菅仮免首相の危機管理能力ゼロを改めて証明する国会答弁

2011-04-20 11:49:50 | Weblog

        
          御前崎市浜岡原発と首相官邸を結んだ原子力総合防災訓練
 
 危機管理能力は学習能力と応用能力が深く関係する。

 学習能力は優れた記憶力を欠かすことはできない。学習しても、学習したことを忘却の淵に沈めてしまっては学習しなかったことと同じ状況となるからなのは断るまでもない。

 応用能力は優れた合理的な状況判断能力を必要とする。どういった状況に至っているかの咄嗟の判断能力を欠いていたなら、そこに応用能力は発揮できようがなくなる。

 過去に訓練したり体験した様々な出来事を学習、記憶し、危機が生じたときに限らず、何かを新たに成すべき状況に立ち至ったとき、それがどういった状況なのか合理的な判断を下すと同時に学習し記憶した訓練なり体験なりを脳裏に呼び覚まして、学習したことと判断したことを併せて新たに成すべき状況の解決策に応用させることによってよりよい解決を導き出すことができるはずだ。

 だが、4月18日の参院予算委員会で菅仮免首相の危機管理能力ゼロを証明する国会答弁が展開された。記憶し、学習材料としなければならなかった体験を忘却の淵に沈めっ放しにして脳裏に呼び覚ますことができなかった記憶力ゼロを曝した。

 記憶力を欠けば、必然的に学習能力を欠くことになる。

 元々合理的判断能力を欠いていた。的確な記憶力と学習能力を共に欠くことによって生じた合理的判断能力の欠如であり、結果として招いている応用能力の欠如と言うことではないだろうか。


 危機管理能力ゼロを証明する国会答弁は自民党の脇雅史議員との質疑応答の中で現れた。二箇所取上げてみる。

 脇雅史議員「菅総理は一生懸命やっておられる、私は思います。大変ご苦労されていると思う。しかし多くの国民がですねえ、菅総理に対して、そのリーダーシップに疑問符をつけてらっしゃる。多分、菅総理はご自身はリーダーシップがおありになると思ってらっしゃると思うんですが、しかし残念ながら、国民のみな様方はですね、今は色んな調査がありますが、7割、8割はですね、菅総理がリーダーシップがないって言ってるんですね。何でで、そういうことになると思ってらっしゃいますか」

 菅仮免首相「まあ、私はですね、あのー、3月11日、えー、ちょうどハッサイ(発生)の、瞬間、ここで、え、この場で、参議院の決算委員会に席を置いておりました。えー、休憩が、宣せられて、官邸に戻って以来、えー、本当に、イー…まあ、一秒の、オ、と言えば、言い過ぎかもしれませんが、えー、全力を挙げて、この問題に取り組んでまいりました。

 シー、私は、あのー、色々な、事実、というものを、オ、是非、イー、ご覧を国民の皆様にも、まあ、いただきたい。まあ、十分に、私が、あのー、伝達が悪かったかもしれません。

 シー、私は先程の、会談、あのー、議員の方に申し上げました。えー、二つの、本部をつくりました。これはつくらざるを得なかったと言う意味で、わざわざたくさんの本部をつくるためにつくったんじゃありません。

 片方はまさに、えー、地震・津波に対する、エ、救済から、オ、復旧であります。

 (ヤジに対して)え、えー、もうちょっと待ってください。

 そいう中で何をやったのか。私が先ずやったことは、防衛大臣と相談して、先ず救命に対しては、自衛隊に緊急に出動してもらいたい。それを私から指示したのはハッサイから40分後であります。

 そして、えー、警察や消防などを含めてですね、多くのみなさんが現地に入っていただきました。えー、そういったことをですね、よく見ていただければ、私が、あー、どういう、ウ、行動を取ったか、あるいは内閣全体として、あー、何が進んでいるかということを、見ていただければ、決して、えー、今回の、おー、この問題で、よく言われるように、えー、初動が、あ、不十分であったとかいう、私は、シ、そのご指摘は当たっていない。

 他の、場合に比べても、十分な対応ができていると、このよう認識しております」

 脇雅史議員「あのー、私が申し上げている意味と全然違う答弁だったんですが。私はリーダーシップとはですね、自分で一生懸命頑張って、自分であれをやった、これもやったということではないと思うんです。人を動かす力、組織を動かす力、菅さんのためなら命を捨ててもいいと思う人がたくさんいること。そういう思いをつくることがリーダーシップの原点なんです。そのことに国民が不安に思ってるんです。

 もう結構です――」

 巨大災害発生後、早い時間に自衛隊を出動させ、警察、消防、その他を出動させることは国民の生命・財産を預かる内閣のトップリーダーとしてごく当たり前の使命・任務、危機管理対応の初歩・基本であって、当然のことをしたことを以ってリーダーシップがあることの答とする合理的判断能力は如何ともし難い。

 この一事を以って国家のリーダーたる資格を失う。

 出動させることは当たり前、出動させた組織が機能したかどうかが問題となるはずだが、そのことを問題とせずに、出動だけを以ってリーダーシップが機能したことの証明とする見当違いな判断能力を示したに過ぎない。

 だから、脇議員に「私はリーダーシップとはですね、自分で一生懸命頑張って、自分であれをやった、これもやったということではないと思うんです」と言われる。

 自衛隊を2万、5万、10万と拡大出動させたが、地震・津波被災者に対する食糧支援や健康維持の防寒物資支援、薬品支援等の生活支援の遅れを生じせしめた。

 このことはヘリコプターを着陸可能な場所に着陸させる方法で物資を運搬したことも一因となっている遅れであるはずだ。着陸不可能な場所であってもヘリコプターに物資を吊るして降ろすという方法を採用していたなら、物資不足はより早い段階で解消できたはずであるし、電話の不通等で通信手段を失った中で被災者数や不足物資の情報を把握できなかったことの解決策として自衛隊ヘリコプターから隊員をロープで吊り降ろして、把握させた被災者数と不足物資、あるいは病気治療の必要人数を隊員とヘリコプターの間で無線で連絡、病気治療が必要な被災者がいたら、直ちにヘリコプターに収容し病院に搬送、降り立った隊員はその場に残り、必要物資を積載して折り返し戻ってきたヘリコプターが物資を吊るし降ろすのを手伝い、一通りの役目を終えたなら、ロープで吊り上げてヘリコプターに収容するといったことをしていたなら、情報の把握と同時に把握した情報に応じた物資支援、その他の支援を可能としたはずだ。

 だが、物資支援ばかりか、情報の把握も遅れた。

 「費用対効果」という言葉がある。物資支援の遅れ、情報把握や情報発信の遅れを見る限り、果して10万人態勢に持っていった自衛隊は“人数対効果”を挙げたと言えるのだろうか。

 福島原発事故対応に関して言うと、避難指示や屋内退避指示対象の被災者に対して十分な情報と物資支援を行うことができたと言うのだろうか。住民の間だけではなく、自治体の長からも政府批判の声が上がり、テレビ等を通じて発信されたのである。

 こういったことの検証に目を向けるべきを、出発点の自衛隊、その他の出動を以って、いわば「現地に入っていただきました」を以って危機管理に対応できたと言う。見当違いも甚だしい合理性を欠いた判断能力と言わざるを得ない。

 次に脇議員は2010年10月20、21日に静岡県御前崎市中部電力浜岡原子力発電所で行われた総合防災訓練を取上げる。

 脇雅史議員「えー、去年の、10月20日(はつか)でございますが、(平成)22年の10月20日(はつか)、21日非常に大事な催しがあったわけですが、そのことはご記憶ですか、総理」

 菅仮免首相「ま、突然のご質問ですので、えー、何を指されているのか、あー、分かりません」

 脇雅史議員「実はこの日はですね、えー、原子力総合防災訓練、というものをやってらっしゃるんですね。

 で、これは本部長として菅直人内閣総理大臣、私がいただいたものには、紙には書いてあります。20日(はつか)、21日と総合防災訓練をされたと。そのときに、どういうテーマで訓練されたか、覚えてらっしゃいますか」

 菅仮免首相「詳しい、イ、内容については記憶しておりませんが、やはりこうした、あー…、色んな、あー、地震等を想定した、あー……、ことではなかったかと思っております」

 脇雅史議員「また呆れちゃうんですけどね(失笑)、これ大変なことですよ。私は日本の国はたいしたもんだと思うんですが、ちゃーんと訓練してるんですね。

 その訓練はですね、事故の想定という項目があるんですが、原子炉給水系の故障により、原子炉水位が低下し、原子炉が自動停止、その後の非常用炉心冷却装置と複数の設備故障により、万一放射性物資が放出された場合、その影響が発電所周辺地域に及ぶ恐れがある、と想定。

 まさに今回と同じことを想定しているんじゃないですか。そのことについてなんにも記憶はないんですか。何のための訓練だったんですか。あなたが本部長として、参加されてるんですよ。本当の覚えていない?どうぞ」

 菅仮免首相「シー、少なくともですね、あのー、おー、おー…、私にとって、えー、そうした原子力の、おー、いろいろな、あー、事故は、過去に於いても、オ、多くありましたし、日本では、あー、臨界事故、というものが最も大きかったわけでありますから、えー、そういった意味で、えー、一般的な認識を持っておりましたし、えー、そういう想定に、立っての、おー……そうした、あー、訓練が、行われたということは、ア、ご指摘のとおりだと思っております」

 脇雅史議員「(鼻で笑う)政府がねえ、その、総理までお入りになった訓練をやるっていうことの意味が全くないんですね。折角こういうことを想定してやっているのに、何にも動いていないじゃないですか。経産大臣(指を指して)、覚えていらっしゃいますか」

 委員長「海江田――

 脇雅史議員「そのとき大畠さんだけど」
 
 委員長「海江田経済産業大臣」

 海江田経産相「えー、脇委員にお答えいたします。昨年の10月でございますね。あのー、わたしは、あー、経産大臣では、ございませんでしたので、申し訳ないですが、覚えておりません」

 脇雅史議員「大畠さんにお願いいたします」

 大畠国交相「えー、お答を申し上げます。えー、このー、おー、浜岡での、おー、原子力事故の、おー、対策、ウー…、については、ア、覚えております」

 脇雅史議員「(笑いながら)あのね、たったそれだけ覚えてたって、意味はないんで。

 またまた驚くべきことがあるんです。さっき総理、法律とか計画、目を通されていないっていう話ですから、防災訓練計画ってのは国家として持ってらっしゃる、持ってるんですね。きちんと。

 マニュアルで色んなときにどうしたらいいかって決める。その防災計画の中にも、この原子力の訓練はしっかりやらねばならんと、書いてあるんですね。その中には何と書いてあるかと。

 訓練をしたら、その訓練の結果、様々な検討をして、専門家の意見を聞いて、変えるべきことがあったら変えなさい、きちっりやりなさいと書いてあるんですよ。

 その報告どうなってるんですか。海江田さん。これは今の大臣の責任だよ」

 海江田大臣「えー、この昨年の、10月のことについて、あのー、それがどういう報告がなされたということは、申し訳ございませんが、私は、あー、承知をいたしておりません」

 脇雅史議員「あのね、実は纏まっていないんですよ。驚くべきことに。あのー、取り纏め中って書いてあるんだけど、私はね、ホントーに呆れてるんですよ。今度のね、様々な行動もね、こういう基本的な対応があるから、こんだけ膨らんでしまったんでですよ。

 必ずしもね、初めてのことで大変なことが起こったと思う。全部がみな様方政府が悪いとは言わないけども、しかし少なくとも訓練の結果を見る限り、全くやる気がない。

 あのー、政権交代した、政権交代したと叫ばれていらしたけれども、政権交代をするっていうのはそういうことをすべて引き受けるんです。そういう責任を。

 その努力を何にもなされていないということにね、私はホントーにね、呆れています。深刻に反省すべきですよ。総理、どうですか」

 西田昌司自民(ヤジ)「本当に国民は不幸だよ」

 菅仮免首相「まあ、率直に申し上げてですね、あのー、そういうご指摘、そのものには十分反省しなければならないと思っています。シー、同時に、いー…、総理という役割は、まさに森羅万象のことに対応を、しなければなりませんので、シー、まあ、それぞれ、えー、の、エ、役割が、内閣全体としては、あるわけでありますから、シー、あのー、私が、あのー、細かいところまですべてを知っているかと言われれば、率直に申し上げて、えー、そこまでは、ア、承知をしていない。

 ただ、先程来申し上げておりますように、えー、この法律が、あの、原子力災害特別措置法ができた、ベースになった、あのー、臨界事故の問題とか、チェルノブイリとか、えー、そういった問題については、私なりに、えー、知見を、持って、いる、オ、このように考えております」

 脇雅史議員「あのね、なおー、さっき私申し上げましたが、国家の一大事、総理が一番果たさなければいけない危機管理対応。まさに武力行使やろうという原子力事故っていうのは想定しておかなくちゃいけないし、原点になる国の防災基本計画の中にも、そういうことのために訓練をやりましょうと、毎年やりましょうと、ずっとやってるんですよ。

 毎年やってきて、その都度、問題があったら直しましょうと。そういう努力を積み重ねて初めて、危機管理なんかできるのであって、そのときになって考えて、(聞き取れない)やってもダメなんですよ。

 しかも、それを聞いてですね。真摯に反省しないで、また言い逃れをしている。これは明らかに政府の間違いです。申し訳なかったと国民に頭を下げるべきであって、言い訳なんかしている場合ではないんです。その真摯な対応が見られないから、あなたという人間がリーダーシップがないと見られるんですよ。きちんとこの件について国民に謝ったらどうですか」

 菅仮免首相「えー、私は、あー、この問題について、えー、こういう事故になって、えー、しまって、多くのみなさん、エ、大変な、ア、ご不便、ご迷惑をかけていることについては、本当に心から、あー、行政の責任者として謝らなければならない、謝ってきているところであります。

