この「面従腹背性」は人権問題に限ったことではなく、多くの問題、多くの場面に於いて見受ける傾向だが、今回は人権問題に絞ってその傾向を追及したいと思う。
以前、と言っても3年前のことだが、メーリングリストで次のようなやり取りをした。
送信者: "Hiroyuki.Teshirogi" <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
件名 : 万景峰号出航中止の記者会見でも、ただ承るだけの日本のマスコミ
日時 : 2003年7月21日 10:39
朝鮮総連が記者会見を開いて、万景峰号の日本への出航中止を伝え、麻薬の密輸・不正送金・ミサイル部品の密輸・在日北朝鮮工作員との連絡等に万景峰号を利用しているとの指摘は謂われなき誹謗中傷だと強い調子で非難した。
北朝鮮は、拉致の事実が存在していたのに、存在しないと長年国ぐるみで否定し続けてきた。いわば、北朝鮮及び金正日は長年の間、どっぷりと『狼と少年』の少年に身を落としていたのである。日本のマスコミは朝鮮総連の声明をただ承るだけではなく、「北朝鮮は拉致で既に『狼と少年』の少年を演じているのである。万景峰号に関わる不正・疑惑は一切ないと宣言したとしても、言葉どおりに素直には信じることはできない」となぜ反論の一つもできないのだろうか。・・・・・
上記のメーリングリストに対して、朝鮮総連の声明を声明通りに「鵜呑み」に受止める者はいないだけではなく、「ニュース」はあくまで客観的な事実報道であって、「評論」であってはならないから、「それはニュースの役割ではない」との反論を受けた。「ニュースそのものにまで価値判断が含まれてしまったら客観的ではなくなり、それは『ニュース』とは言えない。イラクの報道官が現実の戦況とかけ離れたコメントをしたのをマスコミはそのまま伝えていたが、それを評論家が否定するまでもなく、誰も信じなかった。この総連の声明も全く同じだと思う」といった趣旨の内容である。
私の答は次のとおりである。
送信者: "Hiroyuki.Teshirogi" <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
宛先: <kokkai2@egroups.co.jp>
件名 : Re: [kokkai2] それは「ニュース」の役割ではない
日時 : 2003年6月15日 12:06
私自身は、<「ニュース」の役割だと><発言し>たつもりはありませんが、そう受取られたとしたら、私の言葉足らずが原因なのでしょう。私は、あくまでも記者会見の場での記者の役割はそうあってもいいのではないかとの主旨で述べたつもりです。
<客観的な事実報道>のみで完了させてもいい<「ニュース」>もあれば、それだけでは物足りない<「ニュース」>もあると思います。
中には、質問を一切受付けないという条件で記者会見を開く場合もありますが、一般的には、開催側の一方的声明・発表で終わるものではなく、記者側からの質問を受ける対の関係を記者会見は原則的な形式としているはずです。その「質問」たるや、発表された内容をうわまわるより多くの<客観的な事実>を知るため、あるいは発表された内容が<客観的な事実>か否かの真偽を確かめたりする手段であり、と同時に、ニュースの受け手に発表内容をうわまわる<客観的な事実>を提供したり、真偽の網を通した<客観的な事実>を知らしめるための手段でもあるはずです。例え、<常識で考えてあの声明が鵜呑みに信じられる訳>のものではなくても、ただ単に、相手が述べた言葉を述べたとおりに承って、いわば、誰が・いつ・何をしたか(発表したか)という、相手側の行為をなぞったに過ぎない種類の<客観的事実>を伝えるだけでは、子どもの使いに似て、芸がなく、記者会見という形式は価値を失います。ファックスでも送ってもらえば、手間も時間も省くことのできる問題となります。
発明・発見とか、婚約発表の記者会見とかは事実の公表のみでしょうが、その場合でも、出席した記者は色々と質問を浴びせて、より多くのことを聞き出そうとしますが、自己正当化を目的とした種類の記者会見というのもあります。不祥事を起こした会社の謝罪会見も同種のものだと思います。本社の指示ではない、支社が独断でしたことだとか、会社ぐるみと認めたとしても、利益追求に走り過ぎてしまったもので、心底からの邪心がなさしめた不祥事ではない、あるいは一般的に行っていることではないとすることで、比較相対的に自己正当化を図る、あるいは、私の不徳の致すところでと社長が頭を下げることで、会社全体としての自己正当化は訴えるといった仕組みを持たせる構造の記者会見です。
今回の朝鮮総連の場合も、同じ仕組みの記者会見だと思います。この手の記者会見は、内容が事実と異なると明らかに分かる声明・発表だったとしても、それを言葉どおりに受取るだけでは、その時点で相手側に自己正当化を果たさせることになります。新聞上かテレビ番組内で批判・否定したとしても、あるいは最大公約数の読者・視聴者が批判・否定に同調したとしても、朝鮮総連・北朝鮮は、記者会見場で自己正当を果たした声明・発表どおりの姿勢を取り続けることでしょう。「北朝鮮は拉致で既に『狼と少年』の少年を演じているのである。万景峰号に関わる不正・疑惑は一切ないと宣言したとしても、言葉どおりに素直には信じることはできない」と一言でも返していたなら、朝鮮総連も北朝鮮も、全面的な自己正当化を演じることは難しくなると思います。
