まさに安倍晋三の人間性の醜悪な部分を露骨に曝け出した遣り取りの一場面であった。
民主党代表岡田克也は2月29日の質疑で夫婦別姓と民主党の子育て手当についての安倍晋三の過去の発言を取り上げて、問題があることを追及した。夫婦別姓に関する発言に関しては3月2日のブログに書いたが、今回は後者の発言に関連した岡田克也と安倍晋三の、そして翌日3月1日になって同じ民主党の緒方林太郎が同じ問題で行った質問と安倍晋三の答弁を取り上げてみることにする。
岡田克也がパネルにし、民主党のサイトに載せてある、当方で少し加工した画像を前回に続いて利用することにした。
岡田克也「子ども手当についてとんでもないことを言っておられますね。『子ども手当によって民主党が目指しているのは財政を破綻させることだけではなく、子育ても家族から奪い去り、家や社会が行う子育ての国家化・社会化です。これは実際にポルポトやスターリンが行おうとしたことです』
これ、総理の発言ですよ。今総理は子ども・子育てに十分力を入れておられるような、具体的政策にも展開しておられますが、根底にあるのは共産型ですか。国家化・社会化であると、子育ては。
言うことになると、これは非常に歪んだ形の子ども・子育て政策になってきませんか。考え方、撤回されませんか。如何ですか」
安倍晋三「これはもう民主党政権時代にですね、行われた、いわゆる子育て支援ですね、私共の支援と違うということを申し上げたわけであります。私は全てを社会化、あるいは国家が担う、そういうことは間違っているということを申し上げたわけであります。
やはり大切なことはですね、各家庭が子どもをですね、育み育てていく。それを社会や地域が支援していく。国家も勿論支援していく。そういう姿が新しい姿であろうと、こう申し上げているわけであります。この考え方は今も変わっていないということであります」
岡田克也「総理、それは基本的に違いますよ。我々が言ってきたのは子ども・子育ては勿論家族の問題でもある。しかしそれだけで十分ではない。社会全体で支援していくんだと、それが民主党の考え方ですよ。
今総理が言ったことと非常に似てるんだけど、当時私ね、担当大臣として自民党議員の質問をよく受けましたが、今総理が言われたような話ではなくて、やっぱり社会全体で支援することが間違ってるんだ、そういう議論を展開する方がよくいらっしゃいましたが、この(パネルの)総理の発言もその一環ではないかと言うふうにも思えるわけですね。やっぱ考え方をちゃんと改めるべきだと、この発言二つ、撤回されませんか」
安倍晋三「今まさに子育てについては家族が子育て、家族が愛情を注いでですね、子育てを行う。しかしその中に於いて地域や社会や国家がしっかりと支えていく。それが新しい子育て支援だと私は今でも考えているわけでございます。
つまりあのとき民主党の中でですね、こういう発言をされた方々もおられたんだと思います。つまり子育て支援、子ども手当というのは両親や家族から養育費が払われることではなく、まさに国家が直接子どもたちにですね、養育費を移していくということによってですね、自分たちは両親に対して何の義務も義理も感じる必要はないんだということをですね、そういう議論があったわけであります。
そういうことではなくてですね、(議場内が騒がしくなる)すみません、皆さん静かにしてください。大切なところですから、そういう全てを子どもではなく、国家が育てると言う考え方は間違っているということを申し上げたわけであります。その考え方は今も間違はないと思っています」
岡田克也「総理、今の発言は私は聞いたことがありません。ですから、そこでどういう発言があったか明確にしてください。民主党がですよ、民主党がそういう発言をしたのかどうか。
もしそういう事実がなければ、撤回して謝罪してください。終わります」
岡田克也がパネルで示し、口に出して言った「子育ての国家化・社会化」だとか「実際にポルポトやスターリンが行おうとしたことです」等の言葉を安倍晋三は「私共の支援と違うということを申し上げた」ものだという表現で自身の発言であることを認めた。