 そのことと、今回の事故に対して、どのような、対応が必要であったかということで、この間、やってきたことについて、私は、あ、やらなければならないことについて、考えなければならないことについては、ア、私なりに考えられること、あるいは、あのー、私の内閣なりにやれることについては、全力を、オ、尽くしてやってきたということも、併せて申し上げたいと思います。

 脇雅史議員「(鼻で笑う)あまりね、言い訳をしない方がいいので、やっぱりそういうことを想定して、きちんと訓練をしておけばですね、もう少しましな対応ができたかもしれない。そのことには真摯に反省を促しておきます」(以上)

 菅仮免は原発事故でも考えることができるなりの全力を尽くしてきたといっている。だが、既に触れたように放射能漏出によって生じた原発周辺住民の生活上生じた、あるいは社会的活動上生じた様々な支障・障害に対する政府の対応は決して満足のいくレベルのものとは言えないのは避難住民の声を聞けば、直ちに理解できることである。

 だが、全力を尽くしたと言い張る。

 総理という役割は森羅万象のことに対応しなければならないが、細かいところまですべてを知っている訳ではない、だが、原子力問題に関してはそれなりに知見を持っていると言っているが、問題は知見そのものではなく、危機管理対応に於いてその知見を如何に生かして解決に導くか、そのリーダーシップを持たせた応用能力が問題となるはずだが、知見にのみ価値を置く認識能力も狂っているとしか言いようがない。

 だが、何よりも問題となるのは、浜岡原発で行った総合防災訓練を記憶していなかったことであり、その記憶能力の欠如から生じる、危機管理に影響する学習能力の欠如あろう。

 記憶能力を欠くことによって学んだことが無意味化して、学習能力に欠陥が生じる。当然応用能力の発揮というところまで達しない。最初に危機管理能力は学習能力と応用能力が深く関係すると書いたが、結果として危機管理能力が期待できないことになる。

 この危機管理能力の欠如を埋め合わせるために、20近くにもなるとか言われている何々本部だ、何々会議だとかの組織と議論の立ち上げが行われることになり、余りにも多すぎる組織と議論が災いして指揮系統の混乱と意志決定の遅れを招いている原因となっているに違いない。

 だが、首相は「二つの、本部をつくりました。これはつくらざるを得なかったと言う意味で、わざわざたくさんの本部をつくるためにつくったんじゃありません」と多過ぎる本部と会議の立ち上げを弁解で以て正当化する誤魔化しで済ませている。

 脇議員に2010年の10月20、21日に何が行われたかと聞かれて、思い出さなかったとしても不思議はないが、だが、福島原発が発生した3月11日の時点で浜岡と首相官邸を結んだ訓練を思い出し、事故が訓練のスケジュールと似通った推移で展開されていることを認識していなければならなかったはずだ。

 当然、脇議員に「実はこの日はですね、えー、原子力総合防災訓練、というものをやってらっしゃるんですね」と言われたとき、そのときの訓練の模様を記憶の底からすべてを呼び覚まして、福島原発事故に対しても似たような行動を取ったはずだから、その行動をも思い出して的確な答弁を行うべきを、原子力の事故は過去にもあったから一般的な認識を持っていたし、そういう想定の訓練が行われたのはご指摘どおりだと思うと、訓練を他処事とするような無責任な答弁は行わなくて済んだはずだ。

 浜岡原発と首相官邸を結んだ原子力総合防災訓練については、《菅総理の動き 平成22年度原子力総合防災訓練》と題して、首相官邸HPに載っている。

 次のように書いてある。〈平成22年10月21日、菅総理は総理大臣官邸で、平成22年度原子力総合防災訓練を行いました。

 今回の訓練は、静岡県の浜岡原子力発電所第3号機において、原子炉給水系の故障により原子炉の冷却機能が喪失し、放射性物質が外部に放出される事態を想定して、政府、地方自治体、その他関係事業者等と合同で実施しました。

 訓練では、大畠経済産業大臣から事故状況の報告、原子力緊急事態公示・指示案が提出され、これを受け菅総理は「原子力緊急事態宣言」を発出し、住民への情報提供に努めるよう関係自治体への指示を行いました。

 引き続き、この事態を受けて原子力災害対策本部会議の訓練を行いました。政府対策本部長の菅総理から「住民の安全確保を最優先しつつ、事態の一刻も早い収拾を図ることが必要であり、この会議で政府の基本方針を定め、緊急対策を講じるので関係省庁、現地関係者の緊密な連携を御願いする。」と発言があり、続いて現地対策本部長、静岡県知事、御前崎市長、牧之原副市長、掛川市副市長及び菊川副市長とテレビ会議を通じて現地の状況の把握を行い、支援要請に対して速やかに応じるとともに、現地対策本部に必要な措置をとるように指示をしました。〉――

 多分、菅仮免はこの訓練を儀式として形式的に参加しただけだったのだろう。

 この訓練は首相官邸と現地をテレビ会議方式で結んだ。福島原発事故に際しては東電からの情報伝達の遅滞が問題視された。原発から20キロ離れた地点の政府と東電の統合事故対策本部と首相官邸をテレビ会議方式で結んだのだろうか。

 より簡単な方法として、インタネット放送を利用して情報収集と情報伝達の情報交換も可能である。パソコンにマイクとビデオカメラを取り付けて、無料録画配信サイトを利用すれば、同時生中継が可能となる。わざわざ首相が東電本社に乗り込んで怒鳴り込むといったことをしなくても済んだだろう。

 国民向けの情報伝達にしても首相官邸と東電と、できるなら原発の現場も加えて、原子力安全・保安院の記者会見場も結び、三元生中継放送として利用すれば、首相官邸が単に保安院が公表した数値をただ発表するといった機械的な情報伝達も避けることができ、より分かりやすくなるのではないだろうか。

 いずれにしても、一国のリーダーが自衛隊等を派遣したこと、対策本部等を立ち上げたことを以って危機管理だと認識していることは恐ろしい。

 実施した危機管理対応が具体的・機動的に機能したかどうかが問われているということを厳しく認識するだけの判断能力を持ち合わせていない。


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菅無能仮免が言っている「歴史の評価を待ちたい」の卑劣な詭弁

2011-04-19 09:34:03 | Weblog



 昨4月18日(2011年)参院予算委東日本大震災集中審議でたちあがれ日本の片山虎之助議員の質問に答えて、菅仮免が原子力事故対応に関する評価は「歴史に待ちたい」と答えたと報道されていた。

 歴史に評価を委ねるということは歴史が評価すると確信、もしくは自信があるからこそ言える発言であって、自信も確信もなければ言えはしない。

 世論調査の指導力欠如、政策構築と実現能力欠如の評価に反する相当な自信家と言うことになるが、評価を歴史に委ねるとすること自体正しい判断なのだろうか。指導力欠如は合理的判断能力を欠いていることから起こる。満足に判断できない人間に指導力など備わりようがない。

 合理的判断能力を欠いている菅仮免が自身の評価を歴史に委ねるとする判断を働かせていること自体が矛盾しているはずだが、その部分の質疑答弁のみを取上げてみる。

 たちあがれ日本の片山虎之助議員は例のざっくばらんな調子で質問に立った。

 片山虎之助「えー、片山虎之助でございます。えー、被災されましたみなさまに、心からお見舞いを申し上げながら、質問させていただきます」

 時間が短いもんですからね、答弁は簡潔・直截にお願いをいたしたいと思います。

 えー、統一選の前半が終わりました。後半、昨日からでございましてね。あー、結果はご承知のように都市部を中心に、民主党は、惨敗を、いたしました。

 その原因は、やっぱ、この大震災や原発事故に対する対応が、非常に拙劣であると。不手際であると。混乱していると。場当たりであると。

 ま、色々と言っても、いくらでも言えるんですけども、そういうことが原因だと、こう言われております。定説になっている。

 この委員会でも、何人かが質問されましたけども、総理はですね、や、まあ、それは真摯に受け止めるけれども、後半戦があるんだしと、こういうことですからね。私は、どーもその辺に、えー、謙虚さが足りないじゃないかと、こういうふうに思っております。

 そこでね、総理、今日もそういう議論が色々ありましたが、この危機の中で、大震災の中で、総理が取られた言動ですよ、今日まで。

 これについて、ね、自己採点してください。ま、満点だって、言う、まさか、言わないだろうと思いますけれども、及第点でしょうか。どうでしょうか。

 またですよ、どこが悪いと自分で思われたのか。それをそのあと直されたのかどうなのか、色んなことを一遍に言いますけどもね。私はこれだけ大震災でね、日本人は世界的に評価されたんですよ。ね、色んな意味で。礼節とか、勇気だとか。色んなことが言われ、絆だとか。

 で、総理はそうじゃないでしょ?今日の、朝から。

 日本のトップリーダー・・・なんですよ、総理は。トップリーダーとして、自分が大震災に取られた、一連の言動についての自己採点をお願いいたします」

 菅仮免「まあ、あのー、おー、まだー、あー、渦中にある中で、私自身が、この私の、この間のですね、ことに敢えて採点するというのは、あ、まだまだそういう時期ではないと思います

 ただ、ア、敢えて申し上げれば、私は、あー、まさに菅内閣の責任者、であります。その菅内閣として、えー、この地震発生以来、取って来た、あー、事柄について、私は、あー、例えば、あー、早い段階の、おー、自衛隊、の、おー、おー、あー、派遣。あるいは、あー、警察、消防、おー、さらに海上保安庁。

 さらにその後の色々な展開の中で、私は国民のみなさんにも、そういう活動については、あー、一定の、おー、評価を頂いていると思います。

 また、原子力の、うー、事故については、確かに厳しいご指摘、評価だと思います。シー、このことについて、決して私は、あー、何か、あー、他に責任を押しつけるつもりはありませんけれども、この原子力の問題は、えー、いわゆる地震・津波とはまた違った、アー、ま、ある意味、特異な、あ、分野でありまして、私はこれに関して、色々なご指摘はありますけれども、私自身、この、おー、原子力事故は、ホントーニ大変なものだということを、最初に聞いたときから、え、その後今日に至るまで、一秒たりとも、頭から離れない。

 そいう中で対応に取り組んでまいりましたわけで、その評価は、私は本当に歴史に待ちたいと、こう思っています」――

 菅仮免は自身を、当然のことだが、「菅内閣の責任者」と位置づけた。しかし質問はトップリーダー=菅内閣の責任者としての自己採点を求めたのである。

 それを「菅内閣の責任者、であります」と前置きしながら、すぐそのあとで自身を評価対象から外して、巧妙にも菅内閣を評価対象に摩り替えている。

 ここに誤魔化しがあるが、その誤魔化しは原発事故対応に関する自己に限った評価では、と言うことはリーダーシップに限った評価ではということになるが、国民から一定の評価を受けていると言える程の自信がないことからの評価対象を自身から内閣へすり替えた誤魔化しであろう。

 常に問題となっているのは菅仮免の指導力であり、リーダーシップなのだから、あくまでも自身を評価対象とした自己採点でなければならないはずだが、世論調査で見る限り、原発対応では全然評価されていなかったために菅内閣全体を評価対象とせざるを得なかった。

 何のことはない。原発事故対応に関しては自らに評価をつけることができないことからの、その埋め合わせとして、あるいは地震・津波対応と原発事故対応との評価の違いに整合性を持たせるために、あるいはバランスを持たせるために歴史の評価を身代わりとした姿しか浮かんでこない。

 ここに情けないリーダー像を見ることができる。

 「他に責任を押しつけ」てはいないが、歴史に逃げ込む責任逃れを働いている。

 菅仮免は言っている。「私自身、この、おー、原子力事故は、ホントーニ大変なものだということを、最初に聞いたときから、え、その後今日に至るまで、一秒たりとも、頭から離れない」と。

 これも原子力事故対応に関しては「色々なご指摘」があって国民から一定の評価を受けているとは言えない埋め合わせに、いい加減に取り組んでいるのではない、懸命に取り組んでいる姿勢を持ち出すことで、それを以て評価とする発言であろう。

 その評価は必ず歴史が証明してくれるというわけである。

 菅仮免自身が原発事故に対していい加減な姿勢ではない、懸命に取り組んでいると言おうと、地震発生翌日の3月12日の早朝、福島第一原発視察に際して、斑目原子力安全委員会委員長が「『原子力について少し勉強したい』ということで私が同行したわけでございます」と3月28日(2011年)午後の参院予算委で答弁しているが、この発言からは軽い気持は窺うことはできるが、「最初に聞いたときから、え、その後今日に至るまで、一秒たりとも、頭から離れない」といったいい加減ではない、真剣な気持は見えてこない。ウソを言って真摯な姿勢を装っているとしか受け止めることができない。
 
 大体が指導力もない、合理的判断能力も欠いている、内閣統治能力もない政治家が歴史を口にすること自体おこがましい。その資格が果してあるだろうか。

 物事は現在の評価で動く。谷垣自民党総裁に対する大連立の呼びかけ失敗も現在の評価から始まっている。菅仮免の現在の全く以って評価できない姿が招いた無残な結末であって、歴史が手出しできる結末では決してない。

 与野党ねじれ状況に苦しめられ、熟議の国会と言いながら、それを実現させるだけの指導力もなく、与党内閣としての主体性を失っているのも、自らがつくり出した数の力の現実と首相としてのリーダーシップ欠如に対する現実の評価が決定づけている現在の状況であって、歴史が決定要因となっているわけではない。

 歴史の評価は最早評価対象が存在しなくなってからのものか、現役を退いてからのもので、現実の活動自体を動かす要因とならなければ、意味を失う。何の役にも立たないことを持ち出して現在の不人気を誤魔化そうとする「歴史の評価を待ちたい」であって、卑劣な詭弁に過ぎない。

