安倍キレイゴトを後継する麻生キレイゴト

2007-08-02 04:07:35 | Weblog

 7月31日(07年)の夜7時半からNHK「クローズアップ現代」。麻生日本の未来を託するにふさわしい次期総裁候補議員、安倍首相の参院選敗北に関わりない続投を問われて、

 「じゃあ、誰がやられるたって、代えろって、代えるタマがいりますけども、その人に次の衆議院の選挙するんですよと、その人、今の段階で、今、誰かおられるんですかと、いう話をご自分自身も立候補されるか何か、されないと、代えるっていう場合は確実に誰か代えるタマがいるんですよ」

 「このタイミングで別に麻生政権というところは頭ん中になかったですか?」
 麻生「(言下に)ありません。人の弱みに突け込んでやるのは、あまり趣味ではない」

 要するに安倍首相に「誰か代えるタマ」がいない、だから続投ということに決定したということなのだろう。

 ところが安倍首相も中川秀直暴力団風押出し幹事長も、番組の冒頭で改革への意欲を続投の理由に挙げている。

 安倍「反省すべきは反省しながら、しかし総理としてですね、今進めている改革をしっかりと実行していく――」
 中川「イバラの道ですよ、私は。しかしそれが正しい選択であると、私もそう思っております。あ、今、やっぱり改革と成長のためにね、この基本路線否定されたとは思いませんし、改革を止めるなという意味ではまったくないわけですから、そのためには党内にやっぱり一丸となるべきだと。足を引っ張り合っているときではないと――」(同「クローズアップ現代」)

 〝タマの不在〟説に立ってこの食い違いを解くとしたら、表向きは改革の続行を続投理由としているが、実際は〝タマの不在〟が止むを得ず続投を選択させたということに当然なる。但し、安倍首相自身に首相としての当事者能力なし、「代えるタマ」もいない。人材不足の自民党だと内輪を曝したことにもなる。

 だが、「このタイミングで別に麻生政権というところは頭ん中になかったですか?」と問われて、「人の弱みに突け込んでやるのは、あまり趣味ではない」と、参院選与野党逆転の大敗という「弱みに付け込」むことになるタイミングでなければ、麻生政権が頭にあることを示唆している。これは自身を「タマ」に位置づけていることを示すもので、「代えるタマがいるんですよ」と矛盾する言葉となる。

 麻生政権が頭にある(自身を「タマ」に位置づけている)ことは、東南アジア諸国連合(ASEAN)と日本、中国、韓国(プラス3)の外相会議出席のためにフィリピンを訪問している<麻生氏は総裁選出馬について「今すぐというわけじゃない」と前置きしつつ意欲を語り、世論調査での自身の支持率が高いことを「期待が高いというのは感謝しなければいけない」と述べた。>(07.8.1/asahi.com≪麻生外相、ポスト安倍に意欲 閣僚人事「重厚な人を」≫)とする記事が証明いている。

 これらの矛盾を解く鍵は「その人に次の衆議院の選挙するんですよと、その人、今の段階で、今、誰かおられるんですか」という言葉にあるだろう。衆議院の任期は残すところ2年しかない。その間解散という突発事態が起こればなおさらのことだが、起こらないにしても、2年間で地方格差や所得格差、年金不信を解決できなければ、衆院でも与野党逆転、政権交代の可能性も出てくる。そうなった場合、そのときの総理・総裁は責任を取って辞任は当たり前の結末とし待ち構えているもので、それが自分自身であってはならないのは当然の利害であろう。

 ここは参院選敗北・与野党逆転ついでに損な役回りは安倍晋三に付き合って貰うことにして、衆院選与野党逆転・政権交代となった場合は仕方がないながら、自民党総裁の後継だけは自分がうまく滑り込んで将来の総理大臣を狙う。滑り込むについては安倍首相は自民党最大派閥の町村派に所属しているのだから、その後押しも必要となる。ここは続投を支持して恩を売っておいて、チャンス到来となったなら、見返りに町村派の支持をお願いする――といった自分に都合のいいシナリオを描いているのではないだろうか。

 要するに火傷間違いなしの火中の栗は拾いたくないといったところだろう。大体が総理・総裁の後継候補者を「タマ」と呼ぶよう政治家である。そのような麻生の人格からして、「人の弱みに突け込んでやるのは、あまり趣味ではない」は言葉だけのキレイゴトと見ないわけにはいかない。

 昨日午後2時に赤城農水相が記者会見を開いて辞任を発表した。首相秘書官を通じて首相に官邸に呼ばれ、いわば引導を言い渡されたのだろう、「官邸で総理とお会いしたところ、総理も同じお考えであると察しまして、私からその場で辞表を提出しますと申し上げ、直ちにその場で辞表を書いて、総理に提出をし、受理をされたと――」(昨夜のNHK「ニュースウオッチ9」)

 安倍「当然、私、にすべて責任が、あります。この任命責任については痛感をしています。ま、今後ですね、エー、政策の面に於いて、エー、しっかりと国民のみなさんの期待に応えていくことによって、責任を果たしていきたいと思います」(同「ニュースウオッチ9」)

 辞任の必要なしとする人事を行っておきながら、参院選敗北という痛い思いをしてから一度決定しておいた人事を事務処理能力に問題があるからと変える。痛い思いをすることがなかったなら、同じくなかった人事変更であろう。そうでありながら、「私にすべて責任があります」とさも責任を感じているが如く言う。「私にすべて責任があります」が単なる言葉でしかないことを証明して余りある。

 大体が昨年の就任以来、何度「私にすべて責任があります」を聞かされただろうか。何度も同じ言葉を聞かされると、言葉に持たせるべき信用を自ずと失っていくことになる。

 「私にすべて責任があります」と、それを受けて「国民のみなさんの期待に応えていくことによって、責任を果たしていきたいと思います」はまさに安倍晋三の十八番(オハコ)の常套句となっている観がある。それが言葉だけのキレイゴトでないと受け止められていたなら、いわば「国民のみなさんの期待に応え」る責任を果たしてくれるに違いない信用を失わずに少しでも維持していたなら、キレイゴトであることを免れ、こうも参院選で大敗を喫することはなかったろう。

 常套句となっていること自体が既に言葉だけのキレイゴトとなっていることを証明している。

 もし安倍後継が麻生ということになったなら、安倍のキレイゴトに続く麻生のキレイゴトを国民は覚悟しなければならないに違いない。

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