前田国交相の前以ての是非判断力は必要不可欠な資質であり、その欠如自体が責任追及と辞任に相当する

2012-04-26 11:52:55 | Weblog

 ――北朝鮮ミサイル発射時の政府の情報伝達混乱、京都集団登校自動車事故亀岡署被害者情報漏洩も、自らの資質とすべき前以ての的確な判断力を欠いていたからこその失態であろう――

 前田国交相が岐阜県下呂市長選に立候補した元民主党議員候補への事実上の支援要請文書を告示前であるにも関わらず国交省の公用封筒を用いて自身の署名入りで地元建設関係団体に送付していた問題は職の辞任に相当する不始末であるはずだ。

 野党から告示前の事前運動や大臣等公務員の地位利用の選挙運動禁止を規定している公職選挙法に抵触する疑いのあるとして問責決議案の提出を受けて可決されたが、本人は国交相としての責任を全うするとして辞任を拒否し、野田首相も、藤村官房長官も、岡田副総理も続投を擁護している。

 果たして辞任しなければならない責任はないと言えるのだろうか。藤村官房長官が第三者機関にではなく、当事者たる前田国交相自身に事実関係の調査を指示、その調査報告を4月17日の衆議院国土交通委員会で行なって、自ら釈明を試みている。

 《国交相 “選挙文書”で改めて陳謝》NHK NEWS WEB/2012年4月17日 10時52分)

 前田国交相「文書は民主党の同僚の議員から署名を依頼されたもので、多忙ななかで文書の宛名や内容に目を通す暇もなく、政務秘書官に促されるままに署名した。

 いろいろな事情はあるにせよ、確認をしないまま署名したことについては、誠に軽率であり反省している」

 この発言には明らかにウソがある。

 先ずこういった依頼を受けた場合の極々常識的な手続きを言おう。先ず依頼者は依頼の趣旨を述べる。依頼の趣旨を述べずに署名だけ依頼することは常識としてあり得ない。

 いわば依頼の趣旨を前以て口頭、もしくはメールや電話等で伝え、その上で署名の依頼という次の手続きを求めたはずだ。

 当然、署名する文書に目を通さなくても、あるいは「目を通す暇」がなかったとしても、文書の内容を承知していて署名していたことになる。

 だが、前田は「文書は民主党の同僚の議員から署名を依頼されたもので」と、口頭等の依頼の趣旨の前以ての伝達もなしにいきなり署名だけを依頼されたかのような常識ではあり得ないことを言っている。

 署名だけを依頼された、署名だけを求められたとウソをつくことによって、あるいは署名だけが求めれることはないという世間的常識を排除することによって、次の「多忙ななかで文書の宛名や内容に目を通す暇もなく、政務秘書官に促されるままに署名した」――いわば内容を知らないままに署名したとする釈明を逆説的に正当化し得る。

 勿論、世間には口頭等で伝えた依頼の趣旨と文書の内容が違っていたということもよくある事実だが、そのためにも署名の際、目を通すなりの内容確認を行うのが極々常識行為としての次の手続きであろう。

 以上のことに反して、前以ての趣旨説明も何もないままに、あるいは趣旨説明を受けないままに依頼されたから署名した、その際多忙だったから文書に目を通しもしなかったが事実だとしたら、その事実は京都大学工学部を卒業し、同大学大学院修了、その後現国交省の前身である建設省に入省、元建設官僚であり、現国交相である等々の極めて優れた経歴上、特に必要不可欠な資質としていなければならなかった前以て是非を問う的確な判断力を、その必要不可欠性を裏切って働かすことができなかった愚かさの証明としかならない。

 つまり、「いろいろな事情はあるにせよ、確認をしないまま署名したこと」自体が経歴上からも立場上からも、あるいは立場上の責任から言っても許されないことで、許されない以上、必要不可欠な資質としていなければならない前以ての是非判断力の欠如自体が責任追及の対象となり得るし、問責決議可決は前以ての是非判断力の欠如にこそ向けられた責任追及と見做すべきで、そうとするなら、大臣としての適格性に関わるその欠如は辞任を責任の形としなければ埋めることはできないはずだ。

 前以ての是非判断力欠如の責任を問う問責可決を受けながら、辞任せずに続投することは前以ての是非判断力欠如を自ら問わない責任回避に当たり、許されるはずはない。

 もし責任追及の対象とし得ないし、辞任を責任の形とすることもできないとするなら、国交相という責任ある立場の者をして極々常識的に必要不可欠な資質としてなければならない前以て是非を働かすべき的確な判断力は欠いていてもいいという倒錯的状況を放置することになり、人事は最強も最善もどうでもいいということになる。

 だが、民主党内には身贔屓からだろうが、結果として必要不可欠としなければならない資質の欠如に目をつむる者がいる。

 鹿野農水相(4月17日、国会内で開いた自身のグループ会合)「前田氏は丁寧に説明をしている。(16日の)記者会見で言われた前田氏の(続投の)思いを私どもは大事にしていきたい」(MSN産経
 
