憲法改正は政治的立場・政治信条が問題となる
現在の日本国憲法がマッカーサー以下のGHQの手で全面的に制定されたわけではなく、日本人の手が加えられて制定されたことは周知の事実となっている。にも関わらず、安倍首相は次のように憲法改正の意志を表明している。
「占領下にあって、占領軍の手で作られたというのは紛れもない事実です。中身がよければいいではないかという意見もありますが、制作過程というものに拘らざるを得ません。日本人自身の手で憲法をつくるべきだと思います」
すべてに亘って「日本人自身の手で」なければならない、外国人の手を煩わしてはならない、それが「自主憲法制定」ということだと言いたいのだろう。
例えそうであっても、「日本人自身の手で憲法をつくるべきだ」はマヤカシの主張であることに変わりはない。
なぜなら、同じ日本人であっても、常に政治的信条が同じだとは限らないからだ。政治的立場を異にすれば、当然憲法の中身・精神も異なってくる。それを「日本人自身の手で」を絶対条件、もしくは優先条件としたとき、国民の選択に関わる意識はそこに向かい、憲法の中身・精神は二の次に置かれる危険を孕むことになる。
いわば「日本人自身の手で」つくられたとしても、逆に「日本人自身の手で」つくられなかったとしても、問題は常に憲法の中身・精神に置かなければならない。
終戦の翌年の1946年1月、幣原内閣の国務相松本烝治を委員長とする憲法問題調査委員会が憲法草案を起草し「日本人自身の手で憲法をつくる」機会を持ったが、GHQによって拒絶されている。それは「日本人自身の手」によるものだからではなく、草案が旧大日本帝国憲法の字句をいじっただけで、旧態依然の非民主的な憲法の中身・精神を引きずっていたからであろう。
いわゆる松本草案なるものをHP≪憲法改正に関する資料≫によって主だったところを見てみる。
≪Ⅲ.憲法問題調査委員会の改憲調査≫
憲法改正要綱(甲案・松本草案=1946・2・8-GHQに提出)
第1章 天皇
1.第3条ニ「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」トアルヲ
「天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス」ト改ムルコト
第2章 臣民権利義務
8.第20条中ニ「兵役ノ義務」トアルヲ「公益ノ為必要
ナル役務ニ服スル義務」ト改ムルコト
9.第28条ノ規定ヲ改メ日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケサル
限ニ於テ信教ノ自由ヲ有スルモノトスルコト
10.日本臣民ハ本章各条ニ掲ケタル場合ノ外凡テ法律ニ依
ルニ非スシテ其ノ自由及権利ヲ侵サルルコトナキ旨ノ
規定ヲ設クルコト≫――
単に字句を変えただけのことで、天皇絶対主義は変わらない。国体維持の意志に変化はない。自分たちが規定した天皇の絶対性を好き勝手に「侵シ」て恣意放恣な国家運営で国を破滅に導いておきながら、国民には相変わらず「侵スヘカラス」と求める天皇の地位を利用した国民支配の欲求・精神も何ら変わらずに持ち続けている。
結果として旧憲法同様に天皇の「臣民」という大きな枠をはめられた中で国民は存在することが義務付けられることとなっている。そこから出発して「公益ノ為必要ナル役務ニ服スル義務」とする「兵役ノ義務」に代わる国家権力による国民動員へと進む。
「信教ノ自由ヲ有スル」は天皇の「臣民」と規定された中での制限付の人権でしかない。国民の生存権を天皇の「臣民」という範囲内のものとしているから、「法律ニ依ルニ非スシテ」と法律に制限していない「自由及権利」の行使は「侵サルルコトナキ旨ノ規定ヲ設クルコト」と二重に厳しく制限することを要求することとなっている。いわば「自由及権利」は常に制限付であって、保障にまで至っていない後進性に包まれていた。
憲法制定が「日本人自身の手」によるものであるとすることを絶対条件、あるいは優先条件とするなら、そのような条件に合致する戦後内閣の「日本人自身の手」によるこの草案に対するGHQの拒絶は「日本人」からしたら不当な差別、もしくは弾圧となる。だが、憲法の中身・精神を制定の優先条件とするなら、欧米流の民主主義と人権の価値観に反する天皇主義・国家主義は十分に拒絶する理由となって、差別にも弾圧にも相当しない。
次に同HPから、<(この説明書は,松本国務大臣により起草され,昭和21年2月8日,前出の「憲法改正要綱」とともに連合国最高司令部に提出された))>とする≪政府起草ノ憲法改正ニ対スル一般的説明≫を、既にご存知の向きをあるかもしれないが、参考までに引用してみる。
<政府ノ起草セル憲法改正案ノ大要ニ付キ大体的ノ説明ヲ試ムルコト左ノ如シ
〔1〕
ポツダム宣言第10項ハ「日本国政府ハ日本国国民ノ間
ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スルー切ノ障擬
(しょうげ=障害)ヲ除去スヘシ言論,宗教及思想ノ自
由並ニ基本的人権ノ尊重ヲ確立スヘシ」ト規定セリ政府
ハ比ノ趣旨ニ遵応シ1889年2月11日発布セラレ爾
後一度モ変更セラルルコトナクシテ今日ニ及ヒタル日本
国憲法ノ改正ヲ起案セントス即チ今回ノ憲法改正案ノ根
本精神ハ憲法ヲヨリ民主的トシ完全ニ上述セル「ポツダ
ム」宣言第10項ノ目的ヲ達シ得ルモノトセントスルニ
在リ
〔2〕
上述ノ根本精神ニ基キ憲法ノ改正ヲ起案スルニ当リ第1
ニ起ル問題ハ所謂天皇制ノ存廃問題ナリ之ニ付テハ日本
国カ(が)天皇ニ依リテ統治セラレタル事実ハ日本国歴
史ノ始マリタル以来不断ニ継続セルモノニシテ此制度ヲ
維持セントスルハ我国民大多数ノ動スヘカラサル確信ナ
リト認ム乃(かくし)テ改正案ハ日本国ヲ共和国トシ大
統領ヲ元首トスルカ如キ制度所謂大統領的共和主義ハ之
ヲ採ラス天皇カ統治権ヲ総覧(そうらん=政治、人心な
どを掌握して治めること)行使セラルルノ制度ヲ保持ス
ルコトトセリ>(以下はHP参照)
ポツダム宣言が無条件に「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スルー切ノ障擬(しょうげ=障害)ヲ除去スヘシ言論,宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ヲ確立スヘシ」と求めていながら、「天皇カ統治権ヲ総覧行使セラルルノ制度ヲ保持スルコトトセリ」と、旧憲法第1章天皇の第4条「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」を持ってくる倒錯的な民主主義の感覚は恐れ入る。「天皇カ統治権ヲ総覧行使セラルルノ制度ヲ保持スルコトトセリ」とは、「統治」が「主権者が国土・人民を支配し、治める」(『大辞林』三省堂)意味である以上、天皇を元首と位置づけて、旧憲法第1章天皇第1条の「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」の条項を暗黙裡に含むものであろう。
安倍国家主義者が策す改正憲法が時代事情から基本的人権を否定することができないとしても、愛国心を要求することで基本的人権に制約を加える国家主義意識を紛れ込ませることは可能となる。決して「日本人自身の手で憲法をつくる」ことが絶対条件でも優先条件でもないことを肝に命ずるべきだろう。
最初に現在の日本国憲法がマッカーサー以下のGHQの手で全面的に制定されたわけではなく、日本人の手が加えられて制定されたことは周知の事実となっていると書いたが、国会図書館が自ら所蔵する書籍・記録等を案内するHP≪「ラウエル「私的グループによる憲法改正草案(憲法研究会案)に対する所見」 1946年1月11日 | 日本国憲法の誕生」≫には次のような説明がある。
<「GHQは、民政局のラウエルを中心として、日本国内で発表される憲法改正諸案に強い関心を寄せていた。なかでもとりわけ注目したのは憲法研究会案であり、ラウエルがこれに綿密な検討を加え、その所見をまとめたものがこの文書である。彼は、憲法研究会案の諸条項は「民主主義的で、賛成できる」とし、かつ国民主権主義や国民投票制度などの規定については「いちじるしく自由主義的」と評価している。憲法研究会案とGHQ草案との近似性は早くから指摘されていたが、1959(昭和34)年にこの文書の存在が明らかになったことで、憲法研究会案がGHQ草案作成に大きな影響を与えていたことが確認された。>
では、1945(昭和20)12月27日に幣原首相とGHQに提出した「憲法研究会案」をHP≪憲法研究会「憲法草案要綱」≫で見てみる。
根本原則(統治権)
日本国の統治権は、日本国民より発する。
天皇は、国政を親(みずか)らせず、国政の一切の最高責
任者は、内閣とする。
天皇は、国民の委任より専ら国家的儀礼を司る。
天皇の即位は、議会の承認を経るものとする。
摂政を置くことは、議会の議決による。
「国民の権利・義務」に関しては10カ条ほど列記されているが、主なところを拾ってみると、
国民は、法律の前に平等であり、出生又は身分に基づく一
切の差別は、これを廃止する。
国民の言論・学術・芸術・宗教の自由を妨げる如何なる法
令をも発布することはできない。
これは「憲法改正要綱(甲案・松本草案)」の第2章臣民権利義務10.の「日本臣民ハ本章各条ニ掲ケタル場合ノ外凡テ法律ニ依ルニ非スシテ其ノ自由及権利ヲ侵サルルコトナキ旨ノ規定ヲ設クルコト」の制限付と違って、思想・信教・言論・学問の自由を全面的に保障する条項であろう。その他に、
国民は、健康にして文化的水準の生活を営む権利を有する
。
男女は、公的並びに私的に完全に平等の権利を享有する。
