我が日本の誇る、尊敬すべき偉大な自民党政治家(中川昭一とか笹川堯とか、自民党には偉大が政治家が何と多いことか)麻生太郎が「自分は新聞を読まない」と公言していたということを迂闊・無知にも知らないでいた。2001年4月の小泉純一郎、橋本龍太郎、麻生太郎の3人で争った自民党総裁選のインタビューで「テレビは見ないし、新聞は読まない」と語ったと「日刊スポーツ」ウエブ記事に出ている。
以下、同記事参考引用。
(≪麻生首相はSY!新聞読まないに批判続出≫(日刊スポーツ/2009年2月28日7時39分)
<麻生太郎首相(68)が27日の衆院予算委員会で「新聞には、しばしば偏っている記事が多いように思う。それをうのみにしてはいかんと自戒している」と述べ、新聞批判を繰り広げた。民主党の逢坂誠二議員に「一国のトップリーダーが『新聞を読まない』と公言することがあっていいのか」と指摘され、答えた。
麻生氏は「読む時は、責任者の名前が載っている記事は名前を見て読むようにしている。(署名がなければ)見出しを眺めるぐらいはするが、自分のことが書いてあるとだいたい(内容が)違うんで、あまり読まない。ほかの人もきっと違うんだろうと思う」と、不信感を示した。
漫画好きの麻生氏だが、「テレビは見ないし、新聞は読まない」(01年総裁選のインタビュー)と公言。最近の麻生氏に対する報道は、言動への指摘や世論調査の厳しい結果などが多い。耳に痛い話も受け止めているのか、疑問符がついた格好だ。質疑では逢坂氏を長妻昭議員と間違えるなど、相変わらずだった。
麻生氏が進めた09年度予算案と関連4法案はこの日衆院本会議で可決。年度内成立が確定した。これを合図に、自民党の反麻生の動きは、本格的に“解禁”。麻生氏に総選挙前の自発的辞任を求める武部勤元幹事長は、関連4法案の採決を棄権した。地元・北海道での会合に向かうためというが、憶測を呼んでいる。
来月4日には、定額給付金を盛り込んだ08年度第2次補正予算関連法案の衆議院再議決が予定され、本会議欠席を表明した小泉純一郎元首相への同調者が焦点。民主党は内閣不信任案提出も検討しており、麻生氏はいよいよがけっぷちだ。>――――
たくさんの人間が新聞・テレビから多くの知識・情報を得るこのメディア時代に逆説めくが、「テレビは見ないし、新聞は読まない」が政治家麻生太郎にとっての国民の動向や経済・政治の動向に関わる情報確立方法であり、そのような情報形成の成分に新聞・テレビは入れていないということである。
麻生太郎が自民党の一国会議員である間はいい。だが、世界の中の日本国総理大臣麻生太郎となった現在、「テレビは見ないし、新聞は読まない」で立場上必要な日々刻々と変化する世界の各情報に精通するには麻生太郎にとって残る情報媒体はマンガしかないことになる。マンガで十分ということなのだろう、ローゼン殿下。
今回「テレビは見ないし、新聞は読まない」が各マスコミに取り上げられたのは上記新聞記事が既に指摘しているように2月27日の衆議院予算委員会で民主党の逢坂誠二議員が「一国のトップリーダーが新聞を読まないと公言することがあっていいのか」と追及したことに始まっている。
その質問と答弁をその箇所だけではなく、麻生太郎の情報処理能力の程度が理解できるよう、少し前の場面から「衆議院インターネット審議中継」の動画を文字化してみた。
逢坂誠二議員が「定額給付は自治の理念を阻害するような行為ではなかったのか」を先ず問う。
麻生「先ず、定額給付については、色んなご意見があるんだと思いますが、私共に窺う多くの意見の中には早くに出して貰いたいという意見の方が極めて多いというのが最近の実態だと、私自身はそのように思っております。また所要経費というものにつきましては、これはご存知のように全額国庫が補助するということでもありますので、誰を対象にいくら給付するか、という制度の根幹部分については、国が責任を持って定めることとしております。
