2017年8月14日のテレビ朝日『橋下×羽鳥の番組』で「自衛隊は違憲か?」と「憲法改正は必要か?」の二つのテーマにもとに安倍晋三が今年5月に表明した憲法9条への自衛隊明記を中心に議論が行われていた。
3日前の8月17日に同じ番組の 「憲法はアメリカの押しつけ!?」かについて「ブログ」に書いたが、そのとき紹介した出演者と同じく、MCが橋下徹と羽鳥慎一。コメンテーターが自民党総裁特別補佐の柴山昌彦、自由党の玉城デニー、東京大学法学部卒の憲法学者の木村草太(37歳?)、タレント、エッセイストの小島慶子、フリーアナウンサーの新井恵理那、ジャーナリストの堀潤といった面々。
自民党は自衛隊を合憲としているが、2015年成立させた安保法制関連法案で集団的自衛権の憲法解釈による行使容認の根拠を安倍晋三始め、当時の中谷元防衛相、高村自民党副総裁等々は「最高裁の判断こそ憲法の番人だから」と砂川事件最高裁判決に置いた。
だが、砂川最高裁判決が、憲法9条によって〈わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく〉と認めている「固有の自衛権」とは日米安全保障条約で取り決めた在日駐留米軍に肩代わりさせた日本防衛にかかる「自衛権」を指しているのであって、憲法9条との兼ね合いで日本自身が固有の自衛権を持ち得るとは一言も触れていない。
砂川最高裁判決(一部抜粋) 同条(日本国憲法第9条のこと)にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしも ちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権 利を有することを確認するのである。 しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければな らない。すなわち、われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補ない、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。 そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであって、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。 |
〈憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。〉・・・・・・
これが憲法9条によって〈わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく〉の結論である。
そもそもからして砂川事件とは1957年に基地反対派の学生が基地拡張に抗議して米軍立川基地内に突入、日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反で逮捕されたことが発端となって、被告側が日本政府が日本への米軍の駐留を認めているのは9条で武力の不行使、戦力の不保持、交戦権の否認を規定している日本国憲法に違反していると訴えたのに対して原告の国側が日米安全保障条約に基づいた米軍の日本駐留は合憲と主張、そのいずれかを争った裁判であって、集団的自衛権が合憲か否かを争った裁判ではない。
それ故に上に挙げた判決文も、当然のことだが、裁判の趣旨に添って〈他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではない〉と米軍の日本駐留を合憲と判断したのである。
判決は集団的自衛権について次のように触れている。
(一部抜粋) 右(日米)安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、(サンフランシスコ)平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。 それ故、右(日米)安全保障条約は、その内容において、主権国としてのわが国の平和と安全、ひいてはわが国存立の基礎に極めて重大な関係を有するものというべきであるが、また、その成立に当っては、時の内閣は憲法の条章に基き、米国と数次に亘る交渉の末、わが国の重大政策として適式に締結し、その後、それが憲法に適合するか否かの討議をも含めて衆参両院において慎重に審議せられた上、適法妥当なものとして国会の承認を経たものであることも公知の事実である。 |
この判決の文意にしても日米安全保障が合憲か違憲かの争点に応じて合憲側に添ったもので、決して集団的自衛権を認めている判決とはなっていない。単に〈国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認している〉ゆえに、日本が憲法9条の規定によって自衛権の行使が禁止されている暫定措置として日米安全保障条約を取り決め、「個別的および集団的自衛の固有の権利」の肩代わり(いわば日本の防衛)を在日米軍に負うのは何ら憲法に反していないとしているに過ぎない。