だとしたら、「子育ての国家化・社会化」だとしたのは民主党の子育て・子ども手当政策についてであって、当然、自民党の同じ政策はその逆、自由主義に基づいた政策としていることになる。
にも関わらず、安倍晋三の子育て政策の根底にあるのは共産型か、国家化・社会化なのか、歪んだ形となると見当違いな質問をしている。
なぜ民主党の子育て政策は「子育ての国家化・社会化」となるのかと単刀直入に問い詰めなかったのだろうか。なぜ「ポルポトやスターリン」の国家主義的政策と判断されなければならないのかと。
なぜと問い詰めていたなら、民主党の子育て施策が「子育ての国家化・社会化」だと看做しているはあくまでも自身が発言した安倍晋三の解釈なのだから、安倍晋三がその問い詰めに答えずに「国家が養育費を子どもたちに移していくために子どもたちは両親に対して何の義務も義理の感じる必要はないといったことを民主党の中で発言をしていた」との趣旨のことを言ったとしても、安倍晋三の解釈とは関係ない後付けの強弁と看做して無視すればいいものを、岡田克也は誰が言ったのか明確にして貰いたいだ、それが事実でなければ発言を撤回し謝罪して欲しいなどと逆に囚われてしまったから、次の日の緒方林太郎も“なぜ”を問わずに発言の撤回・謝罪に拘ることになった。
岡田克也は最初から質問の趣旨を間違えていた。安倍晋三の発言の撤回・謝罪は質問の“なぜ”に合理的に答弁できなかった場合にのみの要求でなければならない。それ抜きで見当違いの質問をしたから、緒方林太郎が翌日の質問で安倍晋三の強弁にハマり込んでしまった。
改めて断るが、安倍晋三は「子育ても家族から奪い去り、家や社会が行う子育ての国家化・社会化です」を自らの発言だと認めた。
当然、安倍晋三が意味させている「子育ての国家化・社会化」とは、家族が子育てに関与することを一切禁止して(=「子育てを家族から奪い去って」)、社会、あるいは国家が家族を通して子育ての全てに関与する形式ということになる。
その完璧な姿が国家、あるいは社会が子育ての拠点を家庭から奪い、その拠点を社会の何処かに何個所かずつ置いて、それぞれの拠点に一定の人数ずつ集め、国家か社会がこれと決めた教育、あるいは思想を植え付ける子育てということになる。
そういった形式の子育てにまでなって初めて、「ポルポトやスターリンが行おうとしたこと」と言うことができる。あるいは誰が口にした言葉であっても、「子どもたちは両親に対して何の義務も義理の感じる必要はな」くなると言うことができる。
例え国家、あるいは社会が子育ての資金を全て賄ったとしても、子育ての拠点を家庭に置き、親が子どもの子育てに何らかの関わりを持つ限り、「両親に対して何の義務も義理も感じ」なくなるということはあり得ない。
民主主義国家である日本で果たしてそんなことは可能だろうか。安倍晋三は民主党の子育て・子ども手当政策をそのような政策だと断じた。根拠のない、悪意ある飛んでもないレッテル貼りであり、そのように主張していたとしたら、悪質・醜悪なデマそのものである。
2016年3月1日の緒方林太郎と安倍晋三の遣り取り。緒方林太郎は前の日の岡田克也の質問の終わりの言葉に呪縛され、「何の義務も義理の感じる必要はない」といった言葉は誰が言った、言わなかったの無意味なやり取りに終止することになった。
緒方林太郎「冒頭、この会議が始める前に少し理事間で色々とこじれていましたが、恐らくてテレビを見ている方は何のことか分からないので、私の方から明かさせて頂きたいと思います。
昨日(2月29日)のこの予算委員会に於きまして我が党岡田代表の質問に対しまして安倍総理は子ども手当についてこのように述べておられます。
『民主党の中でもこういう発言をした方もおられたんだと思います。つまりは子育て支援・子ども手当というのは両親や家族から、いわば養育費を支払われるということではなくて、まさに国家から直接子どもたちに養育費がいくいうことによって、自分たちは両親に対して何の義理も感じる必要はないというものであった』と。
