四川大地震の損失は「15兆円超の可能性」と7月2日の「asahi.com」が伝えていた。小泉元首相の靖国参拝で臨界点に達した「愛国無罪」を正当理由とした反日・排日のナショナリズムは時間の経過を受けた風化と内閣交代によって下降線を辿っていたが、以前ほどの高まりではないにしても毒入り餃子事件によって再燃、それが四川大地震を受けた日本の被災者救済や医療援助・物資援助によって中国国民の多くに対日友好感情への意識変化を植えつけたという。
だが、両国間に未解決の懸案事項がないわけではなく、両国関係を悪化させる新たな難問を生じせしめない有効な保険がない以上、その展開次第では四川大地震に対する日本の各種支援が導き出すこととなった中国の対日友好感情を無効化する排日・反日ナショナリズムが再燃しない絶対保証はない。
チベット暴動と中国当局のその弾圧に端を発した西欧諸国の中国批判、引き続いての批判を具体化させる目的の北京オリンピック開会式出席可否の姿勢、あるいは聖火リレーに向けた抗議行動によって中国国民のナショナリズムはいとも簡単に西欧諸国に矛先を向けることとなったことが絶対保証のないことの適切な例となり得る。
四川地震発生は日本時間5月12日午後3時28分。日本の外務省は米国筋から米国は日本円で約5000万円を支援するという情報を得ると「米国が5000万円ならば、日本はその10倍は出すべきだ」という隣国としてのメンツから高村外相が地震発生の翌日の13日に5億円の資金援助を発表(≪読む政治:中国・四川大地震(その1)支援の舞台裏≫毎日jp/08年6月8日 東京朝刊)する素早い反応を見せ、さらに加えて5月30日に被災者に5億円を上限とする追加支援を決めた(≪日本のテント到着=四川大地震)時事通信/2008/06/22-05:43 )とマスコミは伝えている。
このような資金援助が中国の対日友好感情の醸成にさらに貢献したとしても、ただでさえ尖閣諸島問題や歴史認識、台湾問題等懸案事項を抱えている両国間に緊張を強いる新たな問題が起きたとき、友好感情を無効化して排日・反日のナショナリズムに簡単に取って代わる恐れなきである。
その兆候を見せつけたのが自衛隊機による中国領内への援助物資輸送飛行に対する中国国民の反発であろう。援助物資の搬入問題が持ち上がると、中国国民に戦前の日本軍の中国侵略の記憶、もしくは学習した歴史情報を呼び覚まさせ、日本の軍隊である自衛隊に対する激しい拒絶反応を引き起こすこととなり、自衛隊輸送機による援助物資の搬入を中止させるに至っているが、このような経緯は日中友好感情の構築の危うさを如実に物語っている。友好は築き上げるに時間はかかっても、壊れるには時間はかからない。
人間の好悪の感情は移ろいやすい。特にそれぞれに自国ナショナリズムに囚われると、相手に対する「嫌」の感情を露骨に表出させることになる。そのことのより効果のある抑制剤は人間の自由や平等を尊重する民主主義の価値観の共有以外にあるだろうか。例えそれが万全のルールでないにしても、自由と平等の公平・公正の意識こそが議論の場、議論の機会を約束し、感情に訴える前に議論することを促す。民主主義意識に則った議論こそがそれぞれの主張に折り合いをつける努力を根本姿勢とするよう仕向ける。
となると、民主主義の価値観を共有していない他国へのどのような働きかけも、それが援助の形を取ったものであろうとなかろうと、民主主義を促す何らかのサインを伴わせることが両国関係を悪化させるナショナリズムの噴出を抑制する良薬となり得る。
そしてこのことは「国際社会の平和と発展に寄与する」政策を目的とした国益にも適うことになる。
果して日本政府は四川大地震に対する医療チーム派遣でも、物資援助でも、被災者救援の国際緊急救助隊派遣でも、効果があるなしに関係なしに民主主義を促す何らかのサインを中国側に伝える努力を果たしたのだろうか。ただ単に派遣した、援助物資を空輸したで終わらせていたのではないだろうか。
