体罰賠償訴訟/最高裁児童側敗訴の逆転判決「教育的指導の範囲」は正当性あるのか

2009-04-30 09:15:31 | Weblog

  最高裁が4月28日(09年)、1・2審の臨時講師による小2男児に対する体罰認定を覆して、「許される教育的指導の範囲を逸脱するものではなく、体罰に当たらない」との判決を言い渡したと言う。

 教員の行為が、学校教育法で禁じる体罰に当たるかどうかが争われた民事訴訟では初めての最高裁判決(「毎日jp」)だそうだ。

 同記事によると、<熊本県本渡(ほんど)市(現天草市)で02年、同市立小2年の男児(当時8歳)が、男性臨時教員から体罰を受けて心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したとして、市に約350万円の賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(近藤崇晴裁判長)は28日、教員の行為を体罰と認め賠償を命じた1、2審判決を破棄し、原告側の請求を棄却する逆転判決を言い渡した。>とのこと――。

 同記事は体罰基準を、<学校教育法11条で「教育上必要があると認める時は懲戒を加えることができる。ただし体罰を加えることはできない」と規定>しているが、<文部科学省は07年2月、体罰に関する考え方を初めてまとめ全国に通知>、<「殴る、ける、長時間直立させるなど肉体的苦痛を与える懲戒は体罰」と明示する一方「体罰に当たるかどうかは、生徒・児童や保護者の主観ではなく、行為が行われた場所的、時間的環境、態様等の諸条件を客観的に考慮して判断される」とし、有形力行使が許される可能性にも言及している。>と解説して、今回の最高裁の判断は後者の「場所的、時間的環境、態様等の諸条件」の客観的考慮を基準としたものとしている。

 では、児童の側が体罰だと訴え、臨時講師の側がそれを否定した双方の具体的な行為内容は<生徒は小2だった02年、休み時間中に廊下で友達と一緒に通りかかった女児をけり、さらに、注意した講師の尻をけった。講師は追いかけて捕まえ、洋服をつかんで壁に押しつけ、「もう、すんなよ」としかった。>(「asahi.com」)というもので、<生徒は講師から怒られた後に食欲が低下するなどして通学できず、03年2月に病院で心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。>(同「asahi.com」)ことを理由に講師の行動を体罰だとして裁判所に訴えた。

 「中国新聞」は次のように書いている。

 <02年11月の休み時間、少年(現在14歳)は、しゃがんで別の児童をなだめていた講師におおいかぶさるなどし、通り掛かった女子児童をけるという悪ふざけをした。講師が注意し職員室に向かおうとしたところ、少年は尻を二回けって逃げた。講師が捕まえ、胸元を右手でつかみ、壁に押し当て大声で「もう、すんなよ」としかった。>・・・・

 殆どの記事が小2児童の行為を「悪ふざけ」だとしているが、判決の臨時講師の児童に対する行為は<「男児の悪ふざけを指導するために行われた。やや穏当を欠く点がなかったとはいえないが、目的や態様、継続時間から判断すれば、教育的指導の範囲を逸脱しておらず、体罰には当たらない」と判断。「損害賠償を認めるような違法性はなかった」と原告側の主張を退けた。>(「東京新聞」)との指摘を受けて、一様に「悪ふざけ」と規定したのだろうか。

 上記「asahi.com」記事は、<その後、回復して元気に学校に通うようになったが、生徒の母親は学校側の説明に納得せず、学校や市教育委員会に極めて激しく抗議を続けた。>と母親の過剰反応を匂わせているが、「YOMIURI ONLINE」記事が<判決も「男児の母親が長期にわたり、学校関係者に対して極めて激しい抗議行動を続けた」と言及、訴訟の背景に保護者の過剰なクレームがあったことを示唆した>と、最高裁自体が母親の過剰反応がある意味つくり出した“体罰”だと判断していることを伝えている。

 「msn産経」記事も、<授業中に騒いだ児童を廊下に立たせるといった指導は体罰や人権侵害だと批判され、授業中にメールをしていた生徒から携帯電話を取り上げただけで保護者らから抗議を受けることもあるという。こうした状況から、“モンスターペアレント”という言葉すら生まれた。>と、親の過剰反応に言及している。

