プロ野球選手、読売巨人軍の二岡智弘選手とタレントなのかアナウンサーなのか山本モナなる32歳の女性がラブホテルで不倫したことが週刊誌とかに暴露されたのか、名誉の大量報道を受けて、それが二度目とかで当分の間テレビ出演を自粛すると所属事務所が発表したそうだ。
余計なお世話だと言いたいが、「asahi.com」まで大騒ぎの報道している。
≪モナ宿泊のラブホ「何度か見たことある」≫(asahi.com/2008年7月11日)
<またも不倫騒動を巻き起こしたタレントの山本モナ(32)が、東京・五反田のラブホテルの常連の可能性が10日、浮上した。7日早朝に巨人二岡智宏内野手(32)と宿泊したホテルの従業員が「あの女性の顔は何度か見たことがある」と、証言した。また、モナが東京・新宿2丁目で一般人男性と親密に歩く姿が11日発売の写真誌で報じられるなど、深夜のプレースポットが見えてきた!?
モナが9日、マスコミ各社に配った騒動釈明の文書で「やむなく入りました」とした五反田のラブホテルはモナの“本拠地”なのか!? この日ホテルの従業員が取材に応じ「あの顔は何度か見たことがある」と目撃談を口にした。同氏は「テレビより実物の方が細く見えたし、100%本人とは断言できないけど」と前置きした上で「未明に泊まりに来る客は水商売の女性や若いカップルが大半。その中で際立って美しい女性がよく来るので覚えていた。彼女は午前3~4時に来ることが多い気がする」と証言した。
2人が訪れた7日早朝の担当者は、ホテルの責任者に対し「相手の顔や名前を確認するわけではないので当日の様子も覚えていない」と説明しているという。同氏によると、2人が一夜をすごした「宿泊9800円」の部屋は「うちで最も多いタイプ」。手続きなしで入退室が可能なため「何号室に泊まったか調べられないけど、部屋はシンプルでキレイな造り。SMとか変なプレーはできない普通の客室だよ」と説明した。
ホテルは、五反田駅西口に広がるラブホテル街の一角にある。都内のモナの自宅から車なら10分の距離だ。地域のラブホテル調査で上位にランクインする人気で、モナと二岡の不倫発覚から一夜明けた10日昼すぎも満室だった。ただ、2人が泊まった日曜深夜から月曜早朝にかけた時間帯が最も空室が多いといい「部屋は選び放題だったはず」。料金は通常8800円~1万1800円。メンバーズカードもあるが、モナが保有しているかどうかは不明という。
また、11日発売の写真誌フライデーでは、モナが「週5日は1人で飲みに行く」と公言する新宿2丁目で一般人男性と親密にする新たに姿が報じられた。6月中旬にゲイバーを訪れ、男性に腕を絡ませたり、胸を押し付けていたという。2人の関係は不明だが、男性が在京テレビ局のスタッフという情報もある。 >・・・・・
記事内容のすべてが余計なお世話の情報で成り立っている。野次馬根性もいいとこではないか。
山本ナオは独身らしい。一方不倫を認めた二岡の方は11日に予定されていた一軍昇格の見送りを受けたという。
これは懲罰なのだろうか。球団に向けられるかもしれない管理・監督の責任に対する非難逃れなのだろうか。
二軍で調整中の身で夜カラオケに行って酒を食らい、妻子ある身でありながら妻以外の女とラブホテルに行って不倫するとは何事だといった非難が集中しているらしい。
不倫とはどちらか一方でも交際相手、あるいは伴侶がいながら、別の異性との性関係を持つことを言うのであり、戦前で言うところの「姦通」、もしくは「不貞」のことであり、江戸時代で言うところの「密通」のことであろう
果して不倫は今の時代社会的犯罪とまで言えるのだろうか。二岡は妻子がいるから、一夫一婦制という結婚制度から言えばそれを侵す社会的な犯罪行為と言えるし、結婚に対する契約違反ということになるが、あくまでも夫婦間の精神的問題及び身分行為に関連する問題であって、厳しく社会的な犯罪行為だと断罪しなければならない程の問題だろうか。
もしそのように断罪しなけれがならないとしたら、すべてとは言わないが、離婚の多くが一方の当事者、あるいは双方共に対して一夫一婦制の結婚制度を破る行為として社会的犯罪だとしなければならなくなり、個人を「家」に縛り付けたい欲求を常に抱えている国家主義者たちは喜ぶかもしれないが、離婚への道を狭めることになる。
あるいは「婚姻の解消もしくは取り消しの日から300日以内に生まれた子は婚姻中に懐胎したものと推定する」とし、その子を例え別の男の子であっても結婚中の夫の子とする「300日規定」はどう変更しようと、結婚中の妻の懐胎を結果とする夫以外の男との行為は社会的犯罪だとして断罪の対象としなければならなくなる。
これが妻子がいながら、他の女性とも結婚するといった二重結婚ともなると、重婚罪に問われることになり、社会的な犯罪であると同時にそれを超えて刑法上の犯罪の部類に入るだろうが、例え不倫が継続的性格のものであっても、関係者の身分に法律的な変動が何らなければ、社会的な犯罪とまでは言えず、あくまでもプライベートな性行為を伴った恋愛行為と言えないだろうか。
尤も不倫が社会的な犯罪だとまで言えなくても、もし山本モナが政治家がオハコオにしている道徳だ、家族の平和だ、夫婦愛だ、正義だとか普段から口にし、そういった倫理性に価値を持たせた自己の存在性をウリにしていながらの不倫だということなら、マスメディアという言葉の信用性が常に問われる職業との関係から言行不一致の人格を問われることになる。いわば言行不一致を曝す不倫の場合は社会的な犯罪の部類に入れなければならない偽善行為ではないだろうか。
妻子ある政治家の愛人問題が大きく取り上げられるのはそのためであろう
もしも不倫を、それが一夜限りの出来事であっても、単に性行為を愉しむ個人相互の恋愛行為であることを超えて社会的犯罪だとするなら、刑法上の犯罪とすることにもなるが、姦通罪を復活して始めてそのような部類の犯罪だとすることができるのではないだろうか。不倫をすべて社会的犯罪の部類に入れて批判する人間たちは国家主義者・日本主義者以外で1947(昭和22)年に廃止された姦通罪を復活したいと願っているのだろうか。
「日本史広辞典」(山川出版社)にはこう書いてある。「第2次大戦後になると、姦通罪は刑法典から削除され、姦通は単に民事上の離婚原因にとどまるものとされるに至った」
社会的犯罪だと把えた書き方はどこにも見当たらない。勿論刑法上の犯罪だとも書いてない。
江戸時代は不義密通はお家の御法度と言って、「本夫による家宅外での姦夫・姦婦の殺害を公的に許容するまでになった(妻敵討・めがたきうち)。明治期の新律綱領・改定律例や旧刑法にもおおむね前代の規範が継承されたが、1907(明治40)年の改正刑法は、姦通罪を残しながらも本夫による殺傷権は否認した」(同「日本史広辞典」)と今で言う不倫(=不義密通)には1907(明治40)年まで厳しい制裁が課せられた。
男尊女卑の世界である。男のメンツに大きく関わったに違いない男にとって許し難い女の裏切りだったのだろう。特に武士にとっては妻が別の男と性行為を持つことなど許すことができなかったに違いない。だが、「不義密通はお家の御法度」と夫ある女の夫以外の男との性行為を厳しく禁止し、犯した場合の制裁を切り捨て御免の最懲罰の死を規定しなければならない程に「不義密通はお家の恥」が横行したということなのだろう。
いや、最懲罰の死を規定しながら、不義密通はなくならなかった。江戸時代の武士は参勤交代で一定期間江戸詰めを余儀なくされ、妻は一人家に残される。夫は江戸で公認・非公認の遊女を相手に、あるいは妾をこしらえて適当に性欲処理に走り、家を守ることを務めとされていた妻は耐え切れずに不義密通に走ってしまう。その結果の怒り狂った本夫の「不義密通はお家のご法度」となって姦夫・姦婦の殺害(妻敵討)が展開されることとなる。
中には夫の嫉妬がつくり出した不義密通が原因で妻と何の関係もない男が殺されるという悲劇が生じた可能性もある。
11世紀末から13世紀にかけてアラブ世界に向けて行われたヨーロッパキリスト教徒の十字軍の遠征では長期間家を留守にする騎士が妻の不貞を防ぐために夫が持っているカギを使わなければ外せない貞操帯を下半身に装着させて出陣していったというが、不貞防止により確実な物理的方法に思えても、カギ製造技術が現在のように発達していなかった時代であったろうから、合鍵を簡単に造ることができていつでも簡単に外せたといったことはなかったろうか。帰還した夫を迎えるときは夫が装着した当初の状態に戻しておき、装着以来初めて外すといった様子で夫自らの手で外してもらう。
貞操帯合鍵製造専門の職人がいて、女たちの切なる願いの足許を見て高額で売りつけ、しこたま儲かる商売となっていた可能性もある。
貞操帯は愛だ、永遠だといった言葉の諭し、神の前での誓いといった人間に向けた倫理観への訴えの非有効性を物語っている。あるいは合鍵を提供すると同時に自分の肉体を提供する若くてイケメンの職人もいたに違いない。
性の解放が進んだ現在、不倫が社会的犯罪だとまで言えないとしたなら、また言葉で自分を高潔な人間に思わせていてそれを裏切る正体の曝しでなかったなら、 あるいは「日本史広辞典」が言っている「姦通は単に民事上の離婚原因にとどまるものとされるに至った」という考え方に立つなら、少なくとも結婚していない男女、あるいは交際中でない男女にとっては相手のいる男女、あるいは結婚している男女相手の性行為は一般的には不倫と言う言葉から罪のニュアンスを取り除き、性行為を伴った恋愛、あるいは性行為にまで行き着いた恋愛と把えるべきではないだろうか。
それを罪とするのは男女いずれかの配偶者、あるいは交際中の男女いずれかに限定されることとする。
この把え方に立つなら、山本モナはテレビ出演を自粛する必要はないし、また出演自粛の制裁は不倫を社会的犯罪だとする過剰な反応ということになる。
山本モナとしたら、こういったことではないだろうか。結婚したいと思う男に出会わない。結婚したいとは思わない独身の男と性行為にまで至る恋愛をした場合、付き纏われでもしたら困る。結婚している男が相手なら、例え性行為に至る恋愛をしても付き纏うことはないに違いない好都合な存在として愉しんだ?
自粛だ、謹慎だなどと言わずに、「私が今まで関係した男の中でテクニックは上の部類」あるいは「中の部類」、「肉体規模は・・・」とあっけカランと言える世の中になるべきではないだろうかと思うが、不謹慎極まりない考えだろうか。
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≪山本モナ 不倫騒動で無期限謹慎≫(ディリースポーツ/08.7.11)
巨人・二岡との不倫騒動で芸能活動を自粛することになった山本モナ。復帰時にはまたスイカのかぶりもので登場する!?