但し、なるべくこれ、単純、チェックなものにしなければいかんと、根幹の部分につきましては、実施に際しては、市町村が工夫をされる。最大限尊重することとしておりまして、今色々なプレミアム付きの商品券の発行を始め、色々なことを、各地方自治体でやっておられますんで、実質的な取組というものを数多く検討されております。
私はこのように思っておりますんで、色々な市町村が様々な対応をなさる、いうことを、私共はできるようにと意味で、決して地方自治体に反するようなものでもないと考えておりますんで、私共にとっては、趣旨(よく聞き取れなかったが)に取りまして、多くの方々から期待されている部分に早く応えたいもんだと思っております」
(もう少しテレビを見たり、新聞を読んだりして話し言葉を練ったらどうかといつも思うが、「テレビは見ないし、新聞は読まない」ということだから、サジを投げる以外に方法はないのか。)
逢坂誠二議員「ところで総理、ところで総理。そんな素晴らしい制度であるなら、総理、貰うんでしょうね、この定額給付金。如何ですか」
麻生「あのー、給付のー、制度につきまして、ご説明、ご質問がございましたから、私のことに関しましては、私が私なりに判断させていただきます。ずうっと、お答えしている通りです」
逢坂誠二議員「要するにですね、未だにですね、その定額給付金に対して、ご自身の対応すら喋れない。それそれぐらい曖昧なものだというふうに言わざるを得ない。そして、本来ですね、分権の旗振り役であるべき総務省が如何に中央集権的な、今全国の自治体の現場に行きますと、総務省からですね、事実的(?)指導・助言と称して、たくさんの文書が来て、それに添ってやらざるを得ないような事務を、全国一律押し付けている。これは分権の精神、自治の精神を蔑ろにするものだと、いうことを指摘せざるを得ません。
さて、そこで総理、総理。今回もう一つ、私は残念なことがあるのですが、総理の政治家としての資質、あるいは内閣の、政治家としての資質、これについてちょっと言及したいと思うんですが、総理の発言はなぜこんなにぶれるんでしょうか。
総理の発言、郵政民営化について、随分、ぶれた。ぶれたと報道されておりますし、私自身もぶれたというふうに思っております。2005年当時、総理、ほんとーに郵政民営化に反対だったんですか?どうですか?」
麻生「あの、ぶれているという指摘、いうに関しましては、私自身と見解が違っております。私は一貫して同じことを申し上げていると、私自身はそう思っております。
しかし、ぶれていると受け止められる、というようなことは好ましいことではありませんから、説明不足、いうんであれば、言葉足らずというところも生んでいるんだろうと、思っていますんで、こういったことは、今後とも注意をしていきたいと思っております」
逢坂誠二議員「今。ぶれまくっているという声がありましたけども、私はまさにぶれまくっているというふうに思います。
それでは元財務大臣、前財務大臣の中川大臣のことについては、如何ですか。ローマでああいう記者会見があった。そして2月の16日に帰国をした。その夜に総理は、中川財務大臣、まあ、頑張ってやって貰いたい、というふうなことをおっしゃったそうですねぇ。
でも、次の日の昼、予算成立までに中川大臣にその地位に就くというふうにおっしゃった。それも容認された。しかしながら、その日の夜になって、野党のみならず、与党からも批判が出た。結果的に中川大臣はその職を辞したわけでございます。
私はですね、これ、トップリーダーとしてですね、まさに判断がやっぱり遅い。ずれている、ぶれているというふうに思わざるを得ません。トップリーダーに必要なのは、、創造力、決断力、強い意志だと、私自身は思っておるんですが、こんなに、総理、ぶれているからこそ、内閣の支持率が上がらないじゃないんですか。総理、如何ですか」
麻生「あの中川大臣の件、ぶれている、という話、ではないのではないんじゃないでしょうか。中川大臣の話に関しましては、ご本人が自分で最終的にやるという決断を降ろされて、最終的にはご自分でやる意志を示されておりましたし、私は薬が切れれば、そういったことも終わると思いましたから、私自身としては、とも思っておりましたから、ご自身が自分の体力を医者に行かれて、病院に行かれて、判断をされ、最終的に判断をされたんで、それはご自身の意志を尊重すべきは当然のことだと私自身はそう思いました」
