資格は有能さの証明ならず/介護福祉士資格と教員養成課程6年制

2009-11-09 15:38:12 | Weblog

 有能さは職務上のその人それぞれの心がけ・姿勢によって決まる 
 
 私自身には縁のない心がけ・姿勢だが、民主党政府は今年10月末に介護・グリーン・地域社会の3分野を柱に雇用創出を図る雇用緊急対策を正式決定、介護関係では現場で就労しながら技術・能力の向上を目的とする「緊急雇用創造プログラム」を策定、介護関係施設で研修勤務をしながら介護福祉士資格試験を受験する際には特例措置として実習を免除する項目を設ける方針だという。

 いわば介護分野で働きながら資格取得を目指す場合、実習が免除される支援制度というわけである。

 具体的には介護福祉士を目指す場合は介護施設で働く2年間の給与と資格取得のため専門学校で受ける受講費を政府が負担するということで、失業者は働きながら資格を取得することが可能となるとしている。

 だがHPで調べると、福祉系高等学校や介護専門学校、福祉系大学等の厚生労働大臣指定養成施設の卒業の場合、国家試験が免除されて介護福祉士の資格取得が可能となるが、社会福祉施設・病院の病棟又は診療所・介護等の便宜を供与する事業などの介護の現場で働きながら介護福祉士の国家資格を得るには3年以上の従業期間、540日以上の従業日数を満たせば、現行法では国家試験に合格すれば資格を得ることができる。

 「3年以上の従業期間」が条件となっていながら、民主党政策では「介護施設で働く2年間の給与と資格取得のため専門学校で受ける受講費を政府が負担」となっている。給与の全面的バックアップではなく、3分の1は施設側が職員から労働の提供という利益供与を受けるのだから、負担せよということなのだろうか。

 但し平成24年度試験からは上記3年以上の従業期間、540日以上の従業日数を満たす実務経験に加えて6ヶ月以上の養成課程修了を追加条件するとなっている。

 また福祉系高等学校や介護専門学校、福祉系大学等の厚生労働大臣指定養成施設の卒業であっても、平成24年度以降からは国家試験の受験が必要となるという。

 民主党の介護福祉士国家試験受験の際の“実習免除”が平成24年以降の「6ヶ月以上の養成課程」の免除を指しているのか、国家試験の中に実習試験があって、そのことだけの「免除」を指しているのか、調べてみたが分からなかったが、後者だとすると、「6ヶ月以上の養成課程」にどのくらいのカネが必要なのか分からないが、受験者の金銭的負担の軽減は差し置いて、厚生労働大臣指定養成施設卒業に加える国家試験受験を含めて、資格獲得により厳しい条件を設けて、それが有能・優秀な介護福祉士の出現に役立つのだろうか。 

 またそれ程ハードルを上げなければならない技術を介護が必要としているのだろうか。

 鳩山政権下の文部科学省は酒気帯び運転や生徒へのわいせつ行為で懲戒免職になった教職員が今年4~10月の7か月だけで98人にも上る(YOMIURI ONLINEといった教育以外でも活動の場を広げている教師状況を受けてのことだろう、18歳未満だと知りながらホテルなどに連れ込んでの買春、女子トイレに隠しカメラを仕掛けた盗撮、覚醒剤の使用等もあるが、小中高などの教員養成期間を大学院での2年間の修士課程を加えて現行の4年から6年に延長、教育現場での教育実習を現行の2~4週間から1年程度に拡大、10年程度の現場経験を積んだすべての教員に対して大学院などで1年程度研修を受けさせ、「専門免許状」を取得することを事実上義務化する教育改革を掲げ、早ければ11年にも関連法案を成立させ、新制度に移行する(毎日jp)方針だというが、現行の大学での4年間の教員養成が役立たないということなら、それを2年増やして役立つという保証があるのだろうか。

 確かに高校・大学等の教育機関は知識(学識)を植えつける。だが、実務の場に於ける人間関係を交えた職業的な実体験こそが社会的な実知識や人間形成の真の教育の場足り得る。人間を成長させるもさせないも、高校・大学等の教育機関よりも人間関係の学びを同時併行させる職業的な実体験にかかっていると言える。

 このことは軽度から重度までの様々な認知症老人や身体の動きに不自由な老人、寝たきり老人、気難しい老人、簡単には言うことを聞かない老人等の間に生じる人間関係、同じ職場で働く職員同士の人間関係、入居者の家族との間に生じる人間関係、そして昼夜交代の厳しい労働から生じる肉体的・精神的な負担、そのような厳しい労働の報酬として受け取る安い給与で賄う私生活上の喜怒哀楽・苦労、あるいはそれぞれが置かれる将来性等々は介護の現場に従事している者こそが実感的に学ぶ者となり得るのみで、教育機関では決して学ぶことはできないことが証明している。

 例え介護養成機関で実習の形で一時的に学ぶことはあっても、その一時性は介護施設での実体験に内容・質共に遥かに及ばない、単なる形式に近い体験で終わるのは誰の目にも明らかであろう。

 教師にしても、大学で教師として必要な知識は学ぶことはあっても、現実の子どもを相手に学ぶわけではない。不登校児や注意欠陥・多動性障害(ADHD)児童のことは知識として学ぶことはあっても、そういった状態にある実際の子どもを相手に人間関係の構築や扱いを学ぶわけではない。子どもの保護者との人間関係、例えばモンスターペアレントと言われている自己中心的で理不尽な要求を繰返す保護者、あるいは学校給食費を払わず、溜め込んで平気な保護者等々の存在と彼らとの人間関係を通した扱いは大学で知識として学ぶことができても、その実体は実務の場で初めて接する存在だから、当然現実的な対応は実務の場でしか学ぶことができないことになる。