巨人・二岡智宏内野手(32)との“ラブホテル不倫”が発覚したタレント・山本モナ(32)が10日、キャスターを務めるフジテレビ・関西系情報番組「サキヨミ」への出演を当分の間見合わせることが決まった。他のテレビ番組出演も自粛する旨とモナ自身の謹慎処分も合わせて、所属事務所が発表した。また、巨人・滝鼻卓雄オーナー(68)は同日、11日の横浜戦(東京ドーム)から予定されていた二岡の1軍復帰にストップをかけた。
◇ ◇
1泊9800円の“ラブホ不倫”の代償はとんでもなく大きかった。妻子ある男性との2度目の不倫報道に所属事務所は迅速に対応。「オフィス北野」はマスコミ各社へ、森晶行社長の署名入りファクスを送り、モナのテレビ番組への出演自粛とモナ自身の謹慎処分を発表した。同事務所では期間について、「当分の間」としているが、キャスターとして負のイメージは致命傷。このまま番組を降板する可能性が大きい。
不倫イメージをスイカの着ぐるみをかぶるなど、バラエティー色で払しょくし、再びキャスターとしての一歩を踏み出したはずだった。「サキヨミ」第1回放送当日を無事終えたモナだったが、この日がまさかの不倫騒動第2幕の幕開けとなるとは誰が予想しただろうか。
06年10月、民主党・細野議員との“路チュー不倫”による「NEWS23」降板から1年9カ月、モナを支えた所属事務所も、この行動にはさすがにお怒りの様子。「キャスターという重責を預かった立場にはふさわしくない、自覚に欠けた行動」と生放送を終えて向かった新宿2丁目での“夜のお遊び”をバッサリと切り捨てた。
「サキヨミ」は13日の第2回放送分からモナの姿が消える。同局広報部によると「代役は検討中で、今週(13日)は伊藤利尋アナ1人で担当するものと思われます」としている。また、他のテレビ、ラジオすべての番組で出演を自粛するだけに、収録分を除き、しばらくはテレビ画面から姿を消すことになる。
バラエティーでは引く手あまただったモナだけに、不倫をネタにその道に進むことは可能だが、キャスターとして復帰の道は限りなく険しいのが現実。“魔性の女”は、どう立ち上がってくるのか。そして、二度あることは三度…となってしまうのか。不倫という“罪”の重さは、モナ自身が一番分かっていたはずなのだが…。
福田首相は北京オリンピック開会式への出席を明らかにした。
≪首相、五輪開会式に出席 「政治絡める必要ない」≫(47NEWS/2008/07/06 19:04 【共同通信】)
<福田康夫首相は6日、日米首脳会談後の記者会見で、8月8日の北京五輪開会式に出席することを正式に表明した。北京入りは8日で、9日には長崎市で開かれる原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に出席するため帰国する。
中国の人権問題への懸念について、福田首相は「五輪を政治にあまり絡める必要はない」と指摘。「問題があったとしても努力、改善している最中だ。中国はわが国の隣人。健全で明るい国になってほしいと思っており、そういう気持ちを込めて出席したい」と述べ、開会式と政治問題を切り離すべきだと強調した。
出席を決めた理由について、福田首相は「五輪はスポーツ。スポーツ精神を大いに発揮してほしいし、満を持している選手の激励をしたい」と述べ、日本選手団の応援のためと説明した。>・・・・・・・・・
「五輪はスポーツ」であるとしても、運営するのは都市主催の形を取った国家経営となっていて、特に独裁国家や日本のような権威主義国家に於いては国家主義的な意志の支配を受ける。国旗を極端なまでに意識して背負うのはそのためであり、そこから国威発揚精神、自民族高揚意識が生じる。
独裁国家の支配下にある首都北京が主催の形を取る北京オリンピックに関しても当然の傾向として中国共産党国家の関与部分が大きく、北京オリンピックと言いながら、中国共産党オリンピックと言った方が正確でふさわしい名称に違いない。
「発展途上国」の名称を卒業して「先進国」の名称を獲得し、そのことを内外に誇示する絶好の機会とする国家的目論見も、北京オリンピックが国家レベルの経営であることを証明して余りある。
一例としての高校野球はプレーをするのは各高校野球部であっても、入学金や授業料などの免除、練習時間調整、応援団の組織等は学校自体が実施主体となっていて、それらなくして成り立たない活動であるのと同じ構図を踏んでいるはずである。
またスポーツがドーピングや不純な異性問題に関係した場合のスポーツ選手個人の人格性を問題とするように、オリンピックの運営主体である国家の人格性を問題としなければならない。オリンピック憲章がそのことを指摘している。
オリンピック憲章「根本原則」の3は次のように定めている。
「3.オリンピズムの目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することを視野に入れ、あらゆる場で調和のとれた人間の発達にスポーツを役立てることにある。この趣意において、オリンピック・ムーブメントは単独又は他組織の協力により、その行使し得る手段の範囲内で平和を推進する活動に携わる。
「平和」とは、国家が戦争をしていない状況のみを言うのではなく、国民が等しく基本的人権を行動原理として自由に活動する状況をも言うはずである。
オリンピック憲章「根本原則」の6は次のように定めている。
「6.オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある。」
オリンピック憲章「根本原則」の8は次のように定めている。
「8.スポーツを行なうことは人権の一つである。各自の要求に応じてスポーツを行う機会が必要である。」
時事通信社の7月7日(08年)のインターネット記事≪患者の入国禁止撤回を=北京五輪委、厚労省に要望-ハンセン病市民学会≫は次のように伝えている。
<北京五輪組織委員会が大会期間中にハンセン病患者らの入国を禁止した問題で、支援者や学識者らでつくるハンセン病市民学会(熊本市)などは7日、厚生労働省で会見し、舛添要一厚労相と組織委側に対し、文書で禁止措置の撤回を要望したことを明らかにした。
同組織委は6月2日、五輪期間中の外国人の出入国に関する「法律指針」を公表。ハンセン病患者らの入国禁止を掲げた。
同学会の神美知宏共同代表は「中国がオリンピックという場で、ハンセン病などへの間違った理解と偏見を世界に発信することは黙認できない。オリンピックが差別を植え付ける場になってはならない」と話した。
ただ、「法律指針」は組織委の方針ではなく、ハンセン病患者らの入国禁止は、外国人入境出境管理法の実施細則で定められたものという。このため、同学会などは指針の禁止措置の撤回のほか、同法の改正についても要望している。(了)
神美知宏(こう・みちひろ)>・・・・・・・・
「『法律指針』は組織委の方針ではなく、ハンセン病患者らの入国禁止は、外国人入境出境管理法の実施細則で定められたもの」だとしても、「外国人入境出境管理法の実施細則」に則って北京五輪組織委員会が「ハンセン病患者らの入国禁止」を掲げる以上、その精神の支配を受けた同調・共犯行為であって、ヒトラーの命令を受けてユダヤ人を虐殺するのであって、我々は関係ないということができないようにその権性はオリンピック憲章「根本原則」の6が言う「いかなる差別をも伴うことなく」の精神に反する振舞いなのは言を俟たない。
また「ハンセン病患者らの入国禁止」といった後れた人権意識行為はオリンピック憲章「根本原則」の3が言うスポーツを通じて人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立」の「奨励」に反する、そのことを裏切る「人間の尊厳」を否定する行為そのものであろう。
さらに言うなら、 オリンピック憲章「根本原則」の8は「スポーツを行なうことは人権の一つである」と言っているが、少なくともオリンピックのような競技の体裁を取るスポーツは観客があって初めて意味と価値を持つ。
人権とは人間精神の自由な発露を保証する権利を言い、その否定ではないはずである。スポーツを行うことも精神の自由且つ十全な発露行為であり、また観客の競技観戦にしても、競技者の精神の自由且つ十全な発露を受けて自らも精神の自由且つ十全な発露を行う、双方共に人権行為に属する。
「スポーツを行なうことは人権の一つである」と言うなら、観客も視野に入れて、競技者と観客は相互に人権を分かち合う関係にあるとオリンピック憲章は謳い上げる必要があるのではないか。
となれば、次のように表現しなければならない。「スポーツ観戦も人権の一つである」と。
例え「外国人入境出境管理法」に則った北京五輪組織委員会の「ハンセン病患者らの入国禁止」の「法律指針」の適用だったとしても、ハンセン病患者が他者に危険を及ぼす恐れがない以上、スポーツ観戦という人権を否定する行為であって、「スポーツ観戦も人権の一つである」としなければならない精神を阻害するだけではなく、そのことと関連し合うオリンピック憲章「根本原則」の8が言う「スポーツを行なうことは人権の一つである」とする精神をも阻害し、宙ぶらりんな状態に貶めるのではないだろうか。
例えば「ハンセン病患者ら」は「入国禁止」を受けてこのスタンドの観衆の中にはいないんだとアスリートが考えた場合、人権意識の薄い日本人選手はそんなことは思いも考えもしないだろうが、果して無心で競技に臨める選手がどれくらいいるだろうか。
またこのような中国政府の国家権力意志を受けた北京五輪組織委員会の人権否定行為は「五輪開催が人権状況の改善を含む社会的な進歩につながると主張して」(読売記事)、懸念された中国内の人権状況をクリアし五輪開催の指名に漕ぎ付けた経緯を裏切るものでもあろう。
欧米のハンセン病政策は1943年にアメリカで特効薬が開発されて以降隔離政策から社会復帰を伴った外来治療へと移行していったにも関わらず、世界的な政策変更を無視して1931年以来から1996年の「らい予防法」廃止まで患者の人権を抑圧する強制隔離政策を続け、その間強制断種・強制中絶の最悪の人権抑圧まで侵す悪名高い歴史・過去を日本は抱えている。
2006年12月3日の当ブログ≪中国残留孤児訴訟/神戸地裁判決は国民意識不在への糾弾≫で中国残留孤児に対する日本政府の怠慢・不作為の責任を厳しく糾弾した神戸地裁の判決によって炙り出された日本政府の「国民の生命・財産」を無視した残酷な権行為を列挙する中でハンセン病の隔離政策を取り上げ、次のように書いた。
<1950年代には在宅治療が主流の世界標準に反して1996年の「らい予防法廃止に関する法律」の成立まで16年間も強制隔離を続けてきたハンセン病(らい病)対策は「国民の生命・財産」無視の顕著な例の一つであろう。しかし社会の偏見と国の支援対策不備で隔離された施設から退所した元患者は当初は僅かで、殆どが入所したままの状態に置かれた。
2年後の1998(平成10)年7月31日、熊本・鹿児島両県の国立療養所入所者ら13名が国を相手取り国家賠償を請求して熊本地裁に提訴した。2001(平成13)年5月11日に熊本地裁が国の責任を認めて賠償を命ずる判決を出したのに対して、旧厚生省(2001年/平成13年1月の中央省庁再編を受けて厚生省と労働省と統合、正しくは厚生労働省です。訂正します)は控訴の方針を示したが、小泉首相が控訴断念を決意、原告勝訴が確定した。
その直後の朝日新聞の内閣支持率調査で小泉内閣は前回の78%から84%に撥ね上がったが、これは明らかにハンセン訴訟控訴断念に対して国民が評価し、その好感が作用した数値であろう。
