カネに余裕のある人間は無差別殺人を犯さない

2008-07-27 19:41:04 | Weblog

 ――世の中・社会に対する不公平感は経済的不遇者のみに関係し、カネに余裕のある者には無縁の感覚だからだ――

 7月22日(08年)午後9時40分頃の八王子駅ビル通り魔無差別札殺人。書店のアルバイト店員22歳の女子大生が包丁で胸を刺され死亡。客の21歳女性が軽症。

 「仕事がうまくいかず、人を殺そうと思い包丁を買った。むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」(毎日jp)

 「仕事がうまくいかず、親に相談したが乗ってくれなかった。むしゃくしゃし、無差別に人を殺そうと決意した」(日刊スポーツ)

 逮捕された菅野容疑者(33歳)は高校を中退、この数年間八王子市内の製造業数社を派遣社員として転々としてきたとのこと。一度結婚し、離婚している

 6月8日(08年)日曜日、7人を殺す秋葉原通り魔無差別殺人。「世の中が嫌になった。生活に疲れてやった。誰でもよかった」(『朝日』社説)

 両親が離婚、「親とうまくいってなかった」

 加藤容疑者は高校卒業後自動車関係の専門学校に進学。途中4年制大学編入を目指したが実現せず、それ以降主に派遣社員として職を転々。

 上記二件の通り魔殺人の「誰でもよかった」という無差別性は自分が勤めている会社の人間なら誰でもよかったでもなく、自分が通学しているの学校の生徒なら誰でもよかったでもなく、一般社会という集団を対象とした、その中の不特定人間を指している。

 自分が勤めている会社の人間なら誰でもよかったは自分が勤めている会社そのものを憎悪していることによって生じる無差別性であり、自分が通学している学校の生徒なら誰でもよかったは自分が通学している学校そのもをも嫌悪・侮蔑していることによって生じる無差別性なのは断るまでもなく、通り魔殺人犯の「誰でもよかった」は社会そのものを憎悪・嫌悪していることによって誘導された無差別性であろう。

 その社会たるや同時に自分も住んでいる社会であって、同じく住んでいる社会の人間でありながら、誰でもよかった――。それ程にも社会を憎悪・嫌悪していたと言える。

 但しいくら社会を憎悪・嫌悪していたとしても、社会そのものを破壊することは陰険で危険な独裁者なら可能かもしれないが、権力も金力も持たない一個人には不可能事であることを知らないはずはなく、それゆえにこそ社会全体を相手とした攻撃意思を持ち、社会全体を相手とした憎悪の発現の体裁を取りながら、その中の「誰でもいい」少数者の誰かを標的とすることで、社会そのものへの攻撃意志を充足させる。社会そのものへの憎悪感情を浄化させる。例えそれが正当な攻撃であろうとなかろうと、あるいは憎悪であろうとなかろうと「誰でもよかった」という不特定の人間を対象とした通り魔無差別殺人はそういったプロセスを一般的には取るはずである。

 そして彼らの社会に対する憎悪、攻撃意志はそれぞれが置かれている社会が制約している彼らの社会的な存在性から発しているのは断るまでもない。

 7月23日(08年)水曜日のNHK夜9時からの「ニュースウオッチ9」「急増する高校中退者、生活苦から・・・・格差社会ここまで」というコーナーを設けていた。

 番組は家庭の所得が生活保護水準しかない場合などに適用される授業料免除の高校の生徒数がここ10年で2倍以上に増えたという文科省調査のグラフを示して、平成18年には22万4385人に達したと伝えている。

 このことは貧困家庭がここ10年で約2倍に増加したことを示しているとも言える。その影響が生徒の高校中退という事態となって現れ、深刻化しているという。

 その一例として埼玉の公立高校を取り上げ、入学時には32人いたあるクラスの生徒が3年の間に次々と中退、卒業を果たしたのは約半数の17人のみであったという。一人や二人ではなく、15人もの中途退学者の出現である。

