安倍晋三がリトアニア訪問中の2018年1月14日午前(日本時間14日午後)、カウナスを訪れて先の大戦中にユダヤ人難民を救った「命の査証(ビザ)」で知られる外交官杉原千畝(ちうね)の記念館を視察し、視察後、記者団に「日本人として誇りに思う」と語ったと言う。
「安倍晋三の発言詳報」(産経ニュース/2018.1.14 22:44) 【カウナス=田村龍彦】リトアニア訪問中の安倍晋三首相は、カウナスを訪れ、先の大戦中にユダヤ人難民を救った「命の査証(ビザ)」で知られる外交官、杉原千畝氏の記念館を視察した。視察後、記者団に「日本人として誇りに思う」と語った。安倍首相の発言の詳報は次の通り。 ◇ 「子供たちを含め地元の皆さんに大変温かい歓迎を受けることができました。やはり杉原千畝さんの勇気に対する地域の皆さまの気持ちの表れだろう。日本から遠く離れたこの地で、杉原千畝さんは大変な困難な状況の中、強い信念と意志を持って日本の外交官として、多くのユダヤ人の命を救いました。 昨日も晩餐会で、私から遠く離れた方がわざわざ私のところに来られました。ユダヤ系の国会議員ということでしたが、彼のお母さんは残念ながら『命のビザ』が間に合わず収容所に入れられてしまったが、それでも杉原さんの勇気と努力に敬意を表したい、感謝を伝えたいと来られました。 世界中で杉原さんの勇気ある人道的行動は高く評価されています。同じ日本人として本当に誇りに思います。また、地元の皆さまがこの領事館にひるがえっていた日の丸を含め、杉原さんの記憶を大切に保存していただいていることに日本を代表してお礼を申し上げます」 |
当時欧州各国で迫害を受け、通過査証発給の条件を満たさないユダヤ人にまで日本通過ビザを発給した杉原千畝の人道支援に則った行動を安倍晋三が「勇気ある人道的行動」だったと讃えると同時に自らを「同じ日本人として本当に誇りに思います」との物言いで自らを同種の日本人として提示している。
提示する資格は戦前の日本国家をどう見ているのか、その歴史認識によって違いも出てくるし、あるいは安倍晋三の現在の難民政策の内容如何によって違いも出てくるはずだ。
違いがなければ、杉原千畝と自身を並べ立てる資格が出る。
果たして安倍晋三が自らを杉原千畝と同種の日本人として提示する資格があるのかどうかを見てみる。
杉原千畝がビザ発給したのは1940年夏。当時の大日本帝国におけるユダヤ人対策は次のようになっている。
「猶太人対策要綱」(1938年(昭和13年)12月6日附 五相会議決定)(Wikipedia) 独伊両国ト親善関係ヲ緊密ニ保持スルハ現下ニ於ケル帝国外交ノ枢軸タルヲ以テ盟邦ノ排斥スル猶太人ヲ積極的ニ帝国ニ抱擁スルハ原則トシテ避クヘキモ之ヲ独国ト同様極端ニ排斥スルカ如キ態度ニ出ツルハ唯ニ帝国ノ多年主張シ来レル人種平等ノ精神ニ合致セサルノミナラス現ニ帝国ノ直面セル非常時局ニ於テ戦争ノ遂行特ニ経済建設上外資ヲ導入スル必要ト対米関係ノ悪化スルコトヲ避クヘキ観点ヨリ不利ナル結果ヲ招来スルノ虞大ナルニ鑑ミ左ノ方針ニ基キ之ヲ取扱フモノトス 方針 一、現在日、満、支ニ居住スル猶太人ニ対シテハ他国人ト同様公正ニ取扱ヒ之ヲ特別ニ排斥スルカ如キ処置ニ出ツルコトナシ 二 新ニ日、満、支ニ渡来スル猶太人ニ対シテ一般ニ外国人入国取締規則ノ範囲内ニ於テ公正ニ処置ス 三、猶太人ヲ積極的ニ日、満、支ニ招致スルカ如キハ之ヲ避ク、但シ資本家、技術家ノ如キ特ニ利用価値アルモノハ此ノ限リニ非ス |
要するに日本は独伊との親密な関係維持のためには両国の反ユダ主義と齟齬を来たすユダヤ人政策を採用することはできないが、独と同様の過酷なユダヤ人排斥は日本が中国や東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガン「八紘一宇」(世界を一つの家にするの意)を実現させる必要条件としてタテマエ上掲げていた「人種平等」に反することになることと、特に米国からの外資導入と対米関係悪化回避を考えるとできないとして、以下の2点、日本、満州、中国に現在居住のユダヤ人に対しては「公正な取扱い」を行い、「特別な排斥」を禁じること、日本、満州、中国への新たな居住ユダヤ人に対しては「外国人入国取締規則の範囲内で公正に取り扱う」ことと決めている。