しかし、控訴棄却した場合の支持率の低下を考えたはずである。なぜなら、小泉首相は竹下内閣と宇野内閣のもとで、1988年から1989年までと、1996(平成8)年11月から1998(平成10)年7月までは橋本内閣のもとで2度厚生大臣を務めている。
1998年3月に発表し、ハンセン病元患者たちから失望と怒りの声が上がった彼らに対する「社会復帰支援事業実施要項」の作成に厚生大臣として関わっていたはずである。4ヵ月後の1998(平成10)年7月31日の国を相手取った国家賠償請求の熊本地裁提訴は、国に期待できないことに対する司法への期待転換が動機として含まれていたであろう。国が患者に満足を与える支援策を示したなら、何も時間とカネをかけて裁判にかける必要はどこにもないからである。当時小泉厚生大臣は患者が権利として有している「国民の生命・財産」の保障要求に応えなかった。――>・・・・・・
中国残留孤児訴訟では月最大14万6000円支給の新支援策を盛り込んだ改正帰国者支援法が2007年11月28日に成立、2008年1月1日の施行を受けて各地での訴訟は取下げ、もしくは和解へと向かっていると言う。
福田首相の「五輪を政治にあまり絡める必要はない」が正しい解釈だとしても、実際には「絡める」だけの政治能力を持たないだけの話だろうが、こともあろうにオリンピック開催国がオリンピック精神に反して「ハンセン病患者らの入国禁止」を謀る権行為に対していくら「中国はわが国の隣人」だからと言って、そのことに目をつぶっていていいはずはない。ましてや国の政治に責任ある立場で関係する人間であるなら、国のハンセン病政策に関わる悪名高い恥ずべき歴史・過去・前科を挽回すべく、開会式出席を「入国禁止撤回」を条件とする厳しい態度で臨むべきではないか。
北京五輪組織委員会が「五輪期間中の外国人の出入国に関する『法律指針』を公表。ハンセン病患者らの入国禁止を掲げた」のは今年の6月2日。
支援者や学識者らでつくるハンセン病市民学会(熊本市)などが厚生労働省で会見し、舛添要一厚労相と組織委側に対し、文書で禁止措置の撤回を要望したのは7月7日。時事通信社がそのことを記事で伝えたのは同じ日の7月7日。
福田首相が北京オリンピック開会式出席を表明したのは7月6日。その1日後の上記時事通信社の7月7日の報道は支援者や学識者らでつくるハンセン病市民学会が舛添要一厚労相と組織委側に対して文書で禁止措置の撤回を要望したことを伝えたもので、NHK」や「asahi.com」、「読売」、「北日本放送インターネット記事」等が6月19日~6月23日に既に北京五輪組織委の措置を伝えている。
「asahi.com」(2008年6月20日(金)12:29 )記事の報道は次のとおりである。
≪北京五輪中「ハンセン病患者は入国禁止」 組織委に抗議≫
<日本財団(笹川陽平会長)は19日、北京五輪開催時にハンセン病患者の入国を禁止するとの措置について、撤回を求める書簡を北京五輪組織委や胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席らに送った。同組織委は今月2日に発表した外国人向けの「法律指南」で、ハンセン病や精神病、性病、結核などの患者を「入国できない外国人」とした。同財団は書簡で「ハンセン病患者やその家族への基本的人権侵害に当たり、偏見や差別を助長する」と指摘している。>・・・・・・
日本財団は中国国家主席の胡錦涛にも「撤回を求める書簡」を送った。もしこのマスコミ情報を政府の人間が誰一人把握していなかったとしたら、政府の情報収集能力、ひいては危機管理能力の問題にもつながっていく。福田首相自身が直接把握していなかったとしても、誰かが把握して福田首相に必要情報として伝えるべき出来事であり、過去の日本のハンセン病政策に照らして知っておくべき情報であったはずである。
もしこのまま中国政府及び北京五輪組織委が「ハンセン病患者入国禁止」措置を撤回せず、そのことに無頓着に福田首相が北京オリンピック開会式に笑顔で出席するようだったら、上記2001(平成13)年5月11日に熊本地裁が国のハンセン病政策の責任を認めて賠償を命ずる判決を出したのに対して、厚生労働省(坂口力大臣)の控訴意志を抑えて小泉首相の控訴断念の政治判断を根回ししたのは小泉首相の下で内閣官房長官を務めていた現在の福田首相だと言うが、それはハンセン病患者の人間回復・人権回復、あるいは人間の尊厳の回復を願ったからではなく、あくまでも小泉人気を維持するための政治的措置であり、ハンセン病患者の人間回復・人権回復、あるいは人間の尊厳の回復は限りなく政治的ポーズに過ぎなかったことを暴露することになる。
となると、8月8日の北京五輪開会式出席後の翌9日の長崎市で開催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典出席も限りなく政治的ポーズの疑いが濃くなる。
もしも人間回復・人権回復、あるいは人間の尊厳の回復を心の底から願っての控訴断念だったなら、そのことに重要な立場で関わった政治家の一人として、「五輪を政治にあまり絡める必要はない」との口実で中国の措置を見逃すことは二枚舌となってできないだろうし、当然北京オリンピック開会式出席は「ハンセン病患者入国禁止」措置を条件とすることになるだろうし、条件としなければならならないはずである。
いわば「五輪を政治にあまり絡める必要はない」としても、「ハンセン病患者入国禁止」措置に絡めないわけにはいかない」はずである。「ハンセン病患者入国禁止」問題とは即ち人権問題であることなのは言うまでもない。
それとも「ハンセン病患者入国禁止」措置などどうでもよくて、「満を持している(日本人)選手の激励」を優先させるとでも言うのだろうか。支持率が上がることを願いつつ。
≪福田首相五輪開会式出席/ハンセン病問題も「絡める必要ない」のか≫(2)に続く
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≪IOCロゲ会長、中国に人権問題の改善促す≫(2008年4月10日23時31分 読売新聞)
【北京=結城和香子】国際オリンピック委員会(IOC)のジャック・ロゲ会長は10日、北京で記者会見し、中国政府に対し、チベット問題を含む人権問題についての改善を促す発言を行った。
ロゲ会長は記者会見で、中国が北京五輪を招致した当時を振り返り、「中国は、五輪開催が人権状況の改善を含む社会的な進歩につながると主張していた」と強調。「その道義上の約束を中国が尊重してくれることを求める」と明言した。
北京五輪聖火リレーの国際ルート打ち切りについては、「北京五輪組織委員会と改善策を話し合っているが、リレーの中断や打ち切りなどは、検討課題になっていない」と述べた。聖火リレーが度重なる抗議運動の標的となっていることについては、「車いすの選手の聖火を奪おうとしたシーンには深いショックを受けた。イメージが傷ついたのは、聖火や五輪ではなく、抗議活動の方だ」と語った。
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≪ハンセン病患者、北京五輪入国拒否≫(北日本放送インターネット記事/2008 年 06 月 23 日 16:46 現在)
中国が北京オリンピックの期間中、ハンセン病患者の入国を禁止している問題で、富山県内の市民団体が23日、国際オリンピック委員会や世界保健機関などに撤回を求める要望書を送りました。
中国の北京オリンピック組織委員会のインターネット公式サイトでは、大会の期間中に入国を拒否する外国人としてハンセン病患者を挙げています。
これを受けて県内の市民団体、ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山では、23日、新たに国際オリンピック委員会や世界保健機関などに、この対応は医学的な根拠が無く、ハンセン病への差別や偏見を助長する恐れがあるとして、北京オリンピック組織委員会に対して撤回を働きかけるよう求める要望書をメールで送りました。
ネットワーク富山の藤野豊代表は、「世界中に中国のハンセン病への差別や偏見を示しているものだ」と話しています。
日本国内では、平成8年のらい予防法廃止以降、入国を認めています。
8日(08年7月)の北海道洞爺湖サミット・主要国首脳会議で主要8カ国(G8)は昨07年の独ハイリゲンダムサミットで「2050年までに温室効果ガスを半減することを真剣に検討する」と合意していた温室効果ガスの「半減」の目標化に向けて話し合い、次のような合意に至ったと昨日のNHKインターネット記事(≪G8“長期目標 世界目標に”≫ )は伝えている。
「G8は、2050年までに半減させる目標というビジョンを、国連の気候変動枠組み条約の交渉に参加している諸国とともに検討し、採択することを求める」
≪世界の二酸化炭素排出量に占める主要国の排出割合と各国の一人当たりの排出量の比較≫(JCCA・全国地球温暖化防止活動推進センター)から
つまり「合意」「合意」と言っているが、「2050年までに温室効果ガスを半減」の「真剣に検討」とした「目標」から「2050年までに半減させる目標というビジョン(=構想)」へと後退させて「検討し、採択することを求める」「合意」に至ったということなのだろう。
「目標」にしても「ビジョン」(=構想)の範囲内の事柄であって、二重の「ビジョン」を示す結果となっている。「ビジョン(=構想)」である以上、「半減」を決定する意味の「合意」ではなく、将来的課題として打ち出した「半減」合意に過ぎない。
NHK記事が伝える福田首相の言葉も当然のこととして同じ趣旨の内容となっている。
<(福田総理大臣は「半減の長期目標」について)「G8・主要8か国は、世界全体の目標として採用することを求める」とすることで合意したことを明らかにしました。>――
「半減の長期目標」を「世界全体の目標として採用すること」で合意したではなく、「採用することを求める」と将来的課題とすることで合意した、いわば「半減」決定を先送りしたことを明らかにしている。
「半減」が合意に至らなかった原因を同記事は<G8だけでも長期目標について明確に合意すべきだと主張するヨーロッパ諸国と、中国やインドが入らなければ意味がないとするアメリカとの溝を埋めるために調整を進めてき>たが、アメリカの主張が障害となって「調整」が成功せず、「半減」の合意まで進めることができなかった。
アメリカが自らの主張を引っ込める妥協を行わない限り、「半減」合意への解決策は唯一アメリカの主張を満たすことなのは断るまでもないことである。
上記JCCA(全国地球温暖化防止活動推進センター)のHPに表示してある2005年の「世界の二酸化炭素排出量に占める主要国の排出割合」から分かるように、中国の排出割合はアメリカの22.0%に次いで2位の19・0%であり、インドは第3位のロシア(15.8%)、4位の日本(4.7%)、に次ぐ4.5%で、ドイツの3.0%、イギリスの2.2%、アフリカ全体の3.5%を上回っている二酸化炭素多量排出国であり、2050年には中印を含む途上国の二酸化炭素(CO2)排出量は世界全体の6割を超える(≪【洞爺湖サミット】玉虫色の決着 交渉加速ほど遠く 温室効果ガス半減合意≫MSN産経/2008.7.8 20:47 )というから、「中国、インドの合意がなければ長期目標は実現できない」とするアメリカの主張には合理的な面もあり、アメリカの主張を補う意味でG8の合意内容に<中国やインドといった新興国に対して、温暖化防止の枠組みに入ることを呼びかけ>る提案を含んでいることをNHK記事は伝えている。
