安倍晋三は交戦・戦闘の最前線に立つ自衛隊員にこそ集団的自衛権憲法解釈行使容認か憲法改正要認か問うべし

2014-05-19 04:40:55 | Weblog



 一昨日5月17日放送の「ウェークアップぷらす!」が自民党幹事長石破茂出席のもと、集団的自衛権の問題を取り上げていた。石破茂は言わずと知れた安倍晋三の憲法解釈行使容認の先導部隊長である。

 自民党幹事長石破茂が、安倍晋三が5月15日の記者会見で言っていたことを何の保証もないのに受け合っていた。

 石破茂「集団的自衛権を行使することが如何に戦争を起こさないためのものかということをきちんと(国民に)ご説明するしかありません」――

 安倍晋三は記者会見で集団的自衛権行使が容認されたら、海外の邦人がテロ集団に襲われたとしても、すべて解決できるといった“集団的自衛権安全神話”とも言うべき雰囲気を振り撒いていたが、同じく行使容認によって、「我が国が戦争に巻き込まれることがなくなる」とする発言は一発でどのような病気も収まる、“集団的自衛権万能薬”といったところだ。

 しかし安倍晋三のこの言葉は集団的自衛権を認められていなかっときは日本が戦争に巻き込まれていたみたいに聞こえるから、詭弁臭たっぷりに聞こ える。

 モルヒネのようなガンの激しい痛みを抑える薬は存在するが、ガンそのものを抑えるわけではなく、どのような病気も一発で収めることができる万能薬など存在しない。つまり集団的自衛権行使と言えども、万能薬ではないということであり、であるなら、国民にそうであることを正直に説明すべきだが、逆の万能薬であるかのように言い触らす情報操作を行っている。

 万能薬ではない以上、5月16日のブログに書いたように自衛隊の交戦機会・戦闘機会が増えれば、逆に予測しない突発事態――部分的戦争や全面戦争に発展しかねない危険区域の機会も増えることになる。

 やはり結果はどうなるにしても、一内閣の憲法解釈ではなく、国民自身が決めることになる憲法改正の投票によって容認か否かを決定して、国民自らの責任行為とすべきだろう。

 「ウェークアップぷらす!」ではビデオ出演だったが、別の意味で自衛隊にとって国民の責任に於いて決めて貰わなければならないとする意見が出た。

 柳澤元内閣官房副長官(防衛省出身)「実際に動くのは現場の自衛隊ですから、その、国民的なコンセンサスがどういう形であるのかということが一番はっきりするのは憲法改正をすることですよね。

 きちんと、その憲法上の手続を踏んで、国民的なコンセンサスを得て貰わないと、自衛隊だってね、あの、十分な思い切った活動はできませんよね。

 ま、そういう意味でも、今の進め方には非常に不満、不安と言うよりは、不満を感じていますね」――

 一内閣の決定ではなく、憲法改正を通した国民の決定(=国民の声)を背景としなければ、自衛隊は国家安全保障上の行動を満足に取ることができないのではないのかとの主張である。

 この主張は同時に行使容認決定主体に対する自衛隊の信頼性の問題に帰着する。一内閣の決定では信頼性を置くことはできないが、国民の憲法改正を通した行使容認は信頼が置けるということの言い替えである。

 信頼性に対するこの恐れが事実だとすると、首相の自衛隊に対して内閣を代表して有している最高指揮監督権の行使は、一内閣の憲法解釈容認の場合は国民投票による憲法改正の場合と比較して、有事の際、微妙に阻害要件となることを意味することになる。

 いくら自衛隊に対して最高指揮監督権を有する内閣総理大臣であっても、後方にあって命令を出すだけの存在であり、生命の危険を直接的に曝すことを代償として平和を最前線で担う実働部隊が自衛隊である以上、どちらに信頼を置いて最前線で平和を担うことができるか、一内閣による憲法解釈行使容認か、憲法改正による行使容認か決める前にまず自衛隊員全員に投票させる形でいずれかを問うべきではないだろうか。

 自衛隊員が心置きなく動きやすい精神的環境を先ずは用意すべきだろう。

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