 中退理由は父親が死亡、両親が離婚、母子家庭等々、授業料免除を引き起こしている経済的な理由が殆ど。件のクラス担任もそのことを指摘している。

 「一番の根幹は経済的な問題。普段の授業以外に学校行事、修学旅行だとか林間学校だとか遠足だとかありますけれども、そういう行事にもカネがなくて参加できない。水が漏れるように、溢れるようにポロポロと辞めていくような――」

 高校中退の問題に詳しい放送大学・宮本みち子教授「今や殆どの子が塾へ行っているような時代ですよね。そうしますと、親に経済的な余裕がない。そうするとどこかもうすぐ早期な段階で学校の勉強についていけなくなってるんですよね。友達や社会との関係をつくっていくっていう意欲も出てきませんし、そうしてもう自分はダメだって言うことになりますので、学校を続けていくというエネルギーも出てこない――」

 宮本みち子教授の言葉に続いて番組解説者が「高校を中退した生徒が安定した仕事に就くのは容易ではありません」と社会的な雇用価値観がどの辺にあるかを伝え、その一例として一人の中退女子生徒を取り上げて正社員の求人が高卒に偏っていて、中退者や中卒には門戸が狭い社会的な就職観が原因して中退後スーパーのレジのアルバイトや派遣といった不安定な生活を強いられている様子を伝えている。

 高校社会での経済的理由から塾にも行けない、各種学校行事にも参加できないといった事情で学校生活に意欲を失っていく、あるいは親にこれ以上負担をかけるわけにいかないといった心理的圧迫感から中退を余儀なくされるといったプロセスは本人は気づいていなくても、学校社会で既に実社会を体験しているということであり、中退者となって実社会に出て、そこで学校社会で体験した経済的困窮からの苦い人生を社会人に姿を変えたものの同じことの繰返しとして再度体験するということであろう。

 いわば高校中退を強いた親の経済的事情=カネのないことが実社会に於いてもフリーターとかアルバイトとか派遣とか低収入の道を選択させしめ、その結果としてまるで親子二代で築いていくかのように今度は自分自身が生み出す問題として経済的事情=カネのない生活が再生産されていく。

 あるいは親がある程度カネがあり、無事高校を卒業できたとしても、一旦フリーター人生や派遣人生にはまり込むと、正社員は新卒という雇用価値観から社会の方からそこからなかなか抜け出させてくれなくて、否応もなしに低収入の経済的に不安定な人生を歩まされることになる今の日本の社会の現実。

 このことは極々当然のことではあるが、学校社会のカネに関わる価値観は一般社会に於けるカネの価値観の反映として存在し、生徒の誰もがその影響下にあるからなのは断るまでもないことであろう。

 この関係を如実に証明する『朝日』記事(08年7月21日朝刊)がある。≪ハーバード志望者に特別塾≫

 教育大手のベネッセコーポレーションがハーバード大など米国の有力大学を志望する高校生のための少人数・個別指導、年間授業料150万~300万円の特別価格、定員15名、150分ずつ週2回の特別塾を東京都千代田区で始めたという内容である。

 授業料免除の措置を受けている高校生には気の遠くなる年間授業料150万~300万円であるに違いない。だが、多くの場合その150万~300万円が将来を決定する。

 また親が高学歴である程子供の教育にかける投資額が高く、親の高学歴を引き継いで子供も高学歴を獲得していくという親から子への高学歴の伝達、あるいは高学歴の再生産の傾向は既に社会現象化しているが、この傾向は高学歴が収入(=カネ)を保証することによって可能となる継承であろう。

 このように高学歴が収入(=カネ)を保証し、その収入(=カネ)が自分の子供への教育投資を保証し、それが子供の高学歴を保証するという親の高学歴・高収入にまつわる子供に向けたその将来に対する保証の連鎖はその対極に親の経済的理由から高校中退、もしくは高校進学断念といった学歴の無保証とそのことが原因する収入(=カネ)の無保証の悪循環を置いていて、そのような両者関係は社会の現実としてある親の収入格差から出発した教育格差であり、教育格差が引き出すことになる学歴格差であり、学歴格差が招くことになる就職格差であり、就職格差が否応もなしの答として導き出すことになる収入格差・生活格差であり、そういったことが最終的に描き出す姿としてある人間格差であろう。