だとしたら、アメリカの主張を満たした上でアメリカに「半減」合意を促すために今日9日開催となっている主要経済国会合(MEM=日、米、EU、ロシア、中国、インド、メキシコ、韓国など計16カ国と国連で構成)を8日開催のG8会合に先立って開催する逆の順序にして、まず最初に中国、インドその他の新興国に対して「半減」合意に加わることを模索するのが常識的な対応なのだが、順序を逆にせずに8日のG8会合に次いで今日9日の主要経済国会合と予定通りの開催となっている。
中国やインドといった、自国を発展途上国と位置づけてさらなる経済発展を望んでいる国々は今後の経済活動の抑制材料となりかねない削減数値目標化の義務付けに反対しているし、その傾向はアフリカ諸国の中でも特に石油資源や鉱物資源の開発とその価格の高騰で急激に経済発展を遂げつつあるアンゴラ等の国々も共有した傾向となっている。
今日7月9日の『朝日』朝刊「時時刻刻」一部記事≪新興国、早くもくぎ刺す 先進国の主導を強く望む≫はG8で協議した「半減の世界目標化」の合意を受けてなのだろう、「中印などの新興五カ国首脳は8日の記者会見で声明を発表。中長期の目標については「先進国が主導しなければならない」と言明。「世界の国々の平等な発展が保証されなければならない」と早くもくぎを刺した。>と伝えている。
「世界の国々の平等な発展」の「保証」とは、中国やインド、アフリカの国々が日米欧並みの経済発展を遂げるまで温室効果ガスの排出規制でそれぞれの国の経済活動を阻害するなと言うことであり、この文脈からすると、国別総量目標の実施を掲げた中長期の目標についての「先進国が主導しなければならない」は、「先進国が率先してやることだ、我々がやることではない」という趣旨なのだろう。
「我々もやること」としたなら、「世界の国々の平等な発展」を自ら否定する自己矛盾を犯すことになる。
これが主要経済国会合(MEM)を開く前からの「中印などの新興五カ国」の態度なのである。このような中印を筆頭とした新興国の姿勢は福田首相も分かっていなければならず、当然分かっていたからこそ、常識としては主要経済国会合(MEM)先に開催して中印以下の新興国に「排出量半減」の長期目標を認めさせた上でG8会合を開いて「中国やインドが入らなければ意味がないとするアメリカ」の態度は無効となったとして「世界全体の目標として採用することを求める」ことに向けて合意を図るのではなく、「世界全体の目標として採用する」ことに向けて合意を図るべきを、それができず、そうした場合の中印以下の新興国も説得できない、当然の結果としてアメリカの態度も説得できないといった何もかもぶち壊しになることを予想して、それを避けてサミット成功を謳い上げるために常識に反してG8会合を先に開催し、「世界全体の目標として採用する」を排出量半減の「事実上の合意」(『朝日』記事)とする実際には幻想に過ぎないマヤカシをG8舞台に演出したと言うことなのだろう。
国内的にも外交上からも政治的な成果を何ら上げることができずに支持率が低迷、消滅寸前にまでジリ貧状態にある内閣を率いる福田首相としたなら、なりふり構ってはいられない謳い上げるべくして謳い上げた「成功」のマヤカシと言ったところか。
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≪G8“長期目標 世界目標に”≫ (NHK/08年7月8日 17時16分 )
福田総理大臣は、北海道洞爺湖サミットの会場で記者団に対し「西暦2050年までに世界全体の温室効果ガスの排出量を半減させる」という「長期目標」について、「G8・主要8か国は、世界全体の目標として採用することを求める」とすることで合意したことを明らかにしました。
北海道洞爺湖サミットは、2日目を迎え、議長を務める福田総理大臣をはじめ、
G8・主要8か国の首脳は、昼食をとりながらの会合で、最大の焦点である地球温暖化対策をめぐって意見を交わしました。
会合を終えた福田総理大臣は、記者団に対し「西暦2050年までに世界全体の温室効果ガスの排出量を半減させる」という長期目標について、「G8・主要8か国は、世界全体の目標として採用することを求める」とすることで合意したことを明らかにしました。合意文によりますと、「G8は、2050年までに半減させる目標というビジョンを、国連の気候変動枠組み条約の交渉に参加している諸国とともに検討し、採択することを求める」としています。そのうえで、中国やインドなど、温室効果ガスのすべての主要な排出国の協力なしには目標達成はできないとして「世界全体での対応、特にすべての主要経済国の貢献によってのみ、この課題に対応できることを認識する」としています。
一方、中期目標については「可能なかぎり早く排出量の増加を止めるために、野心的な中期の国別総量目標を実施する」としています。
この合意について、福田総理大臣は「言うまでもなく、長期目標の達成は、ほかの主要排出国の貢献がなければ実現できない。あすの主要経済国首脳会合では、こういう国々の協力を強く呼びかけていきたいと思っている。われわれは洞爺湖で示した強い決意の下に、地球規模での共同行動につなげていく努力を新たに始めることになった。これこそが次の世代の将来に責任を負っているわれわれに課された重大な使命だと思う」と述べました。
長期目標をめぐっては、去年のハイリゲンダム・サミットで「2050年までに温室効果ガスを半減することを真剣に検討する」で合意しています。議長国日本は、今回のサミットで、G8だけでも長期目標について明確に合意すべきだと主張するヨーロッパ諸国と、中国やインドが入らなければ意味がないとするアメリカとの溝を埋めるために調整を進めてきました。合意内容は、中国やインドといった新興国に対して、温暖化防止の枠組みに入ることを呼びかけており、議長国の日本は9日の会合で、新興国から協力を引き出したいとしています。
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≪【洞爺湖サミット】玉虫色の決着 交渉加速ほど遠く 温室効果ガス半減合意≫(MSN産経/2008.7.8 20:47 )
北海道洞爺湖サミットは8日の討議で、主要国(G8)が地球温暖化対策について「2050年に世界の温室効果ガス半減」との長期目標を「世界で共有する」ことを首脳宣言に盛り込んだ。また、産業部門別に削減可能量を積み上げるセクター別アプローチについても「有用な手段」と言及、表面上は昨年の独ハイリゲンダムサミットからの前進を印象づけた。ただ、各国の意見の食い違いを反映して、玉虫色の決着にとどまり、政府が強調した「国際交渉の加速」にはほど遠い内容となった。(福島徳)
「今回、具体的に明確に一歩進められたのは日本の努力に負うところが大きい、といくつかのG8首脳から発言があった」。外務省筋は同日の地球温暖化対策の討議終了後、この日の成果と日本の指導力をこう強調してみせた。
最大の焦点とされた長期目標をめぐっては、米国が「主要排出国である中国、インドが参加しなければ意味がない」と強硬姿勢を崩さなかったことから、難航が予想された。
2050年には中印を含む途上国の二酸化炭素(CO2)排出量は世界全体の6割を超える。首脳宣言では「世界全体の対応、特にすべての主要経済国の貢献によってのみ、この課題に対応できる」との文言を盛り込み、米国の同意を取りつけた。
一方で、G8が率先して取り組むことを印象づけるため、長期目標を達成する道筋としての2020年~30年ごろを対象とした中期目標について、「指導的役割」「野心的」などの文言をちりばめ、目標を設定することを申し合わせた。
だが、外務省筋が「議論では長期目標とG8各国の行動の相関関係についての具体的な議論は行われていない」と語るように、長期、中期の目標とも実質的な議論には踏み込まず、世界の排出増をゼロにするピークアウトの時期についても合意形成には至らなかった。G8が「差し障りのない範囲で決着させた」というのが実態だ。
しかし、中国やインドは「長期目標は豊かさを享受してきた先進国の責務」としており、「共有」や「応分の責務」には強い拒絶反応を示すことは確実だ。地球温暖化問題の主戦場である国連の交渉で、2013年以降の国際枠組み(ポスト京都議定書)づくりに主導権を握りたかった日本。サミットを通じて「地球温暖化対策に積極的な姿勢を世界に発信させる」との思惑は外れた格好だ。
7月3日(08年)放送の11時30分からのTBS[ピンポン」が「私のしごと館」を取り上げていた。どのような施設なのか「私のしごと館 – Wikipedia」から主なところを箇条書きに拾ってみた。
【概要】
1.1989年(平成元年)度より施策の必要性の議論が始まり、1992年(平成4年)度に政府が施設の
設置構想をまとめた。
2.1995年(平成7年)の閣議決定(開館準備の推進)及び1999年(平成11年)の閣議決定(設置の
推進)を経て、厚生労働省の重点施策「若年者雇用対策の推進」の一つとして国により設置が推進
及び促進された。
3.厚生労働省所管の独立行政法人雇用・能力開発機構が設置・運営す
る。
4.雇用保険法により定められている雇用保険事業のうちの能力開発事業として若年者の失業予防のため
の事業を行っている。
5.私のしごと館の財源は雇用保険であるが、運営資金の全額は事業主が負担する保険料であり
、個々の労働者が納めた保険料は使われない。
6.2003年(平成15年)3月30日にプレオープン、同年10月4日にグランドオープンした。
【目的】
1.世界最大級の職業総合情報拠点として、業予防のための若年者への職業意識啓発(職業教育、キ
ャリア教育)を目的とする各種事業を実施する。
2.中学生や高校生などの時から、仕事というものに親しみを持つことができるよう、また、いろいろな
職業を体験することができるように、それら各種仕事の展示体験コーナーや、職業情報の提供、
発信等を実施する。
3.労働意欲衰退は今や国際的社会問題であり、早期キャリア学習が世界各国で求められている。博物館
等の社会教育、心理学(キャリアカウンセリング)、職業訓練(職業能力開発)等の手法を組み合
わせた方法により恒久的、継続的な問題解決をめざす。
4.建設費 581億円(以上)
経営状況を言うと、毎年20億円の赤字(「ピンポンパン」では毎年15億の赤字としている)だという。
運営目的に関わる能書きは立派過ぎるくらい立派である。建設費を581億円もかけたのだから、581億に見合う能書きが必要になる。但し能書きがそのまま成果につながる保証はない。つながれば赤字経営だ、倒産だといた事態は人間世界には存在しないことになる。
尤も営利事業ではないのだから、「若年者への職業意識啓発」に十二分に力を発揮し、結果的に社会的な雇用状況に多大な貢献を果たしていて、その効用が毎年20億円の赤字(「ピンポンパン」では毎年15億の赤字)を補って余りあると言うなら存続させる価値があると言えるし、最終的には事業主の利益にもなることなのだから、現在のみならず将来的にも失業保険に於ける 「事業主が負担」分まで相殺してお釣りまでくることになる。
