元文科相下村博文は2017年6月28日に「週刊文春オンライン」が伝え、6月29日発売の『週刊文春』7月6日号に『下村博文元文科相 加計学園からヤミ献金200万円』と伝えた記事内容について同日の6月29日午前に自民党本部で記者会見を開いて、疑惑を「事実無根」と全面否定した。
この下村の事実無根全面否定に呼応するかのように加計学園が「当学園は献金をしたことはないし、パーティー券を購入したこともない」とコメントを発表している。下村博文が記者会見を開いたのは6月29日午前、加計学園のコメントを伝えている「朝日デジタル」記事の報道日時が2017年6月29日21時52分。
明らかに呼応する形を取っている。
以下のコメントからも、呼応関係を見て取れる。
「学園と関係のある個人や会社の計11のパーティー券代を元秘書室長が預かり持参した。そのお金を学園が負担した事実はない」
(元秘書室長が現金を預かった経緯について)「上京し下村事務所に寄るついでがあったためと聞いている」
(それぞれの名前について)「プライバシーなどがあるので回答は差し控えさせていただく」(以上)
それぞれが下村博文の発言通りのコメントになっていて、名前の公表に関しても下村博文も記者会見でプライバシーを持ち出し、「先方の了解が得られれば」との条件付きで確認を取ってもいいとしていたが、どこでどう上手の手から水が漏れるか分からないから、「先方の了解が得られなかった」とするのは目に見えている。
結果的に加計学園コメントの「回答差し控え」と同じ呼応関係を取ることになる。
下村博文が事実無根と全面否定するなら、事実有根とする全面肯定の仮説を立ててみることにした。
下村は自身の政治資金パーティーのパーティー券の販売と集金の窓口になった人物を加計学園の秘書室長と紹介していたが、加計学園のコメントでは「元秘書室長」となっている。下村は一度も「元」を付けていなかった。
問題鎮静まで暫くの間役を解いたということなのか、定年退職となったのか、あるいは何か不祥事を起こして、免職となったのか、いずれか分からないが、下村が「元」をつけなかったのは、それ程親しい関係にあるわけでないことのタネ明かしに使うためと疑うことができないわけではない。
しかし親しくないとすると、窓口を引き受けた根拠が今度はおかしくなる。
下村博文は記者会見で加計学園の秘書室長が下村が政治資金パーティをやるなら協力しようと申し出て、自らがパーティー券販売と集金の窓口になり、加計学園関係の職員、会社ではない個人、あるいは企業にパーティ券購入の声を掛けて、11口分売り捌くことができたから、集金した100万円ずつを2年に亘って合計200万円を下村の東京の事務所に自ら持参したといった説明をした。
秘書室長とは秘書が所属する部署の長、秘書室の統括者だから、加計学園理事長加計孝太郎が加計学園本部内外で行動するときに付き添って、理事長がその時々に必要とする様々な業務を直接サポートする役目の秘書とは違うはずだ。
秘書室長が理事長に同行する種類の秘書ではないにも関わらず、どこでどう知り合いとなったのだろか。その説明は記者会では一切なかった。
下村は記者会見冒頭発言で加計学園理事長と赤坂で会食したことを伝えている。
下村博文「平成26年10月17日に塩崎先生、山本順三先生及び理事長と赤坂の料理屋で会見しているとの指摘が(週刊誌には)あります。事務所で確認したところ、私の大臣留任を機にメシを食べようかと言うことになり、私の知り合いを誰でもいいから連れて行くということになり、塩崎先生と山本順三先生をお連れ致しました。
平成26年とは2014年である。
そして冒頭発言後、記者の質問に答えて自身と加計孝太郎との関係について説明している。
下村博文「いつ頃からですね、大臣になる前から、存じ上げておりました。年に一、二回お会いすることがあるかどうかというぐらいで、特別親しいわけでございませんが、勿論存じ上げている方、前からですね、いう方であります」
「年に一、二回」が毎年続く親しい関係であり、下村自身がその内の何回かは加計学園本部に出入りするケースがあったとしても、理事長室への出入りが殆んどだったろうから、加計学園本部の内勤と思われる秘書室長と親しく口を利く機会がどこであったのだろうか。
秘書室長が加計孝太郎と同行する秘書であったと仮定したとしても、加計孝太郎と共に年に一、二回顔合わせをしているだけで、自ら下村の政治資金パーティー券の販売と集金の窓口を買って出た熱心さも不可解ということになるが、同行秘書が本来の役目以外の仕事を引き受けた場合、逆に本来の役目に差し障りが生じることになる。
差し障りが生じないのは秘書室長が同行秘書ではない場合であろう。内勤の場合、時間に融通を利かせて仕事の合間合間にパーティー券の販売と集金に専念できる。
但し下村博文が加計学園本部に親しく出入りする程ではない加計孝太郎との関係であるなら、内勤の秘書室長と知り合う機会が少ないと予想できることから、窓口を買って出る熱心さの根拠が限りなく希薄になる。
勿論、下村の政治姿勢に共鳴して個人として窓口を買って出たとする理由も考えられるが、組織に縛られている人間として加計学園の名前を使うわけにはいかない。あくまでも個人の立場を貫かなければならないことになって、個人の名前で、いわば加計学園をバックとせずに2年間に各年1口平均10万円近いパーティ券を11口、合計200万円も売り上げるのは早々簡単ではないはずだ。
逆に加計学園をバックとしていたなら、約25前後の学校と2企業を持ち、資本金が760億円近い組織であることを考えると、秘書室長が加計学園本部の秘書室に座って電話のみで1年間に100万円のパーティー券を売り上げるのはさして困難な仕事ではなくなる。