 こういった今の日本の社会の現実に不公平感を抱かない高校進学断念者、あるいは高校中途退学者、さらに実社会に出てからのフリーター経験者、派遣経験者がどれ程いるだろうか。

 しかも各マスメディアが正社員と非正社員の生涯賃金の差とか非正社員の低収入を原因とした結婚率の低さ、独身者数の増加とか、各省庁が調査した彼らの将来像をものの見事に予測する統計をご丁寧にもニュースとして日々伝えてもいる。そのような統計を自分の人生に重ねないフリーター、派遣社員がいるだろうか。希望を持てない人生を送っている経済的不遇者から希望の滓さえも奪う統計の数々でもあろう。

 カネはすべてを解決する万能の力を持っているわけではないが、大いなる力を持っていることは確かで、多くのことを解決してくれる。と言うことなら、「経済的事情」というカネのないことの表現となっている経済的不遇が世の中に対して不平等感を抱かせる最大の要因なのは断るまでもない事実のはずである。

 一方で社会は不公平で矛盾に満ちていると分かっていながら黙々と頑張っている若者の方が遥かに多く、社会に対する恨みから無差別殺人に走るのは甘えた逆恨みでしかないという主張もあるが、例え「身勝手」、「甘えている」、「自分勝手」、「自分本位」、「自立できていない」、「大人になり切れていない」等々何と批判しようが、自分の人生がうまくいかないそもそもの発端は経済力のなかった親であり、追い討ちをかけて社会が自分を追い詰めているにも関わらず親は相変わらず何の力にもなってくれないと把えて無差別殺人に走る若者が少数ながら存在するのも現実としてある社会の姿である。

 今後とも学歴と相互関連し合ったカネがあるなしの親の経済的存在性とその影響下にある子供の学校社会での存在性にさしたる変化は見ないだろうし、その影響を諸に受けて実社会で経済的不遇に見舞われる若者も存在し続けることを考えると、当然のこととして社会に対する不公平感というものは募ることはあっても
解消に向かうことはないと確実に言える。

 その募るばかりの不公平感がある者をして社会に対する恨み・憎悪を持たしめ、それが高じて攻撃意志へと増殖・転化させる。

 経済的不遇が学歴にも就職にも生活そのものにも不利に働き、その犠牲となって恋愛も含めて人生がままならない自分を一方に置き、親の収入が請合う高学歴に社会が味方して高収入を約束し、その先に将来的な人生もを保証する社会の有り様――社会的価値観を冷ややかに見据え、その幸運に見舞われた若者を対極に置くことで、その格差に対する不当な思いを――社会に対する不公平感を生じせしめているとしても、学歴格差・就職格差・収入格差といった各種格差が社会の現実として如何ともし難く存在し続け、そのことを是正する即効薬がないということなら、別の方法で社会に対する不公平感を少しでも和らげる方法を講ずるべきであろう。

 考えることができる一つの方法は高学歴・高収入・社会的高地位の個人、あるいは高学歴ではなくても高収入・社会的高地位にある個人及び高学歴・高収入・社会的高地位にある個人を主たる組織員とした企業のこれまでは訂正申告で済ませた所得申告漏れや脱税、あるいは謝罪で済ませてきた企業生産品の性能数値の偽装報告や原材料の偽装等のありとあらゆる不正行為、官僚・役人の類のこれまで何ヶ月かの懲戒や停職で処理した裏ガネづくりや取引行為上のキックバック、名目を設けた不正利益獲得等の処分を懲役刑を含む厳罰処分に変えることによって社会的不遇者に「世の中は少しは公平だな」という思いを与えることができ、不公平感を少なからず和らげることが可能ではないだろうか。

 自らの高学歴によって得た社会的に高い地位利用の不正が横行する割には強力犯と比較した殆どが執行猶予付きの知能犯罪の罰則の軽さが「偉い人たちはうまいことをやっている」という思いを抱かせしめ、そのことも社会的不公平感を催させる無視できない原因の一つとなっているのだから、「うまいこと」を些かでも許さない強力な罰則を与えることによって社会的不公平感を少なからず断つことができるはずである。

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