 いずれにしても小2男子児童の女子児童をけるという「悪ふざけ」を発端として、そのことに対する有形力を伴った臨時講師の注意制止が体罰か否か――いわば体罰に相当するのか、そうではなくて教育的指導の範囲として認めることができるのかを争点として裁判は最高裁まで争われることとなった。

 体罰か否かが争点なのだから、裁判がそこから一歩も出ていないのは当然と言えば当然で不思議はないが、それ以前の問題として、女子児童を蹴った小2男子児童の行為自体が実際に「悪ふざけ」に過ぎないとすると、それを見つけて臨時講師が注意したこと自体が母親の過剰反応を言う前に過剰反応と見なければならないのではないだろうか。

 小2男子児童から見た場合、女子児童を蹴った「悪ふざけ」を意図したに過ぎない自身の行為に対して通りかかった臨時講師に注意を受けた。抗議の意味から、あるいは面白くない気持から反発心が頭をもたげて職員室に戻ろうとしていた講師の尻を背後から蹴った。対して講師は蹴った後逃げる小2児童を捕まえて、胸元を右手でつかみ、壁に押し当て大声で「もう、すんなよ」と叱った――という経緯なら、自分自身の行為は謂れあることとすることができるが、講師の行為は謂われのない過剰反応とすることができる。

 過剰反応に驚いて、そのショックから、「心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症した」・・・・。

 いわば体罰云々をする前に、臨時講師の「悪ふざけ」を注意した行為が教育的配慮に適っていたかどうかが問題となる。

 確かに表面的な経緯だけ見たなら、小2男子児童を捕まえて、胸元を右手でつかみ、壁に押し当て大声で「もう、すんなよ」と叱っただけの行為は体罰とは言えないかもしれない。だとしても、「悪ふざけ」だと前提とした場合、一度目の注意に対する返礼が講師を蹴る行為だとしても、判決が指摘しているように「やや穏当を欠く点がなかったとはいえない」で片付けるのは少々無理が生じないだろうか。

 もし小2男子児童の女子児童に働いた行為が「悪ふざけ」でも何でもなく、悪質なイタズラだったなら、二度の注意を必要として、胸元を右手でつかみ、壁に押し当て大声で「もう、すんなよ」と叱った行為は「やや穏当を欠く点がなかったとはいえない」で十分片付けることができると言える。

 裁判が「悪ふざけ」だとしているのだから、「悪ふざけ」「悪ふざけ」だったろうが、問題はどの程度の「悪ふざけ」だったのかに焦点を当てなければならなくなる。その認定から始めるべきだが、裁判で扱っていたのかどうかはどの記事もそのことに触れていない。

 先ずは蹴った女児と男児との関係は子猫同士がじゃれ合うような狎れ合い、ふざけ合う関係にあって日常的に悪ふざけをし合うごく親しい間柄にあったのかどうか。

 そういった関係ではなく、男子児童の方は「悪ふざけ」だと思っていたとしても、一方的なイタズラに過ぎず、女生徒に不愉快を与え、毛嫌いされていたのか。一種の悪質ないじめ、暴力行為にまでエスカレートしていて、毛嫌いを通り越して精神的苦痛を与えるまでになっていたのか。

 当然、女生徒は母親、もしくは担任教師に訴えていたのかどうかも問題となる。。

 両者の関係が後者の状態にはなく、前者の関係でその程度の「悪ふざけ」だとしたら、注意するに当たらない「悪ふざけ」ということになる。

 体罰に当たらない有形力行使があるとするなら、悪ふざけであるなら、その程度に応じて注意するに当たらない有形力行使を認めてもいいはずである。

 臨時講師の注意がそのような「悪ふざけ」に向けた注意で、そのことからエスカレートした胸元を右手でつかみ、壁に押し当て大声で「もう、すんなよ」の叱責だとしたら、体罰に当たらなくても、「やや穏当を欠く点がなかったとはいえない」で片付けることはできない教育配慮に欠けた指導とは言えないだろうか。

 勿論、事はそう簡単には済まない難しい問題を孕んでいることは認める。

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