逢坂誠二議員「あのですね、私は今回の予算委員会の質疑を通してですね、本当に政治家の質が問われているというふうに思うんですが、総理の、その判断のぶれ、発言のぶれ、あるいは中川財務大臣のことに対する、その決断力のなさ、これはやはり国民は見ているというふうに思います。
そして私は、こんなことを言いたくないのでございますけれども、一国のトップリーダーが私は新聞を読まないと、いうことをですね、公言するような、そーんな、ことがあっていいのかというふうに思いますけれども、総理、なぜ新聞を読まないんですか?」
麻生「私が新聞を読まないというのは、私は新聞の記事にはしばしば偏っている、といった記事が多いような、私自身は思っておりますんで、それを鵜呑みしちゃあいかんもんだなあと思って、常に自戒をしているからだと思います」
逢坂誠二議員「自戒をしているからだということは、やはり、総理、新聞はお読みになっていないわけですね。総理、お読みになっていないわけですね?」
麻生「今、今、お答え申し上げましたように、私は新聞を読むときは基本的に自分の責任者の名前が載っている記事、誰々が書いた、いうことを、逢坂太郎が書いたとするなら、相手の人の名前を見て読むようにしていますが、名前が載っていない記事っていうのは、見出しを眺めるぐらいは致しますけれども、私は中、中身を読んでも、中が自分のことが書いてありますと、大体が違いますので、あんまり読まない。他の人も違っているんだなあと思います」
以上で、逢坂議員は別の質問に移る。
新聞を読む・読まないの答弁を通して見えてくる麻生の姿は、自己を常に正しいとする立場に置くことによって可能としている自分に都合のいい記事は読むが、自分に都合の悪い記事は読まない、いわば快・不快を判断基準とした情報選別者の姿である。
情報を選別する者は簡単に情報統制者へと早変りする。自分に都合よく選別した情報で自己を情報統制するばかりか、他をも選別した情報で律しようとするからだ。
「中が自分のことが書いてありますと、大体が違いますので、あんまり読まない」が自己を常に正しいとする場所に置いていることを証明している。
つまり自分が正しいから、「違」うことは間違っているということになり、だから、「あんまり読まない」という情報選別への場面転換が生じることになる。
我が麻生太郎は現在民主主義体制の時代に身を置いているから問題はないが、全体主義体制の時代に存在していたなら、あるいは全体主義体制に容易に変わり得る不穏な時代に生息していたなら、その情報統制者の側面が活発化することとなって簡単に独裁者の姿を取るに違いない。
自己は常に正しいとは限らないと自己を客観視できる人間はときにはあっても、一般的には快・不快で情報を選別しない。自己に不快、あるいは不都合な情報からも、学ぶべき点・役に立つ点を見つけようと努力する。
その「違い」がどのような誤解によるものなのか、あるいは悪意からの誹謗中傷によるものなのか、それが世論に対してどの程度の影響力を持ち、自身にどれ程に有利・不利に働くのか、支持率に撥ね返るプラス・マイナスはどれくらいか等々、それぞれに客観的に判断して、総合的に対策を講じるにはしっかりと記事を読み解くことから始まる。
快・不快を判断基準とするのではなく、新聞・テレビを含めて、自分が発する事実・情報がどう解釈され、どう評価されて二次情報と化しているのか、科学的認識基準で記事(=情報)と相対さなければならないはずである。
それを「中が自分のことが書いてありますと、大体が違いますので、あんまり読まない」と一国の政治指導者として必要とされる適切な情報処理を行わずに、「大体が違います」と言うだけで自己に不都合な情報として避ける。
多分、元々客観的認識能力を欠くところがあるのだろう、自分から自分を快・不快を判断基準とした情報選別者の場所に置いているためになおさらに客観的認識能力を偏らせることとなって、情報統制を自他に強いることが可能となる。