 多くの学校・教師が不登校児童や注意欠陥・多動性障害(ADHD)児童、あるいはモンスターペアレント、給食費を支払わない保護者などに手を焼いているということは教師養成の大学教育でも学べなかったということではなく、実務の場でも、実体験から何も学べない状況にあることを同時に証明している。

 さらに大学が学問的な知識獲得の場となり得ても社会的な実知識や人間形成の真の教育の場とはなり得ないから、東大だ、京都大だといった最高学府を卒業して日本の中央省庁に入って日本の官僚になったとしても、あるいはそういった学歴を背景に国会議員になったとしても、官僚の場合は予算の飲食費や遊興への流用、天下り、国会議員の場合は政治献金の不正取得や口利きなどの私的な利益行為に走る者が出てくる。

 官僚や政治家の裏に隠れて表に現れない不正を含めると、今年4~10月の7か月だけで酒気帯び運転や生徒へのわいせつ行為で懲戒免職になった98人の教職員の多過ぎる人数に対応する官僚・国会議員の人数となるに違いない。

 懲戒免職や懲戒処分を受けた教員にしても、無能・怠惰な官僚・国会議員にしても、実務の場が人間形成の教育の場となり得ていなかったばかりか、その出発点であった高校・大学が何よりも人間形成の教育機関として役に立っていなかったことの証明となり、教員の場合、優秀な教師を輩出するために大学での養成機関を現行の4年から大学院での2年間の修士課程を加えて6年とする意味を失うように思える。

 要するに受験条件を何年の教育課程終了、あるいは何年の実務経験として国家試験を受験させ、合格によって就業資格を与えたとしても、その資格が必ずしも有能さの証明とはならないということである。

 ということなら、大学はその職業が求める知識の取得に必要な最低限の年数を以って卒業の資格と国家試験受験の資格を与えることを役目として、あとは実務の場での実体験を通した実知識や人間関係知識の取得とそういった知識を糧とした人間形成に期待を置くしかないのではないだろうか。

 いわば自分で学ぶという自学の教育方法に持っていくことこそが肝要で、教員養成の2年間の延長にしても1年間の実習期間にしても、金銭的・時間的負担のみを強いる制度で終わることになりかねない。

 介護で言うと、介護現場で3年以上の従業期間、540日以上の従業日数を満す実務経験を条件に加えて平成24年度以降6ヶ月以上の養成課程修了を追加する試験資格も、また福祉系高等学校や介護専門学校、福祉系大学等の厚生労働大臣指定養成施設卒業の場合は国家試験が免除されるが、平成24年度以降からは国家試験の受験を必要とする新制度にしても、優秀な介護士育成の主要な要件とはなり得ない危険性が高い。

 勿論介護の場合、労働の過酷さに見合った給与の保証は離職防止の重要要件とはなり得るが、優秀な介護士育成は実務の場で自らの力によって実知識や人間関係を如何に学び取って人間形成につなげることができるかどうか、自学の精神に任せることであろう。

 このことが有効なら、将来的な方針とは逆に現行以上に条件を緩和して国家資格を与え、実務の場で自ら学んで人間形成につなげるといったことができない者は厳しく篩い落としていき、淘汰していく、駆除していくそれぞれの自学の姿勢に恃むことが優秀な教師・介護士の育成の条件とはならないだろうか。

 教師の場合は2年間大学で学ばせ、その後の1年間はNPO等に勤務させる、あるいは1年間限定の労働でも構わないとする企業や農家に勤務させ、その1年後に大学に戻って実社会の体験を踏まえた教師教育を再開し、その終了を以て大学卒業の資格を与えて国家試験を受けさせるなどして教員とするといった制度にしたら、学校という実務の場に立ったとき、実知識や人間関係の学びに即役立ち、人間形成につながっていくように思えるが、どうだろうか。

 こうした制度にしたなら、国家資格を目指す者の金銭的・時間的負担を軽くするばかりか、国家予算を補助や支援の形で余分に支出する必要も生じないし、その分を介護従事者の給与にまわすことも可能となるばかりか、自学ということなら、否応もなしに自覚心を必要要件とすることとなって、主体性・自律性の育成にも役立つはずである。最終的には人間形成につながっていく。

 主体性とは、自分の意志・判断によって、自ら責任を以って行動する態度を言い、自律性とは自分の行動を自ら決めた規律に従って自ら律する態度を言う。文部科学省が学習要領で、「自分で考えて、自分で答を見つけて、自分で決めて行動する」、あるいは「自分で考える力の育成」といった言葉で学校生徒に求めている態度だが、教師がそういった態度を身につけていたなら、自然と子どもたちに伝わっていくものだから、子どもたちが身につけていないということは教師たちが大学の教員養成課程でも実務の場でも身につけることができていない態度だと言える。

 以上のことから国や自治体がなすべきことは、教師の場合は4年制大学卒業だとか、介護士の場合は介護施設での実務経験3年以上、あるいは介護養成機関の卒業といったことを資格取得の主たる条件だと取り上げずに実務の場での人間関係――人との接し方、仕事の取り組み方をこそ就業の明確な条件だと位置づけて、後者にこそ、より大きな価値を置くよう仕向けることであろう。その線で自覚を促す。

 そう仕向けることによって有能さが国家試験合格といった資格や職業の種類、あるいは給与の高さによってではなく、実務の場の実体験から学んだ実知識や人間関係に立った職務態度によって証明されることになる。

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