民族人種による差別を禁じる。――等となっている。
同じ「日本人自身の手で」憲法草案が起草されながら、憲法の中身・精神として込められた「憲法問題調査委員会」の「憲法改正要綱(甲案・松本草案)」に於ける天皇絶対主義・国家主義と、それと正反対の「憲法研究会」に於ける「憲法草案要綱」の統治権を国民に置き、国民に諸権利を保障する民主主義は明らかに「日本人自身の手で」を憲法制定の絶対条件、もしくは優先条件とすることのマヤカシを証明して余りある。
もしもGHQという「占領軍」の関与がなければ、幣原内閣の「憲法改正要綱(甲案・松本草案)」が無条件に通り、日本国民はそれを日本の戦後憲法として頭に戴いていた可能性が高い。戦争は戦前と戦後を画して新時代を開く契機とはなり得ず、戦前と戦後が殆どそのままつながることとなって、当然のこととして安倍晋三にとって「戦後レジームからの脱却」は必要としなくなる。天皇及び首相の靖国神社参拝は戦前の慣わしどおりに行われ、「天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス」存在として学校のすべての教室に天皇と皇后の御真影を掲げることと、授業に於ける教育勅語の朗読が義務づけられ、様々な奉仕活動が国家に対する奉仕の代理行為として当然の義務とされていたことだろう。
学校が火事となった場合、校長や教師は戦前と同様に例え焼け死ぬことになると分っていても、御真影を救い出すべく炎燃え盛る教室の中に飛び込むだけのことはしなければならなくなるだろう。
「憲法草案要綱」を作成した憲法研究会のメンバーの主たるメンバーである高野岩三郎は「憲法研究会案」をGHQに提出した1945(昭和20)12月27日の翌日に「日本国共和国憲法私案要綱」を発表している(上記HP≪憲法研究会「憲法草案要綱」≫を参照)。
その主たる柱は「根本原則」として「天皇制二代ヘテ大統領ヲ元首トスル共和制ノ採用」と「日本国ノ主権ハ日本国民ニ属スル」とする主権在民の明確な位置づけである。
「憲法改正要綱(甲案・松本草案)」の「改正案ハ日本国ヲ共和国トシ大統領ヲ元首トスルカ如キ制度所謂大統領的共和主義ハ之ヲ採ラス」は「日本国共和国憲法私案要綱」に向けた敵対趣旨として表現されたものに違いない。
だが、この共和制憲法は日の目を見ず、天皇制は現在の日本国憲法に規定されている内容のものとなった。これは「占領下にあって、占領軍の手で作られた」ことも影響した象徴天皇制だろう。戦前の国体を戦後に於いてもその維持を画策した天皇主義・国家主義の一派にしたら、それが象徴天皇制であったとしても、とにかくも天皇なる存在に対して「天皇制二代ヘテ大統領ヲ元首トスル」類の歴史からの抹消を逃れることができたことは「占領下にあって、占領軍の手で作られた」ことのすべてを否定できない事実としてあるものではないだろうか。
この点についても、安倍首相の憲法の自主制定論には筋が通らない部分がある。それとも安倍晋三は天皇が戦後の憲法によって歴史から抹消されていたなら、それを「日本人自身の手で憲法をつくるべきだ」とする主張のもと、天皇制を復活させる予定表を組むようなことをするのだろうか。
このような仮定の方が「戦後レジームからの脱却」はより一層理解を得やすいのではないか。
日本の憲法だから、「日本人自身の手で」つくったものでなければならないとする条件性は一種の国粋主義への拘りだが、百歩譲って、それでよしてしても、安倍国家主義の手にその改正を委ねた場合、基本的人権の保障や自由と民主主義の価値観の共有を彼特有の美しい言葉で飾り立たとしても、その国家主義は憲法の精神に否応もなしに投影されて、それが教育の場で愛国心教育や奉仕活動への動員といった形で表現されていくことになるに違いない。既に愛国心教育に拘り、昨年の自民党総裁選時には「大学9月入学」の教育制度改革を唱え、高校卒業の4月から9月までの5ヶ月間を社会奉仕活動への義務化に持っていこうとしているのである。
そこには愛国心教育や奉仕活動を通して国家に従うとする国家への従属精神を植えつける意図を隠している。だから、国家を成り立たせる力は国家への従属精神では発展不可能である経済の能力であり、技術を生み出し、運営する能力であり、政治の能力であり、社会の治安を守る能力等でなければならないのだが、「命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません」と国家に向けた物理的な生命の投げ打ち・生命の従属を短絡的に求める思考回路を持つに至っているのだろう。
「日本人自身の手で」憲法を制定するにしても、安倍国家主義者の「手」に決して委ねてはならない。中身がカラッポの人間ほど国とか民族といった権威を振りかざす。国民を権威とする以外のどのような権威も、そののさばりを許してはならない。「主権在民」とはそういうことであろう。