だから、どう判断しても発言がぶれているにも関わらず、逢坂議員が「2005年当時、総理、ほんとーに郵政民営化に反対だったんですか?どうですか?」と併せて質問したことには一切触れず仕舞いで、「ぶれていない、言っていることは一貫している」とする情報統制の網を自分にかけることができ、他の者にも同じ網をかぶせようとすることができる。
しかも、単に周囲に「ぶれていると受け止められ」ているに過ぎない、「説明不足」、「言葉足らず」が原因だろうと、自分で自分を客観的に見つめることができない自己正当化に走る。
もし「ぶれ」が真に「説明不足」、「言葉足らず」が原因であるなら、麻生太郎は何度も「説明不足」、「言葉足らず」を繰返していることになり、総理大臣としての言語能力を満たしているかどうかが新たな問題として浮上する。
当然、「今後とも注意をしていきたいと思っております」といった反省では追いつかず、地位上の資質を問わなければならなくなる。
こういった客観的認識の欠如が最も如実に現れている答弁が 「先ず、定額給付については、色んなご意見があるんだと思いますが、私共に窺う多くの意見の中には早くに出して貰いたいという意見の方が極めて多いというのが最近の実態だと、私自身はそのように思っております」であろう。
各新聞社やテレビ局の世論調査は不愉快を与えるから「見出しを眺めるぐらい」で中身は詳しく読まない。その結果、70~80%の国民が定額給付金は経済対策として有効でないと世論調査で見せている意思表示には背を向けて、逆に給付されたなら、80%近くが受け取るとした意思表示のみに目を向け、それを唯一の頼りに自分の周囲に集まる支持者が「麻生さん、早く出してください、みんな待っているんですよ。麻生さん、早く出してください」と元気づけるために口々に言うことが自己は常に正しいとする価値観に合致するし、自分に都合がよく、不快でもないから、それをすべてとして客観的実態に反した偏った判断、偏った情報解読ができる。
動員をも受けて集まった自民党支持者の群れの中に自身を置いて、自民党の政策を無条件に正しいとする周囲の姿勢のみを自己判断の味方とする情報統制を自らに行う。
自己の姿(=首相像)が国民にどう映っているか、政策がどう受け止められているのか、いわば人柄とかリーダーシップとかを含めて自身が生み出して発信している諸々の事実がマスメディアによってどうように二次的に情報化され、それを国民がどう判断し、どういう評価を下す情報上の事実(三次情報)となっているか、それを客観的に公平に判断する能力が必要とされる一国の政治的指導者がそのような情報処理過程を欠き、欠くがゆえに公平な情報判断能力を発揮できない情報統制に陥っている。
素地としてある情報統制者の姿が公平な情報判断能力を阻害することになっているからなのは間違いない。
この一事を以てしても、一国の政治的指導者としての資格を失う。逢坂議員が「総理の政治家としての資質」を問おうとしたのは、このことだろう。
勿論、発信する側の情報が常に正しいとは限らないようにその情報を受取る側が自らの知識とする過程で常に正しい判断・解釈が施されるとは限らないのは断るまでもない。麻生太郎が世論調査の結果が常に正しいとは限らないと言うのはこのことに当たるが、麻生の言い分は多分に自分に都合の悪い世論調査の結果だからということもある。
「責任者の名前が載っている記事」は「相手の人の名前を見て読むようにしています」にしても、世論調査に於ける国民の判断と同様に署名記事が必ずしも正しい内容(=正しい情報)を発信しているとは限らないはずだが、世論調査は常に正しいと限らないとする条件付けを行いながら、署名記事に関しては相対的な条件付けを行わない矛盾を犯して気づかないでいる。
だが、肝心なことは、どのような情報をどう判断し、どう評価しようとも、我が麻生太郎と同様に誰もが自己の判断と評価を正しいとして行動を取るということである。
