4月7日(2012年)午後5時半からのTBS「報道特集」が消費税増税に理解を求める政府の対話集会への野田首相の初めての出席を取り上げていた。場所は兵庫県西宮市。時間は4月7日午後。
初めての出席であろうと、100回目の出席であろうと、言っていることは普段の発言とたいして変わらない。
冒頭の挨拶なのだろう。
野田首相「公平感を維持するにはどうしたらいいか。基幹税で言うと、やっぱり消費税ではないのか・・・・」
質疑――
見た目20代後半の若者「本当に増税することで、日本に希望は芽生えるのでしょうかと思って――」
野田首相「将来の不安をなくすということがあれば、消費を喚起して経済を活性化するという、議論もあります。
そこは、あの、大いにこれから議論していかなければいけないテーマかと思います」
聞いていて、あれっと思った。
「議論もあります」と言い、「大いにこれから議論していかなければいけないテーマ」だと言っている。
“~という議論がある”という言い方はその議論に対して第三者的立場、あるいは部外者の立場に立っていることを示す物言いであって、自身の意見や主張が主導している議論ではないという意味であろう。
もしも自身の意見や主張が主導している議論であるなら、「消費を喚起して経済を活性化するという、議論を我々は行なっています」と言ったはずだ。
自身の意見や主張が主導している議論ではなく、第三者主導の議論ではあるが、消費税増税の経済的効果の一つとして、「大いにこれから議論していかなければいけないテーマ」ではないかとした。
いわば現在のところ、消費喚起と経済活性化の効用を認める野田首相自身の意見や主張とはなっていないことを示している。
以上の発言からは消費税増税効果としての経済活性化に対する積極的な確約を感じることはできない。どことなく他人事の扱いとしている印象さえ受ける。
大体が消費税増税率と増税時期を決めておいてから、「大いにこれから議論していかなければいけないテーマ」だと言うのは無責任に過ぎる。
消費喚起とその先の経済性化を確約してから、消費税増税を言うのが責任ある態度であろう。
しかしこの「将来の不安をなくすということがあれば、消費を喚起して経済を活性化するという、議論もあります」は従来の発言と明らかに後退している。
3月16日(2012年)午前の参院予算委員会集中審議では次のように発言している。
野田首相「消費税の経済への影響でありますが、勿論、影響がないようにするためのポリシィミックスというか、いろいろな政策は講じなければいけません。
そのことは与野党協議の中でじっくりと議論させていただきたいというふうに思いますが、一方で、あの、先程我が党の議員との遣り取りにもありましたけれども、将来に対する不安をなくしていくことによって消費や経済を活性化という要素もあるんで、その辺は経済への影響は総合的に勘案しなければいけないというふうに思います」
ここでの「要素もある」は自らの主張に立った効果的な側面性への指摘であるはずである。
「消費税増税の経済への影響は消費や経済を活性化という効果的な側面性を有しています」の、自らの主張に基づいた確約であろう。
自身の主張としたその確約が、「消費を喚起して経済を活性化するという、議論もあります」と、自身の主張から外して、第三者の「議論」へと格下げる後退を見せた。
消費喚起と経済活性化の確約に自信を喪失したのだろうか。
だとしても、これまで確約してきたことの後退の無責任にしても問わなければならない。
8月29日(2011年)民主党両院議員総会民主党代表選での演説。
野田候補「私は大好きな言葉。相田みつをさんの言葉に、『どじょうが金魚のまねをしても、しょうがねえじゃん』という言葉があります。ルックスはこのとおりです。私が仮に総理になっても、支持率はすぐ上がらないと思います。だから、解散はしません。(笑いが起こる)
どじょうはどじょうの持ち味があります。金魚の真似をしてもいけません。赤いベベをした金魚にはなれません。(一段と声を挙げて)どじょうですが、泥臭く国民のために汗をかいて働いて、政治を前進させる。円高、デフレ、財政改革、様々な課題があります。重たい困難です。重たい困難でありますが。私はそれを背負(しょ)って立ち、この国の政治を全身全霊で傾けて、前進させる覚悟であります。
どじょうかもしれません、(声を振り絞る具合に)どじょうの政治をトコトンやり抜いていきたいと思います。みなさんのお力の結集を、私、野田佳彦に賜りますように、政治生命を賭けて、命をかけて、みな様にお願いを申し上げます。有難うございました」(一礼)
“愚直及び誠実”宣言である。無責任とは相反する価値観である。だが、現実の政治では無責任を演じている。
野田首相就任演説。2011年9月2日。
野田首相「(内閣の)キャッチフレーズ、スローガン、これは私あえて言いません。自分も選挙やってると自分の勝手なスローガンやるんです。浸透するとは思いません。歴代の内閣もいろんな事をキャッチフレーズ作りました。そのままそうだったかというと、決してそうじゃないですよね。あえてそういうことは言いません。ましてドジョウだナマズだという話はしません。これは我々が黙々と仕事をした中で、泥くさく仕事をした中で、政治を前進させた中で、国民の皆さんがどういう評価をするか、そこから出てくる言葉が本物だと思いますので、これはむしろ国民の皆様にいずれ名付けていただくような内閣という位置付けにしたいと思います」――
「我々が黙々と仕事をした中で、泥くさく仕事をした中で、政治を前進させた中で、国民の皆さんがどういう評価をするか、そこから出てくる言葉が本物だと思います」
この発言も“愚直及び誠実”宣言となっている。あらゆる無責任を拒絶して、“愚直及び誠実”を成り立ち可能とすることができる。
どうも有言不実行の無責任を演じているようだ。
当然、具体的な全体像を描き切れていないことを指摘するまでもなく、信用できない「社会保障と税の一体改革」ということになる。
2012年3月24日――《野田首相の人口減少社会を基盤とした国のカタチの是非 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》