我々に伝わることは勿論重要ですが、それは時間を置いたもので、張本人に時間を置かずにその場で直接伝わることの方がより重要だと思います。
<イラクの報道官が現実の戦況とかけ離れたコメントをしたのをマスコミはそのまま伝えていました。それを評論家が否定するまでもなく、誰も信じなかった>と言うことですが、イラク国民の殆どは信じて(アメリカのイラク攻撃反対派の中にも、攻撃が失敗することを願うあまりに信じた人間もいたかもしれません)、民兵や自爆テロ要員として志願したり、イラク軍を支持・鼓舞したりして、死傷者をいたずらに増やした側面もあったはずです。つまり、我々が信じなければいいという問題では済まされないということです。
大本営発表を鵜呑みにして、あるいは中には、偽りの戦果だと気づいていた者もいたでしょうが、大本営というよりも、大日本帝国軍隊の自己正当化に向けて加担したばかりか、それを大袈裟に水増し宣伝して国民を鼓舞・叱咤する戦意高揚報道で、結果的に勝ち目のない戦争から目をそらさせて戦争を長引かせる種を撒き、死傷者をいたずらに増やした事実は、戦果自体を発表のままに揺るぎない<客観的な事実>としただけではなく、発表経緯をそっくり<客観的な事実>としてなぞり、報道した悪しき例の一つですが、そこに無条件に<客観的な事実>とする前提意志(=無条件性)が働いていたとしたら、逆方向の力学を持たせた意志――その場で問い質したり、追及したりして、<客観的な事実>か否かを確認する手続きをそれが不発に終わったとしても、働かせるべきであり、それを慣習とすべきだと思いますが。
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新聞・テレビが記者会見で相手が喋ったことをそのまま承り、そのまま情報に変えて視聴者・読者に伝達して、その流れを役目として完結するなら情報伝達者としての整合性を維持できる。だが、記者会見では相手が喋るとおりに承って、ニュースとして伝える段階で批判する。あるいは記事にする段階で批判する。さらに社説やコラムで批判記事の形とする。このある意味「面従腹背」と言える非整合性を問題にしている。
批判対象者が後日テレビの批判コメント、新聞の批判記事を仮に知ったとしても、海千山千の政治権力者たちである、どれ程に気にかけるだろうか。腹の中でせせら笑って、歯牙にもかけまい。
どれ程に国民の自由を抑圧し、人権を無視しようとも、中国もミャンマーも北朝鮮もそれぞれを支配している国家権力者にとっては「正義は我にあり」だから、痛くも痒くもないことになる。そういったしたたかな相手に記者会見の言葉を話したとおりにそのまま承り、記者会見から離れた場所で時間を置いてその「正義」を批判したとしても、あまりにも間接的過ぎて、直接相手に響かない遠隔操作の批判処理と化す。そういった情報化プロセスをマスメディアの役目とし、それでいて自らを権力の監視者・批判者と任じることに矛盾はないだろうか。
例えば温家宝首相はチベットで発生した中国に対する抗議意志を示す騒乱について中国全国人民代表大会(全人代)終了後の記者会見で次のように発言したとMSN産経(≪「ダライ・ラマの主張はウソ」 温家宝首相が会見で激しく批判≫08.3.18 15:56 )は伝えている。
「ダライ集団が組織して謀議を重ね、綿密に策動し扇動して起こした事件であり、ダライ集団の“独立を求めず和平対話”との標榜(ひようぼう)がウソであることを暴露した」
<ダライ・ラマが「チベットで文化的虐殺が行われている」と発言したことに関し「われわれはチベットを平和解放し、民主改革を実施して現在に至る。チベットは進歩し、発展しており、いわゆる“中国政府がチベット文化を消滅させようとしている”というのは、完全なウソである」と反論した。>
「ダライが独立の主張を放棄し、チベット、台湾が中国の不可分の領土であると承認すれば、話し合いの門戸はいつでも開いている」・・・・・・・
最初の「ダライ集団が組織して謀議を重ね、綿密に策動し扇動して起こした事件であり、ダライ集団の“独立を求めず和平対話”との標榜(ひようぼう)がウソであることを暴露した」とする発言に対して、「騒乱が起きる前に “独立を求めず和平対話”の主張に応じて対話の機会を持っていたとしたら、騒乱は起きなかったと思いますか」ぐらいのことは聞くべきではなかったろうか。
「我々が信じなければいいという問題」で片付くチベット問題ではないのは明らかであり、ニュースや記事の段階で批判すればよりよい方向への期待が持てるという問題でもないことは明らかである。
二番目の「われわれはチベットを平和解放し、民主改革を実施して現在に至る。チベットは進歩し、発展しており、いわゆる“中国政府がチベット文化を消滅させようとしている”というのは、完全なウソである」に対しては「平和解放し、民主改革を実施して現在に至っていると言うなら、ではなぜ中国側が言うダライ集団の扇動に応じて騒乱に至る抗議のマグマがチベット内部で沸騰するに至ったのか、そのことについてどうお考えですか。その兆候さえ気づかなかったのですか」といったことを聞くべきではなかったろうか。