そして3点目として独伊との関係を考えてと言うことなのだろう、日本の方から日本、満州、中国に積極的にユダヤ人を招き入れるようなことは禁ずるが、資本家や技術家は利用価値があるから、この限りではないと決めている。
日本の利益を中心の支点として独伊との関係とアメリカとの関係を両天秤とした何とも都合の良いユダヤ人対策となっている。「八紘一宇」に於ける人種平等主義も日本を他民族と平等に位置させたそれではなく、他民族を下に置き、その頂点に日本を盟主として位置させた人種平等なのだから、真正な人道主義に基づいたユダヤ民族対策でないことは歴然としている。
要するに「世界を一つの家にする」と言っても、大家族主義の頂点である家長に日本を据え、家長以外を家長に従属させる権威主義で成り立たせる意図を持った「八紘一宇」に過ぎなかった。
日本の国益の都合によって変わるユダヤ人対策だから、杉原千畝があくまでも人道主義に立って難民ユダヤ人に日本通過ビザ発給の許可を日本本国の外務省に求めた場合、それが人道主義と無関係に日本の国益で判断されて合致しないとの評価を受ければ、杉原千畝が望んでいない訓令が外務省より発令されることになり、ビザ発給を押し通したことによって訓令違反を犯すことになった。
杉原千畝の行為は誉むべきことであっても、当時の大日本帝国の在り様は決して誉むべきことではなかった。当時の日独伊三国同盟にしても、日本の天皇独裁、ドイツのヒトラー独裁、イタリアのムッソリーニ独裁が世界制覇に好都合に働き合う国家体制としての親近性を持たせたからだろう。
「猶太人対策要綱」は1938年(昭和13年)12月6日の決定。杉原千畝のユダヤ人に対する人道的ビザ発給は1940年(昭和15年)。三国同盟は1940年(昭和15年)9月27日締結。
そして「猶太人対策要綱」は1941年12月8日の日本軍の真珠湾攻撃によって日米は開戦し、もはやアメリカとの政治的・経済的関係を考慮する余地はなしとしてなのだろう、翌1942年(昭和17年)に「猶太人対策要綱」は廃止されている。
要するに杉原千畝に基づいたユダヤ人対策と当時の大帝国日本の国益に基づいたユダヤ人対策とは利害相反の関係にあった。その杉原千畝はなぜか1944年(昭和19年)に国から勲五等瑞宝章を叙勲されている。
この一事を以って杉原千畝のユダヤ人に対する人道行為を本国外務省の訓令違反としていることは根拠はなく、両者が良好な関係にあったことの証拠とする記述がネットに存在する。
利害相反の関係と看做す記述を「コトバンク」から見てみる。一部抜粋。
〈1946年に帰国。翌年、外務省を退職した。訓令違反のビザ発給を理由に退職に追い込まれたとの思いから、退職後は外務省関係者との交流を断ち、86年7月31日に死去した。
「命のビザ」のエピソードが知られるようになったのは、69年にイスラエル政府が杉原に勲章を授けてからだという。85年1月にはイスラエル政府から「諸国民の中の正義の人」として表彰され、91年にはリトアニアの首都にある通りの一つに「スギハラ通り」と名前が付けられた。故郷・八百津町には92年、「人道の丘公園」がオープンし、生誕100年となる2000年には記念館も設立されている。外務省も1990年代に入ってから当時の経緯の検証など「関係修復」に向けて動き、2000年に河野洋平外務大臣が遺族に謝罪した。 (原田英美 ライター / 2010年)〉
勲五等瑞宝章叙勲を根拠として杉原千畝と外務省が良好な関係にあったとする主張からすると、コトバンクの記述は根拠がないことになる。
どちらが正しいのかネットを探してみると、「Wikipedia」の「杉原千畝」の項目から次の記述を見つけた。
〈元イスラエル大使の都倉栄二は、「当時、ソ連課の若い課長代理として活躍していた曽野明」が、「今後の日本はアメリカとソ連の両大国との関係が非常に大切になってくる。特にソ連は一筋縄ではいかぬ相手であるだけに、わが国の将来を考えるならば、一人でも多くのソ連関係の人材を確保しておくべきである」と述べたことを証言しており、他ならぬこの都倉は、千畝から3ヶ月も遅れてシベリア抑留から復員したにもかかわらず、外務省勤務が即刻認められ、「ソ連関係の調査局第三課にこないか」と曽野から誘われている。さらに、杉原が乗船した同じ復員船で帰国した部下の新村徳也は、帰国と同時に外務省外局の終戦連絡中央事務局に勤務することができた。〉――