こういうことを我々民主党が言ったと。安倍総理が言われたわけであります。で、それに対して、これ、根拠は何だと、我々聞きましたところ、我々が与党時代の平成22年3月16日に於きまして我が党議員の賛成討論として述べた言葉がですね、『これまで子どもは家庭で育てるものという考え方ですべての負担が子どもを育てる家庭が負っていました』
そのあと、『現代の日本では児童虐待の問題や7人に1人の子どもが貧困であるという問題や、家庭の中だけでは解決できないという問題が山積しています』
子どもは社会で育てるという考え方というものを我々は述べたわけであります。子どもは社会で育てるという考え方を述べたのが、安倍総理の頭の中の理解では『自分たちは、子どもたちは両親に対して何の義務も感じる必要はない』と置き換えるのですか。安倍総理」
安倍晋三「私はですね、私の発言については、いわば民主党の中での発言というのと、そういう議論もあったということです。二つの段階に分かれているわけでありまして、つまりですね、私は(場内が騒がしくなる)、少しは静かにして頂きたいと、このようにに思います。
あのとき、民主党の中でこういう発言をした方もおられたわけだと思いますが、つまり子育て支援・子ども手当というものはですね、両親や家族からいわば養育費を払えというわけではなく、国家で直接子どもたちに養育費がいくと、こういう趣旨の発言があったと。
こういう意味に於いてそれはですね、そんなこと誰が言ったのかとヤジがございましたが、しかしあれは突然の質問でございましたから、そこで民主党の発言録を持っているわけではございません。
そこで記憶を、(何かヤジ)そういう正確な発言そのものを私に望むんであればですね、ちゃんと通告をして頂きたいとこのように思いますが、通告のない中に於いてですね、記憶として申し上げたことはですね、つまり福田(衣里子)議員ですね、言われた『これまで子どもが家庭で育てるものという考え方のもとで育てるということから、家庭で押し付けましたことから、子どもは社会が育てるという考え方・・・』という発言が代表質問であった。
また太田和美委員がですね、『子どもを産み育てることを家庭や家庭の責任にするのではなく、子どもは社会全体で育てるという考え方に行かなければならない』
つまり子どもは家庭で育てるのではなくてですね、社会で育てるという考え方、というふうに捉えることもできるわけであります」
斜め背後の大臣席で石破茂が頭をのけぞらせるようにして安倍の答弁を聞いていたが、上体を起こして下を向く形となると口を固く閉じて薄ら笑いを受かべた。口を開けて笑う訳にはいかないから、口をきつく閉じる形になったのだろう。その後も時々苦笑めいた表情を見せた。腹の中で安倍晋三の詭弁に呆れ返っていたのかもしれない。
安倍晋三「『生まれたときから社会の責任で』ということが、その後書かれていて、『今回の子ども手当はそういう思想で作られたものである』という、そういう思想ということが書かれているわけでございます。
ま、そこでですね、いわば議論があったのは当然のことでありまして、えー、今緒方委員が言われたようなことについて議論があったのは事実、我が党の中でそういうことを、そういうことを、自民党の中でも議論が、つまり議論があったという部分とですね、民主党の発言ということについて、言われた要旨について私が捉えた要旨について申し上げたわけであります」
緒方林太郎「我々、安倍総理、今、私が読み上げたところ、途中までは自分の言葉で読み上げましたが、『自分たちが両親に対して何の義務を感じる必要がないという議論があったわけでございます』と。 こんな議論、民主党はしていないです。
安倍総理大臣、これは明らかに公共の電波を使って根拠のないことを、事実無根のことを言っているわけですよ。撤回してください」
安倍晋三「これはですね、つまり私言っていたことは民主党の中でそういう発言をしていた方もおられるということで、最初、前段の趣旨について私が話したわけであります。それがそのまま発言通りではなかったわけでありますが、私の受け止めであります。私はそういうふうに受け止めたわけでございます。
