8月15日敗戦記念日/みんなで靖国神社を参拝しよう

2007-08-15 11:54:08 | Weblog

安倍首相も小泉前首相も、公明党のみなさんも痩せ我慢せずに参拝しようよ


 小泉首相が敗戦記念日の今日8月15日、先ほど参拝したと9時前の民放ワイドショー番組で報道していた。

 首相時代の小泉純一郎「政治家として2度と戦争を起こしてはならない誓いを込めて、靖国神社に参拝している」

 安倍「2005年6月、わたしは、訪日中のインドネシアのユドヨノ大統領にお会いしたとき、小泉総理の靖国参拝について、『わが国のために戦い、命を落とした人たちに対して、尊崇の念をあらわすとともに、その冥福をお祈り、恒久平和を願うためです』と説明した。すると大統領は、『国のために戦った兵士のためにお参りするのは当然のことです』と理解を示してくれた。世界の多くの国々が共感できることことだからではないだろうか」(安倍・著『美しい国へ』)

 「国のために戦った兵士のためにお参りするのは当然のことです」は3歳の子どもでも理解できるごくごく当たり前のことだろう。だから、みんなで参拝という流れになっている。

 だが、戦うに値した戦前の日本国家だったろうか。戦ったことが正しかった戦前の戦争と言うことなら、「わが国のために戦い、命を落とした人たちに対して、尊崇の念をあらわすとともに、その冥福をお祈り、恒久平和を願う」のは、つまり「国のために戦った兵士のためにお参りするのは当然のことです」ということになる。但し戦ったことが正しかった戦前の戦争と言うことなら、小泉純一郎の「政治家として二度と戦争を起こしてはならない誓いを込めて、靖国神社に参拝している」は論理矛盾を引き起こすことになる。

 正しかった戦前の戦争を「二度と起こしてはならない」と否定することになるからだ。正しかった戦前の戦争を戦い戦死した兵士に対して「二度と起こしてはならない」は、その戦死ををも貶める侮辱行為に相当する。

 正しくなかった戦争だったからこそ、「二度と起こしてはならない」が論理的正当性を獲ち得るのであって、正しくなかった戦争だったということなら、そのような間違った「国のために戦い、命を落と」すといった疑いもせずに言いなりに同調・従属した無考え、あるいは自己判断放棄に対して「尊崇の念をあらわす」のは奇妙な倒錯行為となる。単細胞の安倍首相を、「あなたは素晴らしいアタマをしている」と誉めるようなものである。

 戦前の日本の戦争を悔い、戦うこととなって無駄な戦死を与えることとなった者の生命を謝罪の念を込めて惜しみ、国家はこうはあってはならない、国民もこうはあってはならないと戒めの場としてこそ、誰かさんのお得意の口先だけのものではない真の反省・誓いを示すこととなって、「その冥福をお祈り、恒久平和を願う」ことが真正の価値を獲得することができるというものではないだろうか。

 特に国家の政治に携わる者は軍国主義・全体主義が支配する間違った国家へと「二度と」もっていくことはしませんと「誓いを込め」るべきだろう。そうしてこそ、「恒久平和を願う」気持へと確実につながっていく。

 ところが中国との戦争も青息吐息の状態でありながら、アメリカと戦争する、相手の実力に対する自らの実力を正確に計算する能力も持ち合わせもせず、口先だけの強がりで戦争を始め、その挙句に原爆を2発喰らってやっと強がりの口先をへし折られて、目が覚めた無様な戦前の日本であった。

 <天皇「アメリカとの戦闘になったならば、陸軍としては、どのくらいの期限で片づける確信があるのか」 
 杉山「南洋方面だけで3ヵ月はくらいで片づけるつもりであります」
 天皇「杉山は支那事変勃発当時の陸相である。あの時、事変は1ヶ月くらいにて片づくと申したが、4ヵ年の長きにわたってもまだ片づかんではないか」
 杉山「支那は奥地が広いものですから」
 天皇「ナニ、支那の奥地が広いというなら、太平洋はもっと広いではないか。如何なる確信があって3ヵ月と申すのか」
 杉山総長はただ頭を垂れたままであったという。>〔『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』(文藝春秋・07年4月特別号)/半藤一利氏解説から(昭和史研究家・作家)〕

 現在でもお笑いのネタに推奨できる見事な展開である。

 沖縄の戦闘でも、ソ連侵攻の満州でも、軍は自分たちが逃げるのが先で民間人を守らなかった非人間性、戦闘で形勢が不利になると、兵士を置き去りにして上官が先に撤退する「規律ある凛とした美しい」帝国軍人魂が支配していた日本の軍隊であった。正しい戦争などどこにもなかったのである。

 硫黄島の戦闘では2万余の兵士が送り込まれたものの、<兵士と言っても、その多くは急遽召集された3,40代の年配者や16、7歳の少年兵。中には銃の持ち方を知らない者もいた>(NHKスペシャル≪「硫黄島玉砕戦」・~生還者61年目の証言~≫07.8.5.再放送)という情景は明らかに既に戦争を継続するだけの国力を失った状況を示すものだが、それを正直に受け止めることをせずに口先だけの強がりを維持して「本土防衛、沖縄防衛」を叫び立てて援軍も送らず、実際は兵士を見殺しにした日本国家の姿・軍部の姿は「玉砕」の美名と同じく醜悪さと悪臭に満ち満ちた中身を実体とした組織に過ぎなかった。

 そして沖縄の戦闘でも硫黄島の戦闘で見せた捨石作戦を再度実演じて、兵士及び沖縄島民を多数見殺しにし、なお且つ島民に集団自決を強制する醜悪な戦争とした。

 なぜ間違えた国家となったのか。日本という国に拘り、大和民族に拘り、万世一系の天皇に拘り、行き着いた末が「他ノ民族ニ優越セル」という、共生や国際協調とは正反対の思い上がりを民族性とするに至り、その思い上がりがアジア諸国に対して自らを支配者の位置に置く衝動をもたらすこととなった。南方進出はその衝動の具体化であったろう。

 戦前の日本・軍部は間違えた国家のために兵士・市民の命をムダに落とさせたのである。国の政治に関わる人間なら、「国のために戦い、命を落とした」と事象を表面的になぞり、受け止めるカエルの面にショウベン面の顔向けなど本来ならできようがないのである。それをなぜ間違えた国家となったのかの問いかけも検証もないままに参拝し、「尊崇の念をあらわす」。戦前の日本を間違えた国家と把えていないからだろう。間違えた戦争だと総括していないからできる「尊崇の念」なのである。

 安倍「反省すべきは反省しながら、しかし総理としてですね、今進めている改革をしっかりと実行していくことが大切だと思います」
 
 安倍「ま、この選挙に於いて私は自民党の総裁として当然責任は私にあります。反省すべき点は反省しなければなりません。反省すべき点は反省しながら、新しい国づくりに向けてですね、一つ一つ結果を出していくことによって、えー、責任を果していきたいと、えー、思います。やっとこの改革も、着実に進んでいますし、え、経済の成長についてもですね、景気回復についても、やっとここまできました。ま、しっかりとみなさまに実感していただけるように経済を成長させていくことが私の責任だと思いますし、また年金の記録問題の解決、お約束をしたことを果していかなければいけないと思います。大変な困難な状況でありますし、苦しい状況でありますが、責任を果たしていくことが私の使命だと思います」

 総理・総裁としての自身の資質・能力を点検・総括もせず、「反省」と日本の将来を口にする。

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