《冷温停止で警戒区域見直し検討 首相、地元に表明》(中国新聞/'11/7/17)
菅仮免と細野原発事故担当相が7月16日午後、福島県郡山市内で福島第1原発周辺12市町村の首長らと会談して、政府側は原子炉が冷温停止した段階で、立ち入りが禁じられた半径20キロ圏内の「警戒区域」の見直しを検討すると表明したという。
菅仮免(「ステップ1」が7月17日の期限内に達成できる見通しになったことを前提に)「多くの人がふるさとに帰れるよう(冷温停止を達成するとした)ステップ2を前倒しで実現できるよう全力を挙げたい」
この「警戒区域」の見直しは菅仮免が「多くの人がふるさとに帰れるよう」と言っている以上、わざわざ断るまでもなく、解除の方向に向けた見直しであろう。
「ステップ2」は来年の1月までを工程として、原子炉の温度を100度以下にする「冷温停止」状態を目指すと同時に放射性物質放出の削減、土壌及び生活空間の放射性物質除染と警戒区域や計画的避難区域の解除・放射能避難住民の帰宅を目標としている。
いわば菅仮免は「ステップ2」前倒しと帰宅の前倒しの実現を約束した。当然、土壌及び生活空間の放射性物質除染の達成を伴わせていたはずだ。
また菅仮免のこの約束は原子力行政機関の関係者やその他の専門家と話し合いの上、そうなるだろうという確信を与えられ、自身も確信を得ていたことを前提としていなければできない約束であろう。
この前提がないままに実現を約束したとしたら、カラ約束を振り撒いたことになる。警戒区域や計画的避難区域殻の避難住民からしたら、帰宅の希望の灯火(ともしび)が見えてきたことになる。「あと半年の我慢だ」と。
菅仮免に同伴していた細野原発担当相も同じ考えに立っていたはずで、この会談の2日前の7月14日の震災復興に関する衆議院特別委員会で次のように答弁している。《“冷温停止が警戒区域解除の前提”》(NHK NEWS WEB/2011年7月14日 23時19分)
細野「警戒区域の方々は、いつ帰れるのかを心待ちにしている。慎重な対応が必要だが、基本的には原発事故の収束に向けた工程表の『ステップ2』の冷温停止が達成できたときに帰っていただく前提が整うことになる」
これは単に工程表の実施項目どおりの目的を述べたに過ぎない。だが、次ぎの発言が「ステップ2」達成と帰宅の実現を前提とした内容となっている。
細野「ステップ2が達成できたときに、帰っていただけるところには帰っていただきたい。来週以降、できるだけ早い段階で、放射線量のモニタリングや除染、インフラ整備などの準備に取りかかりたい」
これが単に工程表にはこのような方針となっていますの説明であったなら、説明されるまでもない既知情報の不必要な再説明となって許されないことになる。「放射線量のモニタリングや除染、インフラ整備」は帰宅のための準備だということである。
だが。だがである。菅仮免と細野原発事故担当相が福島第1原発周辺12市町村の首長らと会談した7月17日から半月しか経たない8月20日になって、政府は東電福島第一原発事故で高濃度の放射性物質に汚染された周辺の一部地域について、長期間にわたって居住が困難になると判断、警戒区域を解除せず、立ち入り禁止措置を継続する方針を固めたと、《原発周辺、長期間住めないと判断…首相陳謝へ》(YOMIURI ONLINE/2011年8月21日03時01分)が伝えている。
記事題名に「首相陳謝へ」となっているが、また記事本文も〈政府は4月、原発20キロ圏内を原則として立ち入りを禁じる警戒区域に設定。来年1月中旬までに原子炉が安定的に停止する「冷温停止状態」を達成し、警戒区域を解除する方針を示してきた。〉が、その方針の撤回を受けて、当然、立ち入り禁止措置も居住禁止も長期間に亘ることになるから、避難の長期化を陳謝する方向で検討することになったしている。
しかし政府と東電が4月17日に作成した「事故収束に向けた道筋」(「工程表」)の「ステップ2」がここに来て変更を余儀なくされたということなら理解もできるが、4月にどころか、ほんの半月前に冷温停止の「ステップ2」の前倒しと、この前倒しに連動する帰宅時期の前倒しの実現を除染達成を前提として約束したばかりであるのだから、陳謝も陳謝、当然の「陳謝」となるが、原子力安全委員会や原子力安全・保安院、あるいは東電を含めたその他の原子力の専門家と議論し、今後の方針を詰めた上での確信のもとで行った7月16日の発言だったのか、疑わしくなる。
もし専門家の意見を取り入れた実現の約束であったなら、専門家たちの知識や判断能力は疑わしくなる。
記事は、〈数十年続くとの見方も出ている。〉と書いている。この「数十年」は居住困難の期間でもあり、同時に高濃度の放射能汚染が続く期間でもあろう。
半月前に与えたばかりの希望を半月後に取上げる。陳謝では済まない失態となる。
記事は、〈文部科学省が原発20キロ圏内の警戒区域内で事故発生後の1年間で浴びる放射線の積算量を推計した〉と書いているが、この推計を受けた長期間に亘る居住居住禁止であり、避難の長期化なのは断るまでもない。
だが、いつ推計したのかの時期については記事は触れていない。
●大熊、双葉両町を中心とする35地点で、計画的避難区域などの指定の目安となる年間20ミリ・シーベルトを大きく超えた。
●原発から西南西に3キロ離れた大熊町小入野では508・1ミリ・シーベルト、同町夫沢で393・7ミリ・シーベルトと、高い推計値を示した。