「私のしごと館」は果して毎年20億円の赤字(「ピンポンパン」では毎年15億の赤字)を十分に上まわる「若年者への職業意識啓発」に大いなる力を発揮し社会的な雇用状況に多大な貢献を果たしていると断言できるだけの社会的な利用価値をトータルで生み出していると言えるのだろうか。
だが、景気回復に伴ってフリーターは減少傾向にあるというものの、就職氷河期に学校を卒業、就職に関して割を食った35~44歳台では逆に増加しているという年長フリーターの問題、24歳以下の無業者は減少しているものの景気回復という局面に反して25歳以上では増加している就職傾向、アパートを借りる初期費用が賄えずにネットカフェを現住所としているその日暮らしの生活状況、あるいは社会的に一般化した「派遣残酷物語」、偽装請負等々の若者が抱え込んでいる労働状況を考えた場合、「私のしごと館」が毎年20億円の赤字(「ピンポンパン」では毎年15億の赤字)を出してもいい若者の職業に関する問題解決を果たしているとは到底思えない。
赤字額を現在は非正社員の地位に甘んじていはいるが、将来的には正社員の地位を望んでいる若者向けの実際的な職業訓練の費用に回した方が有意義なカネの使い道と言えないだろうか。
またここにきて石油高騰による原材料費の高騰、生活物資の高騰を受けた消費活動の収縮がもたらすことになる国内景気の減速が本格化した場合の企業の求人意欲減退に対抗する若者の就職活動に「私のしごと館」が何らかのプラスの影響を与えることができるかというと、非正社員が正社員の3人に1人といった状況が象徴しているこれまでの若者の雇用状況に何ら役に立っていなかったのだから、ノーと言わざる得ない。
要するに企業が政治を動かして1986年に施行させた13業務に派遣を認める労働者派遣法をバブル崩壊後の失われた10年の羹(あつもの)に懲りてその規制緩和を暫時拡大させていき、失われた10年の後半の1999年に製造業などの一部を除き派遣の原則自由化、04年に製造現場労働者の人件費カットに利する製造業への派遣も解禁、既に1年~3年に拡大していた派遣期間を07年に製造業にも適用し、景気が回復しても人件費抑制の観点から派遣だ請負だの低賃金雇用を常態化させた膾を吹くが如き企業の経営の在り方が影響した若者の職業状況であって、「私のしごと館」は建設費 581億円に見合う高邁な能書きを掲げたものの、若者が見舞われている職業状況とは無関係のところで活動していたというのが実態であろう。
大体が「私のしごと館」を訪れた若者がそこで博物館等の社会教育、心理学(キャリアカウンセリング)、職業訓練(職業能力開発)等の手法を組み合わせた方法で様々な職業体験を行ったことによって派遣だ請負だではなく正社員への道が開けた上に高い労働意欲を維持して企業活動に臨めたというなら、評判が評判を呼んでそのご利益にあやかろうと多くの若者が引きも切らずに押し寄せ商売繁盛ということになっていただろうから、その逆の毎年20億円の赤字(「ピンポンパン」では毎年15億の赤字)という状況自体がその活動価値が無意味であったことを証明して余りある。
03年3月13日の『朝日』朝刊に次のような記事が掲載されている。≪455億円の保養施設が8億円 2800万円の武道場は1050円 厚労省の外郭団体「雇用・能力開発機構」 「施設投売り」の不思議≫
04年から雇用・能力開発機構が独立行政法人に移行するのに伴い、05年度末までに自前で保養施設を持てない中小企業の福利厚生を目的に自治体から借地などして建設してきた全施設の売却・整理を決めたものの、全施設の建設費4498億円に対して、売却額は百数十億円に過ぎない、TBSの「ピンポン」も取り上げていたその「結構毛だらけ、猫灰だらけ」のバナナの叩き売り相当の安売りを批判した内容の記事となっている。
記事中の「自治体に売却された主な施設」(※カッコ内は所在地と運営開始年、金額は建設費と売値)を見てみると、
追分勤労者体育センター(北海道追分町 82年) 7960万円 1万5千円
矢本勤労者体育センター(宮城県矢本町 85年) 8959万円 529万5150円
ホリゾンかみね(茨城県日立市 85年) 3億2843万円 10万 5千円
勝沼勤労者体育施設(山梨県勝沼町 90年) 1億 219万円 10万 5千円
藤岡勤労者体育施設(愛知県藤岡市 82年) 7750万円 740万2500円
伊勢志摩いこいの村大王(三重県大王朝 84年) 8億4343万円 10万 5千円
八千代農村教養文化体育施設(兵庫県八千代町77年)7600万円 1086万7500円
大佐勤労者野外活動施設(岡山県大佐町 83年) 1億3390万円 1万500円
阿南勤労者総合福祉センター(徳島県阿南市 83年)2億7500万円 1億699万円5千円
安芸勤労者体育施設(高知県安芸市 72年) 2821万円 641万250円
阿蘇いこいの村(熊本県阿蘇町 84年) 7億8240円 105万円
糸満勤労体育センター(沖縄県糸満市 79年) 7602万円 1万500円
この一覧表には載っていないが、「ピンポン」でも触れている神奈川県小田原市の1999年建設、機構保有の土地代・建設費455億円(財源は雇用保険料のうちの事業主負担分だとWikipedia)の「スパウザ小田原」(東京ドーム5個分の広大な敷地に、ホテル、温泉、テニスコート、ボウリング場などの施設が備わっている「Wikipedia」)は8億円の価格での売却を決定、小田原市が年4億3千万円以上の賃貸方式で民間経営委託を計画、受諾企業が現れたなら購入予定だと書いている。
「自前で保養施設を持てない中小企業の福利厚生」が目的という建設趣旨を社会に生かしてこそ「趣旨」は意味を持つ。それを叩き売りのバナナ同然の素材としてしまったのは建設趣旨を社会に生かすことができなかったからなのは明らかである。ヒトとモノすべてに亘って民間の優れたサービスと比較した場合歴然たるものがあり、忌避されたといったところなのだろう。
この福利厚生施設が目的とした趣旨をまったく生かせなかった「雇用・能力開発機構」の経営発想と経営手腕、それに続く独立法人化後の「私のしごと館」に於ける趣旨未消化の経営発想と経営手腕を並べた場合、前者を前科として後者は再犯の関係にあるとも言える構図を踏んでいる状況は「私のしごと館」の将来的な措置をどうすべきか示していないだろうか。
「私のしごと館」を視察した渡辺喜美行政改革担当相の館内に入るなり開口一番「でっかい建物だなあ」であった。何のために天井を高くしているか、建設費を高くする目的としか考えようのない天井の高さであった。豪華さだけが目立ち、若者の職業に関わる生活感を窺うことができない。
カネがかけてあるのは建物だけではなく、「ピンポン」は展示物コーナーに置かれている人形は79体で2億8千万円、1体356万円平均で多額の費用がかかっていると伝えていた。
宇宙開発の仕事紹介は製作費5億8千万円。テレビニュースキャスターを体験できるスタジオ2億7800万円。消防士コーナーは2億8900万円等々・・・・。
消防士の制服を着て消防に乗り込む中学生だか高校生を撮していたが、全国状況と比較したそれぞれの生徒が住む地域地域に於ける火災原因、火災規模、火災件数等の地域性の学習を省いた消防体験にどれ程の意味があるのだろうか。体験したという事実のみが残る行事で終わりはしないか疑った。
地域の消防署がすべての小中高生の見学を受入れる余裕はないかもしれないが、あるグループは消防署、あるグループは警察署、あるグループは工場と見学箇所を分担させて、見学で得た情報とそれら情報から学んだ自身の情報を学校で分担箇所ごとに発表させて疑問点等の議論を行わせ、そのことを通して得た知識から見学しなかった職業について生徒それぞれに想像力を働かさせて職業観を膨らませることの方が生きた教育になると思うのだが、どんなものだろうか。
教えられたなりの情報を教えられたなりに受け止める暗記形式の情報授受で終わらせる、あるいは体験して得た情報のそれ以外の情報や他者の情報との咀嚼を経ない最初の形なりの情報で推移させることは情報に込めるべき想像性(創造性)の介在を省くことを意味し、情報の発展的な解釈に期待は望めない。
「私のしごと館」が見学者の体験して得た情報の発展的な解釈にまで寄与しているというなら、いわば単なる行事で終わっていないなら、やはり生きた学習になることとして多くの見学者を集めたに違いなく、赤字の道を辿ることはなかったのではないだろうか。
民間委託した上、それでも採算が取れなければ廃止と去年12月に決まっていたと解説していたが、7月2日に同じく「私のしごと館」を視察した桝添厚労相は存続の意思を隠さなかった。
桝添「もっといい方法はないのかなあと。もっと収益が上がって、投下した資本が回収できる道をまさに検討委員会が一生懸命反対派も入れてやっているわけですから。これを潰すというのは勿体ないですよ」
どういった遣り取りの関連からか聞き逃したが、厚労省の省益、もしくは「雇用・能力開発能力機構」の利益代弁で動いているのではないかといった疑いを否定して、それがウソではないことの証明として言ったことなのか、「私のような人間に裏も表もありません。私は喋り過ぎて文句を言われている人間ですからね」といったことも言っていた。
ウソつけであろう。裏表のない人間がいるかというんだ。「喋り過ぎ」と「裏表がない」とどういう関係があるというのだろう。否定の喋り過ぎは裏表のある証拠と大体が相場が決まっている。
7月2日の「asahi.com記事」≪舛添厚労相が「私のしごと館」視察 存続の意向示す≫によると、「裏も表もある」桝添厚労相は地元の首長らとの意見交換で「こんな立派な施設を壊すという選択肢はありえないと思う。かえってお金の無駄遣いになる。今あるものをいかに生かすか、赤字幅をいかに減らすかという課題に取り組んでいきたい」と述べたそうだが、「雇用・能力開発機構」が厚労省の外郭団体であったときから現在の独立行政法人に至る経営発想と経営手腕を計算に入れない存続意向は「雇用・能力開発機構」の存在意義を認めることであると同時にそこに平成20年3月1日現在、理事5名のうち3名が労働省出身者(Wikipedia)だという天下りであることを考えると、族議員の立場からの発想としか言いようがない。
まさに桝添の正体見たり、族議員と言えるのではないだろうか。
TBS「ピンポン」は子供に職業体験できる施設で確実に収益を上げ、成功している場所があると2006年に東京にオープンした民間の子供向け体験施設「キッザニア」を紹介した。50社を超えるスポンサー企業の仕事を中心に80種類の職業体験ができるため、連日満員が続く盛況ぶり。当初の見込み年間入場者数の30万人を超え、80万人を集客しているとのこと。
その上キッザニアは全国展開を検討していて、来年には関西に進出を計画。実現すると、「私のしごと館」と競合することになる。
上記『朝日』記事で触れていた455億円で建設された小田原の温泉施設「スパウザ小田原」も建設費の約2%で小田原市が購入。小田原市はヒルトンに賃貸、ヒルトンが「ヒルトン小田原リゾート&スパ」として運営し、人気を博し、小田原市に年間4億3千万円の賃貸料が支払われていて、2年で元が取れたと官と民の経営手腕の違いを紹介していた。
さらに追い討ちをかけるようにムダゼロに向けて政府与党がしていることとしてたくさんのムダゼロ会議を設置していると冷笑混じりに解説していた。
・自民党――「ムダ遣い撲滅プロジェクトチーム」
主旨――随意契約全廃。
公益法人への補助金を見直す。
・自民党――「税金のムダ遣いを1円たりとも許さない若手の会」
主旨――議員の海外出張のファーストクラスは必要か?
