防衛相の稲田朋美が九州北部の豪雨災害防衛省対応中の7月6日(2017年)昼時に防衛省を70分間不在にし、そのうち40分間は政務三役(大臣・副大臣・政務官)が不在だったとして、マスコミが問題に、野党や自民党内からも批判が上がっている。
「Wikipedia」に防衛大臣の役目を、〈内閣総理大臣の下で(統合幕僚長を通じて)自衛隊全体を統督する。防衛大臣の自衛隊の部隊運用に関する指揮は、統合幕僚長が補佐し、統合幕僚長を通じて行われる。命令の執行も統合幕僚長が行う。〉と紹介している。
例え防衛大臣の意思の反映が形式的であったとしても、いわば統合幕僚長の指示を防衛大臣としての指示としてオウム返しに反復するだけで、そこに防衛大臣としての意思が何ら含まれなかったとしても、災害対応従事の自衛隊は稲田朋美の指示に基づいて動くことになる。
勿論、携帯電話を所持しているだろうから、統合幕僚長の指示をどこにいても受けることができ、その指示をそのまま実行に移すように指示、統合幕僚長が防衛大臣の指示として活動対象の自衛隊部隊に伝えて、当該部隊が防衛大臣の指示として、その指示に則って活動するという指揮命令系統は滞りなく成立させることはできる。
要するに稲田朋美がいなくても、自衛隊は機能するということである。
だとしても、防衛大臣が自衛隊全体の実際行動に関わる指揮・命令者であることに変わりはない。幕僚長にしても、防衛大臣が自衛隊に出す指示が自分が出した指示に変わりはなくても、防衛大臣を通して出さなければならない。防衛大臣にしても幕僚長から上げってくる指示に応じて自衛隊の動きを把握していなければならない。
防衛大臣がロボット的存在であったとしても、何よりも自衛隊の運用に関する全責任は防衛大臣が負わなければならない。それだけの責任がある。
防衛省の「災害時に政務三役が常に在庁することを定めた規範は存在しておらず、それに関する記録はない」とする見解を2017年7月6日付け「NHK NEWS WEB」記事が伝えていたが、そのような規範が存在していたとしても、役目に対してはどこにいようと、責任を常に付帯させていなければならないことになる。
一方で官房長官の菅義偉も7月6日午前の記者会見で、「今日昼ごろ、防衛省の政務三役が40分程度、省内に不在だったということだが、稲田大臣も含めて複数の政務三役がすぐ近くに所在をして、秘書官から随時連絡を受けて、速やかに省内に戻る態勢だったということだ」との発言で何ら問題がないとしている態度を同日付の別の「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。
稲田朋美自身は70分間の不在を防衛記者会の質問に対して文書で「政務として、民間の方々との防衛政策に関する勉強会に出席した」と説明したと言う。
稲田朋美のこの一時不在を伝えている2017年7月6日付け「朝日デジタル」記事は、〈「政務」は、後援者との会合や選挙応援など政治家としての活動。閣僚としての業務である「公務」とは区別される。「政務」の内容について、防衛省は「民間との防衛政策に関する勉強会に出席した」とした。〉と解説している。
公務でない以上、防衛大臣という肩書は持っていても、勉強会は一政治家の一私的な会合ということになる。
防衛省の「民間との防衛政策に関する勉強会に出席した」はあくまでも稲田朋美の説明に基づいた防衛省の説明なのだろう。あるいは稲田朋美と防衛省が口裏を合わせてそういうことにしたということもあり得る。
「政務」が後援者との会合や選挙応援など政治家としての活動を言うなら、稲田朋美が言う「政務」が例え後援者との会合であったとしても、自然災害に対応して自衛隊が活動中に自衛隊指揮・命令者である防衛大臣が防衛省を一時不在となり、その不在が他の政務二役と重なったとしても、秘書官と随時連絡を取り合い、必要に応じて省内に戻ることのできる近辺に所在していたなら、役目上の責任は何も問題はないということになる。
このことを受け入れるとしても、道義上の責任は残らないだろうか。自衛隊が出動しなければならない規模の自然災害と言うことなら、当然、死者が出ることも想定しなければならない。洪水や土砂災害が甚大且つ広範囲に亘っている場合は死者は連続して出てくることも想定しなければならない。