日本は四川大地震の震災復興に向けても協力姿勢を打ち出した。
≪中国・四川大地震:震災復興に向け、日本の経験助言--JICAがセミナー≫(毎日jp/2008年7月2日 東京朝刊)
<【中国総局】中国・四川大地震の復興に日本の経験を生かしてもらおうと、国際協力機構(JICA)は1日、中国の関係機関と合同で復興支援策を考えるセミナーを北京で開催した。
冒頭でJICA中国事務所の古賀重成所長が「地震に対する日本の経験・知見は世界でも類をみないもので、その経験を伝えることは有用だ」などとあいさつ。中国側からは復興の基本計画に関する説明があり、都市計画の担当者は「廃虚となった四川省北川県や青川県の住民は別の地域への再定住を図らなければならない」などと訴えた。セミナーは2日まで開かれる。>
もしもナショナリズム抑制剤としての民主化促進のサインを示さない数々のアプローチだとしたら、ミャンマーやチベット問題と同様の日本にも関係してくる民主化問題や人権問題が発生した場合、取材で中国に入った日本のマスメディアに対する報道規制が万が一こじれて取材担当者が拘束されたといった問題が発生した場合、あるいは自衛隊や大企業の重要機密情報を盗んで中国に逃亡帰国し中国当局にその機密を手渡した在留中国人をその機密が中国の国益に適うからと密かに保護したといった場合、逆に中国内で民主化運動を起こして中国官憲に追われた中国人民主化運動家が日本に逃亡して保護を求めてきたところ中国側が身柄引き渡しを求めたてきたといったことが発生した場合、あるいは餃子事件のように日中両国に亘って日本の警察の捜査が必要な食品の安全に関わる重要な問題が再度持ち上がったものの中国での捜査が拒否されたといった場合、それらが原因して日中間に外交上もしくはナショナリズム上の緊張が生じて中国人の排日・反日感情が噴出することとなったなら、四川災害で日本側が行った緊急救助隊派遣、資金援助・技術援助・復興支援のお返しがこれかということになって、援助や支援そのものが意味を失うことになりかねない。
このようなことが中国の政治体制が民主化されていないことが原因となっている閉鎖的なナショナリズムの噴出でもあるとしたら、中国当局が国家統治に都合の悪い報道は規制し、当局に有利に働く報道のみを誘導・許可する報道統制等に代表される非民主的姿勢を不問に付して史上例を見ない地震災害で中国が困っているからと援助だけに走る日本側にも責任があることにならないだろうか。
いや、そればかりか反中国に向けた日本の民主意識を欠いたナショナリズムを不必要に刺激しかねない。
特に国家権力による報道の規制・管理・誘導といった非民主制が日本に公平な情報を隠して中国国民の目を晦まし、ナショナリズムに走らせる爆弾ともなり得ることに留意しなければならないだろう。
援助は行わなければならない。だが行うについては何らかのチエを絞って中国の現在以上の民主化を一層促すサインを創造し、そのサインを伴わせた援助を行うべきではないだろうか。
またそうすることで中国が少しでも民主化に向けた歩みを踏み出すことができたなら、援助が単にカネ(=資金)とモノ(=物資)と技術(=形式)を与えるだけのハコモノであることから抜け出して、日中関係に将来的に役立つ中身をこめることができると思うのだが。
あらゆるケース・場面を想定してそのことに備えておくのも危機管理である。例えば復興支援に関わる日本のマスメディアの自由な取材活動と中国内外を含めた自由な報道の保障を求めることも否応もなしに中国に民主化を求めるサインとならないだろうか。そうすることによって外国では報道されても、中国国内では報道されないといった民主主義に反する言論統制・情報統制を避けることができる。
いや地震発生後の緊急救助隊派遣や援助物資の輸送開始当時から求めるべきであったサインではなかっただろうか。