4月9日(2012年)夜の4回目の関係閣僚会議は関西電力大飯原発3号機・4号機再稼働の安全性確認の審査を行い、政府の新たな安全基準におおむね適合していると安全性を確認した。
枝野詭弁家「原子力安全・保安院が求めている内容に沿っており、安全対策を時期も併せて具体的に明らかにし、事業者みずから取り組む姿勢が明確になっていると確認した。大飯原発の3号機と4号機については、安全基準に照らしておおむね適合していると判断した。
ただし、重要なことなので見落としがないかどうか、さらに議論を行う」(NHK NEWS WEB)
念には念を入れてということだが、何に念を入れるのかというと――
枝野詭弁家「関西電力では、原発の運転再開がなければ、20%程度の電力不足となる見通しとなっている。さらに発電能力の積み上げができないか、その結果を待って原発の運転再開の必要性を判断したい」
以上の枝野発言は前にブログで一度引用した《安全基準におおむね適合と判断》(NHK NEWS WEB/2012年4月9日 22時38分)から。
原子炉の安全性は概ね確認できた。だが、電力の需給状況を再度調査をして、再稼働にゴーサインを出すかどうか判断したいと言っている。
いわば安全性よりも電力需給を再稼働条件の上に置いている。原発を稼働しなくても、電力が不足しなければ、稼働を認めないとする意思表示となっている。
この態度はごく当然の判断に見えるが、実際はそうではない。
野田内閣関係閣僚会議が大飯原発3・4号機を再稼働した場合の安全性は政府の新たな安全基準におおむね適合していると評価を下したことに福島原発事故の検証が終了していない等の理由を挙げて拙速だ、再稼働ありきの決定だといった批判が起きた。
4月13日(2012年)、枝野詭弁家は衆議院経済産業委員会で、〈中長期的に原子力発電への依存度を減らすことは政府の明確な方針であるとして、原発に依存しない社会の構築を目指したいという考えを改めて示し〉たという。
《経産相 “原発依存の脱却を”》”(NHK NEWS WEB/2012年4月13日 15時2分)
枝野詭弁家の以上の言動を見ると、一見、電力不足回避を条件に原発再稼働反対に軸足を置いているように見える。
枝野詭弁家「原発依存からの脱却を最大限進めていくことは政府としての明確な方針だ。私自身も、できるだけ早く原発依存から脱却して原発への依存をゼロにしたい」
この発言はあくまでも中長期的な方針であって、大飯原発再稼働とは別扱いのスケジュールであろう。
記事は、〈原発事故を受けて新たなエネルギー基本計画の策定を目指している経済産業省の総合資源エネルギー調査会は、2030年の時点で全電力に占める原発の比率を0%から35%までとする5つの選択肢を示してい〉と解説している。
大飯原発再稼働については次のように発言している。
枝野詭弁家「私が独りで精査しているときも、この閣僚会議でも、一生懸命、再稼働しない理由を見つける努力をしている」
記事はこの発言を大飯原発再稼働に関して、〈運転再開という結論ありきで議論しているわけではないという考えを強調〉したものだとしている。
いわば批判に対する自己正当化の趣旨を持たせている。
「見つける努力をしている」という「再稼働しない理由」とは大飯原発を稼働せず、停止したままでも電力不足を回避できる方策ということでなければならない。
とすると、節電等の方法も加えて、電力需給で供給が上回る場合は再稼働を認めないということなら、原発自体の安全性よりも最初に需給状況の精査・検証を持ってこなければならなかったはずだ。
なぜなら、電力供給過剰の状態を数年維持できるなら、その間に自然エネルギーを増やしていけば、原発自体が不必要となり、廃炉まで停止状態にしておけば、何も安全性確保に一定程度以上のカネを掛ける必要はなくなるからだ。
だが、安全性向上と確保に一定のカネをかけさせ、その結果として政府の新たな安全基準におおむね適合していると安全性にお墨付きを与えてから、「さらに発電能力の積み上げができないか」とか、「一生懸命、再稼働しない理由を見つける努力をしている」などと言っている。
これでは明らかに順序が逆である。
要するに大飯原発の安全対策が全て完了しているわけではなく、何項目かが取組み過程にあるにも関わらず、安全性を先取りする形で安全基準におおむね合格としたために先に持って来るべき電力需給を後付けで再稼働条件に付け加えて、おおむね合格に正当性を纏わせるゴマカシを働かざるを得なかったということであろう。
でなければ、順序が逆になることはない。
大体が福島原発事故を教訓とするなら、電力供給過剰は原発停止の条件とはなり得ても、電力供給不足は原発稼働の条件足り得ないはずだ。原発再稼働は安全性を唯一絶対の条件としなければならない。
例え原発停止が節電で間に合わず、大袈裟な譬えを用いると、国民をしてロウソクの生活を強いる電力不足が生じたとしても、またこのことによって日本の経済が縮小したとしても、国民の生命や健康に著しく関わってくる安全性に優る条件はないはずだが、野田政権、枝野詭弁家はこの条件づけを破って、再稼働の条件に電力の供給不足を加えた。
これをゴマカシと言わずに、何と言ったらいいのだろうか。再稼働容認は拙速だ、再稼働ありきだという批判をかわして、再稼働を正当化するために後付けで持ち出した発電能力云々であり、「一生懸命、再稼働しない理由を見つける努力をしている」の体裁づけのゴマカシであろう。
13日に「一生懸命、再稼働しない理由を見つける努力をしている」と言っていながら、同じ日の夜に開いた6回目の関係閣僚会議で大飯原発再稼働にゴーサインを出している。
地元がどう反応するか予測はつかないが、少なくとも政府の態度は“再稼働ありき”の態度だったと断言できる。