 例え歴史の評価を受けたとしても、それは時代状況の変化を受けた時代的価値観や時代的判断の違いに左右される評価であって、決して今ある現実の評価に遡って取り替えることはできない。評価を下す過去に生きていた人間と現在生きている人間自体の違いも無視することはできない。

 泡沫候補という言葉がある。泡沫首相が現在の不人気を認め難く否定したい気持が歴史で復活を願望し、そのことで現在の不人気の埋め合わせしようと虚しい抵抗を示しているに過ぎない。

 その姿からは愚かしさだけしか浮かび上がってこない。

 指導力あるなら、総理大臣として存在している現在の時代にこそ、評価を得るべく闘うべきだろう。歴史に逃げ込んで、その意志さえ示すことができない。

 そのような体たらくだから、歴史の評価に縋ることになる。


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「朝日世論調査」菅内閣支持率と続投希望の奇妙な不一致の解決策

2011-04-18 07:51:23 | Weblog




 今朝の「asahi.com」に記載された「朝日新聞世論調査」に奇妙な不一致が存在する。質問と回答の必要箇所を、少し理解しやすいように表現を変えて参考引用してみる。

 《世論調査―質問と回答〈4月16、17日実施〉》asahi.com/2011年4月18日0時1分)   

 (数字は%。小数点以下は四捨五入。質問文と回答は一部省略。◆は全員への質問。◇は枝分かれ質問で該当する回答者の中での比率。〈 〉内の数字は全体に対する比率。丸カッコ内の数字は、2月19、20日の前回調査の結果
菅内閣を支持しますか。支持しませんか。

 支持する  21(前回2月調査 20)

 支持しない 60(前回2月調査 62)


◇それはどうしてですか。(選択肢から一つ選ぶ=択一。左は「支持する」21%、右は「支持しない」60%の理由)

 支持する21% 

 首相が菅さん   21〈4/21%〉
 民主党中心の内閣 35〈7/21%〉
 政策の面       14〈3/21%〉
 実行力の面    10〈2/21%〉


 支持しない60%

 首相が菅さん   5〈 3/60%〉
 民主党中心の内閣 8〈 5/60%〉
 政策の面     20〈12/60%〉
 実行力の面    65〈38/60%〉


◆どの政党を支持していますか。

 ▽民主17(19)
 ▽自民19(18)
 ▽公明3(3)
 ▽共産2(2)
 ▽社民1(1)
 ▽みんな1(2) (以下の政党はすべて0)
 ▽支持政党なし49(50)
 ▽答えない・分からない8(5)

◆仮にいま、衆院選の投票をするとしたら、比例区ではどの政党に投票したいと思いますか。

 ▽民主18(19)
 ▽自民30(25)
 ▽公明4(5)
 ▽共産3(3)
 ▽社民1(1)
 ▽みんな5(6)(以下の政党はすべて0)
 ▽答えない・分からない38(40)

菅さんに首相を続けてほしいと思いますか。早くやめてほしいと思いますか。

 首相を続けてほしい 36(前回2月調査30)

 早くやめてほしい  43(前回2月調査49)


菅内閣の東日本大震災への対応を評価しますか。評価しませんか。

 評価する  22
 評価しない 60


菅内閣の福島第一原子力発電所の事故への対応を評価しますか。評価しませんか。

 評価する  16 
 評価しない 67


◆民主党と自民党が大連立政権をつくることに賛成ですか。反対ですか。

 賛成 43 
 反対 37

◆震災復興の財源にあてるため、増税することに賛成ですか。反対ですか。

 賛成 59 
 反対 31

◆震災復興の主な財源にするのは増税がよいと思いますか。国の借金である国債がよいと思いますか。

 増税がよい 48  
 国債がよい 25  

◆福島第一原発の事故についてうかがいます。今回の事故について、どの程度、不安を感じていますか。(択一)

 大いに感じている   56

 ある程度感じている 33

 あまり感じていない  9

 まったく感じていない 2

◆福島第一原発以外の原子力発電所でも、大きな事故が起きる不安を、どの程度感じますか。(択一)

 大いに感じる  50

 ある程度感じる 38

 あまり感じない 10

 まったく感じない 1

福島第一原発の事故について、政府の情報提供は適切だと思いますか。適切ではないと思いますか。

 適切だ    16 
 適切ではない 73


原子力発電を利用することに賛成ですか。反対ですか。

 賛成 50 
 反対 32


◆日本の原子力発電は、今後、どうしたらよいと思いますか。(択一)

 増やすほうがよい   5

 現状程度にとどめる 51

 減らすほうがよい   30

 やめるべきだ     11

    ◇

 〈調査方法〉 16、17の両日、コンピューターで無作為に作成した番号に調査員が電話をかける「朝日RDD」方式で、全国の有権者を対象に調査した(東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の一部を除く)。世帯用と判明した番号は3352件、有効回答は1999人。回答率60%。

 菅内閣を「支持する21%」、「支持しない60%」。この支持対不支持は「菅内閣の東日本大震災への対応を評価する22%」対「評価しない60%」及び「菅内閣の福島第一原子力発電所の事故への対応を評価する16%」対「評価しない67%」が大いに影響している内閣支持動向であろう。

 このことが内閣支持21%のうちの支持理由が政策の面で14%、実行力の面で10%程度の支持しか得ることができず、不支持60%のうち不支持理由が政策の面で20%と実行力の面で65%も獲得することに現れている支持と不支持の状況であるはずだ。

 かくまでも東日本大震災への対応と福島第一原発電事故への対応が圧倒的に評価されていないにも関わらず、また政策の面と実行力の面での不支持が圧倒的に高いのは内閣の存在意義に致命的でありながら、震災前の前回2月調査よりも支持が1%増え、支持しないが2%増えている。

 このことは菅内閣の震災対応と原発事故対応に対する散々の評価から見た場合、常識的には支持率を大きく下げ、逆に不支持率を大きく上げてよさそうなものだが、そうなっていないということは誤差の範囲と見ることはできないはずだ。 

 この奇妙な不一致はどのような理由があるのだろうか。

 奇妙な不一致は菅首相に対する“続投・退陣”の意思表示にも現れている。

 圧倒的多数を占めてもいいはずの「早くやめて欲しい」が前回2調査の49%よりも減って43%程度で、「首相を続けてほしい」が前回2月調査の30%から+6ポイントも増えて36%にも達している。

 この増減は震災対応と原発事故対応に対する圧倒的なマイナス評価を相殺してしまっている。その相殺値が退陣要請43%-続投要請36%=7ポイントのみの差となって現れているということであろう。

 菅首相は政策面でも実行力の点でも首相就任以来評価を受けてこなかった。政策なき政治家、指導力なき政治家と言い換えることもできる。昨201年年9月の民主党代表選でも政策面や実行力ではなく、首相をコロコロ変えるのはよくないという体裁重視、形式的なカバー重視で支持された。

 そして震災対応と原発事故対応では政策面に影響する政権運営の点で無闇と本部だ会議だと立ち上げて指揮命令系統を複雑化し、逆に情報伝達を阻害化させ、政治的実行力の程度を証明することになった。勿論、実行力の程度とは指導力の程度、リーダーシップの程度を言う。

 世論に現れた菅仮免に対するたった7ポイントの差しかない36%対43%の“続投・退陣”の意思表示を解くとしたら、考え得る理由は震災復旧等の大事なときに首相交代劇で一時的に政治が混乱したり政治空白が生じることを恐れてのことか、それとも菅に変わる適当な首相が存在しないことからの意思表示としか頭に浮かばない。

 尤も洞察力鋭い人間から見たら、他にも適当な理由を見い出し得るかもしれない。

 一時的に政治的混乱や政治的空白を恐れての理由だとしたら、その一時性によって不満足な対応・指導力の欠如が継続されることになて、却って日本の政治全体に悪影響を与えることになる。そのプラスマイナスも計算すべきであろう。

 菅仮免の不満足な対応・指導力の欠如の継続を遮断し、政治を満足な状況に持っていくためには内紛や対立続きの民主党に挙党一致を実現でき、尚且つ野党の協力を形成できる後継者を求めることを条件に菅に辞めて貰うことによって実現可能となり、そうすることによって世論調査に現れた奇妙な不一致をすべて解消することができるのではないだろうか。

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五百旗頭復興構想会議議長の人間を見ない阪神大震災と東北関東震災との比較

2011-04-17 09:33:46 | Weblog



 4月14日(2011年)、日本の優れた有識者たちを掻き集め、被災地知事も参加した東日本大震災復興ビジョン策定の「復興構想会議」が初会合を開催。6月提言に向け議論をスタートさせた。

 4月12日午後6時からの菅仮免首相の記者会見。

 菅仮免「今回のこの大震災に対する復興は、ただ元に戻すという復旧であってはならないと思っております。つまり、新しい未来の社会をつくっていく、創造する、そういう復興でなくてはならない。このように思っております。

 私は、さきの記者会見で津波被害を受けないような高台に住んで、人と自然にやさしい福祉とエコのまちづくりということを一つのイメージとして申し上げました。今日改めて復興によって生み出される社会の姿について、3つの考え方を申し上げたいと思います。

 第一は、何よりも自然災害に対して強い地域社会をつくること。
 第二は、地球環境と調和した社会システムを構築すること。

 そして第三には、人にやさしい、特に弱い人に対してやさしい社会をつくり上げることであります。

 そして、こうした復興を成し遂げるための進め方として、次の3つの原則を申し上げたいと思います。

 第一に、何といっても、被災された地域住民の要望、声を尊重する。

 第二に、政界、官界に限らず、学者、民間企業、NPOなど、全国民の英知を結集してこの復興に当たる。

 第三に、未来の夢を先取りする未来志向の復興を目指す。この3つの原則であります。 こうした原則に沿って復興を進めるために、まず全国の英知を集めるため、有識者を中心とし、更には被災地の知事にも加わっていただいて、復興構想会議をスタートさせました。五百旗頭防衛大学校長にその座長をお願いし、そして、6月をめどに復興の青写真をつくっていただくようお願いをしたところであります」――

 「人にやさしい、特に弱い人に対してやさしい社会をつくり上げる」とは、常に人間を人間存在足らしめる視線を持つことによって可能となり、その決意表明であろう。

 だが、震災後の被災者に対する生活支援、物資支援、健康支援等、様々な場面で停滞や遅滞を見せた。このことは政府が震災から1カ月間近の4月6日から10日にかけて行った避難所生活についてのアンケート調査が証明している。

 《避難所生活 依然厳しい状況に》NHK/2011年4月16日 4時36分)
 
 岩手と宮城、福島の3県に設置された1047のすべての避難所の責任者を対象に行ったものだそうで、31%にあたる323か所から回答
だ。

 調査が1047のすべての避難所を対象としながら、約3割の回答しか得られなかったことは残りの7割相当が落ち着いた状況にはないことを物語っているのではないだろうか。

▽食事

「毎日、主食のほかに、おかずや温かい物が食べられる」――60%の避難所
「おかずや温かい物が時々しかない」         ――40%の避難所

▽下着

「替えがなかったり、洗濯ができなかったりして不足している」――47%の避難所

▽入浴

「週に1回程度」          ――33%の避難所
「先月の地震以来、入浴できていない」――5%の避難所

▽プライバシー

「避難所の中に間仕切りなどが全くない」――28%の避難所、

 政府の被災者生活支援特別対策本部「全体的な状況から半数近い避難所が厳しい状況にある」

 記事が伝えているコメントから見る限り、他人事に聞こえる。被災者を人間存在足らしめていない避難所生活に追いやっているのである。菅首相は記者会見では、「人にやさしい、特に弱い人に対してやさしい社会をつくり上げる」と言っていながら、1カ月も経つのに避難所は「人にやさしい、特に弱い人に対してやさしい社会」とはなっていない。

 人間を人間存在足らしめる視線を避難所社会には満足に注ぎもせずに復興社会には「人にやさしい、特に弱い人に対してやさしい社会をつくり上げる」とさも人間を人間存在足らしめる視線を注ぐかのように言っている。

 記事は最後に解説している。〈アンケートの回収は被災した地域の自治体を通じて行っていて回収率が低く、実際には、さらに厳しい状況にある避難所が多いとみられています。政府は当面、週1回のペースで調査を続け、避難所の改善などに役立てたいとしています。〉――

 アンケートに現れた数値以上に悪化した状況となっているということはどういうことなのだろうか。

 政府は遅蒔きながら食事の改善にリ出したが、先手先手を打つ配慮ではなく、放置できないことからだろう、後付けの配慮であることは否定できない。 

 《政府 避難所の食事を改善へ》NHK/2011年4月15日 21時10分)

 記事は政府は避難所のうちおよそ440か所でメニューを点検したうえで、栄養の目安を各避難所に示すほか、糖尿病や食物アレルギーを抱える被災者などのために特別の食事を提供するなど、改善を図ることになったと伝えている。

 なぜかくも対策が後手に回るのか。「人にやさしい、特に弱い人に対してやさしい社会をつくり上げる」と言いながら、基本的には人間を人間存在足らしめる配慮に欠けているからだろう。

 なぜなら、やっていることは問題を防ぐことではなく、問題が生じ、それが大きくなることを防ぐ対策となっているからだ。問題が大きくなったとき、それは政治の責任問題へと撥ね返ってくる。あるいは内閣の支持率に影響し、菅仮免の地位を現在以上に危うくしかねない。

 いわば自己保身の必要条件となる責任回避目的からの後付けの配慮ということなのだろう。

 復興構想会議長に選任された五百旗頭真議長が4月14日の初会合での発言。《「阪神大震災がかわいく思える」 復興会議で五百旗頭氏》MSN産経/2011.4.14 21:17)

 五百旗頭「16年前の(阪神・淡路大震災の)被災がかわいく思える程の、すさまじい震災だ。『こんな悲惨なことはわれわれの生きている時代にもうないんじゃないか』との言葉が当時交わされた。空襲で遺体がなくなることはなかったが、今回は津波で多くの方が連れ去られた」