あるいは、「チベットを平和解放し、民主改革を実施している、ダライ・ラマがウソをついているということで中国側に何ら不都合はないというなら、騒乱中であろうとなかろうと海外のメディアに自由にチベット入りを許可し、自由な取材を許可すべきではなかったのではないでしょうか。取材制限、あるいは取材禁止は不都合を隠す場合の手段に使われるというのが一般的には受け止められていますが」と相手の自己都合を突くべきではなかったろうか。
三番目の「ダライが独立の主張を放棄し、チベット、台湾が中国の不可分の領土であると承認すれば、話し合いの門戸はいつでも開いている」に対しては、「最初から、独立は要求せず、高度な自治を求めていると言っています。先ずは条件をつけずに会談して、話し合いの機会を持つべきではないでしょうか」と促すべきではなかったろうか。
相手の条件をそのまま承り、記事やニュースでダライ・ラマ側が受け入れ難い条件を突きつけたに過ぎないから、実現の見通しは立たないと批判的に解説して、どれ程の効果があるのだろうか。受け入れ難い条件ゆえ、平行線を辿るだけではないかと記者会見の場でこそ指摘し、相手に直接そのことを伝えることも役目とすべきではないだろうか。権力の監視者・批判者を任ずるならばである。あるいは基本的人権の擁護者を任ずるならばである。
そういったことをも役目として、初めて権力の監視者・批判者を、基本的人権の擁護者を任ずる資格を得るのではないだろうか。
新聞・テレビが自らの情報手段を駆使して基本的人権の重要さを機会あるごとに訴え、基本的人権を抑圧する国家に対して機会あるごとに批判を加えていながら、何ら相手に届いていない。欧米先進国その他の民主主義国家、あるいは国際機関が軍事国家・独裁国家に対して言論制限の改善や人権抑圧の停止、民主化要求を頻繁に行いながら、歯がゆいことにその実現が満足な形で進んでいない。
マスメディアが記者会見の言葉を単に承って、承ったことを記事の段階で批判する「面従腹背」は相手が存在しない場所での批判と同じく間接的に過ぎ、その分、力を殺いだ批判と化し、権力の監視者・批判者、あるいは人権擁護者としての資格を弱める。批判により直接的な力を持たせるためにも記者会見での相手側の自己に都合のよい「自己正当化」をその場で多少なりとも崩すこと、記者会見で披露する彼らにとってのみの「事実」をそのままに「客観的事実」とさせないことではないだろうか。
そうすることによって記者会見の言葉を単に承って記事の段階で批判する「面従腹背性」を解消することができ、マスメディアは権力の監視者・批判者・人権擁護者としての資格に整合性を与えることができるはずである。少なくとも一向に改善の兆しが見えない世界の人権状況に直接的な一石を投じ続けることになると思うのだが。
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(≪「ダライ・ラマの主張はウソ」 温家宝首相が会見で激しく批判≫MSN産経/2008.3.18 15:56 )
【北京=福島香織】北京で開催されていた第11期全国人民代表大会(全人代=国会に相当)第1回会議は18日午前、温家宝首相の政府活動報告などを採択し、14日間の会期を終えて閉幕した。引き続き行われた記者会見で、温家宝首相はチベット自治区で発生した騒乱について「ダライ集団が組織して謀議を重ね、綿密に策動し扇動して起こした事件であり、ダライ集団の“独立を求めず和平対話”との標榜(ひようぼう)がウソであることを暴露した」と激しく批判した。(「なぜこうなるまで対話の機会を持たなかったのか」等ぐらいのことはすべき。)
中国政府の最高指導者が公式の場で、今回の騒乱に関連してダライ・ラマ14世を非難するのは初めて。
温首相は騒乱について、事件がダライ・ラマ支持者の策動である確たる証拠を持っていると説明。「偽善的なウソは鉄の事実を隠しきれない」と述べた。
また、ダライ・ラマが「チベットで文化的虐殺が行われている」と発言したことに関し「われわれはチベットを平和解放し、民主改革を実施して現在に至る。チベットは進歩し、発展しており、いわゆる“中国政府がチベット文化を消滅させようとしている”というのは、完全なウソである」と反論した。
一方で「ダライが独立の主張を放棄し、チベット、台湾が中国の不可分の領土であると承認すれば、話し合いの門戸はいつでも開いている」と、これまでの主張を繰り返した。
これに先立ち、全人代では各活動報告の表決が行われた。最高人民法院(最高裁)と最高人民検察院(最高検)の活動報告では、それぞれ21・9%、22・4%の大量の批判票(反対、棄権)が集まり、汚職・腐敗を取り締まる立場にある司法当局に対する国民の不満の大きさを改めて示した。
また中央・地方予算案についての批判票は15・9%と比較的高い結果になった。教育、医療など民生を重視した予算案とはいえ、地方の不満をうかがわせた。