海江田経産相辞任で東日本大震災発生翌日の3月12日、官邸で何があったか暴露を期待する

2011-08-05 10:49:33 | Weblog


 
 菅仮免が停止中の原発再稼動問題で関係閣僚と前以て話し合いも持たずに唐突にストレステストを持ち出して、前々から関係が悪化していた海江田経産相との確執が決定的となり、海江田経産相は「いずれ時期が来たら私も責任を取る」と、彦星と織姫が1年に1度逢う瀬の7月7日七夕の日の参院予算委員会で経産省関係の法案等が処理がついた段階での辞任を示唆、皮肉にも七夕の象徴に反して近いうちのお別れを告げた。

 それ以来辞任が待ち遠しくて仕方がない。

 東日本大震災発生3月11日翌日の3月12日未明から1日、官邸で何がどう展開されていたか、暴露を期待するからである。

 仲直りしたのでは暴露は期待できなくなる

 3月12日午前0時6分に福島第一原発1号機の格納容器内圧力が上限値(427キロパスカル=約4.2気圧)を上回る600キロパスカルに達していて、福島第一原発所長の吉田昌郎がベント準備の指示を出しているが、なぜ政府の原子炉等規制法に基づく東電に対するベント指示が6時間40分経過後の3月12日午前6時50分になったのか。

 政府が正式のベント指示を出していながら、なぜ東電はなおもベント準備に取り掛からなかったのか。

 海江田経産相は東電がなかなかベント作業を開始しないために1時間おきに電話で催促したと国会答弁しているが、官邸からの催促になぜ東電は応じなかったのか。

 東電がベント指示に従わないためにベント指示から3月12日午前6時50分に法的拘束力のあるベント命令に切り替えたが、なおも東電は直ちに取り掛かることをしなかったのはなぜなのか。

 疑い得る理由は、これまでもブログに何度も書いてきているが、菅仮免の福島原発視察である。インターネットで調べたところ、3月12日午前2時30分に視察を決定したとなっている。

 実際に官邸を自衛隊ヘリコプターで出発したのが、3月12日午前6時14分。視察を決めてから、3時間44分経過しての出発である。

 そして出発から36分後に海江田経産相はベント指示をベント命令に切り替えて東電に発令している。

 東電がベント準備に着手したのは菅仮免が福島原発視察を終えて自衛隊ヘリコプターで三陸沖に向けて出立した3月12日午前8時04分から1時間後の3月12日午前9時04分である。

 実際にベントが開始できたのはそれから1時間13分後の3月12日午前10時17分。東電はベントに成功したと発表しているが、「毎日jp」記事は失敗したと伝えている。

 このことは《毎日jp記事が伝える新事実は原発事故拡大は菅3月12日視察が原因ではないかとどうしても疑わせる - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。

 ベント開始から4時間13分後の3月12日午後3時36分に水素爆発を起して1号機建屋を吹き飛ばし、高濃度の放射能を広範囲に拡散させている。

 菅仮免の福島第一原発視察の時間帯は官邸からのベント指示、あるいはベント命令の時間帯から東電のベント準備着手とベント開始の時間帯までの間にすっぽりと入っている。

 もし広く疑われているように菅仮免の視察中は本人に対する放射能被爆の恐れからベント開始を遅らせたと言うことなら、福島原発視察の時間帯がベントに手をつけない、いわば空白の時間帯の間にすっぽりと入っているのも納得ができる。

 だとしても、東電がベント指示に応じなかった時間が長過ぎる。ベント指示を法的拘束力のあるベント命令に切り替えるまでに5時間20分も要している。

 このことに合理性のある解答を与えるとしたら、菅仮免の視察時間帯のベント回避が目的だったということを前提とすると、東電がベントに応じなかったのではなく、応じなかったからベントが遅れたとする創作によって視察時間帯のベント回避であることを隠蔽したということにしなければならない。

 東電はただ単に官邸の指示に従って、ベント実施を菅仮免の視察後に延期しただけということである。

 実際はこういった経緯だとすると、官邸からの正式のベント指示は菅仮免が官邸から自衛隊ヘリで福島第一原発視察に出発した3月12日午前6時14分から36分後の、要するに程よい時間を見計らった3月12日午前6時50分のベント命令だったのではないだろうか。

 原発到着は3月12日午前7時11分。3月12日午前8時04分に当地を離陸。視察時間は53分。その間にベント準備着手、離陸後にベント開始と手順を計算したが、高濃度の放射線に邪魔されたことと自動ではなく、手動で弁を開くことを余儀なくされて実際にベントを開始するまでにさらに時間がかかったため、菅仮免が原発を離れてから2時間13分も経過した3月12日午前10時17分となった。

 その実際の開始時間から遡って準備にこれくらいの時間を計算しなければならないだろうとベント準備着手の時間を3月12日午前9時04分とした。

 次のことも他のブログに書いていることだが、昨5月16日(2011年)衆院予算委員会で、西村康稔(やすとし)自民党議都会江田経産省との間で次のような質疑を行っている

