昨日(2011年8月11日)の参院予算委員会。菅仮免が世論調査に於ける内閣支持率の低さについて答弁している。質問者は自民党の小坂憲次議員。
小坂議員「国民が民主党政権の誕生に期待し、その期待が裏切られ、そして不信に変わり、失望に変わり、その失望が絶望に変わった2年半(2009年9月発足だから、2年の間違い)でありました。
先ず菅総理に最初に伺います。昨日『特例公債法と再生エネルギー法が成立したら、申し上げてきた私の言葉をきちんと実行に移す』。そしてまた、『総理という職を辞す』と発言されました。
しかし、これまで、例え1%になっても退陣をしない。あるいは民主党の同僚議員、先の前任者の総理大臣からも、ペテン師とまで、ペテンとまで言われるような、そういうことを言われた総理でありますので、もう一度確認をしてまいりたいと思いますが、総理を辞任するというお考えに変わりはありませんか」
菅仮免「まあ、私は政権を担当して以来、常に自分の内閣がやるべきことがやれているかどうかを判断基準にしておりました。
えー、そして当初は20年来先送りになってきた、社会保障の問題等、そして3月11日以降については、えー、この震災対応、えー、原発事故対応、まあ、そういうものに我が内閣はきちんと対応できているかと言うことを判断の基準にしてまいりました。
色々ご意見はありますけども、私は、我が内閣、それぞれの大臣、政務官を中心に、場合によっては与野党超えた議員のみなさんの協力を得て、えー、復旧は進み、復興にも、おー、進んでいます。
また、原発事故についても、9月、7月の19日に発表いたしましたように、予定をほぼ達成するステップ1の段階まで、えー、直ってまいりました。
そうした意味で私は内閣がやるべきことはやっているというのが私の認識であります。
しかし、イー、6月の2日の段階で御党を含む野党が不信任案を出されるに当って、まあ、我が党にもそれに同調する動きがかなり出てまいりまして、そいう中で、私の方から代議士会に於いて、えー、そういう形になったときは、内閣としての機能が果たせなくなるということを考えまして、私としては一定のメドがつく、ついた段階で、えー…、若い人に譲りたい。
ま、逆に言えば、一定のメドがつくまでは是非やらせて貰いたいということで、みなさんの、おー、合意を得て、不信任案は大差で否決をされたわけであります。
そして、えー、その後、おー、一定のメドについてお聞きになりましたので、えー、今、小坂議員がおっしゃったような、三つの、おー、点が、私にとってのメドだということを、私自身が申し上げてきましたので、この、おー、三つの、予算と、第二次補正予算と、二つの法案が成立したときには、私がこれまで申し上げていた、あー、とおりの、おー、お約束の、オ、行動を取る。
つまりはその段階で、えー、次ぎの、おー、民主党代表の選任という手続きに入り、新しい代表が選任された段階で、え、私自身、総理を辞する。
そのことを私自身昨日も申し上げましたし、え、この場でも申し上げておきたいと思います」
菅仮免は「政権を担当して以来、常に自分の内閣がやるべきことがやれているかどうかを判断基準にして」政権を運営してきた。その結果として、「内閣がやるべきとこはやっている」、いわば十分に結果責任を果たしていると認識するに至ったと自らの内閣を高く評価している。
だが、野党は菅「内閣がやるべきことはやってい」ないと看做して菅内閣不信任案を出した。与党民主党内にも同調する動きがあったと言うことは、菅「内閣がやるべきことはやってい」ないと看做す少なくない民主党議員が存在したということである。
この認識の違いはなぜ生じたのか追及すべきだったろう。
あるいは国民は菅「内閣がやるべきことはやってい」ないと世論調査で示している。支持母体である連合の会長も同じ考えに立ち、菅首相の退陣を求めている。経団連会長も同じ姿勢を示しているし、その他大勢が菅内閣を評価していない。
このように認識が百八十度のギャップを見せているが、どちらが正しい認識なのか追及すべきだったのではないだろうか。
小坂議員「また、あのー、6月2日の代議士会の発言からずうっと続いてまいりました。延々とご答弁いただきましたが、最後の部分はそれで8月中なのかどうかよく分からないところがあるので、ちょっと段々心配になってまいりました。
