【追記】(2018年1月9日 18時01分) 少々蛍光灯で、気づくのが遅すぎたが、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」にロシアは棄権票を投じて加盟していない。だが、北方四島の先住民はアイヌ民族であった事実に変わりはないから、ロシア側が歴史を経てロシア領であることを回復したという論理を取るなら、ロシア人が住む歴史以前にアイヌ民族が先住していた歴史を以ってして、アイヌの土地として回復すべきであるという論理も成り立つはずである。日本とロシアは先住民族であるアイヌ民族を外してロシア領だ、日本領だと争っていたに過ぎないと。 |
安倍晋三が地元山口を訪れていた2018年1月8日、下関市で開催の自身の後援会で挨拶、今年5月に訪ロし、プーチンとの首脳会談の希望を伝えた上で平和条約締結に関して発言したと2018年1月8日付 「NHK NEWS WEB」が伝えている。
安倍晋三「おととし、ロシアのプーチン大統領と隣の長門市で合意した長門合意にのっとり、この1年間で前進があった。
事情が許せば、5月にロシアを訪問したい。4島の帰属問題を解決し、平和条約を締結するため、1歩でも2歩でも前進させていきたい」
「1年間で前進があった」と言っていることは2016年12月に訪日したプーチンとの2度の会談で北方四島で「日露双方の法的立場を害さない『特別な制度』」の構築に関する協議の開始に合意し、この合意に基づいて共同経済協力が進んでいることを指している。
北方四島で経済協力を進めて、最終的に四島の帰属を決め、平和条約締結に結びつける。安倍晋三が描いているシナリオである。
だが、このシナリオに於ける日露双方が共同経済協力の基本的な枠組みとする安倍晋三提唱、プーチンと合意したものの、「特別な制度」の構築は一向に進んでいない。何をどう協力していくのか、共同経済協力の分野の選定が進んでいるのみである。
「日露双方の法的立場を害さない」とは、国家の三要素である「領土・国民・主権」は全て国々の憲法その他の法律の制約下にあるから、そのような立場を害さないために日露共に自国の法制度を離れるということであろう。
このことはロシアにとっては北方四島に於ける主権の一時的な棚上げを意味して、北方四島を実効支配しているロシア側にとってより不利となる、日本側にとっては四島の帰属問題に希望を見い出すことができる「特別な制度」と言うことができる。
もしロシア側がゆくゆくは帰属問題の交渉に応じて、一島でも二島でも返還する気でいたなら、「特別な制度」の構築に反対しないはずだ。
だが、ロシア側は「共同経済活動はロシアの法律に基づいて実施される」と主張、いわばロシアの主権を譲らないでいる。
この姿勢は帰属問題の交渉に応じるのか応じないのか、あるいはロシア側は経済という果実だけを求めているのかどうかを占うことになる。
この二度目の首脳会談を終えた安倍晋三とプーチンは共同記者会見を行っている
「日露共同記者会見」(首相官邸/2016年12月16日) 阿比留瑠比「幹事社の産経新聞の阿比留と申します。 平和条約締結に関しては、先日の日本メディアとのインタビューで、大統領は、我々のパートナーの柔軟性にかかっているとも述べられています。かつては、引き分けという表現も使われました。大統領の御主張は、何か後退しているような印象があるわけですが、日本に柔軟性を求めるのであれば、ロシア側はどんな柔軟性をお示しになるのか、お考えをお聞かせください」 プーチン大統領「 あなたの質問に完全に答えるために、私は、せめて非常に端的に、手短に、いずれにせよ歴史について述べなければなりません。 尊敬する阿比留氏、私はそのようにあなたの名字を聞き取りましたが、尊敬する同僚、友人の皆様。 確かに日本は1855年に『南クリル列島』の諸島を受け取り、ロシア政府及び天皇陛下との合意に従い、プチャーチン提督は最終的にこれらの諸島を日本の管轄下に引き渡しました。なぜなら、それまでロシアは、これらの島々は、ロシア人航海者によって開かれたため、ロシアに帰属していると考えていたからです。平和条約を締結するために、ロシアはこれら諸島を引き渡しました。 ちょうど50年後、日本はこれでは不十分であると考え、1905年の戦争ののちに、これらの軍事行動の結果として、更にサハリンのもう半分、サハリンの北部を最終的に取りました。 ところで、ポーツマス条約のある条で日本は、この領土からロシア国民をも本国に送還する権利を得ました。彼らは残ることもできたが、日本は、この領土から、サハリンからロシア国民を本国に送還する権利を得ました。更に40年後、1945年の戦争ののち、今度はソ連が、サハリンを自国に取り戻しただけではなく、『南クリル列島』の島々をも取り戻しました」 |
