ガス・電気が不通になったとしても、どうにか代用が効く。ガスがつかなければ、パンとかインスタント食品で間に合わせることができるだろうし、ボンベ式の卓上コンロを購入すれば、ある程度代わりを果たしてくれるし、照明はローソクや懐中電灯等でどうにか間に合わせることができる。
しかし水道の場合、飲用水は自販機等で購入すれば、いつもしていることだろうから、間に合わせることができるにしても、手や顔を洗ったり、身体を拭いたり、あるいはトイレの水に使うには、水は水でなければならないはずで、他に代用は効かないだろう。効かない分、必要とすることになる。
今回の中越沖地震でも、避難所を含めて多くの被災者が水道が出なくて困っていると口々に言っていたし、昨日(7.17)の昼のNHKニュースでも、「一番困っているのは水だ」と被災者の一人が言っていた。蛇口をひねれば水の用を足すことができる便利さから比べれば、給水車を煩わせなければならない不便さは格別なのだろう。
新聞は、柏崎市など6市町村の6万世帯以上で断水したと報じていた。給水車が到着するのを待って持参したポリタンクに水を受け、重そうにして持ち帰るテレビが映し出す光景は大型の地震が起きるたびに順番を踏んだように目にするお馴染みの光景となっている。
とにかくも給水車から水を補給できるようになって、水が全然ないわけではない段階にありながら、「一番困っているのは水」という被災者の水に対する緊急の要求が自治体の給水車だけではなく自衛隊の給水車も活動しているにも関わらず、給水車に長蛇の列をつくらしめることになっているのだろう。ポリタンクを複数用意したとしても、給水車から補給できる水の量は用意したポリタンクの数に限られるから、一つ底がつけば、用心のために給水車まで出かけて満タンにしておくといったことをするのではないだろうか。時にはそのために列を作って時間待ちしなければならず、不便で忍耐を払わなければならないが、並ばなければ水は手に入らない。
多分こういった水に対する不便が解消されるのは電気やガスに対する欲求が解決されるよりも後回しにされるに違いない。発電所が倒壊したということなら話は別だが、電柱が倒れたり架線が破断したといった障害なら、架線は空中に這わせているのだから復旧は早いが、ガス・水道は管が地中に埋設してある関係で電気に比べて復旧には時間がかかる。電気が復旧しさえすれば、電子レンジといった電気を使用する調理器具は大抵の家庭で備えているだろうから、ガスの代用がある程度効くようになる。
つまり、最後まで不便を強いられるのは水というパターンが大型地震が起きるたびに繰返されることになる。2004年(平成16)10月23日の同じ新潟で起きた中越地震でもお馴染みの光景をテレビで見て、このパターンを少しでも解消する方策として、私自身のHP「市民ひとりひとり」に「第71弾 井戸の活用による地震後の避難生活の改善」と題した一文を04年4月11日にアップロードし、その内容を内閣府にメールで送って宣伝に努めたのだが、役に立たないと見たのだろう、覚悟していたことだが、関係省庁に紹介して今後の政策に役立てたいといった紋切り型の返信が来たきりでおしまいとなった。
中越地震のときは老人ホームでも水不足が生じて、入居老人の排泄後などに身体を拭く水が満足に使えなくて、かぶれ等が生じているとテレビで報道していた。老人ホームのためにと仮に給水車を玄関先に常時1台デンと用意したとしても、ぎりぎりの人数で介護していることだろうから、そこまでポリタンクで水を補給しにいくこと自体大変に違いない。今回は病院で人工透析で何に水を使うのか、水が不足して透析機が使えず、患者を他の病院に回すと言っていた。
大地震の場合、ガス・電気・水道が使えなくなるのはほぼ決定事項なのだから、その中でも最も必要不可欠とする水を緊急の場合、井戸水に替えることができるように日本全国どこでも準備しておくべきではないだろうか。日本全国というのは、日本列島自体が地震列島で、どこで地震が起きてもおかしくはないからだなのは断るまでもない。
容量の関係で既に抹消してしまって、「案内にページに」題名のみを残しているHPを一部分紹介してみるが、「避難場所となる体育館やその他の施設に井戸を掘っておく。井戸掘り専門の業者に工事を依頼すると高くつくが、個人の技術で掘れないことはない。以前土木作業員をしていた頃、工事現場が水道が敷設されていない場所だったために、水道工事会社の人間が来て、足場に使う鋼管パイプで高さ3メートル程、平面が60センチ角程の長方形の簡単なやぐらを組んで、中心に長さ2メートルか2.5メートルで直径4~5センチかそこらと記憶しているが、地面に突き立てる方の先端に円錐形の鉄矢尻を取付けた鉄パイプを立て、反対の小口に100ボルトの電気で作動可能なコンクリートを破砕するハンマードリルを、その先端に取付けた鑿の部分だけを差込んで、倒れずに下降していく仕掛けにして固定してから電源を入れた状態にしておくと、ハンマードリルが鉄パイプに振動を与えて、少しずつ打ち付ける形となって、徐々に地面を穿っていき、場所がよかったかどうか分からなかったが、時間はそんなにかからなかったように記憶している、水を出すことに成功した。
ほんの少々指導を受けたら、見よう見まねでできない作業ではない。但し、岩盤に当たったなら、掘削場所を変えなければならないのは当然なことであるが。あるいは地震の地殻変動で水が出なくなる井戸が出てくる場合に備えて、予備の井戸を何本か掘っておく必要がある。揚水パイプをフレキシブルのしておく工夫も必要になるかもしれない。」
HPでは掘削場所を「避難場所となる体育館やその他の施設」としているが、その他に公園や各地域の公民館、あるいは幼稚園、老人ホーム、あるいは庭のある個人の住宅内等々が考えられる。具体的な掘削方法を紹介するHPがないかとインターネットで調べたところ、<臨時増ページ>と題したHPに井戸掘削の経験がなくても、水道工事や土木工事の経験者なら十分に理解できる内容が簡単に記してあった。
道具はハンマードリルを含めて、一式10万円前後で購入できると思うから、地域で一揃い用意して、使い回せば全体としてコストは安く済むはずである。ハンマードリルはコンクリートを破砕する役目だけではなく、螺旋状の錐を取り付けると自動的に錐が回転して、コンクリートを錐の太さに応じて1センチ程度から最大10センチ程度の穴まで開けることができるようになっているから、掘削パイプの先端に取り付ける鉄矢尻(「鏃(やじり)」)の先端が螺旋状になっている、鉄よりも硬い真鍮製かチタン製の特注品を前以て取り付けておけば、大きな石に当たって進まなくなったなら、パイプの上端の小口に突き刺したハンマードリルの錐(ピット)を穿孔用に替えてパイプに固定するようにすれば、パイプ自体と先端の鉄矢尻(「鏃」)が回転して、場所を替えなくても石を穿つことができるかもしれない。
上記HPには書いてなく、私のHPに書き漏らしたことだが、パイプを突き立てる前にその場所をバケツ1個分が入るほどにお椀状にスコップで掘り、中心を後でパイプが通るように穴あき状にして掘ったなりのお椀状に10センチほどの厚さでコンクリートを打つか、あるいは底の中心にやはりパイプを突き通せるだけの穴を開けたバケツを埋め込んで(少し隙間を空けること)、常にそこに水を注ぐことができるように水道からホースを使ってチョロチョロ水を出しておくと、パイプが振動するたびにパイプと土との間にできるほんの僅かな隙間に水が浸み込み、それがパイプの先端まで伝わって周囲の土を液状化してパイプを入りやすくすることができる。石に突き当たったとしても、それがたいした大きさでなければ、石の周りの土にまで水が滲み通って液状化し、パイプの振動によって石を少しずつ脇に移動させることができる場合もある。
大人たちが巧みに掘れるようになったら、希望者がいるなら、小学生などに教えて手伝わせれば、社会勉強にもなるだろう。但し、井戸をたくさん掘ったからといって、すべてが間に合うわけではなく、給水車も必要だが、後手に回る他県からの給水車の派遣の必要性はかなり減るのではないだろうか。
今回の地震では阪神大震災のときのように一般家庭での火災の発生はなかったようだが、井戸水を用意しておくことで、ボヤ程度の火災なら、大きな火事にしないで済むと思う。
水が確保できたなら、トイレの問題も解決するのではないだろうか。私の上記HPでも書いているが、少し書き改めて紹介すると、給水車のタンクを濾過装置を取付けた浄化槽様のタンクに改良して、そこに直径10センチ~15センチの形状を固定できるホース使って仮設水洗トイレからの排泄物を流して溜め、順次水分は無害にして外部に排出して固形部分は圧縮する仕掛けとする。そいて一台のタンクを囲むように仮設トイレを複数配置し、その数だけのホースを一度に取り付けることができるように受け口を用意しておけば、より多人数の排便に短時間に対応できるようになるだろう。
タンクが満杯になったなら、下水処理場に運ぶ。但し、いつ来るかも知れない地震に備えて浄化槽に改良した車両を用意しておくことはいたずらに車検費用や自動車税がかかるから、どの自治体にも防災関係の部署に大型の四輪駆動のジープを用意しているだろうから、用意していなければ、1台用意しなければならないが、そのジープで必要に応じて牽引する仕組みにタンク部分だけにしておけば、車検費用も自動車税もかからないはずである。
日本全国無数に掘って地下水が下がる心配が出るということなら、2001.5.18(金曜日)にアップロードしたHP「市民ひとりひとり」第40弾「雑感AREKORE」の中の《ダムに変わる治水としての井戸》と題した1文でその解決策を示している。頭の中で考えただけのことで、効果の程は保証はできないが、紹介してみる。
「ダム見直し論への言及が目立つ。その皮切りは長野県の田中康夫新知事で、ダム建設推進派が占める議会と敵対関係を生じせしめている。公共事業を利権としている業界、その業界を重要な支持母体としている議員としてはダム廃止は死活問題であろう。国政の場では民主党が自党の政策として、『ダム見直し論』を掲げた。
だが、ダム見直し派はダムに代る有効で具体的な治水対策法を提示しているわけではない。頭の中で考えたことで、役に立つかどうかは分からないが、井戸がダムに代る治水対策の方法とはなり得ないだろうか。従来の井戸は地下水を汲み上げ、それを飲料・その他に供する目的のものである。だが、「ダム代用の井戸」は雨水や川の水を地下に導水して地下水に戻す機能を付加した役目を持たせることとする。