・公明党――税金のムダ遣い対策検討プロジェクトチーム」
主旨――省庁による事業委託の「半減」を目指す。
・政 府――有識者らによる「ムダゼロ臨時行政調査会」のようなものの設置を検討。
ハコモノはなぜなくならないのだろうか。答は簡単である。ハコモノをつくる脳しかないからだ。ハコモノ建設の目的とした中身の趣旨を社会的に生かすだけの経営手腕――経営上の創造性を欠いているからに他ならない。大体が天下り人事の機会を設けることを含めて自分たちの仕事をつくるための仕事となっていて、それが目的だから、建設が終了することによって目的を果たすことになり、趣旨を生かすところまでいかない。結果的に中身の建設趣旨がタテマエとなることとなり、建設趣旨そのものが機能せずに完結することになる。
そういったことまで考えない桝添の「私のしごと館」存続意向はまさしく族議員の発想と断罪すべきではないだろうか。
北海道洞爺湖サミット首脳会議場は壁に「国宝の『松林図屏風(びょうぶ)』『風神雷神図屏風』のレプリカを展示し日本の美を演出」(毎日jp)する備えをしたという。各国首脳が囲む直径3.5メートルの円卓は北海道桧山産のイタヤカエデを使った円卓だと北海道新聞が伝えている。相当に根が張っているに違いない。
テレビで「風神雷神図屏風」のレプリカだけで2000万円したと言っていたと思うが、あるいは「松林図屏風」も加えた値段なのかもしれない。いずれにしても会場に世界の首脳が一堂に会するにふさわしい高級感を出す雰囲気作りに相当なカネをかけて「日本の文化」を呈示、その力を借りることとなった。
サミットの議題は主要テーマとなっている地球温暖化問題、その対策としての温室効果ガスの排出削減、世界の飢餓問題、そのことに影響を与えている食糧高騰問題、そのことの原因である、結果として食糧不足を引き起こしている穀類のバイオ燃料シフト問題等々、それぞれに国益も絡んで一朝一夕では片付かない難題ばかりである。
例えば温室効果ガスの排出削減に関しは今朝7月6日の「asahi.com記事」≪温室ガス削減、国別総量目標を策定へ 米含む先進国≫が<米国を含む先進国は、ポスト京都議定書の枠組みでも、温室効果ガス削減の中期目標として数値を入れた「国別総量目標」を掲げることで合意。参加16カ国が今後も協議を続ける方針も表明する。>と伝えているが、数値目標の設定は自国企業活動ひいては自国経済発展にブレーキをかけかねない義務付けとなることを恐れてその設定に難色を示していた中国やインドの新興経済発展国が積極的に数値目標設定に動くかどうかには触れていない。「合意」は不確定な部分が多分に含まれているだけではなく、例え満足のいく数値目標設定が合意されたとしても、あくまでも「目標」であって、満足のいく「目標」が満足のいく成果に行き着く保証はどこにもない。
08年6月17日の『朝日』社説≪第3次石油危機―投資資金を新エネへ導け≫は次のように伝えている。
<国際エネルギー機関は最近、2050年に温室効果ガスを半減させるための試算を発表した。
世界で32基の原子力発電所、1万7500基の風力発電、約2億平方メートル分の太陽光発電パネル、それに実用化をめざしている二酸化炭素の回収・貯留装置つき発電所55基を、毎年導入する必要があるという。電気自動車、燃料電池車も合計10億台がそれまでに普及するのが条件だ。50年までの世界の総投資額は5千兆円近くにのぼる。>といった前途多難さが「目標」=成果とはならない難しさを物語っている。
実際の削減状況面から見ても、京都議定書は先進国全体で2008~2012年までの温室効果ガスの年平均排出量を1990年比で5%削減を法的義務とし、日本の削減義務は6%とされたが、2006年の日本の温室効果ガス排出量(速報値)はマイナスどころか1990年比6.4%増と削減とは反対方向を示し、2012年までに6%+6.4%=12%以上の削減が必要となっているということも、「目標」=「成果」ではないことを証明している。
特に世界的な経済の先行きが不透明な今、地球全体の問題よりも自国経済の背に腹は代えられない国益優先の利害意識に流される局面が生じて「目標」の足を引っ張らない保証もない。
また飢餓問題に直結する穀類のバイオ燃料シフトや旱魃や洪水といった気候変動、石油価格高騰等が原因している世界的な食糧高騰問題について「国際連合食糧農業機関(FAO)日本事務所」が「Adobe記事『7月3日 2007年に飢餓人口は約5000万人増加』」で次のように伝えている。
<(2008年7月3日)FAO(国際連合食糧農業機関)のジャック・ディウフ事務局長は、ブリュッセルの欧州議会で演説し、食料価格の上昇の結果2007 年には飢餓人口が約5000 万人増加した、と述べた。
「貧しい国々では食料およびエネルギー価格の高騰の深刻な影響を感じている」、とディウフ事務局長。 「我々には緊急に貧しい国々での食料安全保障問題に対応するための新しく強力なパートナーシップが必要だ。単独の機関や国ではこの危機を解決することはできない。ドナー国、国際機関、開発途上国の政府、市民社会と民間セクターはそれぞれこの飢餓との世界的な闘いにおいて重要な役割がある。」
ディウフ事務局長によれば、現在の危機的状況は人口増加と新興経済国の経済発展、バイオ燃料の急速な拡大による需要の拡大と、気候変動、特に旱魃や洪水による生産量への負の影響による供給不足の組み合わせによるものである。これが穀物の在庫が30 年間で最低の水準の4 億900 万トンである時期に重なっている。さらにこの傾向を悪化させたのは輸出国の中に自国の消費者を守るために輸出規制措置をとるところがあったことや、先物市場でのヘッジ、インデックス、その他のファンドの投機的動きがあったことである。
発展途上国の農業生産を増やすことに対する主要な障害は農業投入材の価格の上昇である。 2007 年1 月から2008 年4 月までに特に肥料の価格が食料価格よりはるかに高い上昇率で高騰した。
今後の課題
世界の栄養不足人口を減らし、増加する需要に対応するためには、世界の食料生産は2050 年までに倍増する必要がある。生産増は主に貧しくお腹をすかせた人々が暮らし、95%以上の想定人口増加が見込まれる開発途上国で必要がある。開発途上国の農民には、近代的な投入材、貯蔵施設と農村インフラへのアクセスが必要になる。
世界農業はまた、水の管理や気候変動のような主要課題に対処しなければならない。今日12 億を超える人々が完全に水不足の河川流域に暮らしており、水不足の傾向が懸念されることである一方、サハラ以南のアフリカでは再生可能な水資源の4%しか使用していない。世界では500-1000 万ヘクタールの農地が劣化のために失われているが、アフリカ、ラテンアメリカ、中央アジアは農地を拡大する大きな可能性を秘めている。
「政府と農民も農業における気候変動の負荷に適応しなければならない。もし気温が3 度以上上昇すれば、とうもろこしのような主要作物の収量はアフリカの一部やアジア、ラテンアメリカで20-40%減少する可能性がある。」とディウフ事務局長は述べた。加えて旱魃や洪水が頻発する可能性が増え、作物や家畜の損失の増加も懸念される。>・・・・・・・
また「国連世界食糧計画(WFP)」は世界人口60億人のうちおよそ8億5000万人が栄養不良や飢えに苦しんでいて、そのうちの3億5千万人以上が子どもたちで、飢えを原因として毎日、5歳未満の子ども1万8000人を含む2万5,000人が命を落として栄養不足の8億3000万人のうちの7億9100万人は発展途上国に暮らしていて、世界の7人に1人、発展途上国では5人に1人が飢餓状態にあると警告を発している。
こう見てくると世界は何をしても悪い方向へ進むのではないかとの疑いは簡単に持てるが、よい方向への期待はなかなかに抱きにくい、どの課題を一つ取っても成果の見通しが困難な問題ばかりである。どんなに腹を据えて議論し取組んだとしても、腹の据え足りるということはないに違いない。特に2050年までに温室効果ガスを半減させるためには「世界の総投資額は5千兆円」必要ということなら、そのことに備えた金銭的な心構えを常に保持していなければならないだろう。温室効果ガスの排出削減問題であっても食糧高騰問題であっても食糧不足及び飢餓の問題であっても、それを議論する会議場の経費に関しても取決めが絶対的な成果を約束するならまだしも、約束もできず、サミットを開催したということだけで終わる可能性も考慮のうちに入れて「5千兆円」に備えたムダの排除を心がけるべきでではないか。
一般家庭では子供が幼いうちから10年15年後の将来の高校進学・大学進学を視野に入れた教育費に備えて各支出を計画立て、ムダをできるだけ省いて貯蓄する。
例え「松林図屏風」と「風神雷神図屏風」のレプリカ2体で2000万円であったとしても、各国首脳がその2体を素晴らしい日本の文化だと鑑賞・賞賛したとしたとしても、「風塵雷神図屏風」や「松林図屏風」のレプリカが世界の問題解決のチエを出してくれるわけではなく、また成果を約束してくれるわけでもないということなら、「5千兆円」のうちの僅かな「2000万円」だとしても、そのことに備えた一部にすべきではなかったろうか。
日本政府としたら日本という国を自慢したくて、日本に拘り、日本の文化に拘ったのだろう。だが、したことはレプリカが世界の問題解決にチエを出してくれるわけではなく、チエを出すのは各国首脳の問題を解決しようという使命感と責任感であって、それらすらも問題解決の成果を約束してくれるわけでもないのだから、日本の文化をハコモノとして呈示しただけのことではないか。
今現在、「世界人口60億人のうちおよそ8億5000万人が栄養不良や飢えに苦しんでい」るのである。サミットだからと、サミットの開催・成功にのみに視野を向けるのが精一杯で、議題としている現実問題に向ける視野を失う視野狭窄を起こし、日本人特有のハコモノ思想が頭をもたげたといったところだろうか。
日本の政治家がこれだけの橋を造った、これだけの建物・施設を建設したとハコモノの規模のみを自己の勲章とするように、「風塵雷神図屏風」と「松林図屏風」の日本文化の呈示に頼って洞爺湖サミットの会議場の大掛かりな仕掛けを勲章とする「成果」の呈示で終わるように思えてならない。
四川大地震の損失は「15兆円超の可能性」と7月2日の「asahi.com」が伝えていた。小泉元首相の靖国参拝で臨界点に達した「愛国無罪」を正当理由とした反日・排日のナショナリズムは時間の経過を受けた風化と内閣交代によって下降線を辿っていたが、以前ほどの高まりではないにしても毒入り餃子事件によって再燃、それが四川大地震を受けた日本の被災者救済や医療援助・物資援助によって中国国民の多くに対日友好感情への意識変化を植えつけたという。