そしてそれを受けてですね、議論があったというのは我々の中であった議論についてご紹介したわけでございます」
緒方林太郎「 この今の安倍総理の答弁を見る限り、自由民主党の中でこういう議論があったなどと到底読めないですよ。民主党に対して自分たちが親に対して何の義務も感じないという議論をした、我々がしたかのように答弁しているわけですよ。明らかにこれ間違っていますよ。
安倍総理、ここは素直に撤回して、謝罪すべきだと思いますが、もう一度」
安倍晋三「これはですね、この後も、この後もですね、岡田さんとやり取りがあればですね、それはこういうふうに説明いたしましたよ。でも、それはいきなりの質問の中でですね、私がこういうふうに申し上げたわけでありまして、いわばどこにカギ括弧するかということにおいてですね、どこにカギ括弧するかということにおいてですね、この回答、『子育て支援』に括弧がつていていですね、そのあと、『子どもたちに支援がいく』というところで括弧を切っている。
あるいは『そう言うことによって』というところで括弧を切っているわけであります。その後のことについてはですね、自分たちは何の義理や義務を感じる必要はないという議論が、議論があったということは、普通議論があったというのは、民主党の中でどういう議論があったということは私は知らなかったわけでありますから、自民党の中に議論があったと言うことについて紹介をしたわけでございます。
これはまさに私が言ったことがどのように理解するかということについて、今見解の相違を今議論しているわけですが、これは何と言ってもですね、28年度予算の締め括りの総括でありますから、しっかりとですね、28年度予算にかかることについての議論をすることが国民に求められている予算委員会での議論ではないかと、このように思う次第であります」
緒方林太郎「まさに28年度締め括り総括質疑であります。そこで問われるのは安倍総理の資質であります。根拠のないことを言って、それに対して謝罪しない。事実無根のことを言う。そういうことは絶対に許されない。安倍総理、根拠のないことを言ったことは事実なんですよ。撤回すること。撤回した方がいいですよ。安倍総理もう一度」
安倍晋三「これはですね、いわば質問通告なくてですね、質問したことに対して、そしてこれは文書で出しているわけではありません。いわばどこからどこまでカギ括弧で切ったということにそちら側はそちら側の見解を述べられ、今は私は私の(発言の)趣旨について述べたわけでございます。そして正確にですね、質問通告ありませんから、そこで正確にですね、民主党の議員の発言をここで残念ながら私はご紹介はできません。
私は記憶の中について述べたわけでございます。その根拠については今福田委員の、当時の委員の発言と太田議員のですね、その発言の中からご紹介をさせて頂いたわけでございます。
その後ですね、その後議論ということについてはまさにそういう議論になっていたということを申し上げたわけで――(ヤジ)。
いや、議論は自民党の中でそういう議論があったということでありまして、そのことについてはですね、その時々ですね、その後、その後ですね、その後岡田委員がですね、私にそれがどういうことなんだと言えば、自民党の議員だったと、そういうことであります。
ここでですね、謝罪とか撤回と言うのはですね、それはあまりにも過大な要求であると、このように思う次第であります」
緒方林太郎「この発言の前のところで昨日岡田委員の方から質問がありましたが、『子ども手当によって子育ての国家化・社会化が行われる。これが実際にポルポトやスターリンの行おうとしたことです』
これ、安倍総理の発言でありますか。この発言とそして『子ども手当に対して自分たちは両親に対して何の義務も感じる必要はない』という発言を全部合わせてみると、実は安倍総理は子どもを社会で育てると言うことについて極めて否定的な考え方を持っているのではないかと思うわけでありますが、安倍総理」