具体的には、直径1メートルか2メートルの井戸を、家庭排水や工場排水を流さない雨水専用の側溝脇に必要本数だけ地下水脈に届く深さで掘り、それまで河川や海に流しっぱなしにしていた雨水を側溝から、それと接続させた井戸を経由させて地下水として戻す。掘削場所としては、雨水専用の側溝を公園内や河川沿い、低地帯に設けて、それに附属させる。河川が汚染されている場合は、中間に浄化装置を設け、水位が一定の高さに達したなら、井戸に誘導される構造のものとする。ただでさえ工場などで地下水を利用するために、全国的に地盤沈下傾向にあり、そのような状態を食い止める役目も果たせる。
井戸は常に水質検査して、飲用に供することが可能なら、上水道を川の水としないで、井戸から取水することも可能となる。少しぐらいの汚れなら、浄化装置によって濾過・消毒してから、飲料水とすればいい。あるいは消火用の水、農業用水にも利用可能となるだろう。その他公園の散水、ガソリンスタンドの洗車、プールの水にも利用できる。
河川流域のすべての市町村にそのような井戸を可能な限り掘削させたなら、大雨が降っても、あるいは短時間の降水量が急激だった場合、従来の側溝が許容量を超えて雨水を道路に溢れさせてしまうといった現象を抑えて、雨水は井戸に貯水される分、河川への垂れ流しが防止可能となり、それに比例して水位の上昇も低く抑えることが可能となるはずである。このような方法が可能だったとしても、予算の問題が残る。但し、『井戸方式』はダム建設に伴う自然破壊を免れることは確実である。」――
広い敷地を持つ会社や工場に、その敷地面積と年間雨量を掛けた体積の雨水を自らの地下に収納できる本数だけの直径1メートル程度の井戸を掘るよう法律で義務付けたなら、自治体がカネをかけずに井戸の本数を増やすことができる。
この掘削方法はキャタピラ付のオーガ掘削機という重機を使うのだが、直径1メートル程の螺旋状の大型の長い錐を回転させて土を上に吐き出しながら掘っていき、ある程度掘ったら、錐の外形よりもほんの少し大きな鋼管を穴に吊り下ろして、再びオーガを降ろして土を掘りながら、その掘削に合わせて鋼管を必要な長さに溶接等で継ぎ足しながら降ろしていき、目標の深さまで掘っていく。
鋼管の下部先端から長さ2メートル程上部まで直径2センチ程の穴を可能な限り前以て開けておけば、導入された雨水は鋼管底部に溜まり、その重量で次第に穴から地下に滲み出していく。
クレーンとオーガ掘削機の2台があれば、他は必要な人員のみで、それ程大掛かりな工事とはならない。
いわば雨水を地下に導入する井戸を用意し、一方で地下水を汲み上げて、その水を生活用水とする井戸を設けることで、地下水をバランスよく維持して、その減少を防ぐ方法である。
今回は県知事が早い段階で自衛隊の出動を要請したようであるが、知事の要請を出動の要件とするのではなく、震度6以上の地震の場合は自動的に出動することに法律を変えて、より迅速に対応できるようにすべきではないだろうか。危機管理とは最悪のケースを想定して、そのことに対応できる活動を準備しつつ活動することだと思うが、最悪のケースでなかった場合、当然人数や資材及びコストに無駄が生じるが、肝要なことは市民の生命・財産の保全に役立たせることなのだから、最悪のケースでなければ、市民の生命・財産が脅かされる度合いが低かったということで、それで良しとして、無駄は無視すべきだろう。
昨日夜のテレビで、避難生活を送る被災者が避難生活の疲れを風呂に入って取りたいが、入る風呂がない、老人ホームの風呂を一般開放して使えるようにしたが、希望者が多くて順番待ちの状態だと報じていた。老人ホームや旅館が風呂を一般開放しても、すべての希望に応えることは不可能で、だからだろう、自衛隊が明日には入浴できる設備を造設するとも伝えていたが、震度6以上は自動的出動なら、それが入浴設備であっても、より早い段階で市民の要望に応えることが可能となるはずである。
現在中国に抜かれて世界第3位の経済大国に後退したのか、依然として世界第2位の経済大国の地位を守っているのか知らないが、いずれにしても地震が起きるたびに水の不便を市民に強いる場面を繰返すのは世界有数の経済大国として何ら発展を見ていないということにならないだろうか。
いくら災害とは言え、不便を市民に強いる場面が何ら改良されずに繰返されるのは「美しい」情景とは決して言えないと思うのだが、安倍首相は被災地を見舞ったとしても「美しい国作り」が口先だけの奇麗事だから、それが美しくない光景だと気づきもしなかったに違いない。
口先だけの奇麗事だから、足元の自民党から「美しい国」が「絵に描いた」だけのものでしかないといった批判を受けることになる。
≪美しい国、馬鹿にされた気がする≫(07.7.17.『朝日』朝刊)
< 自民候補が首相を痛烈批判
参院選高知選挙区(改選数1)で3選をめざす自民党現職の田村公平氏(60)=津島派=が16日、高知市内で開いた演説会で、安倍首相が掲げるスローガン「美しい国」について「意味がよく分からない。高知は明日の飯をどうやって食うかという追いつめられた状況にある。絵に描いた『美しい国、日本』で応援に来られて適当なことばかり言われたら、馬鹿にされたような気がする」と痛烈に批判した。
田村氏は「美しい国って何でしょう」と前置き。「(首相が)私の選挙を心配するなら銭を持ってきてほしい。南海地震対策を政府の責任で5千億円ぐらいやったら、高知は地震や台風に耐えられる県になる」と訴えた後、首相のスローガンを批判し、「そういう思いをだれかが言わないといけない」と語った。
首相は1日、高知県香南市で開かれた田村氏の決起集会に出席した。田村氏は05年8月の郵政民営化関連法案の採決で反対したが、総選挙後に法案が再提出された際には賛成に転じた。>
それぞれに異なる利害を抱え、利害衝突のマグマを常に抱えている人間集団が表向きはどう取り繕おうと、陰の部分では必ずしも美しい姿を演じているわけではなく(政治に於ける選挙都合で主義主張・態度を変えるご都合主義、無節操、あるいは政治とカネの姿一つ取っても、そのことは証明できる)、当然「美しい国」は表面的には演じることはできても、様々な矛盾や錯誤、誤魔化し、無節操を表裏一体とした表面上の「美しい」でしかない。
いわば自民党候補田村某が言う「絵に描いた『美しい国、日本』」ということになるのだが、そのことに気づかずに口を開くたびに九官鳥かオームのように「美しい国」と囀る。本人は素晴らしいと思っているのだろうが、安っぽいスローガンを口にしているに過ぎない。
公明党太田代表にしても同じムジナなのだが。
赤城農水相の事務所費問題の関連記事。≪説明は不十分 国交相が見解≫(07.07.10/「朝日」朝刊)
<赤城農水相の事務所費問題について、冬芝国土交通省は10日午前の閣議後の記者会見で「しっかりした説明が必要であろう」と述べた上で、これまでの説明について「(しっかりと説明したと)私は思いません」と述べ、説明責任を果たしていない、との認識を示した。
冬芝国交相は「私自身が赤城さんの説明を聴いていない。皆さんに納得していただけるよう、複数の事務所を持っていても一つの届けでいいという現行の政治資金規正法に則って、よく説明すべきだと思う。
一方、野党が領収書の公表を求めていることについては、「議論して政治資金規正法ができている。ちょっと疑いがあれば、領収書を全部出せと言うのは現実的ではない」と批判した。>――
本人は当然気づいていないだろうが、奇麗事で言っている美しいばかりの自己都合の説明となっている。胡散臭げな冬芝ならでは演じることができない胡散臭いばかりのパフォーマンスといったところだろう。自民党と与党を組む公明党のお偉いさんだけのことはある。「しっかりした説明が必要であろう」と言いながら、「ちょっと疑いがあれば、領収書を全部出せと言うのは現実的ではない」と領収書の公開以外に「しっかりした説明」は不可能である状況を自ら打ち消す相反する要求を何食わぬ顔で披露している。肉料理の注文を受けながら、魚を俎板に乗せて料理にかかるようなものだが、中国のダンボール入り肉まんではないが、それを肉料理に見せかけてしまうマヤカシをやらかすようなものだろう。
それと言うのも、参院選の趨勢だけではなく、与党を組む公明党の評価にも響く安倍内閣に対する国民の信頼に悪影響を及ぼす前農水相の自殺に続いての現農水相の辞任という事態、あるいは首相が自身の責任にも撥ね返ってくる任命責任者として罷免せざるを得ない事態を招くことを避ける唯一有効な特効薬は領収書の公開は決して行わないことであり、結果として〝説明〟は不完全燃焼の生煮えにならざるを得ないが、それを周囲が全体としての姿勢は「もっと説明が必要だ」とする見せかけの要求でバランスを取る連携プレーで補い、言葉による説明のみ・領収書非公開の既成事実を積み上げていき、急場を凌ぎつつ、それを当たり前の場面に持っていって、そういった場面に国民を慣れさせ、結果として国民の不信を麻痺させる。そういった狙いがあるのだろう。
そう、柳沢「女性は子どもを産む機械」発言に与党女性議員の殆どが一方で同じ女性として決して許せない発言だと言葉では激しく怒り、激しく断罪しながら、その一方で辞職を求めなかったことで怒りと断罪を言葉のみにとどめて実体を伴わせなかった相反する自己都合の姿を見せたようにである。
今回それを公明党の冬芝がやらかしている。いつも思うのだが、厭味な身体の太りように太くて短い首がネクタイを締めているだけなのに自分で自分の首を絞めているような息苦しい印象を与えて、こちらまで息苦しい気分にさせられるが、その息苦しさは内側に隠した狡猾な権謀術数が充満し常に爆発寸前の状態になっているのを気づかれないように辛うじて抑えていることから生じている息苦しさに思えて仕方がない。
領収書公開という前例をつくることになったら、赤城農水相と任命責任者たる安倍晋三の進退に関わる波及のみならず、同じ穴のムジナを演じている同僚議員も多々いて、累が及ぶことになり、自殺松岡前農水相同様に赤城玄農水相にしても領収書公開となっては困るということも含めた「ちょっと疑いがあれば、領収書を全部出せと言うのは現実的ではない」という取り繕いなのだろう。
いずれにしても、赤城農水相だけではなく、安倍首相や冬芝公明党も含めた与党ぐるみで自身及び与党の保身のみに目を向けることになって、政権を担う与党として、あるいは与党の一員たる主要な政治家として国民に向ける顔が結果的に保身の仮面を普段の顔の下に巧妙に隠し、その意識に立った不正直な対応となっている。
不正直になれるからこそ、一方で「もっと説明が必要だ」と言いながら、その一方で領収書の公開は必要ではないといった相反する態度を相反することに気づかずに示すことができるのだろう。赤城にしても冬芝にしても安倍晋三にしても、いくらでも不正直になれる政治家のようだ。