だが、両国間に未解決の懸案事項がないわけではなく、両国関係を悪化させる新たな難問を生じせしめない有効な保険がない以上、その展開次第では四川大地震に対する日本の各種支援が導き出すこととなった中国の対日友好感情を無効化する排日・反日ナショナリズムが再燃しない絶対保証はない。
チベット暴動と中国当局のその弾圧に端を発した西欧諸国の中国批判、引き続いての批判を具体化させる目的の北京オリンピック開会式出席可否の姿勢、あるいは聖火リレーに向けた抗議行動によって中国国民のナショナリズムはいとも簡単に西欧諸国に矛先を向けることとなったことが絶対保証のないことの適切な例となり得る。
四川地震発生は日本時間5月12日午後3時28分。日本の外務省は米国筋から米国は日本円で約5000万円を支援するという情報を得ると「米国が5000万円ならば、日本はその10倍は出すべきだ」という隣国としてのメンツから高村外相が地震発生の翌日の13日に5億円の資金援助を発表(≪読む政治:中国・四川大地震(その1)支援の舞台裏≫毎日jp/08年6月8日 東京朝刊)する素早い反応を見せ、さらに加えて5月30日に被災者に5億円を上限とする追加支援を決めた(≪日本のテント到着=四川大地震)時事通信/2008/06/22-05:43 )とマスコミは伝えている。
このような資金援助が中国の対日友好感情の醸成にさらに貢献したとしても、ただでさえ尖閣諸島問題や歴史認識、台湾問題等懸案事項を抱えている両国間に緊張を強いる新たな問題が起きたとき、友好感情を無効化して排日・反日のナショナリズムに簡単に取って代わる恐れなきである。
その兆候を見せつけたのが自衛隊機による中国領内への援助物資輸送飛行に対する中国国民の反発であろう。援助物資の搬入問題が持ち上がると、中国国民に戦前の日本軍の中国侵略の記憶、もしくは学習した歴史情報を呼び覚まさせ、日本の軍隊である自衛隊に対する激しい拒絶反応を引き起こすこととなり、自衛隊輸送機による援助物資の搬入を中止させるに至っているが、このような経緯は日中友好感情の構築の危うさを如実に物語っている。友好は築き上げるに時間はかかっても、壊れるには時間はかからない。
人間の好悪の感情は移ろいやすい。特にそれぞれに自国ナショナリズムに囚われると、相手に対する「嫌」の感情を露骨に表出させることになる。そのことのより効果のある抑制剤は人間の自由や平等を尊重する民主主義の価値観の共有以外にあるだろうか。例えそれが万全のルールでないにしても、自由と平等の公平・公正の意識こそが議論の場、議論の機会を約束し、感情に訴える前に議論することを促す。民主主義意識に則った議論こそがそれぞれの主張に折り合いをつける努力を根本姿勢とするよう仕向ける。
となると、民主主義の価値観を共有していない他国へのどのような働きかけも、それが援助の形を取ったものであろうとなかろうと、民主主義を促す何らかのサインを伴わせることが両国関係を悪化させるナショナリズムの噴出を抑制する良薬となり得る。
そしてこのことは「国際社会の平和と発展に寄与する」政策を目的とした国益にも適うことになる。
果して日本政府は四川大地震に対する医療チーム派遣でも、物資援助でも、被災者救援の国際緊急救助隊派遣でも、効果があるなしに関係なしに民主主義を促す何らかのサインを中国側に伝える努力を果たしたのだろうか。ただ単に派遣した、援助物資を空輸したで終わらせていたのではないだろうか。
日本は四川大地震の震災復興に向けても協力姿勢を打ち出した。
≪中国・四川大地震:震災復興に向け、日本の経験助言--JICAがセミナー≫(毎日jp/2008年7月2日 東京朝刊)
<【中国総局】中国・四川大地震の復興に日本の経験を生かしてもらおうと、国際協力機構(JICA)は1日、中国の関係機関と合同で復興支援策を考えるセミナーを北京で開催した。
冒頭でJICA中国事務所の古賀重成所長が「地震に対する日本の経験・知見は世界でも類をみないもので、その経験を伝えることは有用だ」などとあいさつ。中国側からは復興の基本計画に関する説明があり、都市計画の担当者は「廃虚となった四川省北川県や青川県の住民は別の地域への再定住を図らなければならない」などと訴えた。セミナーは2日まで開かれる。>
もしもナショナリズム抑制剤としての民主化促進のサインを示さない数々のアプローチだとしたら、ミャンマーやチベット問題と同様の日本にも関係してくる民主化問題や人権問題が発生した場合、取材で中国に入った日本のマスメディアに対する報道規制が万が一こじれて取材担当者が拘束されたといった問題が発生した場合、あるいは自衛隊や大企業の重要機密情報を盗んで中国に逃亡帰国し中国当局にその機密を手渡した在留中国人をその機密が中国の国益に適うからと密かに保護したといった場合、逆に中国内で民主化運動を起こして中国官憲に追われた中国人民主化運動家が日本に逃亡して保護を求めてきたところ中国側が身柄引き渡しを求めたてきたといったことが発生した場合、あるいは餃子事件のように日中両国に亘って日本の警察の捜査が必要な食品の安全に関わる重要な問題が再度持ち上がったものの中国での捜査が拒否されたといった場合、それらが原因して日中間に外交上もしくはナショナリズム上の緊張が生じて中国人の排日・反日感情が噴出することとなったなら、四川災害で日本側が行った緊急救助隊派遣、資金援助・技術援助・復興支援のお返しがこれかということになって、援助や支援そのものが意味を失うことになりかねない。
このようなことが中国の政治体制が民主化されていないことが原因となっている閉鎖的なナショナリズムの噴出でもあるとしたら、中国当局が国家統治に都合の悪い報道は規制し、当局に有利に働く報道のみを誘導・許可する報道統制等に代表される非民主的姿勢を不問に付して史上例を見ない地震災害で中国が困っているからと援助だけに走る日本側にも責任があることにならないだろうか。
いや、そればかりか反中国に向けた日本の民主意識を欠いたナショナリズムを不必要に刺激しかねない。
特に国家権力による報道の規制・管理・誘導といった非民主制が日本に公平な情報を隠して中国国民の目を晦まし、ナショナリズムに走らせる爆弾ともなり得ることに留意しなければならないだろう。
援助は行わなければならない。だが行うについては何らかのチエを絞って中国の現在以上の民主化を一層促すサインを創造し、そのサインを伴わせた援助を行うべきではないだろうか。
またそうすることで中国が少しでも民主化に向けた歩みを踏み出すことができたなら、援助が単にカネ(=資金)とモノ(=物資)と技術(=形式)を与えるだけのハコモノであることから抜け出して、日中関係に将来的に役立つ中身をこめることができると思うのだが。
あらゆるケース・場面を想定してそのことに備えておくのも危機管理である。例えば復興支援に関わる日本のマスメディアの自由な取材活動と中国内外を含めた自由な報道の保障を求めることも否応もなしに中国に民主化を求めるサインとならないだろうか。そうすることによって外国では報道されても、中国国内では報道されないといった民主主義に反する言論統制・情報統制を避けることができる。
いや地震発生後の緊急救助隊派遣や援助物資の輸送開始当時から求めるべきであったサインではなかっただろうか。
安倍晋三が6月18日に同じ自民党に所属する山崎拓の北朝鮮外交姿勢を「百害あって利権あり」と批判し、対して山崎拓が「私の政治生命にかかわる発言だ。私は利権政治家ではない。誹謗中傷する政治家の人格を疑う」(MSN産経)と反論、「名誉棄損に相当する。安倍氏に取り消しと謝罪を求める」(同記事)と色をなしたということだが、大体が安倍晋三は引退すべき政治家であって、どのような形であろうとシャシャリ出る資格はないと思っていたから、その余計なシャシャリ出と同時に役にも立たなかった「美しい国・日本」の奇麗事までも思い出して腹が立ってきた。
(08.7.1『朝日』朝刊の「週刊朝日」広告)
各省の役人たちが深夜帰宅時の公費乗車のタクシーの運転手から乗車の見返りに現金やビールの接待を受けていた、いわゆる「居酒屋タクシー」問題に見る公務員にあるまじきさもしい役得行為体質、国家公務員が公務出張時取得した航空会社のサービス利用ポイント(マイレージ)を家族旅行などに私的流用して得した感覚に浸るみみっちい役得行為体質などのコジキ行為の類が跡を絶つことなく持ち上がるこのような美しくない足許の日本社会の解決に日本人の殆どが人格形成にクスリにもしていない技術行為あるいは見せ掛けの装い行為で遣り過ごすことができるママゴト遊びにも等しい日本"らしさ"や日本 "ならでは"の感性、知恵、工夫、そして行動の再発見を趣旨とした「美しい国・日本」の提唱が役に立つと思っていたのだろうか。
単細胞にも役に立つと思ったから提唱したのだろうが、その実現を図るべく足許の日本社会に政治家・官僚の卑しいコジキ行為・卑しい役得行為が跳梁跋扈していることには目を向けずに大真面目に首相官邸内に「美しい国づくりプロジェクト」を立ち上げ、「日本の美しさ、日本人の美しさとは何かを問い直していただいて」云々の安倍晋三の挨拶を受けて大真面目にバカらしくも活動を開始した。 足許の日本が美しくもなく、足許の日本人にしても美しくないことはお構いなしにである。
プロジェクトのテーマは人間が利害の生きものであることの認識もなく、「私たち日本人の暮らしや仕事の中に息づいている、本来持っている良さや『薫り豊かな』もの、途絶えてはいけないもの、失われつつあるもの、これから創っていくべき美しいものがあることを踏まえながら、皆さんと一緒に、一人ひとりが日本"らしさ"を見つめなおすことから始める」とか、「これからの私たちの成長や活力の"糧"として、日本 "ならでは"の感性、知恵、工夫、そして行動に気づき共有し、そのことを日々の暮らしや仕事の中で磨き上げ、創り出していくことで、『美しい国、日本』を築いていくことを目指す」とし、その具体化の第一弾として、「あなたが思う、日本"らしさ"、日本"ならでは" のものとして推薦できる『美しい日本の粋』>を平成19年4月20日(金)~6月22日(金)の募集期間で公募」といった卑しい人間行為に満ちた足許の日本社会を他処に置いた、だからこそママゴト遊びに等しい「美しい国・日本」探しであった。
だからだろう、合理性を多分に抱えていなければならない政治家でありながら、人間が本質的には日本"ならでは" とか日本"らしさ"とは無関係のところで生きている生きものであることにあまりにも無知であったから、自分が任命した閣僚の政治資金管理団体の事務所費架空計上問題や不適切発言問題等の美しくない行為で支持率を下げる復讐を受けることとなった。
