07年8月15日の『朝日』朝刊。≪首相の会見目線「カメラ時々記者」に≫
<首相は1日1回、テレビカメラの前で記者団からぶら下がり取材を受けている。4月中旬からは「(記者の)みなさんにお答えするというよりも国民のみなさんにお答えしている」と言って、質問した記者には目を向けず、テレビカメラをじっと見すえて答えてきた。>
ところが自ら演出したカメラを通じた国民との仮想の直接対話が悪評散々で、周囲からも注意を受けて<安倍首相が連日の記者団とのやり取りでこだわってきた「カメラ目線」が変化した。テレビカメラをひたすら見つめる姿勢を改め、質問する記者にも目を配る。カメラ目線は国民に直接語りかける印象を与える狙いがあったが、マスコミ関係者の評判は芳しくなく、参院選大敗を機に「反省」したようだ。>
疲れているせいなのか、下目蓋がいつも腫れぼったく顔色も内臓系の持病を患っている見たいにいい感じではない安倍首相にいくらカメラを通してと言っても、じっと見つめられていい心持する国民がいただろうか。いたとしたら、余程の悪趣味な顔フェチである。
そのことに自ら気づかず、周囲から注意されて気づく鈍感力は100%モノだろう。
だが、気づいた後が問題である。俺は俺だ、がどこにもない。コロコロ変わる。コロコロ変わるのは何もカメラ目線だけではない。小泉前内閣の強力な一員としての立場から郵政民営化法案に反対した自民党所属議員の党除名に協力しながら、自分が内閣を形成すると、参院選に勝てないからと選挙都合だけで復党させるご都合主義の変わり身の早さ、無節操な変節もコロコロのうちに入るだろう。
政治問題が関わってくる歴史認識は、それが例え自分の根っこにあり、自らの生き様を支えている主義・主張であっても、「歴史認識は歴史家に任せる」と曖昧にして本心を隠して平気でいられるご都合主義も自分をコロコロと変える技がなければできない芸当に違いない。
幹事長代理時代にワシントンのブルッキングス研究所で小泉首相の靖国参拝への中国の反対を批判して、「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝するべきだ。国のために戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ」と威勢よく講演しておきながら、自分がその「次の首相」になると、その舌の根も乾かぬうちに中国との関係を優先させて首相就任前にこっそりと靖国参拝を済ませ、首相になってからは春季例大祭に内閣総理大臣の名前で真榊を供物として神前に捧げる参拝に代わる姑息な代理行為で済まし、自分から言い出した「リーダーの責務」を平気で放棄する態度もコロコロ変わるうちに入る。
そして今年07年8月15日の敗戦記念日の靖国神社参拝も「参拝した、しなかった、する、しない、外交問題になっている以上、このことを申し上げる考えはございません」(07.8.16.『朝日』朝刊≪靖国自粛の夏 閣僚、参拝1人だけ≫)を例の如く「リーダーの責務」を果たさないゴマカシに使って終わりとするコロコロ変節を演じている。
改正教育基本法に自分好みの愛国心の注入に成功し、憲法を自分好みの国家主義色に染めようとその改正に執心し、その成功を以って「規律ある凛とした美しい国」日本と見定めるべく機会あるごとに「美しい国」、「美しい国」とバカの一つ覚えのように言い立てていながら、人気がないと分かると途端に口にしなくなる、そのコロッと自分を変える根性のなさも安倍晋三という人間に特有の心(しん)のなさだろう。心(しん)のなさは心(ココロ)のなさによってもたらされ、コロコロへと進化を果たす。と言うことはある意味、安倍晋三は進化した政治家なのだ。
赤城前農水相の事務所費疑惑が持ち上がると、そのことが選挙に不利に働く要因となることよりも、閣僚の相次ぐ辞任ということになった場合の自らの内閣への支持率の悪影響を避け、任命責任者としての自己の責任に波及することを避ける自己都合を優先させて「説明されている、辞任の必要はない」としながら、参院選大敗を受けると、大敗の原因の一つとなったとして更迭したのは最初の自己都合を棚に上げて、次の責任転嫁の自己都合に乗り換えたことから生じたコロコロだろう。
「こころ」がないから、口先だけ、安請け合いの連発となる。法案を国会を通過させただけで、自己の成果とすることができる。
小泉前首相に「支持率を気にすることはない。目先のことには鈍感になれ。鈍感力が大事だ」と力強いエールを送られながら、支持率を気にし、支持率次第で主義・主張も打ち捨て、「リーダーの責務」もクソもなく、自分の態度をコロコロと変える。自分がないからだろう。自分というものを持っていないことから生じているカメラ目線だけではない、その他の変節となっている。
自分がそういった政治家であると全然気づいていない鈍感力だけは100%は十分に持ち、自分は自分だと押し通す心(しん)の強さ、愚鈍力は0%と言っていい。
そういった人間が教育基本法を語り、日本の教育再生を語り、憲法の改正を語る。「戦後レジーム」を語る。「規律」と「凛とした」態度を語る。何とまあ、不思議の国ニッポン。