にも関わらず、1946年に帰国した杉原千畝は引き止められることなく翌年、外務省を退職している。勲五等瑞宝章に反する扱いとなっている。
杉原千畝が1944年(昭和19年)の何月に勲五等瑞宝章の叙勲を受けたのか調べたが、知ることができなかった。但し1944年2月以降、南方の日本軍は玉砕が続き、6月のマリアナ沖海戦では米軍に制空権を奪われていて、敗色濃厚の苦境に立たされていた。徹底抗戦しか叫ぶことができなかった軍人と違って外務省の役人たちが冷静に戦局を眺め、アメリカが戦争に勝った場合の将来を考えて、ユダヤ人を人道的に扱った杉原千畝を国が正当に処遇している証明に叙勲し、そういったことをすることでその時代の日本の悪行を少しでも隠そうとしたということも考えられる。
いずれにしても1938年の「猶太人対策要綱」を見ただけでも、杉原千畝と当時の日本は利害相反の関係にあったことが分かる。そして安倍晋三は当時の大日本帝国を理想の国家像としている。2016年5月29日の当「ブログ」に書いたことだが、2012年12月26日の第2次安倍内閣発足約1カ月半後の2013年2月7日の衆議院予算員会で次のように答弁している。
安倍首相「私の基本的な考え方として、国のために命を捧げた英霊に対して国のリーダーが尊崇の念を表する、これは当然のことだろうと思いますし、各国のリーダーが行っていることだろう、こう思っています。
その中で、前回の第1次安倍内閣に於いて参拝できなかったことは、私自身は痛恨の極みだった、このように思っております」――
安倍晋三は「痛恨の極み」を解き放つために第2次安倍内閣発足満1年を期した2013年12月26日に靖国神社参拝を決行した。そしてこのことの正当化のために「恒久平和への誓い」と題した談話を発表している。
要するに平和を誓うための靖国神社参拝であって、批判されているように戦前の日本の戦争を美化するためではないとの含意を含ませたということなのだろう。
そこには冒頭、次のような言葉が記されている。
〈「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました」〉――
この言葉は安倍晋三のみならず、高市早苗や稲田朋美、山谷えり子、その他その他、同類の国家主義者が靖国神社参拝を正当づけるときの常套句となっている。
「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊」の命を犠牲にする対象は戦前日本国家を措いて他にない。命を犠牲にするとは命を捧げることを意味する。
このような国家を対象とした国民の命の奉仕は戦前の日本国家という空間で演じられた国家と国民との間の関係性として存在した。いわば戦前日本国家と国民の関係性を肯定し、理想としているからこそ、命を捧げた場合、「哀悼の誠を捧げる」価値が生じ、「尊崇の念を表す」価値を認めることができる。
当然、靖国神社参拝とは靖国神社を舞台として戦死兵に対する鎮魂の姿を借りた戦前日本国家と国民の関係性を理想とする戦前日本国家称揚の儀式でしかなく、このような儀式を政治の次元で重要としているのは戦前日本国を理想の国家像とし、そのような国家像を戦後日本国家に連続させたいと欲しているからに他ならない。〉――
このように見てくると、戦前の大日本帝国を理想の国家像としている安倍晋三が、その熱烈な天皇主義からも理解できることだし、大日本帝国憲法を否定した日本国憲法を占領軍憲法と否定して、否定の否定が前者の肯定を成り立たせることになる憲法観からも理解できることだが、杉原千畝の難民ユダヤ人に対する人道上の扱いを「勇気ある人道的行動」だと評価し、「同じ日本人として本当に誇りに思う」と自らを同種の日本人として提示する資格はないことになる。
現在、難民の日本入国に厳しい制限政策を採用していることからみても、その資格はない。資格がないのにあるが如くに装うのは詭弁とツラの皮の厚いご都合主義な歴史認識でしかない。