身のまわりのことでありながら、自分自身も含めて政治家・官僚が日本"ならでは" とか日本"らしさ"に則って行動してはいなことに気づかない程に客観的認識性を欠いていたのである。
国家公務員が公務出張時取得した航空会社のサービス利用ポイント(マイレージ)を家族旅行などに私的流用するみみっちい役得行為は出張の交通手段に座席指定の新幹線グリーン車券を受け取りながら、それを金券ショップで売りさばいて新幹線自由席で以って往復の交通手段とし、その差額を私腹するのと大差ないみみっちさであろう。
政界・官界を含めて足元の日本社会がドロドロと腐敗し切っているのに、日本にはこんな美しいものがあった、美しい文化があった、再発見して役立てようと夢見るような子供騙しのことを言っていた。自分の子供が外で悪事を働いていて、それを外部の人間に注意されると、「うちの子に限ってそんなことはありません」と言う愚かな母親と大差ない人間・社会を見る目のない政治家だった。
<女性の政界や経済界への社会進出度を示すジェンダー・エンパワーメント指数(GEM)が93か国中54位(07年)で、前年の75カ国中42位に続き低迷が続いている。>(≪女性の社会進出低迷、93か国中54位…男女共同参画白書≫2008年6月13日11時08分/読売新聞)といった日本に於ける女性の美しくない社会進出状況を伝える記事に出会うと、その改善に何の役にも立たない「美しい国・日本」を安倍晋三が何のために掲げ、首相官邸に「美しい国作りプロジェクト」を何のために立ち上げたのか思い出して腹が立ってくる。
<GEMは国連開発計画が調査可能な国を対象に、毎年公表している数値で、日本は、欧米だけでなく、ナミビアや、フィリピン、ベトナムなどより低かった。日本では、女性議員の割合が衆院9・4%、参院18・2%(08年度)、国家公務員管理職は、1・7%(05年度)にとどまっている。>(同記事)そうだ。
こういった女性のお粗末極まりない社会進出状況が日本"ならでは" のものであり、日本"らしさ"だというなら、安倍晋三センセイ、あなたは正しいということになる。
社会保険庁の年金の杜撰な業務が発覚し、給付金を満足に受け取れない国民がいることが分かったのは安倍首相の任期時であった。「美しい国・日本」の標榜がが何の役に立ったというのだろうか。その役立たずに腹立たしくなる。
役に立つとしたら、安倍晋三が「美しい国・日本」、「美しい国・日本」と言い立てて国民に日本は美しい国だと思わせることに成功した場合であろう。政治家・官僚の卑しい役得行為・卑しいコジキ行為、あるいは怠惰な仕事は「美しい国・日本」の姿に反する例外として扱うことになって、ある種の免罪符を与えることになるからだ。
例外だとしようがない程に美しくない日本の姿があまりに多すぎる。自殺者が10年連続で3万人超し、高齢者や30歳代の若者が増加したという日本の姿は美しいと言えるだろうか。日本"ならでは" とか日本"らしさ"の再発見で片付いた10年連続3万人を超す自殺者だとでも言うのだろうか。「美しい国・日本」の提唱で片付いた自殺問題だとでも言うのだろうか。
公務員や警察官、学校教師の女子中学生や女子高生といった未成年女性に対するワイセツ行為あるいは少女買春の横行。企業の赤字を黒字と偽って虚偽決算して株価維持や投資を誘う企業倫理。止むことのない官僚の天下り利益確保の官製談合。児童が親に虐待を受けていることを把握していながら、危機管理能力を発揮できずに虐待死させてしまう児童相談所等の子供の命に対する鈍感な態度の広がり。牛肉やうなぎ等の安い外国産食品、あるいは低等級国内産食品を高等級の有名ブランド産地に偽装して高く売るインチキ商売の横行。低価格商品を有名ブランド名をつけて高価格で売りつける儲け第一主義・利益優先主義の横行等々の美しくない日本の姿が果して『美しい国・日本』のスローガンで片付くとでも単細胞にも思っていたのだろうか。
現在も時折顔を覗かす仕事を得るために安い建築費を弾き出すべく鉄筋を細くしたり本数を誤魔化したり、コンクリート量を減らしたりして地震に耐えることのできないゴマカシの設計を行う建築士と建築費の世間一般と比較したその安さを疑わずに建築を行うマンション建設販売業者が一例となっている儲け主義第一・利益優先主義の美しくない日本の姿は歴史を通していずれの時代に於いても人間社会に付きものの姿となっているもので、「戦後レジームからの脱却」の掛け声で片付くとでも思っていたのだろうか。
耐震偽装設計を見過ごして建築確認を出した建築確認事務所や行政の社会問題化したおまけつきの怠慢にしても、「美しい国・日本」に反する、それを掲げるだけでは解決しない日本の社会の姿であろう。
無差別殺人、未成年者の親殺し、親の子供殺し、成人男女の介護疲れ等の理由からの親殺し等の横行も「美しい国・日本」を掲げただけでは解決しない問題のうちに入れなければならない。
大手生命保険会社や損保会社の保険金や給付金の未払いを慣習化させた契約者軽視の儲け主義・利益第一主義が日本の社会の顔の一つとなっていながら、日本にはこんな美しいところもあると「美しい国・日本」を掲げていられた鈍感さ。
企業を潤しただけの人材派遣業界の契約社員を人間扱いしない低賃金酷使も美しくない日本の姿の一つで、安倍晋三が「美しい国・日本」掲げている足許で噴出した問題であったことは、如何に「美しい国・日本」のスローガンまやかしと偽善に満ちていたかを物語って余りある。
天下り団体の税金を使った天下り役員の給与を保証し、彼らの懐を潤すためだけの税金の虫食いの我が物顔の横行も、「美しくない・日本」の姿の代表として挙げなければならないが、これも安倍晋三が「美しい国づくりプロジェクト」の立ち上げの際の挨拶で言った「日本の美しさ、日本人の美しさとは何かを問い直」して解決がつく問題ではないのは断るまでもない。
最近の国土交通省の公用車運転業務入札を巡る天下り団体の談合疑惑にしても、それが事実ということなら、「美しい国・日本」の姿とはいえない税金の虫食い事例に入れなければならなくなる。
≪国交省公用車談合疑惑 元運転手「実働1日2時間」≫ (MSN産経/2008.6.20 02:00 )
<1400台もの公用車を保有する国土交通省の地方整備局。運転・管理業務を最も多く受注している日本道路興運の元運転手は産経新聞の取材に「実働は1日2、3時間。ヒマ過ぎてつらい」と語った。元運転手は、公用車の必要性を強調する地方整備局の主張についても否定した。運転手の証言からも、地方整備局が、税金が投入された運転手付き公用車を“無駄遣い”している実態が鮮明となってきた。元運転手の証言は次の通り。
--どのような用途に使っているのか
「パートの女性を乗せて郵便局や銀行へお使いに行ったり、職員を建設現場に連れて行くなど、ちょっとした移動がほとんど。職員が自分で運転したり、バスやタクシーでも十分行ける用事も少なくない」
--実働はどれくらいか
「1日9時間拘束で8時間勤務だが、実働はふつう、1日に2、3時間程度。災害があれば睡眠時間もままならないが、少ない日は1、2時間しか外に出ず、100キロも走らない。1回も出ない日もある」
--それでも事務所で待機しているのか
「待機所に雑誌とテレビが置いてあって時間をつぶしている。正直、ヒマ過ぎてつらい。職員が運転すればいいと思う」
--地方整備局は、職員が移動の際に脇見運転をせずに道路チェックをするためにも運転手が必要と説明している
「自分が乗せた職員はあまり外を見ていない。道路に落下物がないか、損壊がないかはパトロール車がやっている」
--職員が行く現場には駐車場がないので、運転手が必要だともしているが
「職員が行く建設現場や用地買収の交渉地は、これから道路ができるくらいだから何もない場所がほとんど。空き地に止めている」
--移動しながら会議をすることもあるので、400万円を超える大型高級車が必要とも説明している
「めったに大人数は乗せないし、会議と言うほどの話をしているのを聞いたことはない」
--地方整備局はなぜ運転手が必要だと言っていると思うか
「事故が起きたときの責任逃れ。業務委託でなく、運転手を直接、雇用したとしても、かかるお金は変わらないのではないか。運転手は薄給でボーナスも減っているが、国交省から天下ってきた幹部は高給をもらっている」>・・・・・・
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≪国交省天下り2社、公用車運転業務の9割受注≫(asahi.com/2008年6月12日3時0分)
国土交通省が民間に委託している公用車の管理・運転業務の大半を、同省から多くのOBが天下っている在京2社が受注していることがわかった。過去5年間に全国の地方整備局などが結んだ契約計364件のうち約9割。他社も含めた平均落札率は毎年度97%を超え、業界内での談合を疑う声もある。
同省の公用車は全国に1426台あり、うち1186台の管理・運転業務を民間委託している。道路特定財源から支出される委託費は06年度で約82億円。2社の受注総額は5年間で300億円前後に上るとみられる。
民主党の川内博史、大久保勉両氏に同省が提出した資料などによると、北海道開発局、東北、関東両地方整備局を除く6地方整備局と沖縄総合事務局、国土技術政策総合研究所の計72事務所が03~07年度に結んだ公用車の車両管理業務委託契約は計364件。大半が指名競争入札で、受注した計6社のうち、日本道路興運(東京都新宿区)が257件、日本総合サービス(同品川区)が75件と、2社だけで332件(91.2%)を占めた。
同省からの天下りは2社がそれぞれ25、16人に上るのに対し、他の4社は、なぜか1人で、多くの天下りを抱える2社に発注が偏り、独占的な受注につながった構図が浮かぶ。予定価格に対する落札価格の比率を示す落札率の各年度の平均は97.0~99.4%だった。
ほとんどの事務所は5年間、同一の会社と契約を続けており、04年度以降の入札で前年度と契約相手が替わったのはわずかに1件だけだった。>・・・・・・
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安倍が成し遂げたという改正教育基本法にしても、つくり上げたものは「美しい国・日本」と同様、単なるハコモノの看板に過ぎない。中身の教育そのものに関しては現実には様々な問題が噴出し、解決の道を見い出すことができないでいる。
足許の日本社会の美しくない姿に正面切って向き合い、言葉によってではなく行動でその解決に努めるべきを国の形で解決できるわけもないのに「美しい国・日本」だとか「戦後レジームからの脱却」だとか国の形を掲げただけで終えたその罪は政治家引退以外に解決できない重いものがある。