安倍晋三「今まさにですね、今まさに緒方委員の質問を聞いて、私が言ったことをよく聞いておられなかったんだなあということがよく分かりました。『今まさに子育てについては家族が子ども育て、愛情を注いで子育てを行い、その中に於いて地域や社会や国家がしっかりと支えていく、それが新しい子育ての支援だと思う』
そう答えているわけでございます。今おっしゃるようなことを一言も言っていないわけでありまして、つまり、このようにですね、私の発言自体についてですね、人によっては受け取り方が違うということなんでありまして、私が言ったことを違うように緒方議員が受け取っておられたということも、証明ではないのかなあというふうに思います。
繰返しになりますが、その中に於いて地域や社会や国家がしっかりと支えていく、それこそが正しい子育てで支援だと、私は今でも考えているわけであります。このように申し上げたわけであります」
緒方林太郎「 明らかに公共の電波で、NHKのテレビが入っているときに事実に反することを言って、それを指摘されてもああでもない、こうでもないと言って、そして言い訳ばかりして、撤回、謝罪の一つもしない。
これは本当に総理大臣の資質として非常に問題がある。強く抗議をさせて頂来まして、次の質問に移って行きたいと思います」
埒もあかない質問を長々と続けた、持間のムダ以外の何ものでもない。
緒方林太郎は岡田克也と安倍晋三の遣り取りを学習したはずである。なぜ緒方林太郎にしても民主党の子育て政策が「子育ての国家化・社会化」となるのかと単刀直入に問い詰めることができなかったのだろうか。どこでどうつながるのだと。
その“なぜ”を追求せずに、民主党議員の過去の発言を「安倍総理の頭の中の理解では『自分たちは、子どもたちは両親に対して何の義務も感じる必要はない』と置き換えるのですか。安倍総理」などと尋ねるから、発言の受け止めの問題にすり替えられることになった。
では、鳩山内閣末期の平成22年(2010年)3月16日の本会議、福田衣里子の発言を衆議院会議録から見てみる。文飾は当方。
「平成22年度における子ども手当の支給に関する法律案」の賛成・反対討論が行われた。
福田衣里子「民主党の福田衣里子です。
私は、民主党・無所属クラブを代表いたしまして、ただいま議題となりました平成二十二年度における子ども手当の支給に関する法律案に賛成の立場より討論いたします。
本法律案は、次の世を担う子供の育ちを応援するために、平成二十二年度において、ゼロ歳から中学校修了までの子供たちに対し、月額一万三千円の子ども手当を支給するものです。その際、保護者の所得制限は設けず、対象年齢や出生順位にかかわらず、ひとしく一律の手当額としております。
我が国は、子供に対する予算のGDP比を見ますと、先進国に比べても、最も少ない国の一つとなっています。今まで、我が国においては、物申すすべのない子供たちに対する予算は、後回しにされてきたのではないでしょうか。
子ども手当の創設は、子供たちが安心して育つことのできる日本をつくっていく第一歩であると考えています。
子供たちへの支援が経済的支援だけでは足りないということは、言うまでもありません。長妻厚生労働大臣からも、保育サービスなどのいわゆる現物支給についても、車の両輪としてしっかり取り組んでいくということが、厚生労働委員会の中で明らかにされています。子供が安心して育つことができ、保護者が安心して子育てができるよう、子育てに係る経済的負担を社会全体で負担すべきだと考えます。
本法案では、保護者の所得にかかわらず、すべての子供たちに支給されることになっています。
所得制限については、多くの議論をいただいたところでもあります。しかし、考えても見てください。子供は、生まれる家庭を選べません。また、昨今の景気の状況を見れば、家計の急変が起こる可能性も大きく、それは、そのまま子供たちの生活に影響を与えます。前年の保護者の所得によって子供たちに不平等を与えるのでは、子供たちに対する確実な支給にはつながらないと考えます。また、先進諸国を見ても、子供に対する手当に所得制限をかけている国はありません。