 記事。〈今回の被害を強調する意図とみられるが、阪神・淡路大震災の被災地から反発を招きかねない発言だ。〉――

 反発は阪神・淡路大震災の被災地からだけではないと思う。

 いずれの震災でも親を亡くしたり、子を亡くしたり、兄弟を亡くしたり、財産を失ったり、家を失ったり、年老いてからの被災で、気力を失い、阪神・淡路の場合は慣れない土地での再出発で人間関係が満足に築けずに孤独死追いやられる被災者も出た。

 それぞれが悲惨で辛く、哀しい思いをし、痛ましい思いをした。

 各人それぞれが保ってきた各人なりに十全な人間存在であることから精神的にも経済的にも傷を負い、欠落した存在へと落とし入れられた。

 阪神・淡路の被災者が負った精神的あるいは経済的な傷と記憶は長いこと付き纏い、16年経過した今日まで完全には癒されないままに過ごすことになっている被災者も存在するに違いない。

 このことは東北関東大震災の被災者も似たような時間経過を辿ることを証明することになる。

 だが、五百旗頭は知識人・文化人だからか、死者の数や倒壊家屋数、被害面積だけの違いのみで阪神・淡路と東北関東大震災を比較した。

 そこには人間存在そのものに対する視線はない。物理的比較のみの、人間をそれぞれの存在として介在させた比較とはなっている。

 だから、「16年前の(阪神・淡路大震災の)被災がかわいく思える程」だと比較できた。「空襲で遺体がなくなることはなかったが、今回は津波で多くの方が連れ去られた」と遺体を、五百旗頭本人にとっては他人事ではあっても、近親者にとってはそれが生きて存在していたときの思い出を纏わせたそれぞれの死であることを無視して、まるでモノか何かのように扱っている。

 十分な議論を尽くしたとは思えない初会合後の記者会見で、「復興に要する経費を考えると、全国民的な支援と負担が不可欠」だと復興税創設を提案したことも、人間存在そのものに対する視線を欠いていることから提案することができた復興税であろう。

 確かに復興は果たさなければならない。人間を人間存在足らしめることを最優先させた復興でなければならない。だが、税金を取られる側の如何なる人間に対しても人間を人間存在足らしめている要素を奪っていいわけでは決してない。

 現在、ギリギリの生活を送っている国民は多くいるはずである。そのような国民をも納得させる十分な議論を経てから持ち出し、十分な説明責任を尽くすならまだしも、財源捻出の方法は他にもあるにも関わらず、いきな復興増税を持ち出す。

 このことも低所得層まで含めて人間を人間存在足らしめる視線を欠いていることからでできた提案であろう。

 このような人間が大震災復興ビジョン策定の「復興構想会議」の議長を務める。

 多分、頭さえ良ければいいということなのだろう。


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石原都知事自販機悪玉論批判に対する蓮舫のやるべきことを忘れた奇麗事といきり立ち

2011-04-16 10:25:14 | Weblog


 
 当ブログ《菅内閣が言う自粛云々よりも肝心なこと、仮設住宅の充足 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に自粛に関して次のように書いた。

 〈本来的には自粛行為は純粋に主体的行為でなければならない。当然自粛行為に対しても、“自粛の自粛”行為に対しても国家権力は強制も要請もできないはずだ。原発の放射能災害を含めた被災者の不安や困窮に対する共感から発した感情共有行為であって、誰も止めることはできないからだ。

 これは非常に個人的な感情行為であろう。多くの国民が共通して持つことによって、自粛は社会現象化する。〉――

 自粛が国家権力による強制とその強制に対する無条件な同調行為であってもならないし、世間がそうしているから、自分だけ違っては何を言われるか分からないと世間の暗黙の強制と看做して、その強制に対する無条件な同調行為であることも自分を持たないことになって、あってはならない姿であるはずだ。

 だから石原都知事が震災の目を覆うばかりの被害と被災者の惨状を考えてのことだろうと思うが、花見の自粛を打ち出したときには奇異な印象を受けた。あくまで個人個人が決めることであって、権力側に位置した者が持ち出すべき問題ではないからだ。

 《花見は自粛を=被災者に配慮必要-石原都知事》時事ドットコム/2011/03/29-19:12)

 3月29日(2011年)の記者会見。

 石原都知事「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない。今ごろ、花見じゃない。同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感が出来てくる。(太平洋)戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」

 戦争中の連帯感は自発性の連帯感ではなく、国家権力による上からの強制に対して国民が無条件に従い、自身を国家に預けた同調行為であったはずだ。そこには自律性(自立性)はなかった。

 「同胞の痛みを分かち合う」はあくまでも強制されて行う感情行為ではなく、自発的、且つ自律(自立)的行為でなければならない。

 自発性も自律性(自立性)も責任を伴う。

 最初に断っておくが、電力不足に対する節電という名の自粛となると、企業や個人の主体性、自律性(自立性)のみに任せることはできない。社会活動や経済活動に制限が生じたとしても、混乱や不正常を来たしてはならないからなのは断るまでもない。場合によっては公権力の介入も必要となるはずだ。計画停電自体が政府が許可したもので、一種の公権力の介入に当たる。

 石原都知事花見自粛論に蓮舫節電啓発担当相が反論した。《蓮舫氏、石原都知事の「花見自粛」に反論 「権力の社会制限は最低限に」》MSN産経/2011.4.1 12:21)

  4月1日(2011年)の記者会見。

 蓮舫「権力で自由な行動や社会活動を制限するのは最低限にとどめるべきだ」

 この発言は石原都知事の花見自粛論に限った“権力乱用の戒め”であって、節電への言及ではない。

 一部にコンビニエンスストアの深夜営業を自粛すべきだとの意見があることにも関して。

 蓮舫「夜間の電力は、現段階では相当余っている。コンビニや自動販売機の夜間の照明は、治安的にも意味がある。電力があるにもかかわらず経済活動を公の力で制限していくということが、わが国の経済にとってどのよう影響があるのかも冷静に考えるべきだ」

 「コンビニや自動販売機の夜間の照明」に関しては、電力の正常な需給関係が壊れて社会が従来どおりの正常な状態では維持不可能となったからと法律等で社会活動に制限を加えない限り、節電という名の自粛は企業や個人の主体的判断に任せるべきであって、その限りに於いて蓮舫は正しいことを言っている。

 但し、蓮舫のこの「電力があるにもかかわらず経済活動を公の力で制限していく」ことの批判は言葉通り夜間に於ける電力の余裕を前提としている。電力の余裕は「夜間の電力は、現段階では相当余っている」と明快に言及している。

 では、電力が不足した場合、「経済活動を公の力で制限」することは間違っていないことになる。いわば既に逆説的に触れたように電力の正常な需給関係が壊れて社会が従来どおりの正常な状態では維持不可能となった場合は法律等で社会活動に制限を加え得るということに合致する。

 計画停電のスケジュールは夜間の22時00分までで、現在のところ供給が上回って計画停電は停止中だが、電力使用が急激に増加する夏場には確実に不足する状況にあるから、「現段階では相当余っている」としても、夏場の制限に向けて何らかの手を打たなければならないし、政府も既に対応している。

 いわば電力の需給状況に応じて、22時00分までの計画停電が実施される可能性を残しており、場合によっては22時00分以降まで延長される可能性も捨てきれない。

 電力が不足した場合、「経済活動を公の力で制限」も可能とするのだから、電力が余っている「現段階」のみに対応したあるべき経済活動に触れるだけではなく、政府の一員でもあるのだから、電力不足の可能性に対応した「公の力」による経済活動の制限も視野に入れた発言であって然るべきではなかったろうか。

 石原都知事の批判に対する批判という限られた狭い視野の批判である限り正当性を得る発言となっている。

 但し都議会の民主党が自動販売機の節電に関する条例案の提出を検討していることに関して批判を述べる中で、「現段階」を超えた今後の対応について言及している。

 《蓮舫節電啓発相、自販機節電条例案に疑問》日テレNEWS24/2011年4月15日 15:33)

 蓮舫「国としては、大口需要の事業者に25%の節電計画をお願いしている」

 これは後付けの言及に過ぎないだろう。蓮舫が「夜間の電力は、現段階では相当余っている」と発言したのは4月1日の記者会見であり、「国としては、大口需要の事業者に25%の節電計画をお願いしている」は昨4月15日の発言であて、2週間で「夜間の電力は、現段階では相当余っている」の調和を破る状況の提示となっているからだ。

 要するに「夜間の電力は、現段階では相当余っている」としても、企業に対して25%節電協力を要請しなければならないということは現段階の夜間の余力を役に立たないものとしていることになるからだ。

 蓮舫「東京都のことで、国が口出しすることではない。経済活動に影響が出るものを、ある種、権力で要請するというのは、国民の皆様がどうお考えになるのかなという気はします

 確かに正しいことを言っているように見えるが、国が「大口需要の事業者に25%の節電計画をお願いしている」ことも、形は「お願い」であっても、「ある種、権力で要請する」ことに入るはずだし、電力不足が生じた場合の「経済活動を公の力で制限」も可能としていることに矛盾することになる。

 記事は最後に、〈自動販売機の業界団体はすでに、7月から9月の間は午後1時から4時まで冷却機能を止める取り組みを行っている。〉と書いているが、これとて、「ある種、権力で要請」の内に入るはずだ。

 国家権力の要請なくして企業が自分で自分達の利益を削るはずはない。

 石原都知事の方も蓮舫の反論にめげなかった。4選を果たした後のインタビューで再び国家権力による電力制限を持ち出した。

 《【石原都知事に聞く】同じことをやるしかない》サンスポ/2011.4.11 05:07)

 電力不足について――

 石原都知事「(東京電力管内の1日の使用電力は)パチンコと自動販売機、あわせて1000万キロワット近い電力が、さほど必要でないのに使われている。こういう生活様式は考えた方がいい。そんなモノなくても生きていけるじゃないか!」

 「政府は権限を持っているんだから、こういうほとんどムダに近い電力の消費を抑制しないと。担当大臣(蓮舫節電啓発担当相)がテレビをぞろぞろ連れてニコニコやって来て『節電よろしくお願いします』と私と握手して。そんなもんですむものではない。国民も分かっていると思う」

 双方共相当に対抗意識を持っているようだ。

 《石原氏、民主党政権を批判「無知で未熟な連中」「役人いかに使うかが政治家」》MSN産経/2011.4.11 00:44 )

 石原都知事「日本の電力消費は世界的に見たら奇形だよ。パチンコと自動販売機で合わせて1千万キロワット近い量が使われている。自動販売機は便利かもしれないが自分の家で冷やせばよい。国全体でやらなければならないことは、国で出さなかったら国民は動かない。政府はきちっと政令を出すべきだ。オイルショックのときは出した」――

 蓮舫も引き下がらない。《蓮舫氏、自販機悪玉論に反論》MSN産経/2011.4.14 00:18)

 4月13日(2011年)の衆院内閣委員会。

 蓮舫「石原氏がどういう思いで言ったのかは分からないが、節電と経済効果への支障を最小限に抑える知恵は、同時進行で取り組むべきだ」――

 蓮舫は「節電と経済効果への支障を最小限に抑える知恵」と言っているが、「国としては、大口需要の事業者に25%の節電計画をお願いしている」ことにその「知恵」を加えていただろうか。企業によって電力使用量も使用方法も違えば、仕事の種類に応じて電力の配分も異なる。国がこの仕事は何%節電して、ここは何%、全体で25%だと指示できるはずもないし、当然口出しもできない。

 「知恵」は企業任せで、国ができることは一律25%という、協力要請の形を取った国家権力による半ば強制的な押し付けであろう。

 自販機業界が各自販機の冷却運転を輪番で1日数時間ずつ停止して節電する計画を打ち出したことがこのことを証明している。政府の知恵ではなく、企業の知恵でしかない。

 企業が企業利益への支障を最小限に抑えることによって、社会全体、あるいは国全体の「経済効果への支障を最小限に抑える」ことにつながっていく。

 蓮舫の「節電と経済効果への支障を最小限に抑える知恵は、同時進行で取り組むべきだ」は奇麗事に過ぎない。「知恵」などという美しい言葉を使おうと、企業の利益を犠牲にさせることに変わりはない。

 蓮舫は同13日の内閣委で次のようにも批判している。

 蓮舫「清涼飲料業界は主要19社で4・5兆円の売り上げがある。自販機での売り上げは1・9兆円で42%を占める。自販機をなくすのか。そこで働いている人もいる」

 確かに石原都知事の自販機批判は自販機を悪玉とし、その廃止の主張となっているが、単なる持論の展開に過ぎず、石原都知事の権力を以ってしても不可能な自販機の撤廃なのは自明の理である。

 また政府の25%節電協力要請にしても、業界の売り上げに制限を加えるものであり、「そこで働いている人」の雇用そのものに影響はないかもしれないが、給与には関係していく節電協力要請でもあることは否定できない事実であろう。
 
 何か一人いきり立っている。どう転んだとしても、節電が続く以上、日本の経済を縮小させることに変わりはない。「節電と経済効果への支障を最小限に抑える知恵は、同時進行で取り組むべきだ」には節電を当たり前のこととしているニュアンスがある。

 節電が当たり前のこととされてはたまらない。福島第一原発の1号機から4号機まで廃炉と決まったのである。政府がなすべきことは東電と協力して廃炉によって失う分の電力を別の方法で創出、経済活動を従来どおりに回復することであろう。

 パチンコだ、花見だ、自販機だと細かいことに拘っている場合ではない。より総体的発言、より総体的行動を心がけるべきだろう。


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駅ホームからの転落防止に赤外線センサーのさらなる活用はどうだろうか