「私自身が赤城さんの説明を聴いていない」とはどういう意味なのだろうか。直接説明を聞いたわけではないからという意味なら、「しっかりした説明が必要であろう」とか「(しっかりと説明したと)私は思いません」とは言えない。としたら、俺のところに説明に来いという意味なのか。公明党への説明を待って、説明に納得したという公明党のお墨付きを与えることで正当化への鑑札にしようということなのだろうか。だとしたら、思い上がりも甚だしい。
どう扱おうと、領収書の公開以外はマヤカシを演じるに過ぎない。政治資金をどう、いくら、何に使ったか経理操作で隠蔽する直接的なマヤカシだけではなく、それをみんなして見て見ぬふりや弁護する間接的なマヤカシまで含めて、マヤカシが蔓延している。
自己保身がマヤカシの上にマヤカシの上塗りを重ねることになっていることに冬芝にしても安倍晋三にしても、勿論赤城自身にしても、誰も気づいていない。
今日の『朝日』朝刊。≪安倍首相の車に警護車が追突≫(07.7.15)
< 大阪遊説中、けが人なし
14日午前11時40分ごろ、堺市境区宿院町西3丁目の国道26号交差点で、大阪府内を遊説中の安倍首相を乗せた車が信号待ちのため止まったところ、すぐ後ろで警護に当たっていた府警の四輪駆動車が追突。さらに後続のジャンボタクシーが四輪駆動車に追突した。けが人はなかった。
四輪駆動車を運転していた警察官の前方不注意と見られる。>
短期決戦の場合、何事もスムーズにいってこそ、いい結果を得ることができる。途中過程でのちょっとしたつまずきも、ちょっとした滞りも、短期決戦であるからこそ、スムーズな進行とそれに見合う良い結果とのバランスの取れたあるべき関係を壊す象徴的な前知らせの役目を持つ場合が往々にしてある。
いわばちょっとしたつまずきやちょっとした滞りが後になって、望んだものではない悪い結果を前以て知らせる縁起でもない前兆であったことを理解するといったことがある。そういった経験からの学習が、逆につまずきや滞りが起きた時点で、悪い結果を予兆する縁起の悪い出来事ではないかと警戒することになる。
だからこそ多くの人間がそういったことを招かないように今日一日無事に事が運ぶようにと縁起を担ぐことになる。家を出るとき、あるいは選挙事務所を発つとき、神棚に手を合わせたり、必勝のお守りを懐に忍ばせたり、昼飯は〝トン勝つ〟を食べることに決めたりして、有権者の反応の獲得をも含めた予定した十全の活動がスムーズに運ぶことを祈り、願う。
安倍首相は自分の乗った車があろうことか首相である自分を警護すべき役目の人間が運転する車に追突されたとき、オールマイティに進むべきスムーズな移動と活動そのものを予期しないアクシデントで中断させられて、イヤーな感じがしたのではないだろうか。
特に様々な経験と起伏ある人生を送った者には、そういったアクシデントが不吉な前兆を示すことがあることを知ってもいるだろうから、ケチのつき始めにならないか、内心苦々しい思いで受け止めたということもある。
もしも選挙が与野党逆転という安倍首相にとっては悪夢にも等しい最悪の結果で終わったなら、追突事故はそのことを知らせる縁起の悪い前兆としての意味を持つに違いない。その可能性大だが、与野党逆転を防げたなら、結果にケチをつける出来事でも何でもなかったということになるが、反自民の人間としては結果を予告する不吉な追突事故であって欲しいと願うばかりである。
とにかく警護の警察官の運転する車に追突され、さらにその車にご丁寧にも後続のジャンボタクシーが追突するという身内同士で演じた間の抜けた事故である。その間抜け加減が何も象徴しないということがあるだろうか。
07年7月13日『朝日』朝刊の≪各党 浮かぶ遊説戦略≫の記事の中に<自民「党首の顔」勝負>の副題で、次のような一文を掲載している。
<――与野党逆転を食い止めようと、与党は民主党攻撃を仕掛ける。
一つは「党首の顔」勝負だ。麻生外相は神戸市でこう聴衆に語りかけた。「奥さん方に分かりやすく言えば、小沢一郎の顔を取りますか、安倍信三の顔を取りますか?
どちらが奥さんの趣味に合いますか。それが問われる」・・・・>
安倍首相は昨年の自民党総裁選で、女性や若者にも人気があるということで、「選挙の顔」としても総裁に選ばれる大きな要因の一つとなった。「選挙の顔」が「党首の顔」の有力条件に位置づけられているということである。
いわば対立候補だった麻生は「選挙の顔」としては安倍を下回ると言うことでお呼びではなかったから、残念ながら「党首の顔」とはなることができなかった。
「選挙の顔」で負けて「党首の顔」となれなかった軽薄麻生としたら、「顔」が如何に重要か、痛感したことだろう。
だが、安倍晋三のその「選挙の顔」にしても「党首の顔」にしても、その効能は大分怪しくなってきた。参院選初日の12日の街頭第一声で、「私は負けるわけにはいかないのです。みなさん力を貸してください」(NHKニュース)と絶叫していたが、絶叫自体が後はないことの現れであるが、「貸してください」と言うところで一瞬泣き出してさえいたのだから、「選挙の顔」の効力を失って、「規律ある凛とした」美しい振舞いになどは構ってはいられない、背に腹は変えられない切羽詰った状況にあったのだろう。
何とも情けない自民党の「選挙の顔」となっている。当然その情けなさは「党首の顔」にも投射される。
それでも自民党は安倍晋三なる政治家の「選挙の顔」・「党首の顔」に頼らざるを得ないようだ。それは安倍晋三が自民党の党首であることに変わりないというお家の事情だけではなく、多分自民党の多くが安倍首相がリーダシップも中身もない政治家だとは思いたくなくて、社保庁や佐田前行革相、愛人官舎同居本間正明前政府税制調査会長や柳沢「女性は産む機械」厚労相や久間「しょうがない」前防衛大臣や自殺松岡「何とか還元水」前農水相や、そして最後に自殺松岡後継赤城現農水相等々が足を引っ張って単に「党首の顔」としても「選挙の顔」としても窮地に立たされているだけのことで、安倍首相自身は何も問題はないと信じようとしているからなのだろう。
そこで軽薄麻生としても参院選与野党逆転を阻止すべく、安倍晋三の「選挙の顔」・「党首の顔」に他力本願の願掛けに出たのではないのか。
「奥さん方に分かりやすく言えば、小沢一郎の顔を取りますか、安倍信三の顔を取りますか?
どちらが奥さんの趣味に合いますか。それが問われる」
しかしこれは政策ではなく、「顔の趣味で選べ」と言っているのと同じである。どちらが顔の趣味に合うか、「それが問われる」とは、そういうことだろう。
顔の趣味が投票の基準ということになれば、年金記録問題も格差問題も赤城疑惑もその他諸々があってもなきがごとき透明問題となって、自民党にはこの上なく都合はよくなる。
顔で選ばせようとするこの政治性は自民党の総理・総裁を政策ではなく「選挙の顔」で選んで「党首の顔」に祭り上げた経緯を受け継いだ無理はない同じ発想とは言えるが、だが「奥さん方」に党首の顔の「趣味」で一票を投じよと、彼女たちの政治意識を自分たちと同じ程度の低さに置いたのである。
これ程の失礼な話はないのではないか。柳沢厚労相の「女性は産む機械」発言と張り合う一種の女性蔑視に当たらないだろうか。尤も「奥さん方」が「党首の顔」で一票を投じる低い政治意識を期待されたことに何ら疑問も持たず、その投票方法に納得するということなら、他人が騒ぐほどのことはないのかもしれない。
日本記者クラブ主催「7党党首討論会」(07.7.11)。小沢民主党代表の安倍首相に対する質問の「年金問題」に関わる答の部分。
安倍「私共は行き先の決まっていない5千万件についてでありますけれども、この5千万件については、今年の12月から来年の3月まで、に於いてですね、いわば調合を行います。そして、調合できた人から順次、追加的記録があれば、分かりやすい通知をいたします。それを来年の3月に通知を出して、置いていく、ということでございます。そしてさらに、それ以外の方々、いわば全員でございますが、それを行えば全員ということになるわけでありますが、年金定期便の、まあ、特別便といたしまして、年金加入履歴を送付するということになっているわけでございます。
まず、優先順位として、これ、まあ、コンピューターの技術的問題でありますが、優先順位として、まず、記録の名寄せ、突き合わせを優先して行います。そしてその通知を出す方がやはり先ではないかと、そう考えたからであります。そして――」
司会「安倍さん、持ち時間が過ぎています」
安倍「すみません――」(呼びかけの「すみません」)
司会「簡潔にお答えください」
安倍「簡潔に行きたいんですが、たくさん質問いただいておりますんで、一問一答であればよかったんですが、一度にたくさんの質問をいただいているもんですから、ええ、纏めてお答えをさせていただかないと、答えに、ええ、ならないのかなあと、そう思います。
そしてこれは来年の10月までに、10月を目途に、それ以外の方々については通知を、履歴について、おー、通知を出す方向です。それは、いわば、それは、いわば、技術的な問題も含めてしっかりやっていくということでございます。・・・・」
司会から「簡潔に」と注意されたが、持ち時間を過ぎてもこれ以降延々と喋り続けた〝心臓〟は晋三だけあって、美しく、素晴らしいものを持ち合わせているようである。討論を始めるに先立って、テレビの視聴者等への理解も含めてのことだろう、7党党首にルールの説明が行われたが、党首討論を行うに当たって前以てそれは受けていたはずで、また民主党代表の小沢一郎から纏めて受けた質問に順次答えていくとき、安倍首相は机に目を落としていたから、質問要旨も受け取っているはずである。
いわば「一問一答」でないことは最初から分かっていたはずで、それを「一問一答であればよかったんですが」と持ち時間延長の理由とする。主催者側はルールはルールとして厳しく発言を差し止めるべきだったが、ルールよりもなあなあの馴れ合い、あるいはまあ仕方ないかの迎合から、それができなかったに違いない。原則なき国民と言われる所以である。
自殺松岡と現存赤城の事務所費疑惑も、ルールをルールとしない原則無視の現れの一つであろう。
「一問一答」でないことを承知の上で、それを逆手に取って、神経戦を狙って意図的に持ち時間内の答弁を心がけなかったといった高度な権謀術数は単細胞な安倍首相には無理な期待で、単に簡潔に纏める話術が欠如していただけのことだろう。
その理由は安倍晋三なる政治家は創造性に欠けることから政策の人ではなく、それを埋め合わせる上辺の言葉の人であることを本質としていることから起こっている。上辺の言葉で以って自己の政治家性を成り立たせようと涙ぐましいまでの努力をしている。
