作家の百田尚樹が自らのツイッターで朝日新聞を批判、「朝日の読者も日本の敵だ」と朝日新聞ばかりか、その読者までを「日本の敵だ」と同罪に祭り上げた趣旨のマスコミ記事に二日前程に出会った。
対して朝日新聞広報部のツイッターが反論したと出ていた。
どういった発言なのか、具体的に知りたいと思って、名誉なことだが、ブロックを受けている百田尚樹のツイッターに念のためにアクセスしてみると、やはりと言うべきか、案の定と言うべきか、〈ブロックされているため、@hyakutanaokiさんのフォローや@hyakutanaokiさんのツイートの表示はできません。〉と丁重な断りを受けて投稿文そのものを覗くことができなかった。
仕方がないから、マスコミ記事から百田尚樹の投稿文と朝日新聞広報部の投稿文のみを借用、自分なりの受け止めを記してみるが、記事内容の詳しいことは記事にアクセスして確かめて貰うことにする。
「J-CAST」2018/1/16 20:30) 2018年1月13日百田尚樹ツイッター。 「朝日新聞は、慰安婦の日韓合意で、韓国の肩を持ったり、尖閣の中国潜水艦の記事を一面から外したり(他紙はすべて一面)、マジで潰れてもらわないといけない!!。 これは首を賭けてもいい。もし、中国と日本が軍事衝突をすれば、朝日新聞は100パーセント、中国の肩を持つ。朝日新聞は日本の敵だが、そんな売国新聞を支えている朝日の読者も日本の敵だ」 2018年1月15日夕、朝日新聞広報部ツイッター。 「『朝日の読者も日本の敵だ』と作家の百田尚樹さんが発信していますが、特定の新聞の読者を敵視するような差別的な発言に強く抗議します。私たちはこれからも建設的で多様な言論を尊重し、読者とともにつくる新聞をめざします」 2018年1月15日夜、百田尚樹ツイッター。 「朝日新聞の広報さん、僕のツイートに対して二日も経ってから気合いを込めてツイートしたのに、非難轟々のリプライばかりじゃないか。 読者はエールを送ってくれないのか。応援リプライがほとんどない現実を受け入れたらどうだろう?」 2018年1月16日早朝、百田尚樹ツイッター。 (朝日新聞が13日付のツイートを「差別的な発言」とみなしたことに)「朝日新聞の広報さん、私はたしかに朝日新聞と読者を敵視したようなツイートをしましたが、差別的な発言はしていません。 なんでもかんでも、すぐに『差別だ!』と、がなりたてるのはやめませんか。精神が弱者ビジネス丸出しですよ」 記事。〈16日20時時点で、朝日広報ツイッターはこの発言への反応を示していない。〉 |
日中軍事衝突は可能性としては全否定できない現実的な有事の一つとしなければならないが、その衝突を「100パーセント」中国が絶対悪で、「100パーセント」日本を絶対善と決めつけることの妥当性は戦前の日米戦争が証明する。
戦前の日本の国民世論の大勢は決定的に対米戦争を「100パーセント」日本の絶対善とし、戦争反対者を「100パーセント」絶対悪とした。このような善悪二元論で思想統一できたのは、あるいは言論統制することができたのは戦争に反対する日本人を同じ日本人でありながら、「日本の敵」を意味する“国賊”、“売国奴”、あるいは“アメリカのスパイ”と非難し、排斥することに国民大衆が付和雷同したからなのは見てきたとおりである。
このような思想統一、あるいは言論統制の全体主義的な力を前にしてアメリカの国力をよく知る日本人が日本の国力との差で無謀で危険な戦争だと考えていたとしても、非難・排斥を恐れて口を閉ざすことになった。
戦争は外交政策の稚拙さ、あるいは失敗をプロセスとする。それが相手側の稚拙さ、あるいは失敗であったとしても、それを阻止できずに自国の土俵に引き込むことができなかったその外交政策はその実現能力と共に問われなければならないし、戦争によって自国に多くの犠牲者や大きな被害を決定的にもたらした場合は、結果論としても外交政策の質を問題としなければならない。
戦争というものがこういう構図を取る以上、戦争となった場合は否応もなしに功罪相伴うことになる。伴うからこそ、トランプは軍事力の点でアメリカが北朝鮮のそれを圧倒的に上回りながら、簡単には北朝鮮を攻撃できずにいる。計り切ることができない自国及び自国民の被害を恐れているはずだ。
いわば「100パーセント」正しい戦争と言うものも、「100パーセント」絶対悪である戦争と言うものも存在しない。燎原の火勢でヨーロッパ大陸に跳梁跋扈させたナチス・ヒトラーの侵略にしても欧州各国の外交にも何らかの問題があったはずだ。
当然、日中間に軍事衝突があったとしても、朝日新聞が言論機関としての良識を備えていさえすれば、「100パーセント、中国の肩を持つ」ということはあり得ないことで、それぞれの功罪を取り上げることになるはずだ。
却って恐れなかればならないのは戦争というものの構図を無視して、戦前のように「100パーセント」日本の「肩を持つ」ことである。日本の戦争を「100パーセント」絶対善とする思想統一・言論統制に与することであろう。戦争に批判的、あるいは反対の意見を口にするすべての日本人を“国賊”、“売国奴”、あるいはどこそこの“スパイ”と非難し、排斥することであろう。
要するに百田尚樹は様々に展開される外交上のプロセスを最初から考慮に入れずに、いわば日本の外交の拙劣さ、あるいは失敗を発端とするケースも可能性として想定しなければならない日中軍事衝突を単眼的視野狭窄に陥って無条件的に常に日本を絶対善とする立場から「朝日新聞は100パーセント、中国の肩を持つ」と絶対悪とする中国と同列に置き、その速断を以ってして「売国新聞」だと冒涜、「そんな売国新聞を支えている朝日の読者も日本の敵だ」と排除することで実質的には日本を「100パーセント」絶対善とし、中国を「100パーセント」絶対悪とする善悪二元論の思想統一・言論統制を謀っている。
また、百田尚樹が朝日新聞とその読者を「日本の敵だ」と決めつけていることは自身の思想や立場、いわば自身そのものを絶対とし、その絶対を以ってして自己を日本国家にイコールさせていることを意味する。いわばそこに独裁意志を働かせていることになる。
なぜなら、日本国憲法が保障する日本人それぞれの言論の自由や信教の自由を常に念頭に置いているなら、日本という国を自己の所有物であるかのように扱って「日本の敵」とすることは絶対的不可能事となるからだ。
朝日新聞とその読者を「敵」と言うことが許されるのは百田尚樹の思想や立場から見て、それらと相容れないために「敵」という意味でなければならない。あるいは百田尚樹と思想や立場に同調する日本人に限っての「敵」でなければならない。日本国憲法が基本的人権として保障する言論の自由や信教の自由に忠実であろうとすれば、このような関係を必ず取らなければならない。
言論の自由や信教の自由を無視して「日本の敵」とし、それが国民に広く受け入れられて日本人であることを否定する一般的なレッテルとして流布した場合、戦前の日本に戻ることになる。
百田尚樹のような人間が何かのキッカケで国家権力を手に入れた場合、戦前日本国家同様に自身の思想や立場に反する日本人を「日本の敵」とする思想統一・言論統制を用いて独裁権力を恣(ほしいまま)にする違いない。
悲しいことに百田尚樹は自身が極めて金正恩に近い人間であることに気づいていない。この男が安倍晋三の親友だというから、恐ろしい。