2011-04-15 07:15:39 | Weblog



 駅ホームからの転落事故が跡を絶たないようだ。4月12日夜も大阪市営地下鉄御堂筋線の駅で50歳前後の男性のうちの一人がホームから転落して電車にはねられ死亡、一人がホームから線路を覗き込んでいて電車に接触、意識不明の重態となったとマスコミが報じていた。

 意識不明の重体者はその後どうなったのか。二人の男性がホーム端で揉み合っている姿が監視カメラの映像に残っていたというが、警察はその二人かどうか確認中とのこと。

 次ぎの記事は車椅子が転落して死亡した事故について報じている。《車いす女性転落死、安全対策怠った容疑で元駅長書類送検》asahi.com/2011年4月14日13時43分)

 2009年9月13日午後4時半頃、東京都大田区の東急東横線多摩川駅で当時81歳の車椅子の女性がホームから転落死した事故で警視庁は14日、元駅長(52)を業務上過失致死容疑で書類送検したと報じている。

 ホームが内側にカーブしていて、電車が停車するとき内側に当たる乗降口側が傾いて低くなるためにホームの高さと乗降口のステップの高さとの段差をなくす工夫からホーム自体を逆に外側に傾斜をつけてあったという。

 それが標準の3倍近い約2.9%の傾斜があった。女性は2階ホームでエレベーターを降りた後、自然に動き出して車椅子ごと約1.2メートル下の線路に転落し、翌日死亡した。

 「MSN産経」には、〈女性は付き添いの長女とともに散歩をした後で、長女が車いすから手を離したところ、傾斜を下り出して約4・5メートル先の線路に転落した。〉と書いてある。

 まさか不注意を装った殺人ではあるまい。

 このホームでは07年9月にも別の高齢女性が車椅子ごと転落し腕を骨折する事故があったと記事は書いている。元駅長はその当時の駅責任者で、警視庁から傾斜の問題を指摘されていたにも関わらず、注意喚起のための張り紙や部下への指示、柵設置などの対策を取らなかったことが業務上過失致死容疑の書類送検の理由となった。

 元駅長「再発防止策を取らなかったことを深く反省している」

 東急電鉄「捜査に全面的に協力し、今後とも公共交通事業者として、より一層の安全確保に努めます」

 公共交通事業者は電車やバス等の乗り物に乗っている人間の安全を預かるだけではなく、ホーム等の乗り場にいる人間の安全も預かっているはずだが、ともすると乗客中の安全配慮に傾き勝ちなのではないだろうか。

 あるいはバスや電車が乗り場に出入りする際のみの安全喚起に努めるといった傾向にはないだろうか。

 一方に重点を置いた場合、もう片方が疎かになって手落ちが生じる。

 少なくとも手落ちが事故を誘発し、反省を後からついてまわらせる。

 警察が会社側の責任を問わなかったのは07年の事故に関して元駅長の報告が不十分で本社が実態を把握できていなかったため過失は問えないと判断したと書いてあるが、この両者の関係から浮かんでくることは会社側が元駅長の報告のみで済ませていたことと会社側から事故調査を徹底的に行わなかった姿である。

 だから元駅長の報告が不十分であることを許し、結果として会社側は実態を把握することができなかった。実態を把握できていなかったこと自体が問題であるはずだが、そのことは不問に付せられた。

 会社がそんな姿勢だから、「捜査に全面的に協力し」云々と役所的な紋切り型のことしか言うことができない。

 駅ホームは特に視覚障害者にとって危険な箇所となっている。《全盲障害者3分の2が転落経験」 後絶たぬホーム転落》MSN産経/2011.4.14 02:00)

 冒頭、〈車いす利用者や視覚障害者が駅ホームから転落する事故が後を絶たない。障害者団体は転落防止柵や可動式ホームドアの必要性を訴え続けているが、整備が遅れているのが現状だ。〉と記事は書いている。

 昨年度、ホームから転落して列車と接触する事故(自殺は除く)は全国で約60件発生。

 利用者が1日5千人以上の約2800駅に対して可動式ホームドアが設置されているのは約500駅のみ。約18%の僅かな設置率にとどまっている。

 全日本視覚障害者協議会の山城完治氏(54歳)「全盲の障害者約70人のアンケートで、約3分の2がホームから転落した経験があるとの調査結果もある。国は具体的な目標を定めて設置を進めてほしい」」

 最善の防止策だが、コストの関係からだろう、設置率が低い可動式ホームドア以外にどんな転落防止策があるのか「Wikipedia」を覗いてみた。

赤外線検知方式

 プラットホームの柵と光センサーを利用した「ホームセンサー」によって転落防止を図る例がある。また、赤外線を使用した障害物検知装置が設置されている例もある。

これは、プラットホーム上の列車停車位置の先頭と末端および連結部の白線上に赤外線発射装置と受光器を設置し、列車の入線・発車時に白線より外側に出ているものを検知して、自動的に列車にブレーキをかけたり、発車ができないようにするものである。

その他

 上記のほか、プラットホームにおける安全対策としては、以下のようなものがある。
 非常通報ボタンの整備:転落などに気づいた乗客が押し、乗務員や駅員に知らせると共に列車の入線や発車を止める。

 退避スペースの設置:転落した際の退避スペースをプラットホーム下に設ける。

 線路脱出ステップの設置:線路に転落しても昇りやすいよう、プラットホーム側壁に昇降ステップを設けたもの。

 転落検知マットの設置:特に急カーブ上にホームがある場合、プラットホーム下部の線路横に転落感知マットを設けて人が転落したことを知らせるもの。退避スペースがない箇所にあることもある。

 道床の低床化:道床を低くし、レールとの間に空間をあけ、転落者を道床に落として轢断しにくくする。ロンドンの地下鉄などで採用されている。

 転落事故や接触事故を防ぐ目的で大規模駅やカーブによりホームと車両の間に隙間がある駅では、視覚的にわかるように列車が接近する際にホームに設置された発光部やパトライトが光るようになっている場合がある。

 東京地下鉄では、転落事故の防止のためにホームドアが設置されている駅で、電車が到着すると同時に、ホーム先端部の可動ステップがのび、ホームと電車の間の隙間を極力減らすようになっている。〉――

 〈転落事故や接触事故を防ぐ目的で大規模駅やカーブによりホームと車両の間に隙間がある駅では、視覚的にわかるように列車が接近する際にホームに設置された発光部やパトライトが光るようになっている場合がある。〉は全盲といった視覚障害者に殆んど役に立たない。

 プラットホームへの電車の出入りの際にはマイクを使って音声で注意を促すが、それ以外は音で注意、もしくは警告を発する方法はないようである。

 また、〈プラットホーム上の列車停車位置の先頭と末端および連結部の白線上に赤外線発射装置と受光器を設置し、列車の入線・発車時に白線より外側に出ているものを検知して、自動的に列車にブレーキをかけたり、発車ができないようにするもの〉としている赤外線検知センサーは、説明からのみ解釈すると、電車の入車・発車の際のみの作動となっているようである。

 赤外線検知センサーのさらなる活用として二種類の目的を持たせた赤外線検知センサーを設置したらどうだろうか。一つはプラットホーム上の白線の外側、線路側の端までの間のどの場所にも人間が立った場合、電車が停車中を除いて常に感知できるように設置する。

 もう一種類は線路に転落した物体を検知できるように設置する。

 二種類とも検知と同時に検知音が出るように連動させる。映画やテレビドラマで宝石店や銀行に侵入した強盗が赤外線センサーに触れると火災報知機が発するような音を出すようにである。

 検知音は銀行や宝石店の検知音が警察やセキュリティー会社に通じているように駅員の控え室に通じさせておく。

 白線の外側に設置した赤外線検知センサーの場合、電車が停車中以外はそこに立つと警告音を発することになるから、電車がホームにいない間は常にそこに立ち入ることができなくなる。停車中以外は立ち入り禁止とするということである。視覚障害者にしても、警告音によって自分が白線の外側に立っていることを知ることができるはずである。

 聴覚障害者の場合は、警告音が聞こえないことから普通の顔をしていつまで立っていることになるから、誰かが手でここにいてはダメだと合図して、白線の内側に誘導することができることになる。

 最初の記事が伝えているように何かいさいかいがあって揉み合ううちに白線の外に出ても、本人たちが白線の外側に立ち入ったことを気づくか、例えホームから転落することがあっても、白線の外側に立ち入った時点で警告音で以て他の乗客や駅員にも知らせているから、早いうちに救助等に取り掛かることができることになる。 

 次にホームから転落した場合に検知する赤外線検知センサーはタバコの吸殻を投げ捨てても検知し、検知音を鳴らす程に精密に設置したなら、吸殻のポイ捨てはなくなるかもしれない。

 尤駅舎内が禁煙となっていたなら、吸殻を検知することはないかもしれない。

 線路内転落防止の検知センサーの検知音はホームと駅員控え室だけではなく、ホームに入車してくる電車にも、音を感知してからブレーキをかけてホーム手前で停止できる距離よりも長く取った距離から知らせることができるように運転席と車掌室、さらに客車のすべてに設置する。

 運転手は直ちに急ブレーキをかけることになる。この警告音が鳴ったなら、ホームから何かが転落したことを知らせる警告音だと周知徹底、学習させていたなら、乗客は警告音がなると同時に電車がブレーキをかけることを察知することになるから、無防備な状態で将棋倒しになることを僅かながらでも防止し、身構える時間を与え、客の安全につながる可能性も生じる。

 走行中の電車で前以て、これは訓練ですと警告音を鳴らすのも学習効果を上げる方法となり得る。

 ホームからの転落に対して、運転手がホーム手前で目視で確認するよりも、転落と同時に赤外線センサーで検知、警告音で運転席に知らされたなら、より早くブレーキ動作に入ることができる。

 但し転落が電車がホームに入る間近の出来事であるなら、その限りではないことになる。

 コストの関係から、可動式ホームドアの設置が遅れている。可動式ホームドアの設置までの暫定措置として、それ程コストがかからないはずの警告音と連動させた二種類の赤外線検知センサーの設置を進めたらどうだろうか。

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菅首相の「原発周辺10年、20年住めない」発言の真偽を解く

2011-04-14 10:27:12 | Weblog

 

 菅仮免が昨4月13日、松本健一内閣官房参与と東日本大震災の復興について意見交換したとマスコミが報道。松本参与は意見交換後の即席のだろう、記者会見で、菅首相が今後とも放射能汚染の危険性を抱えているということからだと思うが、原発周辺地域は10年、20年住めないと発言したことを明らかにしたということで、被災住民にとっては大問題となることだから、物議を醸している。

 菅仮免は13日夕方、その発言を記者団に否定。発言の真偽が問題となった。

 菅仮免「私が言ったわけではありません」(asahi.com

 私はウソつきではありません、言わないことは言わないんですと内心イラッとしていたかどうかは窺い知ることはできない。

 あるいはここは言わなかったで押し通さないと、大変なことになるぞ。ただでさえ立場を悪くしているところへ持ってきて、言ったことがバレたら、命取りになりかねないぞと自身を戒めていたかどうかも窺い知ることはできない。

 菅仮免はとっくの昔にオオカミ首相の地位を確保していて、その発言が例え事実を言っていたとしても、既に信用されない人物と看做される名誉を担うようになっている。野党時代、沖縄に米海兵隊は要らない、米本土に帰って貰うと言っていながら、首相になると途端に変節、信念の軽やかさを証明、当然発言の信用性を失うこととなった。

 簡単に言うと、ウソつきなのである。短気で、すぐにイライラし、怒り出すから、イラ菅という尊称を賜っているが、ウソ菅こそが本質と見るべきではないだろうか。

 松本健一参与の菅仮免との意見交換後の記者会見の発言要旨と、その訂正発言の要旨を、《松本参与の発言要旨》時事ドットコム/2011/04/13-19:39)が伝えている。

 【1度目の説明】

 松本参与「(福島第1原発から)放射能が漏れ続け、土地が汚染され続けると、復興をそこで考えることはできない。そこの人々は当面戻ることができないので、新しい都市を内陸部につくって、5万人とか10万人とかの規模のエコタウンをつくるという復興の方向があるだろうと(首相に)申し上げた。

 原発の周囲30キロ辺り、場合によっては飯舘村のように30キロ以上のところもあるが、そこには当面住めないだろう。10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくる。そういう人々を住まわせる都市を、エコタウンを考えなければならないということを(首相は)言っていた。

 その場合には、市の中心部はドイツの田園都市をモデルにしながら再建を考えなければならないということも言っていた。岩手県陸前高田市には1本だけ残った松がある。ああいうものも復興の元気を出す力にしたいともおっしゃった」

 【2度目の説明】

 松本参与「(「20年住めない」との発言は)私の発言だ。首相は私と同じように臆測(認識)しているかもしれないが、首相は言っていないということだ。首相から『俺はそういうことは言ってないよ』と電話があった。エコタウンについては、首相はその方向性だと言っている」――

 松本なる内閣官房参与がトどんな人物か、「Wikipedia」で調べてみた。

 〈群馬県生まれ。1968年、東京大学経済学部卒業、旭硝子勤務、翌年退職し法政大学大学院で近代日本文学を専攻。1971年、評伝『若き北一輝』で注目される。1974年、博士課程修了、在野の評論家、歴史家として執筆を続ける。1983年、中国・日本語研修センター教授。1994年、麗澤大学経済学部教授。2009年より、麗澤大学比較文明文化研究センター所長。

 2010年10月、仙谷由人官房長官が内閣官房参与に任命した

 穏健な保守派と称している。〉

 菅首相が4月1日の記者会見で、被災地域住民を元の場所に住まわせるのではなく、「山を削って高台に住むところを置き、そして海岸沿いに水産業、漁港などまでは通勤する。更には地域で植物、バイオマスを使った地域暖房を完備したエコタウンをつくる。そこで福祉都市としての性格も持たせる。そうした世界で1つのモデルになるような新たな町づくりを是非、目指してまいりたいと思っております」と発言した、いわば高台式ニューエコタウンは元々は松本参与の構想だと「毎日jp」が伝えている。

