「生活の党と山本太郎となかまたち」
《」3月8日小沢代表・山本代表定例記者会見動画 党HP掲載ご案内》
〈東日本大震災から5年「被災地の状況は、地域の皆さんの努力によって徐々に以前のレベル
に戻りつつあるようだが、まだまだ力を注がないといけない」小沢・山本両代表〉
昨日の当ブログで、自殺した生徒に対する担任の指導回数を、マスコミ記事の〈記述は進路指導が「自殺当日まで5回にわたって行われた」としているが、最後の5回目は両親と生徒を混じえた三者懇談であったが、生徒は出席していない。生徒自身に対する進路指導は4回となる。〉と書いたが、自殺当日の午後の三者懇談の前の朝も指導が行われていて、計5回となる。謝罪しなければならない。
それにしても、この件に関する3月9日夕方発信のマスコミ報道を見ると、指導とは名ばかりであることを知ることになる。
自殺した生徒の担任が女性であることを3月8日夕方7時からのNHKニュースの画像を見て、その人物が女性の姿になっていることから知ることができた。その女性担任教師の話を聞いて、あるいは話に基いて書いた記事であるはずの《中3生徒自殺 担任と5回の面談 その内容は》(NHK NEWS WEB/2016年3月9日 16時55分)を読むと、生徒が実際に中学1年のときに万引きの非行歴があって、そのことを前提にした態度を取っているかのような女性教師の説明となっている。
なぜなのだろう。
学校は自殺した当日の12月8日に調査を開始、12月10日に生徒が万引きをしていなかったことを最終的に確認していたはずである。
つまり生徒は女性担任教師の指導に対して万引きをした覚えはない態度を取るのが普通の対応であるし、人間としての自然な姿であるはずだが、そうはなっていない。一瞬、生徒は実際には万引きの非行歴があったのではないのかと疑った。
だとすると、学校の調査と矛盾することになる。この矛盾に整合性を与えるとしたら、学校が生徒の名誉を守るために非行歴を抹消したとも疑うことができるが、より簡単に整合性を見い出すには女教師が事実を隠していると決めつけるのが最も手っ取り早い。
事実を隠すのは責任を回避したい意識が働いているからだろうが、3年生の1年間を対象に非行歴がある場合は推薦の対象としないとする規準を1、2年のときも含めて3年間を対象とすると規則を変えたのは学校であり、非行歴の確認は学年主任から求められてしたことで、何も事実を隠す必要性はどこにもない。
この矛盾をどう解いたらいいのだろうか。それとも昨日のプログに書いたように資料に記録してあった万引きの非行歴を事実とする先入観で生徒と向き合い、生徒が否定したにも関わらず、先入観が上回って逆にその否定をウソと決めつけてしまい、面倒臭くなって、あくまでも非行歴があったことを前提として学年主任に確認が取れたと報告してしまい、あとになって非行歴がなかったことが明らかになって、自身が生徒に取った態度や確認を曖昧にしなければならなくなったということなのだろうか。
しかし全ては新聞記事から読み取った憶測でしかない。憶測は証拠にはならない。
上記記事が伝えている会話はそのまま、解説や説明として伝えている個所は会話体に直して、担任の説明が万引きの非行歴に身に覚えのある生徒の態度となっていることを浮き立たせて、担任の態度をどう読み取るか、読者に任せたいと思う。
女性担任「生徒に対する計5回の指導はすべて教室の前の廊下での立ち話程度で、持間は長くても5分程度でした」
女性担任「1回目の指導は昨年11月16日頃です。学年主任が『資料に万引きをした非行歴が記録されている。11月30日までに確認をするよう』指示されたから、生徒に万引きがありますねと尋ねました。
しかし生徒は不明確な言葉を返しただけで、具体的な時期や場所の確認はありませんでしたが、確認が取れたと思い、学年主任に確認が取れたと報告しました」
女性担任「2回目の指導は11月26日頃です。万引きのために専願受験が難しいことが色濃くなった」
生徒「家の雰囲気が悪くなるので、家の人には言わないでほしい」
女性担任「3回目の指導は12月4日です。専願受験はできないことが決まった。他の高校に受験するか別の受験の方法もあるが」
生徒「受けたくない高校もある。一般で志望校を受験した場合、落ちますか」
女性担任「はっきりしたことは言えない。家に帰って受験校を親と相談するようにして欲しい」
女性担任「4回目の指導は自殺する前日の12月7日です。前回話したことが保護者に伝わった?」
生徒「親が忙しくて話ができなかった」
女性担任「親と話し合うようにして。一般での受験は点数が高ければ合格できるので頑張ろう」
女性担任「5回目の指導は自殺した当日の12月8日の午前です。親に話したの」
生徒「『3年になってからガラスを割っているので専願受験はできない』と親に伝えたら、『そんなことで受けられないのはおかしい』と親が怒っている」
女性担任「そうじゃないよ、万引きで専願受験はできないんだよね。一般受験でも志望校に合格する可能性はあるが確実ではないので、もう1校受けたら」
生徒「親は私立は1校しか受けさせないと言っている」
女性担任「きょう午後の三者懇談で、私の方からご両親に話してみる」
女性担任「午後の三者懇談には生徒は持間になっても現れませんでした。携帯に電話してもつながらなかったので、懇談を始め、(推薦をさせない理由として)両親に万引きのことを伝えました。両親は驚いていました」〈以上)
先ず最初に驚いたのは担任の生徒に対する“指導”なるものが膝を突き合わせて生徒が抱えている問題点をじっくりと話し合う形式のものも含めているだろうが、それだけではなく、単に過去の非行歴の確認を取るために廊下で数分間立ち話をする程度のものまで含めて“指導”と言っていることである。
後者のどこに教育なるものの要素を含んでいるのだろうか。教育という要素を含まない指導など、存在しないはずだ。
女性担任教師が生徒の中学1年のときの万引きの非行歴を前提に生徒と話しているのは当然だが、教師の説明の中の生徒は学校の調査で万引きをしていないことが証明されて、万引きはしていないことになっているのに、万引きの非行歴を断固と否定する態度は一度も見せていない。
そういった態度を取るどころか、事実万引きをしていなければ必要はないはずなのに、「3年になってからガラスを割っているので専願受験はできない」と、できない理由をより軽い罪にすり替えるウソを親についてまでして、担任から言われたより罪の重い万引きの非行歴を隠そうとさえする姿を取っている。
担任教師が話したように生徒が罪をすり替えるような態度を事実取っていたしたなら、生徒は万引きの非行歴があったことになって、学校の非行歴はなかったとする調査は何だったのかということになる。
新聞の新たな報道によって新しい事実が出てくるかもしれないが、その事実が出てこない限り、はっきりしたことは言えない。
確実に言うことができるのは、誰がウソをついているにしても、誰が汲々とした責任逃れの意識を働かせているにしても校長が明かした3年生の1年間を対象に非行歴がある場合は推薦の対象としないとする規準を1、2年のときも含めて3年間を対象とすると規則を変えたことだと、昨日のブログと同じ結論に辿り着かざるを得ない。
学校という生徒を学び育てる教育する空間でありながら、生徒に更生させる空間とも再チャレンジを試行させる空間ともなっていないから、3年生のときの非行歴なら兎も角、1年生のときや2年生のときの非行歴を生徒の生活態度や人格を計る指標としなければならないのだろう。