自民党は「国のため」を言うなら、一度政権を手放すことを考えたらどうか

2008-07-23 08:42:15 | Weblog

 人口の都市集中とその反動としての地方の過疎化が生み出している経済的な地域格差と収入格差、都市部に於いても食える者と満足に食えない者の収入及び生活の二極化、そのことが原因した多くの若者の貧困化、貧困化が招いている生活設計が立たないことによる非婚率の増加と路上生活化にまで至らないネットカフェを住まいとせざるを得ない「ネットカフェ難民化」、子供を生みたくても生めない社会の状況が招いている少子化とその裏返し現象の世界に例を見ない速度で進行している高齢化。

 04年4月から開始の自民党政府が打ち出した新しい医師臨床研修制度が特に災いした医師の地域間偏在と偏在が生み出している地方の医師不足の深刻化、医師不足による公的病院の診療科の閉鎖、それらが強いている多くの住民に対する生活の不便と病気への不安。

 役人・官僚の類の国民の生活を考えない年金の杜撰な取扱い、国民の税金を税金と考えない恣(ほしいまま)のムダ遣いと自分たちだけがいい思いをすることを考え、自らの懐を肥やす私利私益行為、その延長にある天下り行為の蔓延とお手盛り待遇。

 こういった目に余る社会制度上の諸矛盾・社会のひずみは省のみの利益獲得とそれを手柄として生み出す自らの私益獲得に執着した役人・官僚たちの存在様式と、彼らと癒着して各省所属の族議員と化し、省益擁護に動くことで自らの地位と名誉を守ってきた自民党政治家の政治が生み出した矛盾の数々、ひずみの数々であって、もし彼らが真に「国のため」を言うなら、諸矛盾・ひずみにブレーキをかけるためにも、またそれらを生み出した責任を取るためにも一度政権を手放すことを考えるべきではないだろうか。

 この場に及んで内閣改造などと政権にしがみつくようなことはせずに福田首相は潔く衆議院解散・総選挙に打って出るべきことこそが真の責任の取り方ではないはずである。

 自民党の面々は民主党の政策は政権を取らんがために財源論を置き去りにした大衆迎合のバラ撒き政治に過ぎない、ムダ遣いの排除や談合・天下りの根絶、特殊法人の原則廃止等で自分たちが打ち出している漁業の燃油代直接補填や農業部門への戸別所得補償、その他を賄い切れるはずはないと批判しているが、役人・官僚の類と彼らと癒着する一部存在にのみ利するムダ遣いの排除がどのくらいに重要なことか自民党の面々は気づいていない。小沢の財源論を批判する同じ民主党の前原も気づいていない。

 豪勢なばかりで利益を上げない赤字施設の数々の建設だけがムダ遣いではない。
個人的な慰安のために健康器具やテニスコートを国家予算で用意し、私的利用することだけがムダ遣いではない。国家予算の支出を高値で落札させる談合、国家予算を財源とした特殊法人・公益法人に於けるお手盛り給与とお手盛り賞与、お手盛り退職金を既得権とした官僚の天下り等は最たるムダ遣いであるが、ムダ遣いはそういったことだけで終わらない。

 「ムダ遣い」は予算面、あるいは金銭面の損失にのみとどまらない。職務非能率がコインの裏表の関係で伴う。ムダ遣いを生み出し、そのムダ遣いに鈍感な人間が国民を満足させる能率の高い仕事ができるはずはないからだ。能率的な制度設計を伴った予算の効率使用ができてこそ有能と言え、国民をより満足させる社会づくりに向かう。

 国際的に見た日本の公務員の生産性の低さ(仕事の非能率・非効率)は国から地方すべてに亘って慣習化しているムダ遣いの蔓延と決して無関係ではあるまい。いや、日本全国に亘っているムダ遣いの蔓延こそが日本の公務員の生産性の低さ(仕事の非能率・非効率)を招いている原因と見るべきだろう。

 ムダ遣いと生産性の低さ(仕事の非能率・非効率)との関係は役人・官僚たちの立法上(官僚におんぶに抱っこの立法)及び行政上の政策的な創造性を欠如させていることの現れでもあり、そのことが災いして満足な立法も満足な行政もできないが、東大だ京大だの最高学府を出て官僚として昇進を極めていく過程で塗り重ねることとなったメンツだけは満足させようとするから、充足させることができない立法上及び行政上の業績の埋め合わせに学歴と地位に助けられて手に入れた「カオ」が求める各業務を取り仕切りたい支配欲求から駆引きや口利き、便宜供与といった「カオ」を効かすだけで実現可能となり、私利私益行為にもつながる活躍にエネルギーを注ぐことになる。

 いわば与えられた地位に付属する責任行為を満足に果たすことができない人間程、その代償行為として本来的な責任行為から外れた無責任行為に走り、それを地位に備わった働きであるかのように手柄とする。

 こういったすべての局面に亘る役人・官僚たちの存在形式自体が国家予算を食い潰す「ムダ遣い」と言うわけである。

 そしてこのような役人・官僚の類の職務上の姿勢とそれを管理監督できずに好き勝手にさせている自民党政治家の無責任な姿勢が社会制度上の諸矛盾を増殖させているそもそもの原因だということであり、表面に現れた予算上の「ムダ遣い」はそれら諸矛盾を発生させ、国家予算を食い潰している無視できない引き金の一つと把えなければならない。

 ということは社会制度上の諸矛盾の解決は予算上の「ムダ遣い」の排除を始まりとして役人・官僚の類の職務上の非能率・非効率を是正し、最終的には彼らの立法上及び行政上の政策的な創造性を育むところまでに持っていかなければならないことになる。いわば「ムダ遣い」の排除は決して疎かに扱ってはならない重要な位置を占めていることになる。

 これらのことを要約すると、民主党の自民党との政権交代による政権担当能力の如何は如何に「ムダ遣い」を正し、正すことで「ムダ遣い」と深く関連し合った官僚の職務非効率・怠慢を是正して彼らが備えるべき立法上及び行政上の創造性の向上に如何につなげていくかにかかっているということであり、例え民主党の「バラ撒き」政策が消費税増税を財源としなければ不可能であったとしても、ハイ、消費税を増税しました、財源が確保できましたでムダ遣いはそのままですでは自民党政権がしてきたことと同様に官僚の職務非効率・怠慢による職務上の「ムダ」は当然のこと、立法上及び行政上の創造性の欠如がもたらす社会の制度設計に関わる「ムダ」にしても正されないまま引きずることとなって、自民党政治と官僚たちがつくり出した今ある社会の矛盾・ひずみは今あるままに残り、消費税増税による国民の新たな負担までも犠牲にしかねないということになる。

 実際に竹下内閣が導入した消費税から得た歳入のかなりの部分をこれまでムダにしてきたのであり、そのことと連動して消費税に関わる国民の負担をムダにしてきたのである。

 まずは民主党が言うように、あるいは小沢代表が言うように「ムダ遣い」の徹底した排除から進めるべきだろう。そこから初めて社会制度上の諸矛盾の是正に立ち向かうべきである。

 それができずに社会制度上の矛盾・ひずみを噴出させるに任せてきた自民党政権はその責任を取るためにも、また「国のため」を言うなら、今の矛盾だらけ・ひずみだらけの日本の姿を変えるためにも一度政権を手放すべきであると言っているのである。

 自民党のいい加減な政治ばかりを目の当たりにさせられて、国民の誰が「最初に消費税ありき」を納得するだろうか。

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