 まあ、菅首相自身が思いつくアイディアではなく、借り物の発想ではないだろうかとは思っていた。思いついたとしたら、合理的判断能力の欠如と二律背反を構成する創造力ということになる。

 この高台式、津波の浸水面積は山手線内側の6倍 400平方キロにも及ぶということだから、例え津波の浸水地域であったとしても家屋が倒壊、あるいは流出しなかった地域と農地を差引いた被害の大きかった地域のみを高台に移すとしても、あるいはさらに差引いて、被災地宮城県・岩手県・福島県の3自治体のうちの沿岸部の都市のすべてに限定したとしても、財源的に追いつくのだろうか。

 大船渡市も高台に移す都市計画を考えている。《大船渡市、低地の住宅を高台に移す計画 首相に支援要請》asahi.com/2011年3月26日22時54分)

 岩手県大船渡市の戸田公明市長が3月26日、菅仮免に電話、津波で甚大な被害があった低地の木造住宅を高台に移す計画を伝え、その実現に支援を要望、そのことを電話後の記者会見で明らかにしたという。

 だが、家屋を失った被災住民からしたら、新しい土地を購入し、新しい家を建てるのは新たな負担となる。それを避けるために大船渡市は低地の住宅跡地を市が買い取る予定だと言う。

 買い取り財源のうち、国からの補助を当てにしているだろうが、その資金だけではなく、高台に造成したニュータウンには電気・ガス・水道・下水道等のライフラインを新たに設置、学校、病院等を建設するとしたら、その資金も膨大な金額となって、バカにはならない。

 記事も、〈法的な制約や財源の措置などハードルは高い。〉と書いているが、法律面は改正できても、資金的な実現可能性は簡単には解決できない問題であろう。

 改めて松本参与の最初の発言。

 「原発の周囲30キロ辺り、場合によっては飯舘村のように30キロ以上のところもあるが、そこには当面住めないだろう。10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくる。そういう人々を住まわせる都市を、エコタウンを考えなければならないということを(首相は)言っていた」

 訂正発言。

 「(「20年住めない」との発言は)私の発言だ。首相は私と同じように臆測(認識)しているかもしれないが、首相は言っていないということだ。首相から『俺はそういうことは言ってないよ』と電話があった。エコタウンについては、首相はその方向性だと言っている」

 菅仮免と意見交換した際の菅仮免のどのような発言を基に、自身と同じように10年、20年と「そこには当面住めないだろう」と考えていると憶測したのだろうか。これこれこういう発言があった。その発言を根拠に10年、20年住めないと菅仮免も考えていると憶測してしまったとする説明がないと、俄かにはハイ、そうですかと引き下がるわけにはいかない。

 地元住民や近隣住民は不安を抱えて、今後どうなるのだろうかと見守っているのである。10年、20年も住めないのか、あるいは1年以内に自分の住む街、自宅に戻って今までどおりの生活を取り戻すことができるのかどうかは、それぞれの生活がかかった抜き差しならない非常に重大な問題である。

 その切実さを菅首相も松本参与も実感的に理解しているのだろうか。

 もし松本参与が10年、20年住めないだろうは自分の考えであって、菅首相も同じ考えでいるに違いないと根拠もなく憶測し、憶測したことをさも菅首相の発言だとして記者会見で喋ったとしたら、その無責任な態度は余りにも軽薄であるというだけではなく、被災住民の今後の生活の行く末えを思う切実な不安を理解しない発言となって、内閣参与の資格を失う。

 10年、20年住めないが首相も考えていたことなのかの真偽を解く一つのカギは、例え元々は松本参与の構想ではあっても、共感してのことに違いない、「エコタウンについては、首相はその方向性だと言っている」の一言にある。

 津波に襲われて家屋が倒壊、あるいは流出し、多くの人命を失った地域に関して高台にニュータウンを建設、そこに住民が移住するという新都市構想は再び地震が起きて津波が発生、再度の被害が予想されるという危険性を以って、あるいは理由付けを以って正当性を持ち得るが、放射能流出を原因とした退避圏内や自主避難圏内も津波に襲われた地域はあるが、それを除いて「飯舘村のように30キロ以上のところ」まで含めた地域の住民のための高台ニュータウン建設とそのニュータウンへの住民の移住に正当性を求めるとしたら、再度の津波の襲来以外にどのような理由付け、あるいは危険性を以ってしたら妥当性を得ることができるのだろうか。

 短期間の内に原発事故が収束、放射能問題にしても片付くとしたなら、いわば今ある危険性が除去されたなら、少なくとも津波が襲わなかった地域の住民はそれぞれの街、それぞれ自宅に戻って元の生活を再開できて、彼らに対する新都市建設は正当性を失う。

 と言うことは、放射能避難生活者のためのニュータウン構想は原発周辺30キロ、あるいは30キロ以上の地域は10年、20年住めないという危険性、あるいは理由付けなくして正当性を得ることはできないことになる。

 菅仮免はエコタウン構想が自身の頭にもあった。当然、原発周辺30キロ、あるいは30キロ以上の地域は10年、20年住めないという認識も頭にあったとしなければ、エコタウン構想の共感に至るプロセスとの整合性を失うことになる。

 松本参与の「首相は言っていない」は不用意発言として批判されることを避けるための菅仮免と松本参与が組んで行った情報操作であって、実際は「首相は言っていた」が事実となる。

 菅仮免自身が松本参与に電話して、「俺はそういうことは言ってないよ」をウソだとすることができる参考記事がある。《「廃炉・除染に最長100年」 英科学誌に専門家ら》asahi.com/2011年4月13日11時41分) 

 米スリーマイル島(TMI)原子力発電所事故を経験した専門家らの見方を11日付の英科学誌ネイチャー電子版が載せているという。

 〈福島第一原発の建設の一部を請け負った東芝による「10年程度」という廃炉計画について、米スリーマイル島(TMI)処理の経験者は「福島第一原発でははるかに時間がかかるだろう」〉との見方を示しているという。

 根拠は、〈原子炉が安定しておらず、さらに放射性物質が大量に放出される可能性も残っているから〉

 米スリーマイル島を〈経験した別の技術者は、福島第一原発で採用されている沸騰水型炉(BWR)は「配管や弁などが密集している」と指摘。TMIより作業が難しくなる可能性を示唆〉――
 さらに、〈旧ソ連・チェルノブイリ原発では事故から約80年後に当たる2065年まで除染が行われる予定〉と書いているという。

 経済産業省原子力安全・保安院は4月12日午前、福島第1原発事故の評価を1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故と並ぶ最悪の「レベル7」(深刻な事故)に引き上げた。

 この福島原発事故のレベル7に引き上げた危険性と英科学誌ネイチャー電子版に記載された「廃炉・除染に最長100年」に基づくなら、10年、20年住めないもニューエコタウンの建設も当然の帰結となる。

 但し、4月12日午後6時からの菅仮免記者会見では、「現在の福島第一原子力発電所の原子炉は、一歩一歩安定化に向かっておりまして、放射性物質の放出も減少傾向にあります」とレベル引き上げに反することを言っているが、このことは廃炉・除染とは別問題であろう。

 同じ記者会見で「やらなければいけないことについては、私はしっかりとやってきた」と事実に反する自負に浸っているが、「一歩一歩安定化に向かっておりまして」にしても菅仮免が自身の体質としている責任回避意識から成果としたい願望が言わしめた可能性を疑うことができる。

 悪い頭をひねってのことだが、「原発周辺10年、20年住めない」はどちらかが先に言って、他の一方が同じ考えだと同感した関係からのものであろうとも、菅首相も言葉の形でいつでも口にすることができるまでに認識していた、あるいは実際に口にした「原発周辺10年、20年住めない」だったと断ぜざるを得ない。

 発言否定は批判回避のために松本参与共々情報操作をやらかしたということであろう。


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菅首相は記者会見で言っているように果して「人命の救済」を尽くしたと言えるのか

2011-04-13 11:37:58 | Weblog
  



 本免許に辞任するまでとても到達できそうもない菅仮免許首相が昨夕(2011年4月12日 6時頃)震災1カ月を機に記者会見を行った。動画とテキスト版が《首相官邸HP》に掲載されている。 

 冒頭発言は前以ていいことを並べて原稿に書いてあるとおりのことを読み上げていく形式で発言するだけだから、力強い明快な話し方で流暢に進めていくことができたが、記者との質疑応答になると、途端に力強さも滑らかさも失い、次の言葉を探し探しのたどたどしい話し方となった。動画ではよく分からないが、NHKの生中継では質疑応答に入ると目が一段と涙目となったような弱々しさを漂わせて、力強い毅然とした目の色をどこからも窺うことはできなかった。

 この様子だけを取っても、指導者という的確な印象を見ることはできなかったし、当然指導力等の何がしかのパワーの漲りは伝わってこず、悪く言うと、自信なげで、どことなくオドオドさえしているように見えさえした。

 ここでは冒頭発言の中で述べた言葉、「人命の救済」について考えてみたいと思う。

 菅仮免「さて、1か月が経過して、いよいよこれから『人命の救済』、そして救援から、復旧、復興へと歩みを進めてまいらなければなりません。それに当たって、これまで大きな震災によって亡くなられた皆さんに、改めて哀悼の誠をささげますとともに、その御家族や被災された皆さんに、心からのお悔やみとお見舞いを改めて申し上げたいと思います。

 大震災発生直後に、私はまず『人命の救済』を考え、自衛隊に出動を命じました。以来、自衛隊は10万人の態勢をもって人命の救出、更には復旧、復興に向けて全力を挙げてくれております。自衛隊の最高司令官として、本当に惜しみのない自衛官の皆さんの活動に対して、誇りと思うとともに、一人ひとりの隊員に対して心から感謝を申し上げたいと思います。

 要するに「人命の救済」も救援も終了した、これから「復旧、復興へと歩みを進めて」いかなければならないと宣言している。

 この宣言からして、菅仮免許は「人命の救済」という言葉を一定の空間に閉じ込められ、孤立していた人間に対する物理的な救出に当てていることが分かる。

 単に物理的救出を以って「人命の救済」と言っているということである。

 いわば「人命の救出」、あるいは「救援」を以って「人命の救済」に代えている。

 その思い込みがあるから、地震発生2日後の3月13日(2011年)の国民向けメッセージで、「昨日に続いて今日一日、人命の救出に全力を挙げてまいりました。これまで自衛隊や警察、消防、海上保安庁あるいは外国からの支援も含めて、約1万2000名の方を救うことができました」と救出人数を誇り、3月21日午後開催の緊急災害対策本部と原子力災害対策本部合同会議の冒頭挨拶で、「今朝の報告では、2万6650名の皆さんを、自衛隊はじめ、多くの機関で救助することができたました」と物理的救出とその人数に重点を置き、3月20日の防衛大学校卒業式首相訓示では、「この大災害に直面し、自衛隊は全組織をあげて、過去にない規模で救援活動・支援活動を展開しています。孤立した人々を救出し、支援物資を運び、原子力発電所に命がけで放水をする。私はまずもって、危険を顧みず、死力を尽くして活動を続ける自衛隊員諸君を誇りに思うとともに、彼らを支える御家族の皆様に心からの敬意を表したいと思います」と、やはり物理的救出を以って自らの主要な義務と責任だとしている。

 勿論、こうした物理的救出も重要ではあるが、物理的救出に限定しているところに一国のリーダーとしての合理的判断能力、資格が問われることになる。

 なぜなら、こういった発想には、言葉に現れている菅仮免の思想にはと大袈裟に言ってもいいが、死から命からがら逃れ得て心身共に不安な困窮状態に置かれた避難被災者に対する「人命の救済」の視点が一切欠けているからだ。

 自衛隊が何万人救出しようと、以前ブログに書いたことだが、その殆んどが目に見える場所に目に見える存在として孤立しながら救助を待っていた被災者をヘリコプター等で救出したということであって、それさえもできなければ自衛隊としての存在意義・存在理由を失う。

 いわば救出して当たり前のことであり、当たり前のことを人数を挙げて誇り、自らの義務と責任を果たしたかのように言う。

 そのような見当違いの感覚を一国の首相が持っていることが問題なのである。

 「人命の救済」とは物理的救出のみを言うのではなく、死から逃れて困難な状況で生き永らえている命をその困難な状況を一刻も早く取り払い、心身共に人間として正常な姿に回復させ、維持することも「人命の救済」に当たるはずだ。

 当然、避難所に避難した被災者、あるいは自宅であっても、道路決壊、ライフライン決壊によって孤立した被災者の生き永らえている命を飢えや寒さ、病気から守り、心身の健康を保全する支援策を尽くす義務と責任を果してこそ、孤立した場所からの物理的救出と併せて初めて「人命の救済」と言える。

 もし周囲一面水が出た状態のビルの屋上に孤立した状況で取り残された被災者を自衛隊のヘリコプターが救出、避難所に送り届けたとしても、その避難所で食料が不足し、身体を温める暖房器具も暖房衣類・寝具といった物も不足していて、風邪を引いてもクスリ一つない非人間的な状況で寒さに震えながら人心地もなく何日、何十日となく送らされたなら、「人命の救済」を果たしたと言えるだろうか。

 それとも命を助けられただけでも感謝しろと言うのだろうか。もし物理的に人命を救出しただけの状態で非人間的な状況に放置するとしたら、決して文明国家とは言えないはずだ。

 菅仮免は 「人命の救済」を人命の物理的救出のみで終わらせているから、今回の記者会見でも、これまでと同様に被災者救済の視点を欠くことになる。

 このような視点の欠如が菅仮免に元々の資質としてあったからこそ、支援物資の配布の遅れやばらつきといった対応遅れの成果を結果としたに違いない。

 「これまで大きな震災によって亡くなられた皆さんに、改めて哀悼の誠をささげますとともに、その御家族や被災された皆さんに、心からのお悔やみとお見舞いを改めて申し上げたいと思います」とは言っているが、支援対応の遅れによって被災者の多くを長いこと非人間的状況下に放置していたことへの言及も反省も一切ない。