この文科省の調査に関して、《原発警戒区域の年積算線量、最高508ミリシーベルト》(asahi.com/2011年8月20日10時45分)が8月19日公表の東京電力福島第一原発から20キロ圏内警戒区域の「原発事故発生から1年間の積算放射線量推計値」調査であり、各地の推計値を詳しく伝えている。
立ち入りが禁止された警戒区域9市町村のうち、8市町村の50地点を調査。事故から来年3月11日までの1年間、毎日、屋外に8時間、木造家屋内に16時間いたと仮定した積算量の推計だという。
各地の原発事故発生から1年間の推計値――
原発から西南西3キロにある福島県大熊町小入野が508.1ミリシーベルトの最高値。
この値は一般の人が浴びる人工の放射線量限度1ミリシーベルトの500年分に相当。
最低値は南相馬市小高区の3ミリシーベルト台。
計画的避難区域指定などの際に目安とされた年間20ミリシーベルトを超えたのは50地点のうち35地点では、第一原発のある大熊町では全12地点が20ミリシーベルトを超え、うち7地点で100ミリシーベルト以上。
浪江町では最高が北西20キロの川房で223.7ミリシーベルト、最低は北8キロ地点の4.1ミリシーベルト――。
菅政府は放射線量の高い地域住民の帰宅を長期間禁止する代償としてだろう、〈その地域の土地を借り上げる方向で検討に入った。〉と、《原発周辺の土地、国借り上げ検討 居住を長期禁止》(asahi.com/2011年8月22日3時4分)が伝えている。
長期に亘って住むことができない土地を借り上げて地代を払うことで住民への損害賠償の一環とする考えだそうだ。
先ず、立ち入りを禁止した原発から半径20キロ圏内の「警戒区域」の中で継続して高い放射線量が観測される地域について警戒区域の指定解除を見送る方針。
次に、福島県双葉、大熊両町等の原発から半径3キロ圏内外に亘る地域に関しては3キロ圏外でも放射線量が高い地域があり、指定解除見送りの範囲が広がる可能性がある等々を伝えている。
政府のこのような動きを示す気配、兆候の類いがここ何日かの間にあったのだろうか。文科省が東京電力福島第一原発から20キロ圏内警戒区域の「原発事故発生から1年間の積算放射線量推計値」調査を公表したのが8月19日。《警戒区域 一部は当面解除せず》(NHK NEWS WEB/2011年8月21日 12時25分)によると、政府は8月9日の原子力災害対策本部の会合で、放射線量が極めて高いなどの理由で、相当長期にわたって帰宅が困難な区域の存在も今後明らかになるという見方を初めて示したと伝えている。
〈政府は、事故の収束に向けた工程表でステップ2に当たる、原子炉の冷温停止状態が達成されたあと、原発から半径20キロ圏内の警戒区域の解除の検討に入る方針でしたが、こうした長期にわたって帰宅が困難な区域については、当面解除せず、立ち入り禁止措置を続けることになりました。具体的に該当する区域としては、原発から極めて近く、放射線量が依然として極めて高い地域を検討しています。そして、菅総理大臣が、近く、そうした区域に該当する自治体に対し、住民の避難が長期化する見通しや、それに伴う住民への支援策などについて、直接説明する方向で調整を進めることになりました。〉――
とすると、8月9日前後以来の政府の動きということになるが、文科省の調査はその近辺でほぼ結論を得ていたことになる。
なぜ菅仮免は7月16日午後の原発周辺12市町村首長らとの会談で、「多くの人がふるさとに帰れるよう(冷温停止を達成するとした)ステップ2を前倒しで実現できるよう全力を挙げたい」などと発言せずに文科省のこの調査の結論を待たなかったのだろう。
ここで分かることは、「ステップ2」が「冷温停止」の達成と同時に土壌及び生活空間の放射性物質除染の達成を目標としているはずなのに、菅仮免は7月16日に「ステップ2」と帰宅の前倒しの実現を約束したとき、「ステップ2」に含まれる「冷温停止」は頭に入っていて達成できるとしていたが、除染に関しては頭に入っていなかったことになる。
このことと文科省の調査を待たなかったことを考え併せると、菅仮免と文科省との間に遺漏のない情報交換がなされていなかった疑いが出てくる。
もし調査に関してすべてに亘って逐一報告を受ける情報交換が実行できていたなら、放射線量調査も待たずに「ステップ2」の前倒しと帰宅の前倒しの実現を約束などしなかっただろうし、いや、できなかったろうし、実現が約束できないことが既定事実化して陳謝しなければならないといった事態も生じないはずだ。
だが、実際には半月前には実現の約束をし、それから半月経ってそれを反故とする陳謝を行わざるを得なくなった。
もしかしたら、なでしこジャパンに対する国民栄誉賞授与にエネルギーを取られていたということなのだろうか。
菅仮免はなでしこジャパンが決勝進出を決めると、7月16日午後の原発周辺12市町村首長らとの会談2日前の7月14日、次のように発言している。
菅仮免「是非優勝してもらいたいね、優勝をね」(asahi.com)
帰宅前倒しの実現の約束違反だけではなく、もし文科省との間で情報交換を満足に果たしていなかったとしたら、この二つだけで十分なまでに放射能避難住民に対してだけではなく、被災者全体に対する裏切り行為だと言える。 |