子供の生命(いのち)を身近に引き寄せた危機管理意識の有無を児童相談所の虐待死看過に見る

2009-04-02 13:07:59 | Weblog

 児童虐待とそれを見過ごして保護せず、親の虐待子殺しに間接加担した児童相談所の事件を伝えるNHKインターネット記事――
 

≪面談7回 判断は“虐待なし”≫NHK/09年3月30日 18時50分)

北海道稚内市で4歳の長男を水風呂の中に沈めるなどして殺害したとして、母親と同居していた男の2人が警察に逮捕された事件で、地元の児童相談所は、7回にわたって容疑者の母親と面談しながら虐待はないと判断していたことがわかりました。
この事件は、稚内市の清掃員、本望哉恵容疑者(25)と、同居している警備員の對馬博臣容疑者(38)の2人が28日夜、本望容疑者の長男の龍生君(4)を自宅で水風呂に何度も沈めるなどして殺害したとして、殺人の疑いで逮捕されたものです。

警察によりますと、龍生君は病院に運ばれた際、体温が30度を切っていて、死因はおぼれたためとわかりました。地元の児童相談所によりますと、児童相談所はことし1月、龍生君が通っていた保育園から「あざやこぶがあり、虐待の疑いがある」という通報を受け、母親の本望容疑者らと7回にわたって面談したということです。しかし、「兄弟げんかだ」などと言われ、子どもからも虐待されたという話が聞けなかったとして虐待はないと判断し、警察にも連絡しなかったということです。

さらに保育園は、龍生君のあざを見て3月7日にも児童相談所に通報しましたが、児童相談所は「様子を見ましょう」と返事をしてきたということです。

旭川児童相談所稚内分室の渡辺邦芳分室長「子育てがたいへんだという話で、虐待の認識には至りませんでした。こういう事態になってしまい、力不足だったと思います」と話しています。

警察は、2人が以前から虐待を繰り返していたとみて、さらに捜査を進めています。死亡した男の子が通っていた稚内市の保育園の職員は、30日夕方、記者会見し、「虐待の疑いが強いと思って通報したのに、ほんとうに残念でならない」と話しました。

この中で職員は「お子さんに打撲の様子が見られたので、職員で悩んだ末に通報しました。通報が生かされずほんとうにびっくりしてショックを受けました」と述べました。また、死亡した龍生君については「とても活発で、小さな友達にとても優しく、表現豊かな絵を描く力のあるすばらしいお子さんでした。ほんとうに残念でなりません」と、時折、ことばを詰まらせながら話していました。
 
 3月31日の別のNHKインターネット記事は児童相談所が両親と面談した際、稚内市職員も同席していたことを伝え、市職員の対応を次のように解説している。

 <稚内市は児童虐待を防止するための関係機関の連絡会の事務局を務めていて、教育部の職員が龍生君にあざやこぶがあるのを直接確認していましたが、警察に連絡する必要はないと判断し、具体的な対策をとらなかったということです。稚内市教育部では「対応が不十分で反省している。今後、ほかの関係機関との連携のあり方などを見直していきたい」と話しています。>

 児童相談所に劣らず、市も十分に役目を果たしたと言うわけである。何しろ「児童虐待を防止するための関係機関の連絡会の事務局を務めてい」るくらいだから。

 また3月7日の通報に対して児童相談所の「様子を見ましょう」はやはり別の3月31日のNHKインターネット記事(≪虐待死 男児の妹らも虐待か≫)によると<今月(3月)初めには妹の1人が腕を骨折し、保育園側が、あらためて児童相談所に通報しましたが、母親は「ベッドから落ちた」などと説明し、相談所も「様子を見ましょう」と話していたということです。警察は龍生くんだけでなく妹たちも逮捕された2人から虐待を受けていた疑いがあるとみてさらに調べています。>となっている。

 インターネット記事を読んだだけでは分からないが、ニュースを直接見るか、インターネット記事に付属している動画を見るかすれば、旭川児童相談所稚内分室の渡辺邦芳分室長の児童虐待に関わる危機管理意識(=子供の生命(いのち)に関わる危機管理意識)を窺い知ることができる。勿論、どのような意識であっても、そこには本人の人間性が深く関わっている。30日の別のNHKインターネット記事も加えて動画から、渡辺邦芳分室長の言葉と保育園の言葉を文字に起こしてみた。

 まずは3月30日の記事≪児童相談所 虐待なしと判断≫から渡辺邦芳分室長の言葉を拾ってみる。

 インターネット記事では<「子育てがたいへんだという話で、虐待の認識には至りませんでした。こういう事態になってしまい、力不足だったかもしれないと思います」>とごく当たり前の表現となっている。

 子供にコブやアザがあるという通報を受けてからの対応を動画から。

 渡辺邦芳分室長「子供たち・・・、のことについては、まあ、あのー、ま、体罰とか、虐待・・・、みたいなことは、一切ないって話は勿論していました。子育てを少しづつ楽にできるのは、もう少しどうすればいいのかなあって、そういう視点で、随分に関わったんですねえ。ええ、こういったことになるっていうのは、兎に角・・・、大変残念で(声を小さくして)らっしゃいます・・・、ええ、私の力不足だったかもしれないとは、凄く思っております」――――

 「大変残念でらっしゃいます・・・」と最後の方の声を小さくして言ったのは、不適切な敬語と気づいたからだろうが、そこに敬語を持ってくる意識を生じせしめること自体が児童相談所の対応のまずさが招いてもいる虐待死だという責任を深刻に把えず、距離を置いた責任意識となっているからだろう。

 両親と面談を持った。「体罰とか、虐待・・・・・、みたいなことは、一切ないって話は勿論していました」――

 「勿論」という言葉を付け加えて、両親の話の中に体罰・虐待の存在を窺わせる様子が全然なかったことを強調している。その一方で自分たちが負うべき役割上の有用性に関しての反省が一切ない。