当然、秘書室長が加計学園という組織をバックに下村のパーティ券を売り、そのカネを集金するについては加計孝太郎の指示がなければできない。
このようは構図を描くことによって、下村と親しく口を利く機会があるようには見えない秘書室長が下村に協力して各年11口もの高額なパーティー券を売り捌くことができたことの説明がつく。
下村博文が加計学園理事長の加計孝太郎と赤坂の料理屋で会食したのは2014年10月17日で、愛媛県を選挙区とする現在厚労相の塩崎泰久と参議院議員の山本順三が同席した。
今回安倍晋三の愛媛県今治市の国家戦略特区指定を手続きとした加計学園獣医学部新設が認可されたが、今治市と愛媛県は小泉内閣が進めた構造改革特区と第2次安倍政権が始めた国家戦略特区に2007年から2014年にかけて獣医師養成系大学設置を15回に亘り提案している。
これまでの経緯から、獣医師養成系大学とは加計学園獣医学部を指すことになる。
この会食の5カ月半前の2014年5月1日に関西圏国家戦略特区として京都市の全域が国家戦略特区に指定されている。2014年当時、京都産業大学が国家戦略特区を使った獣医学部新設を考えていたかどうか分からないが、獣医学部新設自体は既に構想していたことは、「京都産業大学 獣医学部設置構想について」(京都府10/17 WG)記事によって知り得る。
〈京都産業犬学獣医学部設置構想に至る経緯
1989年に本学に工学部生物工学科が設置されたことに始まる。教育・研究の進展に伴い、食の安全あるいは感染症リスク対処法に発展する案が浮上し、獣医学部設置が検討された。一方、2006年に本学に鳥インフルエンザ研究センターが新設され、鳥インフルエンザ僕滅のための国際的な活勤が始まり、更なる社会的貢献を目指して獣医学部設置が真剣に検討された。
ところが、国の方針で、医師、船舶織員養成教育機関同様新設は当面不可能であることが判明した。そこで総合生介科学部が新設され、将来を見据えて獣医師の教員からなる勣物生介医科学科を設置した。現在、ライフサイエンス分野を担う実験動物専門技術者養成の教育に力を注いでいる。〉――
当時、小泉構造改革特区と安倍国家戦略特区を使って獣医学部新設を狙っていた当時の加計加計孝太郎が同じ大学関係者として京都市全域の国家戦略特区指定と京都産業大学の獣医学部設置の検討に気づいていないはずはない。
当時国は獣医学部新設を抑制する方針にあったから、京都産業大学に先を越されたら、ただでさえ狭き門が閉じられれしまうことになりかねない。
一方の今治市が2016年1月に国家戦略特区に指定されるまでに約2年待たなければならなかった。遅れたのは指定された場合の戦略特区に抑制方針にある獣医学部新設を想定していたからと考えることができる。
加計孝太郎としては焦ったに違いない。30年来の腹心の友である安倍晋三に指定を働かかける一方で、国家線戦略特区指定は内閣府の所管であるが、大学設置認可は文科省の所管であるために当時の文科相下村への働きかけがあったとしても不思議はないし、加計孝太郎と安倍晋三が親友の中であること、そして下村が安倍晋三の忠実な金魚のフンであることを考えると、働きかけがない方がおかしい。
そのような働きかけの一貫として愛媛県を選挙区とする塩崎泰久と山本順三の会食への同席ということであったはずだ。有力な多くの政治家を味方につけて利害を通じ合う作戦は国の認可を必要とする事業開始によく使われる手となっている。
当然、当時の加計学園が置かれていた状況からすると、「私の知り合いを誰でもいいから連れて行くということになった」と言うのは余りにも素朴に過ぎるし、加計孝太郎の利害を考えると、余りにも淡白過ぎる。
加計孝太郎が下村博文と塩崎泰久、山本順三の3人と今治市への国家戦略特区指定とそこでの獣医学部新設で既に通じ合っていて、計画実現に向けた話し合いだった可能性は否定できないし、そのような展開であってこそ、事業者と政治家の関係がよりよく理解できる。
以上のように仮説を立ててくると、下村博文の政治資金パーティー券は文科相の下村に獣医学部新設認可に向けて便宜を期待することの見返り、利害上の取引きではなかったかと、次の仮説を成り立たせることができる。
この利害上の取引きはパーティー券を加計学園自体が購入することによって加計学園側の利害としての価値と効果をより高める。いわば恩を売るには他人に負担させるよりも自分で負担する方が効き目は高い。
言ってみれば、加計孝太郎は自分の方から申し込んでもパーティー券を加計学園で引き受けなければならない利害に差し迫られていた。
一方でパーティー券購入代金を11口、20万円以下に分けることによって下村博文が自由に使うことのできるカネにロンダリングする不正に手を貸すことによって、腐れ縁を確かなものにし、加計学園側の要望に応えざるを得ないという義務を下村に負わせるメリットが生じる。
要するに加計学園の秘書室長がパーティー券販売と集金の窓口となったのは事実であったとしても、下村が記者会で言っていた販売先が「11の個人及び企業」というのは偽装であって、実際は加計学園という仮説を立てることが十二分に可能となる。
秘書室長が窓口となった経緯にしても、極くごく自然な筋立てとすることができる。
下村が秘書室長とどれ程に面識があったのか、なかったとしても、具体的にどういった経緯で「個人的にパーティーをやるなら、協力しましょう」と申し出る程にも積極的な姿勢となったのか、厳しく追及すれば、以上の仮説が仮説ではなく、事実その通りと証明される可能性は高いと自信を持って言うことができる。