これまで、子供は家庭で育てるものという考え方で、すべての負担が、子供を育てる家庭に負っていました。現在の日本では、児童虐待の問題や、七人に一人の子供が貧困であるという問題など、家庭の中だけでは解決できない問題が山積しています。子供は社会で育てるものという考え方で、どのような家庭に生まれ育っても、安心して育つことができる環境づくりが求められています。
少子化への対応については、産めよふやせよという考え方ではなく、子供を持ちたい人が安心して持てるように、総合的な子育て応援政策に取り組むことが何よりも重要だと思います。
各種の世論調査からも明らかなように、子供を持てない最大の理由には、経済的な負担が挙げられています。子育て世代は、収入に余裕がないことも多く、子供を育てることで家計が余計に圧迫されていきます。また、もう一人子供が欲しいと思っても、経済的事情のために断念する人も少なくありません。
子供たちは、日本の未来を担う貴重な存在です。社会の宝です。子供たちを大切にするためには、子供たちを育てる人たちを社会全体で支援することが重要だということを御理解いただきたいと考えます。
また、孤独だと感じる、そういった子供がふえています。子供たちが、社会に守られ、育てられ、社会とつながっているんだという思いの目覚めとなればと願います。そのためにも、何としても本法案の成立が必要です。
本法案は、公明党、共産党及び連立与党の方々が、共通の認識を持って、限られた時間の中で、子育て支援政策の拡充のために精力的に議論を進め、必要な修正がなされており、まことにうれしい限りであります。
議員の皆様におかれましては、子供たちの未来のために、ぜひとも本法案に御賛同いただきますよう強くお願い申し上げ、賛成の立場からの討論といたします」――
次に安倍晋三が挙げ、2010年5月付で「民主党プレス」に載っている太田和美議員の発言を見てみる。
太田和美「子どもは社会全体で育てる
子どもを生み育てることを家庭や個人の責任にするのではなく、『子どもは社会全体で育てる」という考え方に変えなければならない。どんな家庭に生まれた子でも、生まれた時から社会の責任で支援する。今回の子ども手当は、そういう思想で作られたものです。
子ども手当をつくり、子どもと子育てを社会全体で応援することは、これまでの政策の大転換であり、未来への投資そのものです。子育てが大変だから応援しますという『美しい理由』だけではなく、国家100年の計に立つ政策だと言えるのです」――
文飾を施した「子供は社会(あるいは「社会全体」)で育てる」にしても、「子供たちを育てる人たちを社会全体で支援する」にしても子育ての拠点を家庭に置き、その第一義的な責任を親に置いている。
子育ての拠点を社会や国家に置き、その責任も社会や国家が負う「子育ての国家化・社会化」を主張しているわけではない。単に社会全体で子どもを支えよう、子育てを支えようという思想のもと、国が何万円かずつ子どもたちのために支給・支援するだけの話である。
この思想のどこが悪いのか、安倍晋三の頭の中が理解できない。
この子育て方式が安倍晋三の解釈ではなぜ「子育ての国家化・社会化」となるのか、聞けば済むことである。
いずれにしても安倍晋三の詭弁・ゴマカシは凄まじい。どこに括弧を置いているとか、自分の発言(=自分の解釈)だと認めていながら、質問通告がなかったとか、民主党の議員がそういう発言をしていただとか、民主党提案の家庭を否定して社会で育てるといった趣旨の議論が自民党の中にもあったとか、それぞれの受け止めの問題、見解の相違だとか天性の巧妙さで口実を作り上げ、返答に窮すると、いつもの手で、「28年度予算の締め括りの総括でありますから」と大事な議論の場という意味を持たせて質問を牽制する発言にすり替えてまでして、なぜ民主党の子育て政策が「子育ての国家化・社会化」であるのかの説明から最後まで逃げた。
まさに安倍晋三の人間性の醜悪さが饒舌なまでに露骨に現れた詭弁・強弁・ゴマカシのオンパレードな答弁であった。
逃がした原因は、“なぜ”を問い詰めなかった岡田・緒方の追及のまずさにあるのは断るまでもない。