2016年3月18日の参院予算員会で白真勲民主党議員の質問に横畠裕介内閣法制局長官が核兵器の使用を憲法は禁止していないと答弁したと各マスコミが伝えている。「時事ドットコム」記事から見てみる。
横畠裕介内閣法制局長官「憲法上、あらゆる核兵器の使用がおよそ禁止されているとは考えていない。(但し)核兵器に限らず、武器の使用には国内法、国際法上の制約がある」
白真勲議員「集団的自衛権行使の一環として日本が海外で核兵器を使用することは可能か」(解説体を会話体に直す)
横畠裕介内閣法制局長官「そうならないと思う。我が国を防衛するための必要最小限度を超える海外派兵は許されないという考え方は変わらない」
記事解説。〈日本政府は非核三原則を堅持し、政策的に核兵器の保有や製造などを認めていない。憲法上禁止していないとする横畠氏の答弁は、過去に岸信介首相らが示した同様の見解に沿ったものだが、安全保障関連法の施行を29日に控え、国内外で疑念を招く可能性もある。〉――
長官が言っていることは日本国憲法は核兵器の所有を禁止していないということである。“所有”があって初めて“使用”が可能となる。だから、北朝鮮の場合はせっせと核の開発に勤しんでいる。
だが、日本国憲法「第2章戦争の放棄 第9条」は、〈日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。〉と戦力の不保持を規定している。
「戦力」の意味を正確を期すためにネット辞書から引用することにした。
【戦力】
1 戦争を遂行するための力。兵力だけでなく、兵器など軍需品の生産力や物資輸送力を含めて、総合的な戦争遂行能力をいう。
2 スポーツや政治・労働運動などで、戦う力。また、事を行ううえでの重要な働き手。「あの選手は―になる」 (goo辞書)
つまり「総合的な戦争遂行能力」とは兵士が自らの身体性を用いて扱う兵器全体の能力や戦術・戦略、そしてその身体性をも含めて戦力と言うということなのだろう。
当然ここに核兵器も入ってくる。
安倍政権は憲法の番人は最高裁の判断だと言って、1959年(昭和34年)12月16日の砂川事件最高裁判決を持ち出し、集団的自衛権は合憲だとの判決を下していると憲法解釈による集団的自衛権行使を認めさせているが、同じ砂川最高裁判決は日本国憲法9条の「戦力」について次のような判断を示している。
「憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる 侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。
従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである」
ここで言っている「外国の軍隊」とは断るまでもなく日本駐留の米軍のことで、日本国憲法9条第2項が禁じる戦力に当たらないから、米軍の日本駐留は憲法違反に当たらないとしたのが砂川最高裁判決の主たる判断対象であって、集団的自衛権が認められているとか認められていないとかは判断対象とはしていない。
それどころか、日本国憲法9条第2項が禁じる戦力とは、「わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいう」とし、「結局わが国自体の戦力を指」すと、自衛隊そのものを違憲としている。
にも関わらず、長官は日本国憲法は核兵器の使用を禁止していないと主張した。そのように主張している以上、使用するのは自衛隊であり、“使用”は“所有”を前提条件としなければならないから、核兵器の使用に「国内法、国際法上の制約」があったとしても、所有したい願望を内に秘めていることになる。
いわば核兵器を所有して、「国内法、国際法上の制約」上から、核兵器は先に使うことはないと核の先制不使用宣言はするものの、核兵器そのものを抑止力として利用する願望のことである。
官房長官の菅義偉が3月18日午後の記者会見で、横畠長官の主張に関して、将来的な核兵器の保有や使用の可能性を否定、「全くあり得ない」と強調したと言うが、保有したい願望がなければ、日本国憲法「第9条第2項」が禁じる戦力の主たる武器となる核兵器の使用を憲法は禁じていないなどと主張することはない。
安倍晋三が2013年、2014年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式挨拶では「非核3原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、世界恒久平和の実現に力を惜しまぬことを誓う」と述べていたが、2015年8月6日の挨拶では非核3原則の堅持には一言も触れなかった。
但し広島の後の8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典挨拶では、「非核三原則の堅持」に触れているが、あくまでも広島の挨拶で触れなかったことを問題視されたことの修正であって、この修正によって広島で触れなかったことの意図が抹消されるわけでなない。
安倍晋三が望み掲げている安全保障観からすると、横畠長官の主張が安倍晋三の意図に対して軌を一にした動きだと考えると、全て納得がいく。