安倍晋三は自衛隊の憲法明文化は砂川最高裁判決自衛隊違憲判断を覆してからではないと、違憲騒動は続く

2018-01-26 10:21:13 | 政治

 日本国憲法「第2章戦争の放棄 第9条」は次のように規定している。

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

 要するに第9条第1項で戦争放棄、第2項で戦力の不保持と交戦権の否認を定めている。

 安倍晋三は2017年2017年5月3日、都内開催の「公開憲法フォーラム」にビデオメッセージを送って、「憲法改正は自由民主党の立党以来の党是」であり、「多くの憲法学者や政党の中には自衛隊を違憲とする議論が今なお存在している。『自衛隊は違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』と言うのは、あまりにも無責任」であるゆえに「自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』との議論が生まれる余地をなくすべきである」と提案、「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込みたい」と憲法改正の意思を示した。

 戦争放棄と戦力の不保持、さらに交戦権の否認を残したまま戦力である自衛隊を9条3項を設けて明文化する。安倍晋三はこの矛盾を承知していて、9条1項、2項を残すことで国民の拒絶反応を和らげ、兎に角自衛隊を憲法に明記して違憲の影を払拭、自由に活動させようという安倍晋三特有の陰謀を発揮したといったところなのだろう。

 1月24日(2018年)の衆院本会議代表質問でも、「自衛隊は違憲だと主張する有力な政党も存在する。自衛隊員に『君たちは憲法違反かもしれないが、命を張ってくれ』と言うのは無責任だ」(産経ニュース)との感情論を持ち出して憲法への自衛隊明記に意欲を示している。   

 「多くの憲法学者や政党の中には自衛隊を違憲とする議論が今なお存在している」、「自衛隊は違憲だと主張する有力な政党も存在する」と言い、「『自衛隊は違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』と言うのは、あまりにも無責任」、あるいは「自衛隊員に『君たちは憲法違反かもしれないが、命を張ってくれ』と言うのは無責任だ」と自衛隊違憲派を批判するなら、果たして事実、自衛隊は合憲なのか、違憲なのか、先ずは決着をつけるべきだろう。

 合憲と決着が着いた場合は正々堂々とその存在を憲法に明記できるし、違憲と決着が着いた場合は、憲法に明記はできなくなる。決着を付けないままに憲法に明記した場合、憲法違反の訴訟は引き続いて発生することになる。

 もし最高裁で違憲判断が出た場合、憲法から自衛隊の文言を削除して、元に戻さなければならなくなる。この可能性は砂川最高裁が自衛隊を違憲とする判断を示している以上、否定できない。

 自衛隊を違憲とする政党も憲法学者も砂川最高裁判断を根拠としているはずだ。

 米軍の日本駐留は合憲か違憲かを争った裁判の砂川最高裁判決が「我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである」と言い、あるいは「わが国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」と言っていることは自国軍隊に基づいた「自衛権」、あるいは「自衛のための措置」を「国家固有の権能の行使」として日本国憲法は認めていると判断したわけではない。

 このことは次の判断が証明する。

 「憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持 し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。

 従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留する としても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである」――

 言っている意味は憲法9条2項の法意は、「戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使」して侵略戦争等引き起こさないように「戦力の不保持を規定した」と解するべきで、9条2項が「保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力」を言うと、前段の文意と後段の文意を対応させた上で、「結局わが国自体の戦力を指」すと自衛隊を憲法9条2項が保持を禁止している戦力と位置づけている。

 そして、「外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留する としても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである」として、日本駐留の米軍は憲法9条2項が禁止している戦力に当たらないから、駐留は憲法違反ではないとの判断を示したのである。

 砂川最高裁がこのように判断しなければ、最初に述べた9条2項の法意は正当性を失ことになる。

 要するに日本駐留の同盟国米国の軍隊に基づいた「自衛権」、あるいは「自衛のための措置」は憲法違反には当たらないと、その正当性を認めた。

 「わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力」イコール自衛隊を9条2項が禁止する「戦力」に当たり、米国が「指揮権、管理権を行使し得る戦力」イコール日本駐留の米軍を9条2項が禁止する「戦力」に当たらないという論理を取ると、論理的整合性を保つために結果的に後段の最初に延べているように「同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」と直接的な判断を避けざるを得なくなる。

 安倍晋三も自民党の側から集団的自衛権行使容認に深く関わった高村正彦も「憲法の番人は最高裁判決」であるとして、事実そのとおりであるが、集団的自衛権行使容認の根拠を砂川判決に置いた。だが、砂川最高裁判決は「国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認している」と述べているのみで、日本国憲法が個別的自衛権及び集団的自衛権を認めていると述べている箇所はどこにもない。

 砂川判決は日本国憲法が個別的自衛権を認めていないことは既に述べた。認めていないゆえに、日本駐留の米軍による「自衛権」、あるいは「自衛のための措置」は許されるとの判断を示した。自衛隊を9条2項が禁止している「戦力」に当たると判断していながら、その自衛隊を集団的自衛の一方の「戦力」に位置づけることは論理的整合性を失う。失うことによって判決の全てを自ら出任せにすることになる。

 このように砂川最高裁判決は自衛隊を違憲の「戦力」と規定、当然、「わが国がその主体となって自衛隊に指揮権、管理権を行使」する
「個別的および集団的自衛の固有の権利」をも日本国憲法は禁止していると解釈しなければ、判決に対する整合性を失うことになる。

 憲法の番人である砂川最高裁判決が自衛隊を違憲としている以上、安倍晋三は自衛隊は違憲ではないとするいずれかの最高裁の判決を求めなければならない。そうしなければ、憲法にその存在を明文化することはできないし、国民を騙し騙し明文化したとしても、「多くの憲法学者や政党の中には自衛隊を違憲とする議論」は永遠に無くなることなないし、違憲判断を求める訴訟はいつまでも続くことになる。
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