直近の世論調査の数字では菅総理が辞める時期について、すぐに退陣と8月末までにというのを合わせますと、読売が68%、日テレが69.9%、約7割ですね。
しつこいようですが、総理。このように8月末までに辞めて貰いたいと思ってるんですねえ。8月末までにお辞めになりますね」
菅仮免「ま、世論調査に関しては私は、まあ、一つの民意として尊重しなければならないとは思っています。シー、しかし、それだけで物事を判断するわけではなくて、先程申し上げましたように、私は内閣としてやるべきことがやれているかいないか、それが、やれていないとなれば私の責任ですから、あー、それは辞めなければならない。
しかし現実には常に第二次補正が成立をし、そして、えー、次ぎの復興の基本方針も、おー、決めて、そして第三次補正に向かっての作業も始まっております。ですから、私は内閣の動きが、おー、止まってしまっているというふうには全く思っておりませんですから、あー、世論調査について、それは色々な判断がありますけれども、一つの判断であって、それだけで私の進退を決めるということではありません。
その上で申し上げますと、私が言っていることは一つであります。6月2日以来、ずっと変わったことは申し上げておりません。つまりは、あー、三つの、一つの法案二つと、第二次補正予算というものが成立した、時点で、先程申し上げたように、えー、次ぎの代表の選任に入るということを申し上げているわけであります。、
そしてその法案、おー、二つが国会で審議されているわけですが、これができるだけ早くですね、私としては成立して、欲しいことは願っておりますが、それがどの時点で、どういう形になるのかというのは、私が決めることができない問題でありますので、それが、あー、成立した時点でということを申し上げているわけで、決して曖昧なことを申し上げているわけではありません」
小坂議員はこの答弁ni対する反論は何一つせずに孔子の故事を持ち出して、政治の信頼について一くさりし、民主党のマニフェスト政策に関する財源問題の追及を野田財務相等に振り向ける。
小坂議員「私は民主党政権の罪は一言で言えば、国民の政治に対する信頼をこれ以上ないというところまで貶めてしまった。孔子は論語の中でですね、政治の要諦を尋ねる弟子に対して、食糧・軍備・神の信頼の三つが重要だと答えた。
弟子にこの中で二つを捨てなければならないとしたら、どうしますか問われて、食糧と軍備を捨てても神の信頼なくして国家は成り立たない。信頼が最も大事だと答えたわけです。
いわゆる信なくば立たず。その重要な神の信頼を民主党は極限まで失わせ、国民を失望に貶めたんです」――
食糧と軍備を捨てて国民が食べることができなくなったり、あるいは他国から侵略された場合、神の信頼を維持していたとしても腹の足しにならないということになる。
菅仮免の“世論調査論”は強弁に過ぎないから、矛盾で成り立っている。
世論は期待に対する評価・判断と結果責任に対する評価・判断の二つの性格を持つ。
2007年の民主党参院選勝利前から2009年衆院選民主党の歴史的大勝にかけた世論の民主党支持は期待に対する評価・判断が色濃く反映した性格のものだったはずだ。
未だ政権を担当した経験がなかっただけにその政権担当能力は未知の領域にあったのだから、当然の成り行きであったろう。
そして多くの国民の大きな期待を受けて民主党政権が発足したが、鳩山政権と菅政権の2年間で国民の期待は萎み、現在の菅内閣に対する支持率はすべて20%を切るまでになっている。
この世論は菅仮免の菅内閣運営、あるいは菅政治遂行の結果責任に対する評価・判断であって、政治を行う側が「一つの民意として尊重」するものの、「それだけで物事を判断する」基準とはならない価値しか置いていなくても、政治の結果責任を評価・判断する側の国民の多くはその評価・判断を基準に各選挙に於いて1票を投じる政党を選択する基準とする。
その結果の民主党の2010年の参院選敗北であり、補欠選挙や各地方選挙の敗北であって、いずれも鳩山政権と菅内閣の低支持率の世論と正直に対応しあった趨勢であったのだかから、「一つの民意として尊重」するだけでは足りない、夢々侮ってはならない世論調査であるはずだ。
例えそれがマスコミに誘導されたものであっても、世の中の趨勢に従ったものであったとしても。
世論が選挙を左右するとなれば、各政党とも自分たちの政策が実現できるか否かも世論次第となる。民主党の政権交代を決したのも国民世論だったはずだ。