社会的成果を見ないうちに、いくつ法案を通したとか、国会を通過させた法案の数を勲章としているところに上辺の言葉の人であることが象徴的に現れている。政策は上辺の言葉では勲章とすることはできない。あくまでも〝実態〟である。社会にどう働きかけることができて、その働きかけに社会がどう応じたか、その〝実態〟が評価基準となる。その手続きを踏むまで待てないから、勢い上辺の言葉で以って勲章とすることになる。
政治家として公の場で普段使う言葉にも上辺の言葉の人である片鱗を随所に窺うことができる。上記討論の言葉から例を取ると、一度で済む言葉遣いを二度繰返すくどい言い方や格式ばった馬鹿丁寧な言い回しは本人は聞く者の心に訴えることができると信じて使うのだろうが、言葉のための言葉となっているに過ぎない。
「来年の10月までに、10月を目途に」とか、「私共は行き先の決まっていない5千万件についてでありますけれども、この5千万件については」といった一度の言い回しで済むところを二重に繰返すことで話の体裁を整えるやり方。
あるいは「5千万件については」で済むところを「5千万件についてでありますけれども」とか、「今年の12月から来年の3月まで、に於いてですね」の「於いてですね」、「置いていきます」で簡潔に済ませるところを、「置いていく、ということでございます」など、ことさらに言い方を格式ばらせ、結果として馬鹿丁寧になっているところなどは言葉で以て見栄えを心がけていると言うことだろう。
さらに例を挙げると、「そしてその通知を出すほうがやはり先ではないかと、そう考えたからであります」と言っているが、「先ではないかと考えています」で済むところを、「やはり先ではないかと」と言って、一旦一呼吸置いてから、「そう考えています」と余分に言葉を使って格式ばらせている。
安倍首相は「~に於いて」と言う言葉を好きらしく多用しているが、「~に於いて」は現在では一般的には文章言葉であって、話し言葉ではない。明治・大正・戦前昭和と戦後昭和の一時期まで、演説に「~に於いて」は好んで用いられたようだが、それは演説を漢文口調にして格式ばらすための方便として使われたはずである。それを戦後もはるか遠くなった現在に、戦前国家主義者だからなのか、安倍首相が好んで使う言葉の一つとなっている。「戦後レジームからの脱却」は格式ばった物言いの「脱却」から始めるべきではないか。
今回の党首討論でも得意げに大見得を切っていた、安倍首相十八番となっている「責任政党とは何か、政権を担うこととは何か。それはできることしか言わない、約束したことは必ず実行していくと言うことであります。私はお約束したことは必ず実行していきます」という下りにしても、本人が気づいていないだけのことで、言葉のための言葉――上辺の言葉の連続となっている。
と言うのも、国民すべてに共通する利害など存在しないからだ。当然国民すべてにそれぞれが望む利益を約束できる政策など存在しようがない。いわば〝利に対して〝害〟を背中合わせした局面を政策を常なる宿命とするから、全体として利害をせめぎ合わせることとなる。憲法9条の改正か否かは、まさにこの構図に当てはまる利害局面を表している。
それをすべての国民に対して「できる」こととして「約束」することができ、「お約束したことは必ず実行していきます」と平気で確約できるのは、実際にはできないことを言葉で約束する言葉のための言葉でしかないからだ。言葉で以って自己をさも有能な政治家に見せようと気張っているに過ぎない。
民主党の年金加入履歴をすべての国民に安心を与えるために直ちに通知せよという要求に対して、安倍首相は5千万件については調合後、「追加的記録があれば、分かりやすい通知」の送付を優先させ、その後でそれ以外の残る加入者に対して「年金特別便」の形で(公明党太田代表が「年金特別便」は公明党の発明であると自慢げに宣伝していた)年金加入履歴を送付するといった自公の主張は誠実な姿勢を持っていたのでは考えつかない政策であろう。
「特別」と断った「特別便」には、国の過ちで起こったことを、国が特別の計らいで行うとする恩着せがましさのニュアンスを含んでいるからである。実際は「特別」でも何でもなく、本来ならば不安や心配、怒りを与えたのだから、謝罪の上にも謝罪のノシをつけてごく当たり前に行わなければならない加入履歴送付であろう。
受け取る国民にしても「特別」に行われることとされたら、腹を立てることになるに違いない。例えば何人もの人間の借金を踏み倒した男が、そのうちの一人にとっ捕まり、「俺が貸したカネを返せ」と言われて、「じゃあ、あなただけには特別にお返しします」と言ったとしたら、他と比較した扱いとしては特別であっても、返金そのことに限った場合は特別でも何でもなく、当たり前のことなのだから、それを「特別」とするのは恩着せがましいだけのことだろう。
「国民のみなさま」などといっているが、国家権力者として上に立って国民を下に見ているから、僭越にも「特別便」などと銘打つことができる。何ともおこがましい名称であり、何とも恩着せがましい発想だと思うのは私一人だけだろうか。
昨日(07年7月10日)のNHK「ニュースウオッチ9」
解説「両親が住む家を主な事務所とし、10年間で9800万円の経費を計上していたことについて、改めて説明」
赤城農水相(用意したメモを読みながら、)「実際かかった費用を一つ一つ積み上げて、それが事務所が3箇所あるときは3箇所、2箇所のときは2箇所、それを合算して報告するということになっています。公私混同とか、架空の経費を計上しているとか、付け替えをしているとか、そういうことはございません。それはもうはっきり申し上げます」
解説「1時間に亘って説明。領収書の公開については――」
赤城農水相「国会議員ですから、その、おー、国会議員としては、政治資金規正法という、そのルールに則って処理すべきだと。法律にも領収書の扱いについては、規定されておりますので、法律に基づいて、その法律のとおりにやっておりますし、これからも法律のとおりにやる――」
麻生外相「政治とカネの話になりますんで、あの関心は高いんだと思いますんで、参議院が影響はゼロとは思いませんけど、きちんと説明を丁寧に繰返しやっていかなければ、あの、その種の理解は得られるんではないかと思いますけど――」
尾身財務相「ご本人がいわゆる架空計上でないと言っておりますから、アー、私はそういうことで説明されているというふうに考えております」
小沢民主党代表「ウソではない、架空ではない。但し詳細は公表できないっちゅう話でしょう。それじゃあ、佐田さんや松岡さんと同じですね。公表しない、領収書さえない。だけど悪いことはやっていない、言うだけではちょっと、オー、国民のみなさんの納得を得られないんじゃないかと――」
市田共産党書記局長「支出の説明をね、領収書を添付して公表すれば済むことで、それを拒否するというのはやはり何か疚しいところがあるぞ。それができないのであれば、事実上認めたと言うことになるわけですから、辞任すべきだし、辞任しなかったら、罷免すべきだ」
安倍首相(真打登場・首相官邸/「これで説明は十分だと思いますか」との記者の質問に)「公私混同はないと、大臣から私も説明を受けています」
* * * * * * * *
××警察署・取調室
赤城参考人「実際かかった費用を一つ一つ積み上げて、それが事務所が3箇所あるときは3箇所、2箇所のときは2箇所、それを合算して税務申告しています。
会社の利益を私的に利用して愛人を囲う費用に回す公私混同があったのではないかとか、架空の経費計上で、利益を過小に申告したとか、自分の生活費や遊興費を会社経費として付け替えをして、控除額を大きく見せたのではないかといった疑いがかかっていますが、そういうことはございません。それはもうはっきり申し上げます」
取調べ刑事(書類に赤城参考人の言葉を書き込みながら)「公私混同はなかった、架空の経費計上もなかった。そういうことはございません、ということだな?」
赤城参考人「善良な社会の一員としての自覚を持ち、ありとあらゆる法律に則って常に社会活動、企業活動を行っています。不正ななことは一つとして行っていません」
取調べ刑事「不正なことは一つとして行っていないと――」と言ったとおりのことを書類に書き込む。
赤城参考人「企業人ですから、その、おー、企業人としては企業倫理という、そのルールに則って処理すべきだと。法律にも領収書の扱いについては、規定されておりますので、法律に基づいて、その法律のとおりにやっておりますし、これからも法律のとおりにやる――」
取調べ刑事「領収書の扱いも法律の規定どおりにしている、と――。これからも法律おとおりにやる、と――。すべて説明されたとおりに間違いないんだな?」
赤城参考人「説明したとおりに間違いありません」
取調べ刑事「説明したとおりに間違いありません、と――」と言ったとおりを一語一句そのとおりに書類に書き込み、「説明から判断して拘留の必要は認められないし、上司も説明に納得して、拘留の必要なしと判断されると思う。上司の許可を得てくるまで、しばらく待っていて欲しい」
立ち上がって、安倍取調べ主任・真打の部屋へと赴く。書き入れた書類に目を落としながら補足説明を加え、赤城参考人の説明を読み上げていく。
安倍取調べ主任「そういう説明なら、本人の言っていることなのだから、間違いはないのではないか。公私混同とか、架空の経費を計上しているとか、付け替えをしているとか、そういうことはなかったということだな?」
取調べ刑事「本人がそう説明しています」
安倍取調べ主任「そういうことはございません、それはもうはっきり申し上げますと説明したのだな?」
取調べ刑事「そのとおり本人がそう説明しました」
安倍取調べ主任「本人の説明なのだから、間違いはないではないか。疑う余地はない。即釈放したまえ。身の潔白が証明された」
取調べ刑事「マスコミが表で待ち構えています。本人はマスコミのインタビューに応じると思いますが、安倍真打が出ないのはまずいのではないでしょうか」
安倍取調べ主任「どうせ同じことを喋るだけなんだから、面倒臭いな。赤城参考人にも同じことを散々喋らせやがった。あいつら、納得しないから、一応応じるか」
署玄関前
赤城元参考人の質問攻めが終わってから、安倍取調べ主任が何本も突き出されたマイクの前に立つ。
記者の一人「赤城重要参考人の、いや、もう重要参考人でないか。赤城元重要参考人の説明は十分だと受け止めたのですか?」
安倍取調べ主任「公私混同はないと、そう説明したと、取調べ刑事から私もそう説明を受けています。本人の説明です」
