3月10日の当ブログ記事≪不法滞在に時効はないのか≫に次のようなコメントがあった。
回答が少し長くなることと、コメントにも回答にも気づかない人がいるかもしれないから、回答を本文記事に代えることにした。
コメント
反対意見 (ハル) 2009-03-14 17:58:34
もし、本当に母国語を話せないのなら、両親とどうやってコミュニケーションとっていたのでしょうか?
のり子さんは13歳で両親の不法入国は14年前。では覚えて間もない片言を娘に教えていたのでしょうか?
両親は自分達が不法入国だということを考慮して、強制退去の覚悟は常に持っているべきではなかった
のですか。いくら時間が経過しようが、犯罪は犯罪です。両親の怠慢や過ちがのり子さんを苦しめてい
るのです。
法に従った人々を非道扱いすることはおかしいですよ
回答
生まれた子供が言葉を話すようになるのは一般的には生後1年前後です。両親は外国人として日本の社会で生きていくためには日本語の会話が不可欠です。早く上達するために家で夫婦二人きりのときでも、覚えた日本語を使うように心がけたとしたら、のり子さんが生まれてから言葉をまだ理解できない間も日本語を少なからず耳にしていたと考えることができます。
そして生後1年前後、両親が日本に来てから2年前後から2年以上経過している計算になります。のり子さんが言葉をカタコトで喋れるようになったとき、両親が母国語を少しは残していたとしても、また正確な発音、正確な言葉遣いでなくても、殆ど日本語で成り立たせた言葉を話していた可能性は否定できません。
何年か日本で生活し、日本で働きながら、日本語が殆ど話せない日系ブラジル人がいます。テレビて見た経験があると思います。
彼らは日系ブラジル人を企業に現場労働者として派遣する派遣会社に勤め、そこから企業に派遣されて仕事をするのですが、企業に集団で派遣されて集団で製造現場に携わるため、仲間との意思疎通に日本語は必要とせず、母国語であるポルトガル語で常に用を足すことができるから、勢い日本語を覚えないようです。
会社の指示は現場全体の仕事に精通している上にポルトガル語と日本語に通じている者が伝える仕組みになっているということで、日系ブラジル人にしたら意思疎通に不自由ない生活を日本で送ることができたわけです。
通訳がついているために日本のプロ野球に来て何年いても片言の日本語しか話せない外国人助っ人みたいな立場にあるのです。
両親が満足に日本語を話せない日系ブラジル人であっても、その子供たちは学校に通う必要上、学校でもポルトガル語しか話せない子供に重点的に日本語を教える時間を取る関係もあって、親と違って日本語を話せるという会話ギャップが親子間で生じることにもなっているようです。
そういった親の中には自治会の問題等で日本人と話す必要が生じると、子共に通訳を頼んで用を足すということですが、まさしくプロ野球の外国人助っ人状況と同じです。
両親が早くに日本語を覚えて、子供が両親との意思疎通を殆ど日本語で取るようになり、外でも日本語のみをコミュニケーション手段とするようになると、両親は母国語を血肉としているために忘れることはなくても、子供はポルトガル語を使ってきた日が浅いために忘れてしまう現象が生じるといったこともあるようです。
父親がドイツ人、母親が日本人のタレント・ウエンツ瑛士は小さい頃は英語が話せたが、今は全然話せないと確かテレビで言っていました。
のり子さんが幼少期に両親と母国語で意思疎通を図っていたものの、現在では母国語を話せなくなっていたとしても不思議はないわけです。
のり子さんの父親は主に解体現場等で働いていたということだから、日本人と日本語による意思疎通は欠かせなかったでしょう。否応もなしに短期間のうちに日本語を学ばなければならない立場に立たされていたはずです。母親にしても、不法滞在者という身分から、履歴書だ、何だとうるさいことを言う会社には勤めることができなかったと考えると、言葉の保護を受ける機会はゼロに近かったはずで、やはり日本語を早い時間に覚えざるを得なかったと思います。
先に挙げた日系ブラジル人の例からも分かるように、要するに用が足せるか、足せないか、必要か必要でないかということと、日本での生活期間の長短が言葉の獲得と上達の要件となることを考えると、必要に迫られた両親の日本語の獲得と日本に於ける生活期間の長さが子供に影響した日本語のみのコミュニケーション能力ということだと思います。
次に「両親は自分達が不法入国だということを考慮して、強制退去の覚悟は常に持っているべきではなかったのですか。いくら時間が経過しようが、犯罪は犯罪です。両親の怠慢や過ちがのり子さんを苦しめているのです。」に対する回答。
「強制退去」の可能性は常に頭にあったはずです。当然、「覚悟」もあったでしょう。
但し確かにあなたが「犯罪は犯罪」と言うように不法入国・不法滞在は「犯罪」そのものです。そうであっても、3月14日の記事≪カルデロン・アラン氏 不法滞在15年/犯罪歴なしは立派な履歴書≫に書いたように、不法入国・不法滞在という「犯罪」に対する「強制退去」処分を猶予させる「法相の裁量で決める在留特別許可」制度があります。
「asahi.com」記事を次のように引用しました。
「在留特別許可は、強制退去処分が出ても、法相が本人・家族の状況や人道的配慮の必要性などを総合的に考慮して、個別に滞在を認める制度だ。法務省は06年、ガイドラインを公表した。07年までの5年間で年に7千~1万3千件程度認めており、希望者の8~9割前後が許可された計算になる。 」――
「07年までの5年間で年に7千~1万3千件程度認め」られ、それが「希望者の8~9割前後」にまで達しているという現実が存在する以上、「在留特別許可」を求めて行動しない手はありません。その範囲内の要求行動だと思いますが。
その正当理由に私は15年以上、不法滞在者の身分で犯罪も犯さず、一般市民としての務めを果たしたことは「在留特別許可」に値するのではないかという主旨で記事を書いたのです。
対する、あなたが言う「法に従った人々」に当たると思いますが、入管・法務省の権力側の態度が単一民族意識に立った可能な限りの外国人排除ではないかと批判したのです。その限りでは「非道扱い」したことになりますが、私自身は「おかしい」ことだとは思いません。
不法滞在者が法務大臣に求める「在留特別許可」という機会は、被告の裁判に求める機会と同じだと思います。殺人という重大犯罪を犯したとしても、裁判で情状酌量を求めたり、一審で判決が重いと考えれば、控訴・上告して、刑罰の軽減を求めます。これは法律上被告人となった犯罪者に許されている裁判行動のはずです。
殺人という重大犯罪を犯した人間でも、「いくら時間が経過しようが」、その犯罪に対する処罰を自己に有利にする活動は認められているのです。不法滞在者に於いても許されているはずです。
不法滞在を摘発した、逮捕した、即強制退去では人間の人間に対する余裕をそこには感じることができません。このことが法律上の制度としてそうしろとしている決定であるならなおさらのことですが、日本人の精神性から生じた行動慣習としてある決定なら、不法滞在問題だけではなく、他の事柄にも影響する人間の人間に対する余裕のなさとなって現れることになるでしょう。
その先にあるのは独裁国家同様の余裕のない社会です。不法滞在問題に於いて、そうならないための「在留特別許可」制度のはずです。
問題はもっと難民受け入れを増やせ、外国人労働者を受け容れよといった外圧が認めさせるに力のあった「在留特別許可」ではないかと言うことです。最近は改善された外国人の日本国籍獲得も同じ線上にあると言えると思います。l