岡田代表民進党結党挨拶、国民の信頼回復のラストチャンスではなく、政権交代可能性実現のそれとした不可解

2016-03-28 08:57:22 | 政治

 民主党と維新の党が合流した民進党が2016年3月27日結党大会を開いて岡田克也代表が挨拶したとマスコミが伝えているから、民進党のHPにアクセスしてみた。

 挨拶の内容がどこにも載っていない。但し「動画」は載っていた。文字情報でも伝える丁寧さを欠いていて、どこかマヌケている。
  
 挨拶全文を探したところ、「asahi.com」が伝えていたが、断言調になっている。断言調と丁寧語では随分印象が異なる。動画の発言の丁寧語に替えてここに載せることにした。    

 岡田克也「今日は歴史的な日です。日本の将来が我々にかかっています。自由、共生、未来への責任。この三つの言葉を結党の理念として、覚悟を持って新進党……民進党、スタートさせましょう。失礼しました。

 結党宣言にあったように戦後70年、今日本は時代の大きな分岐点にあります。ここで絶対に道を誤ってはならない。その危機感を我々は共有しなければなりません。安倍政権のもと、表現の自由、知る権利といった憲法の保障する基本的な権利すら脅かされ、憲法の根幹である平和主義がないがしろにされています。

 格差が拡大し、国民、とりわけ子ども、若者が将来に希望が持てない状態です。民進党は安倍政権の暴走を止めなければなりません。困難を乗り越え、一人一人が大切にされ、安心して生活できる社会。そして平和な日本を強い決意を持って実現しなければなりません。

 我々は政権・与党として、十分な期待に応えられなかったこと。大事な時に結束できなかったこと。離合集散を繰り返したことを深く反省します。そのうえで不屈の精神で挑戦しなければなりません。民進党は、日本に政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンスであるという認識を持たなければならない。その認識を共有し、力強く前に進もうではありませんか。

 私が政治家になって、それ以前と大きく認識を変えたことが一つあります。地域で生活する普通の人々の素晴らしさです。座談会やミニ集会で多くの人々と対話してきました。出会いがありました。自分だけではなく、地域全体のことを考える人々。今だけではなく、日本の将来、若い世代のことを思い、責任を果たすという強い思いを持った人々。それらの素晴らしい人々がある限り、日本は大丈夫だと。日本の将来は明るい。そう私は確信している。国民が持つこういう素晴らしさを引き出すことこそ、我々民進党の役割です。

 先ず国民の声に耳を傾けましょう。国民と正直に率直に語りませんか。そして双方向で対話しましょう。国民と共に進む。国民と共に進む。これが民進党です。

 夏の参院選挙、危機感を共有する多くの国民と共に戦い抜き、期待に応えましょう。ここで政治の流れを変える。私は代表としてすべて責任を負い、必ず結果を出す。安倍政権が衆参同時選挙をやるというなら、受けて立とうじゃありませんか。

 日本の政治を国民の手に取り戻すために、全党一丸となって国政選挙を勝ち抜きましょう。自公対国民の良識の戦いに勝利しましょう。今日をスタートに国民と共に素晴らしい日本をつくっていくことを誓い合おうじゃありませんか。

 ありがとうございました」(以上)

 岡田克也は「先ず国民の声に耳を傾けましょう。国民と正直に率直に語りませんか。そして双方向で対話しましょう。国民と共に進む。国民と共に進む。これが民進党です」と党の役割を訴えている。

 だが、実際には国民の声に耳を傾けていない。

 このことは「我々は政権・与党として、十分な期待に応えられなかったこと。大事な時に結束できなかったこと。離合集散を繰り返したことを深く反省します。そのうえで不屈の精神で挑戦しなければなりません。民進党は、日本に政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンスであるという認識を持たなければならない。その認識を共有し、力強く前に進もうではありませんか」と言っているところに現れている。

 「民進党は、日本に政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンスだという認識を持たなければならない」と言っている意味は、「民進党の結党は政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンスである」、あるいは「民進党は政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンスの政党である」と言うことであろう。
 
 確かに政権担当の失敗、国民の期待を大きく裏切ったことについて反省の念を示している。だとしたら、民進党結党を「政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンス」とするのではなく、国民の信頼を再び取り戻すことができるかどうかのラストチャンス――取り戻すことができるかどうかの瀬戸際としなければならないはずだ。

 政権交代であろうと何であろうと、全ては民進党に対する国民の信頼にかかっているからだ。

 政権獲得は国民の信頼の上に成り立つ。国民の信頼を取り戻し得て初めて政権交代可能な政治を実現するためのチャンスが訪れ、それをラストチャンスとすることなく、継続的なチャンスとしなければならない。

 だが、反省はするものの、国民の信頼回復への視点を欠き、いきなり結党を政権交代可能な政治実現のラストチャンスとする。

 つまり自分たちの政権獲得欲求のみを前面に押し出して、国民を自分たちのその欲求の背景に退けている。国民の声に耳を傾けていないのと同然である。

 もし政権交代可能な政治実現の訴えをではなく、国民の信頼回復に主眼を置いた挨拶になっていたなら、「地域で生活する普通の人々」がいくら「素晴らし」くても、あるいは「それらの素晴らしい人々がある限り、日本は大丈夫だと」確信していたとしても、そのような「人々」が民進党と信頼関係で結びついた存在となっていなければ意味のないことに気づくはずで、違った訴え方になっていたはずだ。

 事実、世論調査を見る限り、そのような存在の多くは民進党にではなく、安倍自民党に信頼を寄せた関係にあることが分かる。

 「ロイター」が2016年3月27日付で伝えている3月26、27両日実施の「共同世論調査」を見てみる。      

 「民進党に期待するか」

 「期待する」26・1%
 「期待しない」67・8%

 「政党支持率」
 
 「民進党」8・0% <(2月調査「民主党」9・3%+「維新の党」1・2%)

 国民の民進党に対する信頼がこの程度であるにも関わらず、あるいはこの程度の信頼回復にとどまっているにも関わらず、更に国民の民進党に対する政権交代への期待は国民の民進党に対する信頼に対応する要素であるにも関わらず、信頼回復を差し置いて「日本に政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンスだ」と大上段に構えた。

 何という不可解な挨拶だろうか。決して国民の声に耳を傾けた挨拶とは言えない。

 結党大会で信頼回復以外の何を訴えようとも、綱領に何を掲げようとも、一にもに二にもなく“信頼回復”の実を上げなければ、政権交代の可能性に近づくチャンスを手にすることはできない。

 いわば結党を第一歩とするのではなく、結党を契機とした国民の信頼回復を第一歩としなければならない。

 だが、挨拶からはそういったことが伝わってこなかった。

コメント (1)
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