国民は期待から始まって、結果責任を厳しく問うという経緯を辿る。だが、民主党に対する期待が大きかった分、その期待の萎み方も大きく、多くの国民をして期待というものに信頼を置くことをできなくさせ、政治不信に走らせてしまった。その責任も菅は負わなければならない。
その責任意識が菅仮免に欠如しているのは、今までも言っているように合理的判断能力を著しく欠くために政治をする側からしか世論を見ないご都合主義の“世論調査論”となっているからだろう。
このような合理的判断能力の欠如は、世論調査は「一つの判断であって、それだけで私の進退を決めるということではありません」と内閣責任者の進退決定の主たる要因と看做さない狭い把え方にも現れている。
支持率の低い内閣を抱えた党が国政選挙が近づくと、「これでは選挙が戦えない。選挙の顔を変えるべきだ」と間際になって慌てふためくのは世論が決する選挙だからと認識しているからだろう。
何かのキッカケで内閣支持率が上がるかも知れないと期待して居座り続けることになるのだろうが、世論を見誤って進退の時期を間違えると、虎の子の政権まで失うことになる。
世論が殆んど決定的に選挙を左右する以上、内閣責任者の進退決定にも少なくとも間接的に常に関わり続けている関係にあるのであって、その間接的な関係性は決して無視できないはずだ。
勿論、ときには諸に直接的に関わってくる。
小坂議員は民主党のマニフェストが破綻したのだから、マニフェストを撤回して解散・総選挙をすべきではないかと要求した。
菅仮免「解散という言葉が出ました。私は3月11日から、この大震災を経験した多くのみなさんが今十分な復旧・復興が進んで、選挙をやっていいという状況だとは私は多くの方は思っておられない。
えー、そういった意味で、今多くの国民のみなさんが望んでおられるのは、できれば、これは私たちの努力も不足しましたけれども、与野党が力を合わせて復旧・復興に全力を上げて、国会として協力をして、えー、物事を進めていく。
そうした形を私は大多数の国民は望んでおられるわけでありまして、それを、おー、無視して、そういう国民の声を無視して、えー、何か、何が何でも解散というふうに主張されるのは私はまさに国民の意思から離れた、ご主張だと、このように思っております」
世論調査は「一つの民意」だが、「それだけで物事を判断する」基準となるわけではないと最初は言っておきながら、ここでは一転して、「今多くの国民のみなさんが望んでおられるのは」解散ではない、解散は「国民の声を無視」することだ、与野党協力して復旧・復興の当ることが「国民の意思」に添うことだと全面的に世論を尊重する姿勢を見せる。
このケースバイケースで世論を使い分ける、あるいは世論の価値に違いを設けるご都合主義は国民が望んでいた与野党協力を、「私たちの努力も不足しましたけれども」とは言っているが、政治が裏切ったかのようなニュアンスの発言となっているところにも現れている。
政治の主導者は内閣を運営・統率する菅仮免自身である。大多数の国民が与野党協力して復旧・復興に当たることを望んでいて、そのような世論に従うことを政治主導者として決めた場合、内閣を運営・統率する政治主導者として自らの指導力、リーダーシップを以ってして与野党協力を実現する責任と義務を負ったはずだ。
それが実現できていないということなら、菅仮免自身が望んで自身の指導力不足、リーダーシップ不足が裏切った与野党協力であるということであって、そのことを言わずに隠し、尚且つ自身の役割を棚に上げて与野党協力を国民の声だとしてのみ求めるめるのは狡猾なまでのご都合主義に過ぎる。
今解散・総選挙を行った場合、内閣支持率と政党支持率からとても勝ち目はない、虎の子の政権まで失う確率が高いことからの利害損得が言わせている解散否定であって、否定の口実に関しては国民の声、世論を受け入れるケースバイケースもご都合主義からの世論の利用といったところだろう。
現在の世論は決して菅「内閣がやるべきことはやっている」とは認識していない。その認識が現れた現在の菅内閣低支持率なのである。
いくら菅仮免が得意としていることであっても、既にウソ誤魔化しは通用しなくなっている。
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