 西村議員「海江田大臣は11日の22時の時点、夜の10時の時点で、総理に報告をして、ベントをやろうと相談し、決めたと言っている。なぜこの時点でベントの命令を出さなかったのか。

 (ベント指示を)出したのは次ぎの日の1時半です。なぜ(11日)22時の時点で出さなかったのか」

 海江田経産相「今委員が提示した資料(「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」)は2号機のもので、同時平行で1号機も危ない状況にあった。1号機2号機どちらをという形でベントの指示を出すかについても、色々と議論をした。

 この日付が22時になっているが、私は22時にすぐにこれを承知したということではありません。これはあとで保安院に聞いていただけばなりませんが、恐らくこの文書を作ったのが22時で、そして官邸に来たり、色んな少し時間の幅はあると思う。そのくらいの幅はご容赦をいただきたい。

 そしてその上で、やはりベントをするということはここにも書いてあるが、放射性物質の放出ということだから、ベントをやる際には放射性物質の放出をできるだけ少なくするために、シールというものがどうなっているか、そういうことの確認をしたのは事実でございます。そしてできるだけ早くということで、ギリギリのところが1時半でございます」

 西村議員「ここに時系列の表があるが、1時半頃、そういう認識に至った。危機管理で(3月11日の)22時の段階で現場の保安院は直ちにベントをしなければいけないという判断をしている。

 大臣は色々議論をして、1号機だけではなく、2号機も大変だったのは分かる。しかも放射性物質を出すわけだから、周辺住民への避難命令も出さなければいけない。しかし実際に(ベントの)命令が出たのは、次の日の朝の6時50分。

 確かに指示をしたとか、色々言われます。22時の段階で直ちに、それを知った段階で、多少、5分や10分、危機管理上のもっと早い時間で、官邸にそれを伝えた。それを官邸はすぐさま、判断をして、避難住民の避難命令、周辺住民への避難命令、そして直ちにベントを行わなければならなかった。

 そうすれがメルトダウン、燃料溶融も避けることができたかもしれない。放射性物質の大量放出も避けれたかもしれない」――

 原子力安全・保安院が3月11日午後10時(22時)の時点で官邸に「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」の資料を提出した。そこに「やはりベントをするということはここにも書いてあるが」と海江田経産相は証言している。

 いわば官邸が原子力安全・保安院からの報告でベントの早急な必要性を知ったのは3月11日午後10時(22時)である。2剛毅よりも1号機が緊急を要するということで1号機を先にベントすることを決めたが、菅仮免は3月12日午前2時30分に福島視察を決定し、菅仮免の3月12日午前2時30分まで福島視察を決行している。

 緊急を要していながら、なぜか視察決定から視察終了までの時間帯にベントは行われなかった。

 そしてもう一つ海江田経産相に暴露して欲しい事実は3月12日午後の原子炉冷却のための真水から海水への切り替え時の混乱である。

 3月12日午後3時20分に東電は政府、原子力安全・保安院に対してファクスで海水注入準備の報告。その16分後の3月12日午後3時36分に1号機建屋で水素爆発。官邸は原子炉冷却のため海水注入を検討し、3月12日午後6時頃に菅首相が「真水での処理をあきらめ海水を使え」と東電に対して指示を出したとされていたが、官邸側はその指示を否定。東電は準備が整った段階で報告どおりに3月12日午後7時4分から海水注入を開始した。

 このことが官邸に断りなく開始したということで菅仮免が激怒。第一原発現場は表向き3月12日午後7時25分に海水注入を中断したことにし、実際は注入を継続していたが、3月12日午後7時55分になって菅仮免が海水注入を指示した問題で菅仮免も官邸側も東電から海水注入に関しては何の連絡もなかった、表向きの一時中断にしても東電側の判断で官邸からの指示ではないとすべてを否定した問題から浮かんでくる、菅の独善的態度によって指示命令系統に混乱が生じていたのではないかと疑えることの真相である。

 以上の疑惑が真相であるなら、表向きの事実はつくられた事実となり、真相は福島原発の事故の拡大が菅仮免による人災であることを暴露する事実となる。

 いずれが事実であるか、国民に知らせる責任と義務を誰かが負わなければならない。海江田経産相はその場に居合わせたのだから、真相を具体的に知り得る立場にあった。菅仮免の同類でない以上、海江田経産相こそが事実を知らせる使命を負うに相応しい。

 首相官邸内の出来事を喋ると、将来総理の座を狙う人間として信用できないと言うことになるからと沈黙を守る可能性があるが、ベントや海水注入に限らず、その他にも当初の発言や発表と異なる後付けの訂正や否定が続いたのである。偽りない事実の情報開示は避けて通ることはできないはずである。


コメント (1)
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