 一切ないからこそ、「人命の救済」も救援も終了した、復旧、復興の段階に入ったと言えるのだろう。

 多分、自己防衛本能から支援の不備・不足を無意識に補う気持が働いて、「人命の救済」を物理的救出のみに代え、一国のリーダーとしての責任をさも果たしたかのように見せかけたのかもしれない。

 断っておくが、復旧・復興も「人命の救済」の要素は含まれている。決して欠かせてはならない要素であろう。

 それが復興によって生み出される社会の姿について挙げた3つの考え方のうちの一つである、「人にやさしい、特に弱い人に対してやさしい社会」への復興に表現されている。

 だが、菅仮免は「人命の救済」を物理的救出のみと解釈しているから、復旧・復興も「人命の救済」の要素を含んでいるとする認識を持たずに言っているに過ぎないことになる。

 情けないリーダーだ。

 記者が原子力事故をも含めた震災状況下で「政治だけがなかなか動いていない状態だと思われます」と発言したことに対して、放射能避難者も含めた被災者支援が満足に機能しなかったし、現在も機能していないことを棚に上げて、法律に基づく2つの対策本部をつくった、いち早く自衛隊に出動を命令したと、そのことを以って「やらなければいけないことについては、私はしっかりとやってきた」と自負することができるのだろう。

 立ち上げた対策本部が具体的・実践的に機能したかどうか、出動命令を下した自衛隊が被災者支援に満足のいく形で機能したかどうかまでの視点が全然働いていない。

 「人命の救済」を以上のように広い意味で把えると、「人命の救済」は「国民の生命・財産を守る」安全保障も入ることになる。

 いや、入れなければならない。「救済」という語を『大辞林』(三省堂)で見てみると、「困っている人を助けること」、「人を不幸な状態から解放し、幸福を与えること」とある。心身共に人間らしい十全な生命(いのち)を保障してこそ、「人命の救済」と言えるし、「国民の生命・財産を守る」とする国家の約束事を果たしたと言える。

 災害救済に於いて、このよう心身共に人間らしい十全な生命(いのち)を保障する「人命の救済」の段階を果して終えてこそ、初めて復旧、復興の段階に入ることができ、また復旧、復興の段階を「人命の救済」の要素を持たせてより十全な内容で推移させることができるはずだ。

 初期の段階での「人命の救済」を満足に指導することができなかった一国のリーダーが復旧・復興の段階に於いても満足な指導力の発揮は期待しようがない。

 当然、「国民の生命・財産を守る」義務と責任を満足に果たすことはできないことになる。

 第一段階の「人命の救済」が孤立状態からの被災者の物理的救出と避難所に逃れた被災者に避難所という限定された空間で心身共に人間らしい生活を可能な限り送ることができる状況に持っていく生活支援であるなら、第二段階の「人命の救済」はさらに一歩進めてプライバシーが確保でき心身の健康を自ら管理できる生活支援となる仮設住宅への入居を迅速に推進し、完遂させることであろう。

 このことを以ってして、「人命の救済」と共に第二段階での「国民の生命・財産を守る」安全保障を政府はどうにか果たしたと言える。

 残るは雇用の保障、あるいは生活の保障ということになる。

 だが、《“2万6000戸 用地確保”》NHK/2011年4月12日 12時17分)をみると、仮設住宅への入居は決して満足な状態で推移しているとは見えない。

 岩手・宮城・福島の3県で必要とされる仮設住宅は6万2000戸。

 4月11日までに着工したか着工が決まったのは1万戸余り。残り約5万戸以上。

 昨4月12日の閣議後記者会見で大畠国交相が、岩手・宮城・福島の3県で必要な6万2000戸の仮設住宅のうち、岩手県で1万2000戸、宮城県で1万戸、福島県で4000戸の合わせて2万6000戸分の用地を確保するめどがついたことを明らかにしたという。

 残りはまだ3万6000戸となる。

 大畠国交相「被災地の自治体では仮設住宅の建設用地の選定などを行う人手が不足している状況もあるので、国土交通省から職員を派遣するなどして用地の確保に全力を挙げたい」

 市役所や町役場等が津波に襲われて職員に死者を出し、尚且つ被災者対策に人手を取られていて、職員不足は当初から言われていたのである。それをさも最近の状況であるかのように言い、これから職員を派遣することとしている対応遅れを何とも思っていない。

 リーダーである菅首相がそうだから、閣僚も似てくるのだろうか。

 昨日のブログで「NHK」記事を引用して、次のように書いた。 

 〈NHKが津波で住宅が被害を受けるなどした宮城、岩手、福島の37市町村を対象にした調査。

 7自治体が既に用地を確保ができた。

 14自治体が来月までには確保したい。

 6自治体が夏以降から年内までに。

 9自治体が、「見通しが立たない」、あるいは「分からない」。〉――

 かくまでも「人命の救済」は遅れているのである。人間らしい状況での「国民の生命・財産を守る」ところまでいっていない。

 だが、菅仮免許はそんなことはお構いなしに記者との質疑応答でも自分で「人命の救済」と言っておきながら、その視点を欠いた発言を平気で行っている。

 阿比留記者「産経の阿比留です

 先ほど総理は、辞任をする選択肢はあるのかという時事通信さんの質問にお答えになりませんでしたが、現実問題として、与野党協議にしても最大の障害になっているのが総理の存在であり、後手後手に回った震災対応でも総理の存在自体が国民にとっての不安材料になっていると思います。一体、何のためにその地位にしがみ付いていらっしゃるのか、お考えをお聞かせください」

 菅仮免「阿比留さんの物の考え方がそうだということと、私が客観的にそうだということは必ずしも一致しないと思っています。先ほど来、申し上げていますように、震災が発生して、即座に自衛隊の出動をお願いし、多くの方を救済いただきました。また原子力事故に対しても、大変な事故でありますから、それに対してしっかりとした態勢を組んで、全力を挙げて取り組んできているところでありまして、私とあなたとの見方はかなり違っているとしか申し上げようがありません」――

 記者は後手後手に回った震災対応は首相の存在自体に問題があるのではないのかと大胆にも聞いた。だが、菅仮免は第二段階の、第一段階よりもさらに一段進んだ「人命の救済」となり得る仮設住宅の入居が必ずしもスムーズに進んでいないにも関わらず、その点を抜いてこれまでと同様に自衛隊の出動による目に見える場所に目に見える存在として孤立しながら救助を待っていた被災者の救出を以って「救済」だとし、第二段階の「人命の救済」の不備・不足、対応遅れに、そのことへの視点を欠いているために何ら恥じないでいる。

 首相の存在自体に問題があるとした記者の質問は多くの国民、識者の声を代表する発言だと思うが、その質問に対して、「私とあなたとの見方はかなり違っているとしか申し上げようがありません」と言っているが、その合理性に関しての一つの答となる記事がある。

 《「政府の震災対応は後手」 同友会代表幹事が懸念》MSN産経/2011.4.12 15:54)

 経済同友会の桜井正光代表幹事の昨4月12日の記者会見。東日本大震災発生から1カ月間の政府の対応について次のように発言している。

 桜井代表幹事「避難民救済や原発事故などをみると、かなり後手後手に回っている。復興に対する国の方針ができていない」

 非常時に於けるリーダー論。

 桜井代表幹事「民意をつかむだけでなく、政策の優先順位を決めて迅速に執行し、分かりやすく情報を発信する能力が必要だ。いまの政権には不足している」

 政府の「復興構想会議」について。

 桜井代表幹事「一番大事なのは会議の提案を予算化し、省庁縦割りではなく優先順位をつけ確実に執行することだ。それができるかどうか。大変心配だ」

 以下略。

 なぜMSN産経の記者は菅仮免に桜井代表幹事はこう言っていたが、国民の多くの声を代弁した発言ではないのかと聞かなかったのだろう。

 もし質問していたなら、菅仮免は「私と桜井代表幹事との見方はかなり違っているとしか申し上げようがありません」と果して言えただろうか。

 もし言えたとしたら、その客観的な合理的判断能力、自省能力は底なしのイカレた状態にあるとしか言いようがない。

 避難所の雑居房とも言えるプライバシーのない空間に暮らす多くの被災者は「人命の救済」が心底実感できる仮設住宅の入居を心待ちにしているはずだ。

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菅内閣が言う自粛云々よりも肝心なこと、仮設住宅の充足

2011-04-12 11:15:06 | Weblog

 

 昨4月11日(2011年)午後6時頃から予定していた菅首相の記者会見は震度6弱の余震のため今夕に延期した。記者から統一地方選の民主党惨敗や党内菅降し等々の神経に障ること間違いなしの質問が1日でも伸びて少なからずホッとしたのではないだろうか。

 この記者会見では震災がもたらした多くの死者や行方不明者を思い遣り、さらに家族や親族、知人に死者や行方不明者を抱えて避難所生活を送る被災者の悲しみや心痛、生活上の困難や不安を思い遣って、あるいは原発事故による放射能漏れから止むを得ず避難生活を強いられている避難者の不安や困難を思い遣って被災地外の各地で花見や旅行といった各種催し事や、中には結婚式まで延期するといった自粛が社会的現象化していることに対して菅首相は過度な自粛は復興の妨げになるとして通常の経済活動を行うよう国民に呼びかけることにしていたという。

 既に与党サイドから“自粛の自粛”(玄葉国家戦略相)を呼びかける発言が飛び出ていたことやマスコミも同調して、過度の自粛の弊害を訴える記事を書いていることを受けた菅首相の国民への訴えの予定だったに違いない。

 《与謝野経財相「自粛は不景気運動。普通の活動に戻る時期」》MSN産経/2011.4.8 13:44)

 4月8日の閣議後会見で閣僚懇談会で次のように述べたことを明らかにしたという。

 与謝野馨経財政担当相「自粛はみんなが不景気運動をしているみたいなもの。そろそろ普段の活動に戻るべき時期が近づいている。被災地の経済活動や暮らしに離れた方は、元の生活に戻っていただいた方がよいんじゃないかと思っている」

 記事は書いている。〈被災地に配慮した自粛をめぐっては、小売業の販売額が大きく落ち込み、経済への悪影響を懸念する声も上がっている。〉――

 与謝野も記事も余計なお世話だと言いたい。
 
 《「自粛ムードやめよう」閣僚から発言相次ぐ》asahi.com/2011年4月8日20時10分)

 〈東日本大震災で広がっている花見やイベントなどの「自粛ムード」について、菅内閣の閣僚らから見直しを求める意見が相次いだ。行きすぎると経済に悪影響が出かねない、との懸念からだ。〉――

 ここでも変節男与謝野を登場させている。同じく4月8日の閣議後の記者会見。 

 与謝野経財政担当相「自粛は経済学で言えば、みんながどんどん不景気にしているようなことだ」

 同じ記者会見の発言を取り扱っていながら、言い回しが微妙に違う。

 玄葉国家戦略相「どこかのタイミングで菅直人首相がメッセージを発する必要がある。政権として“自粛の自粛”を呼びかけるべきだ」

 記事は被災地の村井宮城県知事が午前中首相官邸に出かけて仮免首相に面会(きっと辞任するまで仮免状態に違いない)、自粛が終息に向かうよう要請したという。

 村井知事「消費が活発になるよう音頭をとってほしい」

 菅仮免「経済をしっかり回すことも含めて、全国民的に取り組んでいこうと呼びかけていきたい」

 枝野官房長官「政府として(自粛撤回を)申し上げることが適切かどうかを含めて考えなければいけない」

 玄葉国家戦略相の発言を《玄葉氏、自粛ムード歯止めに「首相はメッセージを」》MSN産経/2011.4.8 13:38)が異なった趣で伝えている。

 玄葉国家戦略相「経済有事という考え方でこの局面を考えなければならない。どこかの段階で菅直人首相はメッセージを発する必要がある。だが、原発事故が進行中だ。原発被災者の心の痛みは想像を絶することも常に考慮に入れなければならない。精神的な痛みが分かる内閣でなければならない

 震災を政権延命に利用しようとしている自己保身一辺倒の菅仮免許首相に「精神的な痛みが分かる」リーダーだとは到底思えないが、玄葉自身も、「心の痛み」を抱えている被災者を「原発被災者」のみに限定する矛盾、不公平を働らかせている。進行中なのは「原発事故」だけではなく、近親者に死者や行方不明者もいる被災者の被災生活も進行中であるはずである。

 それとも津波被災者をも含めていた発言だったが、記事は省いて報道したということだろうか。もし何ら省いていない報道だとしたら、玄葉はとても「精神的な痛みが分かる」政治家ではない証明となってしまう。

 自粛といった社会現象は永遠に続くものではない。国民にしても自粛解除のタイミングを図る時期を待っているだろうだから、首相の呼びかけはそれなりに効果はあるだろう。だが、震災前、景気回復の歩みが見え始めたと言っても、殆んどが外需の恩恵を受けた景気回復であって、政府の経済政策が個人所得の目に見える増加、このことの反映としてある個人消費の目に見える活発化を促していたわけではない。いわば菅仮免挙政府は元々経済をしっかり回すことができていたということではない。それを「経済をしっかり回すことも含めて」と、いとも簡単にできるように言う軽薄さ、言葉の軽さは相変わらずである。

 村井知事の発言は《「過度の自粛」やめるよう=被災地を元気に、首相呼び掛けへ》時事ドットコム/2011/04/09-19:02) がより詳しく取上げている。

 村井知事「被災地が元気になるためには、日本全体が元気にならなければならない。過度な自粛はやめて、消費が活発になるよう首相自ら音頭を取ってほしい」

 〈菅直人首相は、東日本大震災発生後、国内に広がる自粛ムードが経済に悪影響を及ぼしかねないことから、「過度の自粛」はやめるよう近く国民に呼び掛ける意向を固めた。政府関係者が9日、明らかにした。〉