* * * * * * * *
安倍美しい日本国総理大臣に伝えたい一言。
30代後半?の女性(街頭でテレビのインタビューを受けて)「伝え切るってことが政治家の責任だと思うんですよね。説明したかしないかではなく、国民がちゃんと理解できるかできないかってところまで行って、初めて政治家の義務だと思うんですね」(07.7.11/TBS「みのもんたの朝ズバッ!」)
「国民」よりも自己保身を優先させるは政治家の習い。安倍美しい首相も自己保身、赤城農水相も自己保身。自己保身がすべてです。そんな政治家ばかりです。
ちょっとおかしなことをしたら、政権交代の懲罰を与える。そうすることによって、自己保身に構ってはいられなくなり、常に国民に目を向けずにはいられなくなる。抜け道を設けておくような下手な政策もできなくなる。
安倍忠治「赤城の山も今宵限りだ」とならないか
安倍内閣から再び閣僚の黒い疑惑が噴出した。参院選間近だというのに、野党側の誰かが狙い打ちしたクリーンヒットなのだろうか。与党側からしたらオウンゴールして、野党側に貴重な得点を与えるようなようなもので、それが与野党逆転のダメ押しとなったとしたら、悔やみきれないだろう。赤城農水省は戦犯に位置づけられるだけではなく、安倍首相に与えるダメージは計り知れないものとなる。
もし赤城氏が自らの疑惑を世間に曝すことなく、安倍内閣を守る決定打を模索するとしたら、それは自らの恥を曝さないことにもなるが、松岡前農水相を見習って死人に口なしの自殺を選択するのが最も賢明、且つ最も有効な方法ではないだろうか。
松岡前農水省は自殺によって、その疑惑はウヤムヤとなり、安倍内閣はある程度のダメージを受けたものの任命責任を取らずに済み、国会での法案の強行採決に次ぐ強行採決の強気の演出に転じて、国民の目をその方向に逸らすことができた。そして法案を何本通した、何本通したと、通した数を勲章とし、それを安倍内閣、特に安倍首相の手柄とした。
法案成立は法律というハコモノをつくった段階に過ぎず、初期的成果でしかない。法律に定めたルールに従ってあるべき社会のルールを実現させ、社会の発展にどれ程寄与できたかによって、初めて法律の価値は生じる。
従来の政治資金規正法が改正を重ねてきながら、どう重ねても「政治とカネの問題」が尽きることなく噴出するのは、いわば政治資金規正法に定めたルールを政治家たちのルールとし得なかった矛盾、あるいは欠陥を法自体が抱えていたことの証明であると同時に、法案成立がスタート地点を設けたに過ぎないことの証明でもあるだろう。
今国会でも「改正政治資金規正法」を成立させたが、改正ルールを政治家たちのルールとし得るかはまだ未知の問題で、当然法案成立自体は勲章の対象とならないのだが、安倍首相は声を大きくしてそれを自らの成果として誇る。底なしの単細胞としか言いようがないが、そのような法案成立の数を誇る政治手法、支持率回復の苦肉策も久間前防衛相の核投下「しょうがない」発言が足を引っ張り、さらに赤城氏が念入りにもダメ押しを出す格好となり、すっかり形無しである
8日(07.7)の日曜日のテレビ局は参院選を控えて各党の党首を集めて党首討論を開いていたが、どのテレビ局も赤城問題を取り上げていた。同じ日曜日の朝日朝刊は<また政治家の事務所費問題が浮上した。「政治とカネ」の問題を抱えたまま自殺した松岡利勝・前農林水産相の後任、赤木農水相も常駐職員のいない政治団体を実家に置き、多額の経費を計上していた。説明に終われた赤城氏は7日、「計上すべきものは計上した」と繰り返す一方、領収書の公表は拒んだ。参院選の公示が近づく中、野党は一斉に批判した。>(≪実家事務所 赤城氏「後援会の中核」 母は「最近使わず」≫)と冒頭部分で解説している。
政治活動の実体のない事務所に諸経費を計上していたとするなら、経費の付け替えか架空経費の計上となる。昨年末に佐田玄一郎行政改革担当相は活動実体がないどころか、届出住所に存在しない幽霊事務所に経費を計上していたことが露見して辞任、名誉なことに現職から前職に身分を変えることとなったが、赤城氏の場合は事務所自体の住所は実家を住所としていて存在するが、両親の後で言い替えることとなった最初の証言と近所の人間の証言は活動実体のないことを示す証言となっていて、経費の付け替えか架空経費の計上の疑いが限りなく濃い状況となっている。
安倍首相はNHKの「日曜討論」で、「まず、あの説明していない、実態を明らかにしていない、という指摘がありましたが、それは間違いです。ええ、昨日、赤城大臣が30分を超えて記者会見を行い、説明をしましたね。そして、そのときに何がポイントか、と言えばですね、まず架空だったかどうか。架空ではない。架空でない、ということについての説明としてですね、この事務所はおじいさんの時代からつくってきた事務所だと、そしてここに計上するのはこの事務所だけではなくて、水戸の事務所も含めての計上ですよ。と言うことになります。これは法律でも認められています。いわゆる〝ツクリ〟では全くないし、多くの人たちがそうしています。
つまり、この事務所と水戸の事務所、合わせた人件費、光熱費、事務所費、ええ、そしてまた消耗品費等々ですね、ええ、のおカネを計上することができるんです。人件費もですよ。そして、17年度見てみますとですね、17年度見てみますと、光熱費月800円ですよ。月800円――」
司会「17年度――」
安倍「17年度ね、800円。そして事務所費3万円です。そして人件費は5万。つまり段々この事務所の占める率が低くなって、エエー、恐らく水戸の方の事務所の比率が高くなったんでしょうね。だから、そういう印象について、関係者の方々が、そうおっしゃったのかもしれない。そして、足し込んでいけば、かつては主たる事務所として、本当に主たる事務所として使っていたのかもしれない。人件費も入っていますから。人件費も入っていますね。人件費というのは例えば色んな事務所を足しこんだ人件費、ということになればですね、例えば民主党の議員の方もですね、人件費だけで、数千万っていう方は、1年間に方だっていらっしゃいますよ。だから、赤城さんの今のところはここのところよく――」
司会「現状では問題ないということですね?」
安倍「赤城さんは説明しておられませんでしたけども、例えば300円の――、800円、月800円の光熱費って、おかしいでしょうかね?」
この後で志位共産党委員長が指摘しているが、光熱費は月800円としているが、全体では277万円であり、1999年は全体で1915万円、光熱費で見ると年間132万円、月割りで11万円。800円の130倍強となる。
だから、安倍首相は「800円」を「800円」でしかない少ない金額だと思わせるために、「段々この事務所の占める率が低くなって、エエー、恐らく水戸の方の事務所の比率が高くなったんでしょうね」と予防線を張り、「月800円の光熱費って、おかしいでしょうかね?」と、少ない金額を根拠として架空でもない、付け替えでもないことの証明としようとしたのだろう。
だが、実家の事務所と「水戸の事務所も含めての計上ですよ」とすると、両事務所の活動の比率と金額の変動とは連動しない関係式となり、それを無視した言い方となっている。ましてや志位委員長が指摘したように光熱費が「月800円」である17年度の年間の全体額が277万円と言うことなら、内訳はいくらでも操作できることで、例え小額の「800円」だったとしても、架空や付け替え否定の証明とはならない。
また領収書を公表しない限り、「月800円」は安倍首相が「言っていること」に過ぎなくなる。その領収書を自分は見せられた、あるいは持っているとしたとしても、偽造領収書と言うこともある。
それを「光熱費月800円ですよ。月800円」と小額であることを印象付け、それを物的証拠にしようと必死になっている。
さらに「エエー、恐らく水戸の方の事務所の比率が高くなったんでしょうね」とか、「本当に主たる事務所として使っていたのかもしれない」、1999年の1915万円という高額の計上の説明を他のテレビでは、「その当時はたくさんの人を雇っていたんでしょうね」、両親が実家を事務所として使っていなかったと言っていることに対しても、「突然行って、こうなんですか、こうなんですか、と言ったら、驚いてですね、こう言った方がいいのかと思って、おっしゃるかもしれない。これは分からない」等々、推測の上に正当性を成り立たせている。
赤城農水相が説明していないことを(あるいは説明できないことかもしれない)総理大臣たる者が推測までして説明を補足し、正当化に努めている。なぜ推測までして、補足しなければならないのか。
それは事実を述べることによって説明を果たすことは不可能だから、説明を完成させるために推測を必要とするということだろう。推測だけではなく、「赤城大臣が30分を超えて記者会見を行い、説明をしましたね」の「30分」、「光熱費月800円ですよ。月800円」の「800円」、「人件費は5万円」の「5万円」、「人件費も入っていますから」の「人件費」といったふうな強調とその多さも補足説明に入る。
赤木農水相としたら、安倍首相は任命権者であり、上司に当たるから、自らの身に生じた疑惑に関して安倍首相に釈明・説明の類を行うのは当然のことだが、それで本人の説明責任は終わるわけではない。国民の選択を受けた国会議員としてその負託を受けている以上、首相であろうと大臣であろうと、あるいはペイペイの議員であろうと、すべてに先んじて国民に対してこそ責任を負っているのであり、そうである以上、国民と常に向き合っていなければならない。それは説明という形でしか果たし得ない。説明以外の方法が他にあるだろか。
すべてに先んじての「すべて」には法律の定めも入る。改正政治資金規正法が資金管理団体以外の政治団体の領収書添付の義務付けはなく、当然その公表は必要なしとしても、架空あるいは付け替えの疑惑が持ち上がった以上、国民に対する説明責任は残る。法律が決めているから、それでいいというわけにはいかないはずである。国民への説明を果たさないということは、国民と向き合わないことを意味する。国会議員として居座ることはできても、その時点で国民から受けた負託の資格を失う。
任命責任者である首相には疑惑否定の説明を行ったが、必要不可欠としなければならない国民と向き合う形の説明の責任を果たさないでいる赤城農水相の態度を安倍首相は良しとし、赤木農水相と同じく、法律には違反していないと、法律のみで片付けようとしている。これを以て美しい遣り方だと、本人自身は価値づけ、勲章とすることができるのだろう。