だからこそ、国会議員や閣僚、総理大臣といった国家的立場からの情報発信者、あるは新聞・テレビ等の社会的立場からの情報発信者はその情報がより客観的公平性を保つように努力し、と同時に自らが発信した情報がどのような事実として解読・処理され、それぞれがどのような二次情報・三次情報として知識化されているか、判断基準とされているか、常に検証する責任を負うはずである。
主たる情報発信者の側に立つ人間が新聞の記事が「しばしば偏っている」からと言って「新聞を読まない」とするのは、発信した情報がどう解読・処理され、どのような影響を社会に与えているかの検証を怠る無責任に当たる。
また情報を「うのみに」するしないは本来的には本人の情報解読能力・情報処理能力が解決すべき問題であって、新聞記事の偏りは読んで初めて分かる事柄であるゆえに、必ずしも「読まない」理由付けとはならない。
また、都合の悪い情報をことさら遠ざけ、都合のいい情報だけを近づける情報統制はそのことに対応して、都合のいい意見を言う人間だけを近づけ、自分に都合が悪い気に入らない忠告や意見を言う人間は近づけないこととなり、結果として周囲をイエスマンで固めることになる。安倍内閣や現在の麻生内閣が「お友達内閣」だとか「お仲間内閣」だと言われる所以は、自他に対して情報統制者であることから始まっている現象であろう。
中川昭一の財務大臣辞任問題でも、「ご本人が自分で最終的にやるという決断を降ろされて、最終的にはご自分でやる意志を示されておりましたし、私は薬が切れれば、そういったことも終わると思いましたから、私自身としては、とも思っておりましたから、ご自身が自分の体力を医者に行かれて、、病院に行かれて、判断をされ、最終的に判断をされたんで、それはご自身の意志を尊重すべきは当然のことだと私自身はそう思いました」と言っているが、問題となっているのはやる・やらないの本人の判断ではなく、職にとどまらせることによって事が済むかどうかの、あるいは本人の責任がそれで片付く事柄かどうかの任命権者の判断であろう。
記者会見で見せた失態・醜態によって失った日本の政治家の信用を、大袈裟に言えば、日本人の信用を「薬が切れれば」といった後付の取返しで修復できるかどうか、任命責任者が判断して処理する問題だった。
それをやるやる・やらないはすべて相手の判断任せで、やらせる・やらせないの判断を自身は持たかった。これは任命責任者としての判断の誤りであり、任命責任の放棄以外の何ものでもない。
このような判断間違いも、自分に都合のいい記事は読むが、自分に都合の悪い記事は読まないことに現れている情報選別から発した自他に対する情報統制が対人事にも現れている都合のいい意見を言う人間だけを近づける情報解読・情報処理の機能不全が原因なのは間違いない。
総理大臣たる麻生が中川昭一の進退問題でぶれたことで、日本の政治家の信用、日本人の信用をなおさらに失ったのではないのかと危惧する。
逢坂氏の定額給付金は受け取るのか受け取らないのかの質問に、「私のことに関しましては、私が私なりに判断させていただきます。ずうっと、お答えしている通りです」と答えているが、ぶれていると言われるのが怖いから、定額給付金が支給された段階で判断すると一旦網をかけた情報統制から抜け切れないでいることからの「ずうっと、お答えしている通りです」なのだろう。
だが、逢坂氏の「イエスかノーか」の追及に正確に答えるには、「ずうっと、お答えしている通りです」では適切・妥当な情報処理とはならないはずだが、自身では適切・妥当な情報処理の範囲内としているから、的外れの答弁であること気づかない。
「私共に窺う多くの意見の中には早くに出して貰いたいという意見の方が極めて多いというのが最近の実態だ」と情報処理していながら、自身に関してはそのような情報処理の外に置く。本人はその矛盾に気づかないが、多くの国民が気づいていて、世論調査でノーの意思表示を示すこととなっている。
自己に都合のいい情報のみを受け容れ、都合の悪い情報は排除する一国のリーダーに情報の公平・的確な解読・処理は期待しようもなく、当然、一国のリーダーとしての資格を欠くことになる。
このような資格喪失の面からも、麻生内閣は早々に退陣すべきだろう。