 これは罪の回避であり、責任回避の意識がそうさせた会話態度であろう。そのことは次の言葉に如実に現れている。

 「子育てを少し少しづつ楽にできるのは、もう少しどうすればいいのかなあって、そういう視点で、随分に関わった」

 その点で「随分に関わ」ることで自分たちの役割を果たしたと、児童相談所としての役割の正当性を訴えている。

 渡辺邦芳分室長の談話は母親と同居の男が子供を風呂に沈められるなどして殺してしまい逮捕されたことで明るみに出た虐待・体罰の事実を受けて、その結果、児童相談所が最初の体罰・虐待を見逃し、そのあと保育園が2度目の通報を、あるいは妹も虐待を受けているのではないかという疑いの通報を児童相談所に行ったのに対して「様子を見ましょう」と、死なせてしまったのだから、言葉でそういっただけで済ませてしまった等々の一連の経緯、児童相談所としての役割が効果を見なかった一連の無策を知った上での談話である。

 当然、少なくとも自分たちの能力不足・責任不足を責める言葉、あるいは反省する言葉があって然るべきだが、一切なく、逆に狡猾にも正当化を図っている。

 勿論、「力不足」だとは言っているが、「私の力不足だったかもしれないとは、凄く思っております」と、「かも知れない」をつけた「力不足」であって、ここにも責任逃れの意識と自己正当化の意識を覗かせている。

 「かもしれない」とは「可能性はあるが、不確実である意を表す」(「大辞林」三省堂)言葉であり、いわば断定を避ける、あるいは事実を曖昧とする意味を含んでいるからだ。要するに「力不足だった」と明確に能力不足を訴えているわけでも、責任を認めているわけでもなく、曖昧とする方向に意識を働かせている。

 また「力不足だったかもしれないとは」の「とは」にしても、断定を避ける第三者的な距離を置いた言い方であろう。「私の力不足だったかもしれないとは、凄く思っております」と、「とは」を抜かして「私の力不足だったかもしれないと、凄く思っております」とでは自分たちのことと把えているか他人事と把えているかの距離的なニュアンスに大きな違いがある。

 「体罰とか、虐待・・・、みたいなことは、一切ないって話は勿論していました」――――

 児童相談という重大な福祉業務に関わって7度も面談を繰返していながら、渡辺邦芳分室長はアザや怪我が「ベッドから落ち」てできたとか転んでできた、自転車を走らせていて転んでできた、喧嘩してできたと虐待や体罰を隠す常套句となっていることをこれまでの親の子供に対する虐待例・体罰例から学んで情報として頭に整理していなかったのだろうか。

 また否定の言葉には潔白を証明する否定と潔白だと偽る否定とがあることを常に頭に置いて、どちらの否定なのか探る経験をしてこなかったのだろうか。

 こういった児童福祉に欠かすことができない知識・情報を第一ステップとし、最悪のケースに至ることの恐れを常に抱き、例え結果的に過剰反応となったとしても、想定し得る最悪のケースを回避する方策を取ることを子供の生命(いのち)を守ることに限らず、すべてに関する危機管理と言うはずである。最悪のケースに至ることよりも過剰反応だったことの方が遥かに幸いなことだからだ。

 児童虐待に於ける最悪のケースとは殊更言うまでもなく虐待が死をもたらしてしまう虐待死である。

 ところが過剰反応どころか、すべて過小反応で終わらせている。

 では最初の「NHK」記事に戻って、その動画から保育園や渡辺邦芳分室長の言葉を拾ってみる。
 
 保育園「打撲の様子が、ええ、身体上で見られたので、虐待である疑いが強いと思いまして、通報させていただきました」

 渡辺邦芳分室長「アザの・・・、確認もしていますが、あのー、それは、あのー、虐待ィーのものなのか、ひどい、ものなのか、ということではなかったのでー、ええー、母親が言うように、子供たちが遊んだり、喧嘩したりしてできるということだったので、ああ、まあ、そういうことも可能性としてあるんだなあと、いう風には思っておりました」

 2度目の通報に関して――
 
 渡辺邦芳分室長「見抜けなかったんですね。見抜けなかったんです。もうちょっと、考えればよかったと思いますしね。保育所が言うように、もうちょっと・・・(聞き取れない)守れるように考えればよかったと思いますしねえ・・・」
 
 保育園「体調も悪かったので、顔色も悪くって、心配だったので、顔を撫でたり、頭を撫でたり、背中をさすって、大丈夫って、いうふうな言葉をかけたのが最後でした。(泣き声になって、声を振り絞るように)残念です、無念です」

 園長だと思うが、児童相談所の渡辺邦芳分室長よりも遥かに子供の生命(いのち)を身近に引き寄せて、思い遣っている。

 渡辺邦芳分室長の「ああ、まあ、そういうことも可能性としてあるんだなあと、いうふうには思っておりました」の「あるんだなあ」と「いうふうには」の物言い、そして「考えればよかったと思いますしねえ・・・・・」の「思いますしねえ・・・・・」の言葉は全く以って一人の子供の生命(いのち)をなくしてしまったことへの深刻な思いのカケラもなく、他人事として距離を置いた物言いであって、死なせてしまうことに力があった自分事のほんの一部としても把えていない。

 親の説明を言葉通りに受け止める。その方が面倒がなくていいからだろう。児童相談所の分室長を名乗っていながら、子供の生命(いのち)を身近に引き寄せた危機管理意識など最初から持ち合わせていないから、面倒を避ける意識が働く。

 役目に懸命でないところは、麻生と一緒だあ――と、ここでなぜか麻生が出てくる。

コメント (1)
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