<安倍晋三首相は五日夜の民放テレビ番組で、秋に政府・与党で行う税制の抜本改革論議で焦点となる消費税率引き上げについて「上げないなんてことは一言も言っていない。上げないと言っている小沢一郎民主党代表とは一線を画している」と述べ、引き上げに含みを残した。また「衆院もあと二年しか任期はない。税制の抜本改革はもう近いうちに、信を問うことになってくる」と述べ、税制改革の結果について次期衆院選で国民の審判を仰ぐ考えを示した。
首相は、参院選で引き上げの方向性や税率を示すべきだとの指摘に対しては「正確でない議論をして何%とはいかない。新経済成長戦略によって自然増収がどれくらいになっていくかも読みきっていかなければいけない」と述べ、税収の自然増などを見極めるべきだとの考えを示した。
これに対し、民主党の小沢一郎代表は同番組で「当面は消費税率をアップせず、行政の無駄を省く。小泉、安倍政権で九兆円増税になっている。これ以上に上げれば低所得者(の生活)にしわ寄せがいく」と反論した。>(07.7.6/北海道新聞インターネット記事≪消費税「上げないと言ってない」 安倍首相、テレビで≫)
確かに安倍首相は「消費税上げないなんて言っていない」かもしれないが、「上げる」とも言っていない。「消費税から逃げるつもりはない、消費税に逃げ込むつもりもない」と体裁のいいことは言っている。
いわば抽象的な言及はあったが、具体的な言及は、多分一度としてなかったはずで、偉そうなことを言えた義理ではないだろう。
具体的な言及がなかったのは、技術革新によって幅広い産業の生産性向上を図り、名目4%(実質3%)の経済成長を目指す「経済成長路線」を掲げてその果実たる税収増によって財政再建を果たし、消費税増税を避ける戦略を掲げていたからとも言えるが、その裏で財政再建を名目とした定率減税の廃止による実質増税や生活保護の縮小、介護保険料の増税、酒税の引き上げ、自動車税増税等で国民負担を強いているのだから、名目4%(実質3%)の経済成長を実現させ得たとしても、見せ掛けで終わる可能性も残されている。当然、他の増税の程度によってはマイナスがプラスを上回るといった事態も起こり得る。
上記記事で小沢民主党代表が「小泉、安倍政権で九兆円増税になっている。これ以上に上げれば低所得者(の生活)にしわ寄せがいく」と言っていることがこのことに相当する。
こういったことからも、「上げないなんてことは一言も言っていない」は言わずもがなの偉そうな言い分でしかない。安倍晋三という政治家からしたら、無理はない差し出口といったところか。
既に国民生活を圧迫する増税が「経済成長路線」の裏側で行われているのだから、それを手段とした財政再建・消費税増税回避はその有効性をかなり怪しくしていると言える。大体が経済成長は常に右肩上がりを保証されているているわけではなく、右肩上がりであっても、景気上昇のプラスが逆のマイナスの金利の上昇を招いた場合、そのことが国債の暴落につながったり、住宅ローン等の利子の値上げ、「[JMM418M] 世界同時株安は何かの兆候か?」(2007年3月12日)記事中の真壁昭夫:信州大学経済学部教授の話を参考にすると、ヘッジファンドによる金利の低い日本資金を調達して金利の高い世界市場で運用する図式を狂わせ、カネの流れ・投資を停滞させ世界経済に悪影響を及ぼしかねないということだから、右肩上がりにしても決して絶対的なものではない。
今年(07年)3月の上海市場に端を発した世界的な株安の連鎖は短期間で持ち直したものの、2月の日銀の金利上げが日本マネーの動きを鈍らせて、それが上海市場の下落につながったということである。(<ヘッジファンドのファンドマネジャー連中と話をすると、円金利の上昇は、彼等のオペレーションに大きな影響を与えていることが分かります。「今回の株価下落で最も重要なファクターは、2月の日銀の利上げだった」との指摘もあるようです。>(同「世界同時株安は何かの兆候か?」/真壁昭夫:信州大学経済学部教授)
経済成長路線を消費税増税回避の絶対的条件とすることができないことぐらいは安倍首相にしても本人がいくら客観的認識性を欠いていたとしても理解していただろうから(本人が気づかなかったとしても、周囲の誰かが教えただろう)、経済成長による消費税回避路線は総理に就任後1年後に控えた参院選で争点となった場合の支持率の低下を避ける選挙都合上からの消費税隠しを兼ねた政策ということも十分にあり得る。
まさか安倍首相は経済を成長させて消費税を増税しなかった首相という正義のヒーローを演じたい、殆ど不可能といえる欲求を抱えていたわけではあるまい。
いや、単純細胞の持主だから、もしかしたら頭に思い浮かべることぐらいはしたかもしれない。だが現実問題として、消費税増税は十中八九待ち構えている政治的関門であろう。そうでなければ昨年の自民党総裁選で谷垣前財務相の増大する社会保障の財源として消費税率を2010年代半ばまでに10%まで引き上げるべきとする主張は、他の候補である安倍、麻生の両者は経済成長による財政再建優先を掲げて否定したが、選択肢としての意味を失い、滑稽なものと化す。
但し消費税増税の前に予算的な無駄だけではなく、公務員の能率に関わる無駄をも省いて、予算全般に関係していく効率を上げてから、多分これを可能とする能力の発揮は、「私の内閣ですべて解決します」という声は聞けても、期待薄だろうが、必要な税率を計算すべきだろう。また格差是正を言うのだったら、食品等の軽減税率も視野に入れるべきである。
ところが安倍首相の消費税絡みの姿勢は選挙都合を優先させているからこそ、増税時期も増税率も明言しないままの、「消費税から逃げるつもりはない、消費税に逃げ込むつもりもない」と抽象的な物言いで含みを持たせるだけのあいまい路線に出たのだろう。はっきりとは「上げる」とは言っていないのだから、 「上げないと言っている小沢一郎民主党代表とは一線を画している」と非難するのは一方的でおこがましい。
だが、あいまいなだけでは済まなくなった。国の06年度一般会計決算で国税収入は<3年連続の増収だが、法人税が予想より伸び悩み、06年度補正予算で見積もった額に役1・4兆円届かなかった>(07.7.3.『朝日』朝刊≪06年度決算 税収1.4兆円予算割れ≫)ことが判明、<「増税不要」の楽観論に冷水>と副題が示すように、成長路線一点張りで押し通すのは足元が危なっかしくなり、そろりと消費税増税表明へとシフトせざるを得なくなった。
解説部分を全文引用してみると、<国の06年度の税収が計画を下回る湖とは、私たちの将来の暮らしにも響きかねないニュースだ。戦後最長の景気拡大で税収がどんどん伸び、毎年の財政赤字が縮んでいくなら言うことなない。いずれ2ケタになるといわれる消費増税は避けられたり、遅らせたりできるかもしれない。事実、政界には税収の高い伸びを前提にした「増税不要論」もある。しかし、今回の数字はこうした楽観論に冷や水を浴びせている。
6月には定率減税廃止による住民税の実質増税があったばかりだが、800兆円にのぼる国の借金を考えると、甘い見通しには注意が必要だ。>
尤も消費税増税へシフトするにしても、選挙都合を優先させる口先だけの安倍首相である、参院選で与野党逆転ならなおさら、そこまで行かなくても、与野党伯仲のままなら、「衆院もあと二年しか任期はない」09年9月の選挙近くになってから消費税増税問題を持ち出すのは得策ではないことは竹下内閣退陣となった前例を教訓としていることだろうから、安倍内閣退陣を避ける意味合いから早めに打ち出しさなければならないと計算したのだろう。
それを参院選後ではなく、参院選直前としたのは、選挙が終わるのを待ってからと言い出したと批判されることを警戒したからに違いない。但し、記事が言っているように、<首相は、参院選で引き上げの方向性や税率を示すべきだとの指摘に対しては「正確でない議論をして何%とはいかない。新経済成長戦略によって自然増収がどれくらいになっていくかも読みきっていかなければいけない」と述べ、税収の自然増などを見極めるべきだとの考えを示>すことで、あくまでも政府が閣議決定している「骨太方針2007」に於ける税制改革の本格的な議論を行う秋以降の問題に持っていくことで参院選の争点化を避ける巧妙な策略を見せている。
2007年06月20日の「asahi.com」記事≪「骨太方針2007」閣議決定、08年度予算最大限歳出削減へ≫によると、
「税制改革」は<2007年秋以降、税制改革の本格的な議論を行い、07年度を目途に消費税を含む税体系の抜本的改革を実現する。金融所得課税のあり方を検討。歳出改革でも対応しきれない社会保障や少子化に伴う負担増に対しては、安定財源を確保。地方間の税源偏在を是正する方策を検討し、格差の縮小を目指す。「ふるさと」への貢献や応援が可能となる税制を検討>となっている。
「07年秋以降」とは、当然参院選以降ということで、その時期を踏まえた「上げないなんてことは一言も言っていない。上げないと言っている小沢一郎民主党代表とは一線を画している」であり、参院選で消費税増税を争点として前面に出した場合の票離れを警戒した、いわゆる消費税隠しの延長にある、次の衆院選挙を睨んだ巧妙・狡猾この上ない選挙都合の先手なのだろう。
このことは「消費税を上げないとは言っていない」安倍発言を受けた塩崎官房長官の「秋に抜本的な税制改革論議を行った上で、次の衆議院選挙で国民の信を問うべきだ」(07.7.6『日テレ24』≪塩崎氏「消費税を争点にすべきでない」≫)とする表明と相互対応し合った態度であり、同時に間違って参院選で争点化されたら困ることを避ける念押しでもあろう。
次の衆院選までの2年を置いて消費税増税を打ち出す。年金問題で政府に対する国民の風当たりを少しでも和らげて票離れを食い止める契機に国会を延長させ、参院選の投票日を2週間延期させて、その2週間を沈静化期間に狙ったのと同じ線上にある、次の衆院選までの2年の間に国民に消費税増税を慣れさせて安倍退陣を確実に招くことになる票離れを前以て回避・予防する早めの選挙対策でもあるのだろう。
いわば今回の国会延長は重要法案通過させるためが目的ではなく、多くの国民がそう見ているように、実際は年金問題に対する国民の怒りを冷ます冷却期間を想定した国会延長だったのだろう。
なかなかの策士・深慮遠謀家だが、選挙に不利に働かないよう2年先の衆議院選挙に向けて手を打つのはいいが、選挙都合の策であることに変わりはなく、それを「上げないと言っている小沢一郎民主党代表とは一線を画している」と他人を引き合いに出して自己正当化しようとするのは都合が過ぎているのではないだろうか。特に「美しい」を盛んに口にする政治家である。「美しい」を口にする資格のないことをしているとは気づいていないらしい。
核廃絶と核所有容認