プーチンが「日本は1855年に『南クリル列島』の諸島を受け取り」と言っていることは千島列島の択捉島と得撫島の間に日露の国境線が引かれ、樺太に関しては国境を設けず、これまでどおりに両国民混住の地とすることになった1855年2月7日(安政元年12月21日)締結の日露和親条約(プーチンが言っている「平和条約」)を指す。
さらにプーチンが「ちょうど50年後、日本はこれでは不十分であると考え」と言っていることは日露和親条約締結50年後の1895年6月8日に日本が日露和親条約の効力を放棄することを取り決めた「日露通商航海条約」の締結を言う。
但し日本は日露和親条約の効力を失うことになるが、1875年締結の樺太での日本の権益を放棄する代わりに得撫島以北の千島全島をロシアが日本に譲渡し、日本の領土とすることを取り決めた「樺太千島交換条約」の効力を確認、発効させている。
「1905年の戦争」と言っているのは勿論、日露戦争のことで、戦争の結果、日本は南樺太(南サハリン)を日本領とし、ロシアは樺太に関しては北樺太のみを領土とすることになった。プーチンが「サハリンのもう半分、サハリンの北部を最終的に取りました」と言っていることはこのことを指す。
南樺太を領土とした日本は在住ロシア人を南樺太外に移動させたと言うことなのだろう。そしてプーチンは「更に40年後、1945年の戦争ののち、今度はソ連が、サハリンを自国に取り戻しただけではなく、『南クリル列島』の島々をも取り戻しました」と第2次世界大戦の結果、南樺太も千島全島もロシア領土として取り戻したと告げている。
全体の趣旨は樺太と千島列島は日露の歴史の過程でそれぞれが領土とし合うことがあったが、元々はロシア領であり、日本の敗戦、ロシアの戦勝でロシアが全ての領土を取り戻したとなる。
このプーチンの北方領土に関わる歴史認識が日露共同経済協力に於けるロシア側の「共同経済活動はロシアの法律に基づいて実施される」との主張にそのまま反映されていることになる。ロシア領土である以上、ロシアの主権下にあるとの謂(いい)である。
プーチンのこのような歴史認識を見る限り、ロシアは北方四島を日本に返還する気はなく、ロシア主権下の日露共同経済協力によって経済的果実のみを成果にしようと目論んでいる。「日露双方の法的立場を害さない『特別な制度』」の構築が進まないままに協力分野のみが決められていく状況は経済的果実のみを追うプーチンにとっては好都合の展開となっているはずだ。
誰が見ても2016年12月の合意に基づいた北方四島に於ける日露共同経済協力に関わる協力分野の選定だけが「この1年間で前進があった」が実情であるにも関わらず、その「前進」をベースにすれば、「4島の帰属問題」と平和条約締結交渉を「1歩でも2歩でも前進させて」いくことができるかのように言うのは話術のペテンそのものである。
2016年12月19日の当「ブログ」に北方四島の先住民はアイヌ民族だから、アイヌ民族への返還を求めたなら、プーチン・ロシアの「第2次世界大戦の結果北方四島はロシア領となった」とする論理を打ち破ることができるといったことを書いた。
返還の根拠は日本も締結国となっている「先住民族の権利に関する国際連合宣言」に依る。
「第28条 土地や領域、資源の回復と補償を受ける権利」
〈先住民族は、自らが伝統的に所有し、または占有もしくは使用してきた土地、領域および資源であって、その自由で事前の情報に基づいた合意なくして没収、収奪、占有、使用され、または損害を与えられたものに対して、原状回復を含む手段により、またはそれが可能でなければ正当、公正かつ衡平な補償の手段により救済を受ける権利を有する。〉――
最終的にはアイヌ民族自身が決めることだが、原状回復を手段として北方四島をアイヌ領土とし、最後に、〈アイヌ民族と現住ロシア人、そして元島民等の日本人を含めた共生国家樹立の構想を打ち立てたなら、国際的な世論を喚起できるように思えるが、どうだろうか。〉と締め括った。
安倍晋三の北方四島がさも返還されるかのように見せかける話術のペテンよりもマシなアイデアであるはずだ。