当然、人命救助に携わる自衛隊の活動態勢にも影響が出てくる。
国民の生命・安全を守るのは何も内閣総理大臣だけではない。全ての閣僚は共に担っているはずだ。
防衛相としても危機管理上このような想定しなければならない切迫した状況を前にして在庁を決めた規範がなく、近くにいて連絡を取り合い、直ちに省内に戻ることのできる態勢でいさえすれば、勉強会が後援者との会合であるなら、私的も私的の会合ということになって、道義上の責任を規則上の責任同様に問題無しとすることができるのだろうか。
防衛省サイトに稲田朋美の一時不在釈明の7月7日「記者会見」が載っている。アクセスして、「勉強会」が具体的にどのような集まりだったのか確かめることにした。
稲田朋美は記者の一時不在の適切性を問う最初の質問に対して自衛隊の災害対応の態勢は十分に整っていて、防衛省を外出する際にも現場から報告を受けている上に秘書官に適切な状況報告を指示し、外出と言っても、近傍に所在して随時連絡を受けることのできる態勢と連絡に応じていつでも省に戻ることができる態勢を取っていたとして、何も問題はないことを示唆した。
菅義偉が問題はないとした発言通りの趣旨となっているが、あくまでも役目上の行動について何も問題はないと言っているに過ぎない。
記者「勉強会とおっしゃいましたけども、支援者とのランチじゃなかったのですか」
稲田朋美「そうではありません。勉強会において、私が冒頭発言をし、説明をして、その上で質問を受けて、そしてもちろん、ちょうどお昼時だったので御食事は出ておりましたけれども、その御食事はせずに、冒頭の説明とそして質問を受けて戻ったということでございます」
記者は「勉強会」なるものについてそれ以上の追及はしなかった。「勉強会」とはその会の主催者もしくはその会の中心人物を中心にして決めたテーマを勉強し合う会合であろう。
そしてそれが「政務」である以上、一政治家の一私的な会合からは出ない。
出席者はどのような人々の集まりだったのか、何人ぐらい集まったのか、会費は取ったのか取らなかったのか、あとの方で「防衛政策の説明だけ行ってきた」と言っているが、どのよう防衛政策について説明したのか、その説明に関してどのよう質問を受けたのか、食事が出ていたが、食べなかったと言っているが、他の出席者は食事を摂りながら、防衛政策の話を聞いていたのか、なぜ食べなかったのか、勉強会は何時間の予定で開催したのか等々を追及したなら、開催時間に応じて会合の重要度の判定や、防衛省が「民間との防衛政策に関する勉強会に出席した」と説明している「民間」が一定の社会的地位を持った同業者の集まりなのか、一定の社会的地位にはあるが、異業種の集まりなのかが分かってくる。
このような質問に答えた稲田朋美の説明を総合すれば、単に稲田朋美の選挙区の支持者(=支援者)の集まりだったのか、一定の有識者の集まりで、稲田朋美にも防衛政策の勉強になる勉強会だったのか、自ずと炙り出すことができる。
前者なら、「勉強会」とは防衛省を留守にしたこと単に正当化するための、と言うより、誤魔化すための体裁に過ぎないことになって、国民の生命・財産が脅かされつつある甚大且つ広範な自然災害を他処に見て自らの役目よりも支持者の集まりを優先させたことになり、道義的責任は免れ得ない。
ところが記者の質問は稲田朋美が役目上は何も問題はないとしているにも関わらず、「災害派遣中にそちらを優先する理由は何ですか」とか、「これからもこういう事態があったら、そちらを優先するのですか」とか、「勉強会」なるものの実態を問わずに仕事よりも勉強会を優先させた適否だけを問うことにエネルギーを費やしていた。
勉強会が一定の有識者の集まりで、稲田朋美にとっては防衛政策の勉強に欠かすことのできない重要な集まりであったとしても、私的な会合であるなら、同じような会合を二度と開く機会がないということはないはずだから、やはり死者が出ている自然災害を前にして自衛隊指揮・命令者である防衛大臣が私的な集まりである会合を優先させた道義的責任はゼロとすることはできない。