昨日の『朝日』朝刊(07.7.5 ≪原爆投下「人類への挑戦」 小池防衛相就任≫)は女性初として新しく防衛相に就任した小池女史の記者会見での発言を次のように紹介していた。
<小池氏は久間前防衛相が原爆投下を「しょうがない」と発言したことについて、「日本が核廃絶の旗振りをし、核不拡散でリーダー役を務める上で『しょうがない』と言えば、そこで終わってしまう」と批判。原爆投下を「人類にとって全くの挑戦で、人道的に認められないことは明らかだ」と語り、被爆国としての日本の立場は変わらないとの考えを強調した。――>(一部引用)
<原爆投下を「人類にとって全くの挑戦で、人道的に認められないことは明らかだ」>は、「人類にとって全く」価値ある素晴らしいせんげんとなるが、前ブログ記事に小池百合子女史が核所有容認派の一人だと紹介したばかりだったから、なかなかどうしてタテマエどおりのことを見事に演じきれるものだと感心した。
ブログ記事のその箇所を改めて取り上げてみる。
2006年10月21日(土)「しんぶん赤旗」インターネット記事(≪安倍政権の閣僚ら 「核武装検討」 8人連なる≫)からの引用で、毎日新聞が2003年11月の衆院選で各候補者に「日本の核武装構想について」、
(1)将来にわたって検討すべきではない
(2)国際情勢によっては検討すべきだ
(3)すぐに検討を始めるべきだ
――の回答三者択一でアンケートしたところ、
当選した候補者のうち、「国際情勢によっては検討すべきだ」と回答したのは、安倍・現首相をはじめ、現閣僚では麻生外相、長勢甚遠法相、山本有二金融担当相の三人。副大臣では、岩屋毅外務副大臣、山本拓農水副大臣、池坊保子文科副大臣(公明)、首相補佐官では小池百合子氏(国家安全保障問題担当)、自民党の役員(四役)では、安倍総裁のほか、15日テレビで核武装の議論を容認する発言をして批判を浴びた中川政調会長も「核武装検討」の立場で回答していた、というもの。
日本に限った防衛政策で自衛隊が存在する以上、〝軍隊を持つ議論〟が成り立たないのと同様に、現在日本が非核3原則を国是とし核を所有していないのだから、〝核を持たない議論〟というのも成り立たない。核廃絶は世界に向かって言っていることで、国内に向けた声ではないことを念頭に置かなければならない。
となれば、「国際情勢によっては検討すべきだ」は、あくまでも核所有に向けた「検討」となるのだから(勿論核所有反対派との間に持つ・持たないの議論が生じることとなる)、小池百合子女史は安倍首相や中川昭一政調会長と同類の核所有容認派の一人であることを示している。
安倍晋三、中川昭一が核容認派なのは既にブログに何度か書いていることだが、改めて二人の発言を取り上げてみる。
安倍晋三「我が国が自衛のための必要最小限度を超えない実力を保持するのは憲法によって禁止されていない。そのような限度にとどまるものである限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わず、これを保有することは憲法の禁ずるところではない」
中川昭一「憲法の政府解釈では、必要最小限の軍備の中には核も入るとしている。その片方で非核三原則がある。現実の政策としては核は持たないということになるが、憲法上は持つことができると政府は言っている」
双方とも核否定派が言う言葉ではない。
核所有を「国際情勢によっては検討すべきだ」とする政治家の一人である小池百合子なる人間が防衛大臣の立場で、「日本が核廃絶の旗振りをし、核不拡散でリーダー役を務める」資格を持ち得るだろうか。
核所有衝動のホンネを隠しながら、記者会見とかの公の場でさも核廃絶論者であるかのように振舞い、「核廃絶」を訴える。その倒錯性は美しくさえある。
大体がアメリカの核の傘に国防を全体のところで依存しながら、「日本が核廃絶の旗振りをし、核不拡散でリーダー役を務める」ことを自任すること自体がえげつないばかりの二重基準を二重基準と思わせずに演じることなのだが、なおかつ日本を核所有の大国としたい仮面を下に隠し、その上に核は非人道的大量殺人兵器だと廃絶の仮面を、それこそがホンモノの美しい顔だとばかりにかぶせてそう思わせるマヤカシを行って平然としている。
いくら言行不一致、奇麗事が当たり前となっている日本の政治家だとしても、日本国内で通用はしても、核問題は世界に向けた顔を必要とする手前、偽善的な日本ルールを世界のルールに潜り込ませる世界に対する欺瞞行為となる。
それを欺瞞としていないから、当然の姿として、同昨日の『朝日』朝刊の関連記事見出しのように、≪「核の傘」歯切れ悪くなる≫という光景を曝け出すことになるのだろう。
副題は《小池国防相 想定問答見て説明》
「想定問答見て説明」は就任後の記者会見でごく当たり前のことしか言えない幼稚な発言からして別に不思議ではない美しい成果なのだろうと理解できるが、記事は次のように批判している。
<・・・・「人道上の観点から問題があると思っている」。核兵器使用が国際法上違法かどうか聞かれた途端、小池氏の歯切れは悪くなった。米国の原爆投下を「人類への挑戦」と答えたこととは対照的だった。改めて問われると、「準備してくれているので」と事務方が用意した想定問答を見ながら「法律的なこと、これまでの国際的な推移など研究したい」と答えるのが精一杯だった。――>
これは記事が示唆しているようにアメリカの核の傘を自分の傘にもして日本の主権と領土を侵すかもしれない外国の脅威を凌いでいるという現実問題に制約されていることが理由となっている〝歯切れの悪さ〟なのだろうが、そのことだけではなく、核所有を「国際情勢によっては検討すべきだ」としている仮面を念入りに化粧した顔の下に隠していることも影響して、「日本が核廃絶の旗振りをし、核不拡散でリーダー役を務める」とか<米国の原爆投下を「人類への挑戦」と答え>ることはできても、核兵器使用を「国際法上違法」と答えてしまったなら、将来に亘っての自らの核所有衝動の足をも縛ることになることを警戒した〝歯切れの悪さ〟なのだろう。
尤も「法律的なこと、これまでの国際的な推移など研究したい」は主体的意志から発した言葉でなければならないが、それを<事務方が用意した想定問答>に書いてある言葉で代用させて主体的意志とすることができる神経自体が既に化粧顔とは違う裏表のある姿を示している。核所有衝動を隠して核廃絶を訴えたとしても驚くには当たらないというわけか。
<事務方が用意した想定問答>からもう一つ透けて見えることは、小池氏は前職は国家安全保障問題担当の首相補佐官を務めていたはずだが、記者団の質問に<事務方が用意した想定問答>を必要とするとはTOPに応じた服装に関わるファッションや化粧の仕方は大いに学習してきたようだが、国防問題に関してはたいした学習はしてこなかったという不勉強ではないだろうか。「初めての女性ということでオンリーワン大臣を目指したい」(同『朝日』記事)と言っていたそうだが、マスコミはその時々の場での小池女史のファッションを主として伝えることになるような気がしてならない。小池女史にしても自身を目立たせる大いなる武器でもあろうから、最大限に利用することになるだろう。
様々に凝らしたファッションで人目を惹きつけ、それをカモフラージュに日本国の防衛大臣として核所有衝動の仮面を下に隠したまま世界に向かっては核廃絶と核不拡散の「リーダー役」を表向きの仮面として演じる。毎年の原爆の日に広島・長崎の式典に防衛大臣の肩書きで参列し、「事務方」が用意する違いない核廃絶と世界平和を改めて訴え、誓うメッセージを読み上げ、犠牲者に花束を捧げる。何とも美しい日本の光景か。
久間辞任劇をNHKニュースとTBSニュースから拾ってみた。
記者に野党から罷免要求が出ていることを問われて、「いやいや、それは、そんなことはいいよ。そんなことはよくあることだから」と、罷免要求は野党の常套手段、そんなことに一々構ってはいられないと軽くいなそうとしていた久間ヘラヘラ防衛大臣、野党・世論の批判・反発は勿論だが、与党内からも批判を受けて辞任に追い込まれた。だが、辞任を仕向けた第一番の主役は何と言っても間近に控えた参議院選挙なのは誰の目にも明らかである。
このことを裏返すなら、参議院選挙がすぐ背後に控えていなかったなら、「誤解を受けた」で片付けて、大臣職に居座ったに違いない。安倍首相が言うように「アメリカの考え方を説明したに過ぎない」、単に誤解を受けたに過ぎないと。
防衛省での午後4時半頃(07.7.3)からの記者会見。
久間ヘラヘラ「私の不用意な発言だったんじゃないかなー、と、ああいうふうに反省もしているところです。原爆・被爆についての、非常に私の態度が、まあ、軽んじたように、そういうふうに取られた節もございます。そういう点ではそういう人たちの心情を思うときに、大変申し訳なかったかなあと、いう、そういうふうな思いはいたしました。今度の選挙で、私が足を引っ張るようなことがあっては大変申し訳ないというか、そういう気持ちになりまして、マイナスにならないようにと、いうことで、既にマイナスになったかもしれませんけど、私自身が身を引く決意をしたところでございます」
そう、ちょっとまあ「不用意な発言」だった。「そういうふうに取られた節もございます」――そういった感じで受け止められてしまった向きもある。単なる行き違いです。
「大変申し訳なかったかなあと、いう、そういうふうな思いはいたしました」――確かに申し訳なかったかもしれないが、自分の発言があのような「誤解」を生んだなどと、まだ半信半疑なんです。
「今度の選挙で、私が足を引っ張るようなことがあっては大変申し訳ないというか、そういう気持ちになりまして・・・・・」
一番大切なことは参議院選挙です。与党が議席を減らすことです。与野党逆転へと足を引っ張ることになってから、防衛大臣にしてくれた安倍首相に「大変申し訳なかったかなあと、いう、そういうふうな思い」をしたとしても遅いですから、参院選挙大事ということで「身を引く決意をしたところでございます」
安倍首相にしても久間ヘラヘラにしても、時期が悪かった。参院選が控えていなかったなら、しぶとくやり過ごせば、そのうち騒ぎは収まる。身近な例として柳沢「女性は産む機械」発言がそのことを教えてくれている。柳沢「女性は産む機械」にしても、選挙を控えていたなら、うまく居座ることはできたかどうか。ちょっとしたことで人の運・不運は違いが生じる。巡り合わせが悪かったとしか言いようがない。
今回参議院選挙への影響を考えて辞任してもらうことになったが、国民が「しょうがないかな」発言をすっかり忘れたなら、機会があったら他の大臣でまたご活躍願うことにします。選挙のためです。それまで我慢してください。