 前田国交相は鹿野グループに所属している。必要不可欠な資質と見做さなければならない前以て是非を働かすべき的確な判断力の欠如に目をつぶるということは欠如によって生じることになる職務上の欠格性にも目をつぶるということである。

 もし前田国交相が前以て是非を働かすべき的確な判断力を欠いたたまでありながら、辞任せずに職務を果たすことができるとしたら、その逆説の疑義解消は官僚主導以外に答えを見い出すことはできない。

 例え必要非不可欠とする資質を欠いていたとしても、国交省の言いなりになっていることによって大臣としての勤めを果たすことができるというわけである。

 であるなら、ほかの誰でもいいことになり、是が非でも前以て是非を働かすべき的確な判断力の欠如自体を大臣にふさわしくないこととして責任追及の対象とすべきだろう。

 岡田副総理「真摯(しんし)に受け止めるが、問責決議を受けたから辞めなければいけないということはどこのルールにもない」(時事ドットコム

 確かに岡田の言うとおりだが、問責決議可決に至る自らが招いた前田の非常識――前以ての是非判断力の欠如は問題外とする岡田自身の非常識を鉄面皮にも曝け出して平然としている。

 藤村官房長官「前田大臣がみずから認め、大変反省しているが、内容や宛名など確認しないまま文書に署名したことは、極めて軽率だ。

 基本的に、前田大臣がきちっと公表し、説明責任を果たすことが、現時点では何よりだ。軽率さだけで、何か辞任と言われるのは、ちょっと本人には酷ではないかと思う」

 国交相という責任ある立場にありながら、同僚の議員から署名を依頼されたから、忙しくもあったから宛名や内容に目を通さないままに署名したという非常識の責任を追及しないままに本人の「誠に軽率であり反省している」という釈明一つで、あるいは藤村官房長官の前以て是非を働かすべき的確な判断力の欠如自体を無視した、「軽率さだけで、何か辞任と言われるのは、ちょっと本人には酷ではないかと思う」の庇い立て一つで大臣としての資質を問わずに済ますことはできない。

 野田首相が「最善かつ最強の布陣」として行った人事の一角を占めているである。果たして一角を占める資格があるだろうか。

 辞任に値する、大臣として必要不可欠な資質としていなければならない前以ての是非判断力の欠如であるはずだ。

 東日本大震災や福島第1原発事故の対応遅れにしても、北朝鮮ミサイル発射時の政府の情報伝達混乱にしても、関係者に於いて必要不可欠な資質としていなければならない前以ての是非判断力の欠如が招いた失態であろう。

 後になって検証だ、謝罪だ、あるいはこうすべきだったと反省を示すが、何よりも事が起きた際に自らの対応の是非を前以て判断する力を問題とすべきだろう。

 でないと、個々に於ける立場上の責任ある行動にしても、内閣全体としての危機管理にしても初期的対応能力はいつまで経っても身につかないことになる。

 4月23日の京都府亀岡市で登校中の小学生の列に軽自動車が突っ込み、10人が死傷した事故で加害者18歳少年の父親の求めに応じるままに亀岡署が死亡した2人と怪我をした8人の名前や住所、携帯電話の番号や親族の連絡先等の個人情報を被害者の確認を得ないままに漏洩した出来事にしても、警察として、あるいは警察官として必要不可欠な資質としていなければならない前以ての是非判断力を欠いていたことによる失態であろう。

 《亀岡署 被害者の連絡先を伝える》NHK NEWS WEB/2012年4月26日 4時7分)

 大棚亀岡署署長「ご遺族の感情を逆なでし、配慮が足りない行動だとつくづく思い、全面的に私たちのミスで本当に心からおわびいたします。

 少年の父から『謝罪したい、被害者の連絡先を教えてほしい』という強い求めがあり、署員が応じてしまったようだ」

 詳しいことは調査中で明らかにできないと答えたそうだが、果たして署員が署長に断ることなく単独で応じたことなのか、署長が署員の報告を受けた上でオーケーを出した情報漏洩なのか、現在のところ不明だし、今後共明らかになる絶対的保証はないが、前者だとすると、署員が警察官として必要不可欠な資質としていなければならない前以ての是非判断力を欠いていたことになり、後者なら、署長が警察署の最上司として必要不可欠な資質としていなければならない前以ての是非判断力を欠いていたことによる大失態に相当する。

 あとで反省を示されたり謝罪されたとしても、特に遺族は一度不愉快な気持にされた感情のしこりはなかなか癒されることはないだろうし、こういったことからしても、事が起きた際には立場立場に応じた自らの対応の是非を前以て判断する能力が何よりも必要なことが証明できる。

 それを欠いた人間が無視できない数で存在するということである。

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