様に「得策」と見て提案したことだろうが、安倍政権が誕生したとしても、小泉首相どおりにいく保証はどこにもない、先行きがどうなるかも分からない時点で「首相退任後」のことまで言うのは、まったくナンセンスな話だが、国会議員でありながら、そのナンセンスさに気づいてもいない。

 小泉首相の退任後の「森派に戻らない」にしても、〝実家〟は森派以外になく、精神的にも心理的にも血のつながりを失うわけではないだろうから、正確な意味での〝脱派閥〟を意味するわけではない。安倍晋三にしても、常に〝実家〟は森派とするだろう。

 国会議員でありながらのこのようなナンセンスさは他人の判断でしかない派閥思考に依存した行動を基本としていて、自律的・主体的な判断(=自分の判断)で行動する習慣がないことから発揮することとなった、深い考えもなしに「得策」ついでで思いついた先見の明なのだろう。

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