安倍首相、首相官邸での午後4時40分頃の記者会見。「辞任すると、まあ、いうことにとっては、いうことはですね、まあ政治家として、一番重い責任の取り方であります。私は、その、久間大臣のお意志を(〝御意志〟だろう!!)尊重いたしました。当然任命責任は私にあります。こういう結果になったことは大変残念でありますが、その上に於いてですね、私は、まあ、改革を進めていくという、大切な使命があります。この使命を果たしていかなければならない、決意を新たにしています」
「まあ」という言葉を多用しているが、この「まあ」は積極的な意志を示す言葉ではない。〝取り敢えず〟とか、〝一応〟といった意思の表れとしてある言葉だからだ。「まあ、行ってみよう」は積極的な意志行為ではなく、中間的意志を示す行為であろう。当然、「まあ」からは強いメッセージは伝わりようがない。
辞任は「政治家として、一番重い責任の取り方であります」と言いつつ、それが「まあ」と形容詞をつけることで、〝取り敢えず〟は、あるいは〝一応〟は「一番重い責任の取り方」ということとなって、「一番重い」が絶対的にそうであることから離れている。発言そのものに対して直接的に責任を取る辞任ではなく、選挙対策からの間接的辞任だから、「まあ政治家として、一番重い責任の取り方」という言葉の使用となったのだろう。
また、「当然任命責任は私にあります」と潔い責任意識を見せているが、「私は、まあ、改革を進めていくという、大切な使命があ」るからと、「任命責任」よりも「使命」を優先させて、「任命責任」を反故にする自己都合を見せている。
それが自己都合なのは、「まあ、改革を進めていくという」の「まあ」が何よりの証明となる。「任命責任」を逃れる口実に改革推進の「使命」を持ち出したに過ぎないから、是が非でもの行為とすることができず、取り敢えずの行為、一応の行為に位置づけてしまい、「まあ」が口をついてしまったのだろう。
もう一つの証拠として、小池百合子女史を後任に当てた理由について昨日同じ官邸で述べた言葉を挙げることができる。口実や誤魔化しを働かせないで済む場面では「まあ」は一言も使っていない。
安倍「小池さんは、私の内閣に於きましてずっと、安全保障担当の補佐官を務めてもらってきました。海外の国務大臣、外務大臣、あるいは防衛担当の大臣ともですね、面識ができています。ま、そうした経験を生かして、仕事をしてもらえると、そう私は確信をしています」
軽く「ま」を一度使っているが、「経験を生か」すことに関しては本人の才覚がものを言うから、生かせるかどうかは確実とは言えず、その条件性から、「ま」が出てきたのではないか。
安倍美しい首相は最初は辞任する必要はないとの態度を示していた。だとしたら、久間ヘラヘラが参院選を理由に自ら辞任すると申し出ても、安倍首相は辞任する必要なしとした任命に関わる自らの最初の判断を守って、辞任の必要ないと慰留すべきだが、舌の根も乾かないうちにコロッと態度を変えて辞任を簡単に受け入れる相変わらず無節操なことをやらかしている。
安倍首相「に於きましては」、それ程にも任命判断は軽いものなのかと、そう国民は確信するしかないようだ。
楽屋裏を説明するまでもなく、参院選に不利になるとの状況が生じて、辞任する必要なしとした任命責任者としての自らの判断などに構ってはいられなくなった。かといって、辞任必要なしとした手前、罷免するわけにもいかない、本人からの辞任というシナリオを作成することにして騒ぎを鎮めようとした。そういった経緯を裏に抱えていたからこそ、任命責任を逃れるために体裁上「改革を進めていくという、大切な使命」を持ち出さざるを得ず、「使命」が「まあ」(取り敢えず)の「使命」となったのだろう。
中川暴力団幹部タイプ幹事長「核のない世界、核軍拡反対、核廃絶という信念はあの人は強く持っていた人ですから、今回のことで誤解を招いた、と。それにけじめをつけると、懸命な勇気あるご英断だと思いますね」
国民の多くは参院選が与党に不利になることを防ぐために「けじめをつけると、懸命な勇気あるご英断」の辞任だと分かっているというのに、何ともシラジラシい取り繕いか。
中川昭一・安倍同類国家主義政調会長「選挙にとって我が党、安倍リーダーが一生懸命やっていることに対してですね、決してプラスではなかったというふうにね、思っております」
そう、すべての道は「まあ」ではなく、まさしく参議院選挙に通じているのでございます。
中川昭一が核問題について一言も触れていないのは、昨年10月の静岡県沼津の講演で「北朝鮮が核ミサイルを撃ってきたらどうするのか。米国さん助けて、と言うのか。その前に飛んでくる。核議論は今こそすべきだ」と主張し、別の機会に次のように補足している。「憲法の政府解釈では、必要最小限の軍備の中には核も入るとしている。その片方で非核三原則がある。現実の政策としては核は持たないということになるが、憲法上は持つことができると政府は言っている」と核保有衝動をおおぴらに見せたこととの整合性を図る必要から、核廃絶とか下手なことは言えないということなのだろう。昭一国家主義者は昨年こうも言っている。「あの国の指導者はごちそうを食べ過ぎて糖尿病ですから(核ミサイル発射を)考えてしまうかもしれない」。そして後で「関係者に迷惑をかけたので、おわびしなければならない」と陳謝している。
丹羽総務会長「国民のみなさん方のですね、心情を思うと、あまりにも重い発言だったと。久間大臣も色々お考えになって、ええ、そういった、あー、声に、率直に従ったんではないかと思います」
「重い発言」ではなく「軽い発言」としなければならないはずだが、これも重大には受け止めていないことの意思表示でもあるのだろう。世論の批判に「率直に従った」のではないことは久間ヘラヘラが自らの発言自体を否定していないことからも分かることで、本人が言っているように、参院選で「足を引っ張ること」があってはならないを理由とした辞任に過ぎない。それを「声に、率直に従った」は身内庇いからの美化に過ぎない。このことも久間ヘラヘラ「発言」を深刻には受け止めていない証拠となるだけではなく、別の映像ではホンネを曝け出している。
丹羽「この問題をすっきり、ケリをつけて、エー、参院選挙に臨まなければならない」
このホンネが久間ヘラヘラに対する丹羽総務会長の最初の言及が単なる体裁に過ぎないことを物語っている。
片山虎之助参院幹事長「現職の大臣としてはね、やはり軽率だったと思います。直ちに選挙戦が大きく変わるとは思わないけれども、しかしいい影響ではないわね。うん、それだけは言えると思う」
桝添要一自民党参議員「本当に反省して辞任したって言うよりも、追い込まれて辞任したっていう感じがする。事実上の内閣改造ですよ、これは」
追い込んだのは国民や与野党の批判であるよりも、参議院選間近という事情に過ぎない。別の映像での桝添要一の発言がそれを証明している。
桝添「この選挙期間中、土下座行脚していただきたい。それくらいの気持、我々が正面で戦っている人間にとっては、後ろから弾を撃たれるようなものであります」
「土下座行脚」したって、あのヘラヘラ顔では「土下座行脚」にはなるまいに。「土下座行脚」イコール安倍退陣ということになりかねない。安倍退陣を誘うために是非ともあのヘラヘラ顔で土下座行脚してもらいたいものだ。
鳩山民主党幹事長「選挙というものを直前に控えて、これはまずいと、みなさんに言われて、撤回を事実上して、そしてそれでは済まないということで、特に与党などから批判を受けて辞任をされると。問題閣僚を多数抱えてしまっている安倍内閣の任命責任というものは極めて重く残ると――」
小沢民主党代表「総理自身が同じような考え方や同じような体質を持っているちゅうことですから、その意味に於いて、こういった政権を是とするのか、非とするのか、それは主権者が一票一票によって選挙で判断するということではないですか」
最後に公認に決まった直後の小池百合子女史「あの、国防ってのは、国にとって重要な、アー課題でございますし、一刻の猶予もございませんので、しっかり、あの、これから尽くしてまいりたいと、私は思っております。あたかも、オー、原爆っていうこと容認するような、ふうに受け取られてしまったということ、あの、ご本人が一番残念に思っていられると思います」
「国防ってのは、国にとって重要な、アー課題でございますし」――重要だからこそ国の役所を一つ宛がっているのであって、これでは単に当たり前のことを当たり前に言っているに過ぎない。日本の防衛はどうあるべきか、どうすべきかについてどのような考えを持っているのか、何一つ窺うことができない。言語不明・意味不明の二重の不明の致すところではないか。文字に直したまま誰が言ったか伏せたなら、自民党の他の男性議員と区別がつかなくなるような何ら変わらない物言いとなっている。久間ヘラヘラ発言を「誤解」レベルで把えているところも他の議員とまったく変わらない。隠れ核容認派の一人ではないかと疑って、インターネットで調べたところ、「しんぶん赤旗」インターネット記事(2006年10月21日(土)≪安倍政権の閣僚ら 「核武装検討」 8人連なる≫)に次のように出ていた。
<二〇〇三年十一月の衆院選で、毎日新聞が候補者に「日本の核武装構想について」の見解を聞くアンケートを実施しています。回答は、(1)将来にわたって検討すべきではない(2)国際情勢によっては検討すべきだ(3)すぐに検討を始めるべきだ――の三択でした(同年十一月十一日付)。
このときの選挙で当選した候補者のうち、「国際情勢によっては検討すべきだ」と回答したのは、安倍・現首相をはじめ、現閣僚では麻生外相、長勢甚遠法相、山本有二金融担当相の三人。副大臣では、岩屋毅外務副大臣、山本拓農水副大臣、池坊保子文科副大臣(公明)、首相補佐官では小池百合子氏(国家安全保障問題担当)が、同じ回答をしています。
自民党の役員(四役)では、安倍総裁のほか、十五日のテレビで核武装の議論を容認する発言をして批判を浴びた中川政調会長も「核武装検討」の立場で回答していました。>
隠れ核容認派でも何でもなかった。姿は女であっても、中身は女久間章生といったところか。
上記調査で安倍晋三も日本の核武装を「国際情勢によっては検討すべきだ」としていたなら、久間発言擁護の一環として述べた「唯一の被爆国である日本の、日本の使命はまさに究極の目的である核の廃絶においてリーダーシップを発揮していかなければならない防衛大臣としての核の廃絶について、これから大いに力を発揮していただかなければならない、と思うわけでありますが、国民のみなさまに誤解を与えるような発言については、まことに慎んでいただかなければならない」はますます二枚舌となる。