日本政府は北朝鮮のミサイル発射の迅速・的確な情報伝達に遅滞と混乱を生じせしめた。政府のこの危機管理の不手際・失態を追及すべく、岸田自民党国会対策委員長が城島民主党国会対策委員長と会談、衆議院予算委員会での集中審議を行うよう求めた。
《自民 北朝鮮発射で集中審議を》(NHK NEWS WEB/2012年4月13日 19時35分)
岸田国対委員長「北朝鮮による今回の発射を受けた政府の対応には不透明な部分が多い。中でも、政府の発表の遅れは理解できない点があり、国民の前で事実関係を明らかにすべきだ」
城島国対委員長「前回、平成21年に北朝鮮がミサイルを発射したときは、日本の上空を飛んだにもかかわらず、予算委員会の集中審議は行っていない。今回は、日本の領土・領海への影響はなく、集中審議の必要はない」
平成21年の北朝鮮ミサイル発射の際の麻生内閣の誤発表については、驚いたことにそれを伝える3年前の「YOMIURI ONLINE」記事――《「発射誤発表」、確認怠り次々伝言》(2009年4月5日00時40分)がインターネット上に残っている。
北朝鮮がミサイルを発射する2009年4月5日11時30分前に政府が発表した「北朝鮮から飛翔体が発射された模様」との情報は防衛省の警戒管制レーダーがミサイルとは別の航跡を探知し、その情報を確認しないまま流してしまったことが原因の誤情報だったと記事は書いている。
果して城島国対委員長が言うように政府の情報検証は「予算委員会の集中審議は行っていない」前例を基準にしていいものだろうか。前例を基準にするということは朝鮮半島情勢をも前例時と同じに見なければならない。
果たして朝鮮半島情勢は3年前と変わらないと解釈して、許されるのだろうか。
特に独裁国家に於いては権力移行期に権力闘争が起きない可能性は否定できないはずだ。権力闘争の末に国家体制が不安定化した場合、国民の目を外に向けさせるために自ら何らかの有事をつくり出さない保証はない。
また金正恩体制の今回のミサイル発射は権力継承正統性の意義づけと権力掌握証明の意味づけを持たせた自己偉大化の象徴的出来事としていたはずで、だからこそ、前以て予想しなければならない2月の米朝合意に基づく対北朝鮮食糧支援の停止というリスクまで犯すことができた。
だが、このことはあくまでも発射成功を前提とした目論見であって、発射失敗が食糧支援喪失の失態という批判を権力内部に招かない保証もないし、このことと共に権力継承正統性と権力掌握証明に対して逆のベクトルとして働かない保証もない。
明らかに朝鮮半島情勢は3年前と同じではなく、悪化方向へ流動化しかねない事態を予測し、その備えを危機管理としなければならないはずだ。
さらに言うと、今回のミサイル発射に対する迅速・的確な情報把握と情報伝達は万が一の有事に機能させるための訓練という側面も有していた。
いわば万が一の有事に際して情報把握と情報伝達が迅速・的確に機能するかどうかを唯一の基準としなければならないし、そうであるなら、当然、万が一の有事に機能させるためにも今回の不手際・失態の検証は必要不可欠であって、決して前例を基準としていいはずはない。
それを前回は「予算委員会の集中審議は行っていない」からと前例を基準とするのは危機感もない、薄汚いゴマカシ以外の何ものでもあるまい。
藤村官房長官の情報伝達の遅れに対する釈明も薄汚いゴマカシ以外の何ものでもなく、薄汚いゴマカシで政治を動かしている証明となる。
《官房長官“発表内容を検証”》(NHK NEWS WEB/2012年4月13日 18時22分)
北朝鮮の4月13日午前7時39分ミサイル発射に対して日本政府は午前7時40分頃アメリカ側から「飛翔体が発射された」という情報を入手。
これに対して政府は「発射したとの一部報道があるが、わが国としては発射を確認していません」と発表。
13日午後の記者会見。
藤村官房長官「海外で発射が報道され、混乱があってはいけないということで、危機管理室で判断して出した。短い内容だが不親切な部分があるかもしれない。
(J-ALERT=全国瞬時警報システムを使用しなかったことについて)J-ALERTは、万が一、何らかの物体が落下する可能性がある場合に情報を出すと、自治体には通知されている。何かが発射されただけで警告することはお騒がせすることだ」
これも薄汚いゴマカシそのものである。
落下は発射の次の段階に可能性として存在する。いわば発射があって、可能性として落下がある。当たり前のことだが、発射がなければ、落下は存在しない。
だが、次の段階がどの時点か、どの距離でか、その予測は困難であろうし、予測不可能のケースも生じるはずだ。
当然、落下に対する備えは発射以後の全段階に向けた警戒措置となる。この基準に従ってイージス艦や地上配備型の迎撃ミサイル「PAC3」の配備にしても行われたはずだ。
と言うことなら、発射の事実を知った上で発射以後の全段階に向けた警戒措置こそがより有効・より的確に作用するはずである。
それを「何かが発射されただけで警告することはお騒がせすることだ」と言っているが、その「何かが」が「何」であるかの情報をいち早く把握して、危険性ある発射であるなら、迅速・的確に情報伝達し、と同時にその備えをするのが国の務めであろう。
どのような場合でも、発射物を「何か」で済ますことはできないということである。
しかも北朝鮮は人工衛星打ち上げと称したロケット発射を予告していたのである。
藤村官房長官が言っていることは情報伝達の遅れとその責任回避のゴマカシ以外の何ものでもあるまい。
薄汚いゴマカシがこうまでも渦巻き、このような薄汚いゴマカシで政治を動かしている。
責任回避意識ばかりが見えて、安全保障に関わる危機感をどこにも感じることができない。