砂川最高裁判決のどこにも個別的自衛権、あるいは集団的自衛権を認めると一言も触れていないが、もし安倍晋三以下が集団的自衛権行使容認を砂川最高裁判決に置くなら、自衛隊の合憲・違憲もこの判決に置かなければならないことになる。
〈憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。 従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。〉 |
日本国憲法9条第2項が〈その保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。〉
ここでも日米安全保障条約に基づいた米軍の日本駐留は憲法に違反しないとう趣旨に添った文意そのものとなっている。
但し日本国憲法9条第2項が〈その保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し〉との文言で自衛隊を9条2項が禁止している戦力に当てている。
いわば自衛隊違憲説となっている。
最高裁判決を憲法の番人とする以上、砂川最高裁判決は安倍晋三以下が主張しているのとは反対に集団的自衛権を認めているわけではなく、逆に自衛隊を違憲との主張を全面的に認めなければならない。
このことを踏まえて『橋下×羽鳥の番組』での自衛隊は合憲か違憲かの議論に絞って、主なところを簡単に拾ってみる。
橋下徹「国民からすれば、今の僕らの世代からすると、自衛隊は違憲だと思っている人は少ないと思う。ただ正直に言わなければいけないのは、一つは意義があると思うのは自衛隊組織の志気がやっぱり上がりますよ。
政治・行政の世界に於いては自衛隊と言うのは違憲かどうかという話は常に出てきている話で――」
羽鳥慎一「頑張っている話で、俺は違憲なのかって――」
橋下徹「そうそう、命を賭けて仕事をしなければいけないときに日本の憲法で、これ疑いの余地があるなんて、飛んでもない話ですよ。だから、統合幕僚長がね、政治的な発言(憲法に自衛隊の根拠規定が明記されるのはありがたいとした発言)だと批判を受けたけども、自衛隊のトップの人が言ったのは素直な気持だと思います。
こういう意味で(安倍晋三が憲法に自衛隊明記を表明したのは)意義があると思います」
橋下徹や羽鳥慎一には自衛隊の志気を上げるために合憲を必要とするといった情緒的判断が許されていらしい。憲法は自衛隊員のためにあるのではない。憲法は全国民のためにある。9条に自衛隊を明記するということは国民の判断基準になるということなのだから、情緒的にではなく、厳格に合理性を持たせなければならない。
当然、合理性を与える議論が求められる。
橋下徹が「自衛隊は違憲だと思っている人は少ないと思う」と言い、安倍晋三にしても「自衛隊に対する国民の信頼は9割を超えています」と言っているが、その9割の多くは災害救助活動の自衛隊についてであって、戦争する自衛隊に対してではないことは世論調査を見れば一目瞭然である。
2017年3月《世論調査 日本人と憲法 2017》(NHK NEWS WEB/2017年4月29日) 全国の18歳以上の4800人を対象に電話ではなく、直接会って聞く個人面接方式で実施し、55.1%に当たる2643人の有効回答。 「憲法改正は必要か」 「必要」43% 「必要ない」34% 「どちらともいえない」17% 「『戦争の放棄』を定めた憲法9条を改正する必要があると思うか」 「改正する必要があると思う」25% 「改正する必要はないと思う」57% 「どちらともいえない」11% 回答者の多くが自衛隊や集団的自衛権とは関係しない個所の憲法改正を望んでいる。 9条に関しての傾向は郵送方式で行い、有効回答2020人となった、「朝日新聞世論調査」(2017年5月2日00時20分)にも現れている。 「憲法第9条を変えるほうがよいと思いますか。変えないほうがよいと思いますか」 変えるほうがよい29% 変えないほうがよい63% 前のところで自衛隊に対する信頼の9割の多くは災害救助活動の自衛隊についてであって、戦争する自衛隊に対してではないはずであると書いたが、朝日新聞世論調査の次の回答がこのことを証明している。 ◆自衛隊が海外で活動してよいと思うことに、いくつでもマルをつけてください。 災害にあった国の人を救助する92% 危険な目にあっている日本人を移送する77% 国連の平和維持活動に参加する62% 重要な海上交通路で機雷を除去する39% 国連職員や他国軍の兵士らが武装勢力に襲われた際、武器を使って助ける18% アメリカ軍に武器や燃料などを補給する15% アメリカ軍と一緒に前線で戦う4%(以上) 自衛隊の戦争活動への支持は僅か4%に過ぎない。支持は期待と信頼を裏打ちとして成り立つ。 安倍シンパの「産経新聞社とFNN合同世論調査」を見てみる。 「憲法改正について」 「賛成」52・9% 「反対」39・5% 「賛成52・9%のうち、戦争放棄や戦力不保持を明記した憲法9条改正について」 「賛成」56・3% 「反対」38・4% この記事には調査方式も回答者数も記載されていない。同じ内容の記事を載せている「政治に関するFNN世論調査」で調べてみた。 〈017年4月15日(土)~4月16日(日)に、全国から無作為抽出された満18歳以上の1,000人を対象に、電話による対話形式で行った。〉と書いてある。但し有効回答者数は記載していない。1000人共が有効回答と見て計算してみる。 憲法改正に賛成は529人。反対は395人。529人の内、9条改正賛成は529✕56・3%≒298人。529人の内、9条改正反対は529人✕38・4%≒203人。 憲法改正反対39・5%(1000人の内395人)は9条改正反対にそのまま右へ倣えするから、9条改正反対は395人+203人=598人となって、賛成298人よりも300人上回ることになる。 |
このように自衛隊に対する9割の信頼の多くは災害活動に対してであり、戦争への役割に対してではないにも関わらず、安倍晋三は9割の多くを戦争する自衛隊への信頼だと道理を捻じ曲げて憲法9条に自衛隊を明文化しようとしている。
自民党側は自衛隊が合憲か違憲かを合理的な判断に基づいて結論づけてはいない。
国民の多くは自衛隊の人命救助を含めた災害活動に頼り、信頼を置いている。このような活動組織の存在を違憲と判断することは難しいはずだ。橋下徹たちと同様に情緒的な判断を迫られる。
橋下徹を含めたこういった傾向は自衛隊合憲の合理的な根拠を示し得ていないからであろう。番組でもタレント、エッセイストの小島慶子が9条に3項を設けて自衛隊を明記したとしても、9条1項、2項が規定している武力の不行使、戦力の不保持、交戦権の否認と矛盾することになり、その矛盾を解消するために今度は1項・2項を変えようとどんどん拡大していくのではないかと懸念を示していたが、安倍晋三の狙いを以前「ブログ」に「着地点」という言葉を使って書いたように自衛隊を憲法に明記することで完璧に合憲の存在とした上で、後は1項2項は手を付けずに成立させた安保法制を駆使して自衛隊海外派兵にしても集団的自衛権行使にしても可能としていくことにあり、1項・2項を削る改憲は国民の世論がそのような改憲に反対している都合上、考えていまい。
要するに自衛隊が合憲か違憲かを合理的な判断に基づいて結論づけることは避けて、国民が自衛隊を違憲と決めつけにくい状況を利用していきなり憲法に自衛隊の根拠規定を明記することで合憲へと持っていって、誰もが違憲と言えない環境を作り出しておいて、後は安保法制でやっていこうという魂胆なのだろう。
このことに関係する政府側の考え方を自由党の玉城デニーが指摘している。
玉城デニー「安保法制の国会での議論のときに重大な意見と言うか、見逃してはならない政府答弁っていう、そういうのがあったんですよ。中谷防衛大臣が、当時、この法律は憲法違反ではないかと言われたときに、『憲法をこの法律に合わせる』ということを発言したんですね。
憲法をこの法律に合わせるということは間違いなく法律違反です。憲法で認められている法律しか成立しないですから。そういう考えをどんどん進めて、今みたいに解釈が先に立って、法律の解釈だけ先に成立させて、じゃあ憲法にどう書くかというのは法律擁護になるのか、憲法擁護になるのか、法律論になると思うんですよね」
柴山昌彦「そこはですね、余りに平和法制のときの議論を蒸し返して、時間はなくなって――」
玉城デニー「いや、問題じゃないですか」
柴山昌彦は無視して、自身の発言を進める。
2015年6月5日平和安全法制特別委員会での中谷元の発言を議事録から取り上げてみる。
中谷元「やはり政府としては、国民の命とそして平和な暮らしを守っていくために、憲法上安全保障法制はどうあるべきか、これは非常に国の安全にとって大事なことでございますので、与党でこういった観点で御議論をいただき、そして現在の憲法を如何にこの法案に適用させていけばいいのかという議論を踏まえまして閣議決定を行ったわけでございますので、多くの識者の御意見を聞きながら真剣に検討して決定をしたということでございます」
質問者は民進党の辻元清美だったが、中谷発言の重要性に気づかずに他の質問をしている。
中谷発言は先に触れた安倍晋三の狙いそのものを現している。
憲法に自衛隊を明記して合憲化することで憲法学者の誰にも違憲だと言わせないようにして、玉城デニーが言ったようにいわば“憲法を安保法制に合わせる”遣り方で憲法9条の1項・2項を他処にしたまま集団的自衛権の行使を含めた自衛隊の国内外の活動を拡大していく。
繰返しになるが、後者を可能とする手始めが前者――自衛隊の憲法明記だということである。
相手部隊の規模に応じた可変性を持たせた、それゆえに最大限に化けることもあり得る「必要最小限の武力行使」を国民納得の大義名分にして自衛隊の活動ばかりか、軍備も拡大していく。
一つの狙いを成功させることで、頭の中にある次なる狙いも実現させていく。情緒的な議論に任せて自衛隊は違憲か合憲かを言い合っている場合ではない。