 菅仮免「東北の産品を買ってもらえるよう声掛けしていきたい」

 この記事は逆に菅首相の発言を極々簡略化している。仮免許相応の扱いで、たいして価値を置いていないのかもしれない。

 この社会現象となった自粛の動きに対する“自粛の自粛”を促したキッカケは「花見を自粛しないで被災地の酒を消費してください」と呼びかけた動画をインターネットの動画サイトに投稿、公開したことが始まりなのだろうか。

 《“花見で被災地の酒 消費を”》NHK/2011年4月4日 21時57分)

 呼びかけ人は岩手県二戸市の創業100年超の日本酒酒造会社専務久慈浩介氏。動画題名「被災地岩手から『お花見』のお願い」。制作者久慈氏友人。動画時間2分間。登場人物久慈氏本人。閲覧回数4万回超。

 久慈氏の蔵元は建物や古い蔵の一部に被害が出たが、酒造りに大きな影響はないものの、震災で売り上げが落ち込んでいる上に首都圏を中心に花見や宴会を自粛する動きが相次いでいることに危機感を抱いたことが動機の動画投稿だと言う。

 久慈氏セリフ「のままでは、岩手は経済的な2次被害を受けてしまいます。自粛するより、お花見をしていただくほうがありがたいです」

 そして特産の酒や農作物の消費を通じた被災地への支援を呼びかけたという。

 閲覧者メッセージ「東北の酒でお花見をしたい」

 久慈氏(インタビュー)「まずは地元企業が元気になって、さらに深刻な被災地域を助けたいので、中長期的な支援をお願いしたいと思います」

 この久慈氏の動画投稿をマスコミが報じたのが4月4日。閣僚が“自粛の自粛”を呼びかけたのが4日後の4月8日。その間、既に各マスコミが自粛による経済停滞の各場面を伝えていたから、そのことを受けた閣僚の反応であり、そこで一丁オレがと菅仮免の呼びかけの予定となったのだろうか。

 久慈氏の動機は尤も至極だが、久慈氏にしても閣僚にしても、村井県知事にしても、すべて経済的理由からの“自粛の自粛”となっている。経済的理由からだけでは割り切れない自粛もあるはずだが、それを無視して、与謝野の場合は「不景気運動」だと経済的次元でのみ断定している。

 確かに経済的な現象に限るなら、相当深刻な状況に至っていることが報道からも窺うことができる。5月開催の浅草神社の三社祭や8月開催の東京湾大華火祭が早々に中止になったとか、東京銀座の高級クラブや高級寿司店は閑古鳥が鳴いているとか、各観光地のホテルはキャンセルが相次いでいるとか、一般的な飲食店でも客が減っているとか震災後急激に売り上げが落ちていることを伝えている。

 しかしこういった自粛の中にはテレビコマーシャルでも訴えていて、政府も先頭に立って音頭を取っている節電の呼びかけも影響している自粛もあるだろうし、巷間言われている復興増税も影響、風評被害からの自粛もあるはずである。

 国家権力が介入した節電の象徴的事象として、プロ野球の開幕日騒動やナイター騒動といった節電を動機とした一種の自粛の強制は各個人に外の電気に対しても協力意識を芽生えさせて、家庭で節電を心がけるだけではなく、外出を控えることで電気使用に対する自粛を促し、経済の停滞をもたらしたといった側面も無きにしも非ずであろう。

 また自治体の祭事の中には賑やかさの観点からだけではなく、電力消費量の点からも中止を選択したケースの存在も否定できないはずだ。

 最悪なのは与謝野が節電を動機として電気料金の値上げの検討を打ち出したことであろう。《“値上げ検討発言”を釈明》NHK/2011年3月26日 1時4分)

 下地国民新党幹事長「国民が困っているときに値上げの話をするのはおかしい」

 与謝野は釈明のために枝野官房長官と会談。会談での会話。

 与謝野「大量に電気を使用している家庭について、何か検討すべきだと言ったつもりで、庶民の電気料金の値上げを提案したわけではない。私の説明不足だった」

 枝野「間違った印象を国民に与えないようにしたほうがいい」

 要するに菅仮免の昨年の参院選前の消費税増税発言と同様に具体的な仕様を煮詰めもせずに生煮えの思いつきで言ったのだろう。  

 だが、ごく一般な国民からしたら、特に低所得層からしたら、いつかは来るかもしれない電気料金の値上げに備えて、いつ来るかもしれないゆえに早々に生活縮小に走ったといった例も考えることはできる。

 個人的にはたいしたことのない経済的縮小ではあっても、全体的には相当な経済縮小をもたらすはずだ。

 与謝野のガソリン価格高騰時の減税特例措置廃止発言(3月25日の)も多くの国民をして生活防衛に走らせた可能性は否定できない。

 〈減税は最低3カ月は続ける仕組みになっており、適用されれば、国と地方をあわせて3カ月分で4500億円の税収減になる〉(《ガソリン高騰時の減税特例、廃止を検討 政府・与党》 asahi.com/2011年3月30日23時11分)そうで、それを復興財源にまわすというものである。

 記事は書いている。〈この特例措置の導入は、民主党が09年の衆院選マニフェストで「暫定税率を廃止し、生活コストを引き下げる」としたのがきっかけ。財源不足のため、結局、税率を維持することになったが、価格が高騰したときには暫定税率分を減税するという「救済策」をとることで決着した経緯がある。このため、同党内には「廃止は生活者支援につながらない」との異論が出ている。 〉――
 
 さらに言うと、風評被害からの自粛もあるはずである。原発が14基もある福井県では観光地で客が減少、ホテルの予約がキャンセル続きだそうだ。

 本来的には自粛行為は純粋に主体的行為でなければならない。当然自粛行為に対しても、“自粛の自粛”行為に対しても国家権力は強制も要請もできないはずだ。原発の放射能災害を含めた被災者の不安や困窮に対する共感から発した感情共有行為なのだから、誰も止めることはできないからだ。

 これは非常に個人的な感情行為であろう。多くの国民が共通して持つことによって、自粛は社会現象化する。

 だが、中にはみなが、あるいは世間が自粛しているから、自分も自粛しないと格好がつかない、何か言われるからと、周囲に従う意味での同調行為の場合が往々にして存在する。これはごく個人的な感情共有行為と違って、非主体的行為の範疇に入る。

 この手の同調行為は常に社会的に優勢な風潮に従うことによって生じるから、その風潮が社会的優勢を失うと短時間に縮小、もしくは消滅する。菅仮免許の呼びかけはこのような同調行為から発した自粛行為には効果覿面に違いない。

 だが、何よりも問題なのは例え国家権力が“自粛の自粛”を呼びかけなくても、既に書いたように自粛は永遠に続くものではないし、例えごく個人的な主体的行為としての感情共有行為であっても、独立した個人である部分を捨てるわけではないということである。

 では、今回の震災の場合、政府が“自粛の自粛”を呼びかけなくても、自然に収まる期間はどのくらいだろうか。目安として言えることは避難所生活を送る被災者の場合は、身内に死者を抱えていた場合、親が子どもを失った、子どもが親を失ったといった場合はその悲しみや辛さは終わることのない記憶として残るだろうが、第三者から見て生活面で人並みの生活が可能となり、そのような人並みの生活姿を見たとき安心して、主体的な感情共有行為からの自粛であっても、自ずと終息に向かうのではないだろうか。

 同調行為としての自粛も、周囲の自粛の終息を見て、それに同調することによって同じく終息していく。

 避難所生活を送らざるを得ない被災者にとっての生活面での人並みの生活の確保とは避難上生活を切り上げて仮設住宅住まいができることであろう。

 放射能避難生活者の場合は、原発事故の収束であり、放射能の霧散も加わらなければならない。

 いわば政府が何よりもやるべきことは“自粛の自粛”を呼びかけることではなく、一刻も早い避難所生活者の仮設住宅への入居であり、原発事故の解決であるはずである。

 もし原発事故の解決に時間が何ヶ月も予想されるなら、放射能避難者に対する人並みの生活の確保を早急に保証することが政府のなすべきことであろう。

 確か陸前高田市の仮設住宅の入居を伝えるテレビだったと思うが、子どもたちが余程嬉しかったのか、部屋のカーテンの裏に隠れたり、手で大きくめくったりはしゃいでいた。雑居生活から逃れて、自分達だけの家として住むことができる喜びと避難所とは格段に違う部屋の新鮮さに自然と身体が反応したに違いないが、子どもたちのその姿からだけでも、どれ程に仮設住宅を必要としていたかを物語っている。

 だが、政府は両者ともやるべきことをやっているとは言えない。昨4月11日の「NHK」記事――(《仮設住宅 建設は全体の13%》NHK/
2011年4月11日 4時52分)

 国土交通省の調査で、被災地宮城県・岩手県・福島県の3自治体が要望している仮設住宅は6万2000戸。

 着工決定は全体のおよそ13%のみの約8060戸。5万4000戸の不足。

 NHKが津波で住宅が被害を受けるなどした宮城、岩手、福島の37市町村を対象にした調査。

 7自治体が既に用地を確保ができた。

 14自治体が来月までには確保したい。

 6自治体が夏以降から年内までに。

 9自治体が、「見通しが立たない」、あるいは「分からない」。

 現在でも避難所生活者は宮城・岩手・福島の3県を中心に16万人に上っているという。このことは衣食住にはそれなりに満足できても、プライバシーが保証された人並みの生活の確保が不可能な避難所生活者が今後とも万単位で続くことを意味する。

 郡山の避難所でノロウイルスに感染、60人が下痢や吐き気を催したと昨4月11日の「asahi.com」が伝えているが、プライバシーばかりか、衛生面でも人並みの生活に程遠い状態に置き去りにされる被災者を被災地外の国民はテレビで見ることになる。

 プライバシーの面でも、衛生面でも人並みの生活以下の生活を送らざるを得ない避難所生活者を一方に置いて主体的な感情共有行為から自粛を行う者にとって、簡単に自粛をやめることができるだろうか。

 NHKテレビが放送していたことだが、仮設住宅建設の費用は国が持つが、建設地確保と建設は自治体が行うことになっていて、自治体関係者の中にも犠牲者がいて、人出不足と用地難で建設どころか用地確保にまでいかない自治体が存在することを報道していた。

 被災者が等しくプライバシーが確保できて衛生面でも健康を保てる人並みの生活が確保できるようになったなら、自ずと各種自粛は収まるはずだが、菅政府は肝心なことを後回しにして自粛云々を先に持ってこようとしている。

 初期的な被災者支援でも後手後手の対応遅れを多くの場面で見せ、住宅の面から人並みも生活を保証するという肝心な場面でも対応遅れの無能を演じている。

 仮免政権だからといって、許すことはできないはずだ。


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菅首相と岡田幹事長の統一選惨敗責任回避は菅執行部のDNAと文化なのか

2011-04-11 09:08:52 | Weblog

 

 今回の統一地方選で仮免許与党民主党が結構毛だらけ、ネコ灰だらけの大惨敗を喫した。NHK記事から敗北を伝える記事題名だけを挙げて見る。いずれも4月11日付。

 対決型の3知事選 民主が全敗

 統一地方選前半戦 民主が大敗

 道府県議選 民主が選挙前下回る

 民主 道府県議会で第1党なし――

 この惨敗に選挙責任者岡田民主党幹事長はいたく責任を感じているはずだ。

 岡田幹事長「有権者の判断を真摯(しんし)に受け止め、党勢を立て直すために努力しなければならない。ただ地方の選挙なので、政権への批判だとは受け止めていない」NHK

 例え地方の選挙だとしても、中央の政権担当能力、政権運営状況を反映し、その影響を受ける。当初、首相のあまりの不人気、あまりの支持率低迷を嫌って、地方民主党議員は菅隠しを願い、菅隠しの行動に出た。初期の菅顔なし統一選ポスターはそのような地方の状況を受けた措置だったはずだ。あとから党首の顔がないポスター、首相の顔のないポスターではダメだと、顔刷りポスターを配布することになったが、どれ程の人数が菅顔入りポスターを張っただろうか。

 内閣支持率低迷も菅顔隠しポスターも、配布された顔入りポスターを張らないことも国民にとっての菅首相の不在を象徴している。中央と地方の菅不在の相互反映としてあった顔なし統一選ポスターであり、顔入りポスターのお蔵入りだったはずだ。

 この場合の不在とはそこにいないということではなく、存在感を示し得ていない状況を言うはずである。いないも同然だということであろう。

 当然、菅仮免許首相には政治的に存在感を示すことができていない責任が付き纏うことになる。

 菅首相が就任半年を、「これまでは仮免許だった」と言ったこと自体が、自らの存在感を自ら否定する言葉だった。

 岡田幹事長「震災で政府・与党はそちらに重点を置かざるを得なかった。選挙運動も自制したものとなり、知名度に劣る新人には厳しかった」YOMIURI ONLINE

 これも薄汚いこじつけ、牽強付会に過ぎない。

 震災前からの春の統一選民主党敗北は予想されていた。このことを以って菅内閣4月危機説が囁かれていた。予算関連法案が通るか通らないかで3月危機説、統一選敗北で4月危機説・・・。

 震災によって政治休戦状態となり、却って菅首相を命拾いさせた面がある。

 それぞれの危機は菅首相自らが招いた。その指導力欠如、判断能力欠如、統治能力欠如、政権運営能力欠如、与党としての主体性の欠如、発言のブレ等々が招いた。

 その反映として表に現れた成果が今回の統一選敗北である。

 菅首相の政治能力がつくり出した統一選敗北であり、また菅首相が民主党統一地方選挙対策本部の本部長を務めていた以上、さらに岡田幹事長が選対本部長代行を務めて実質的に選挙を指揮していた以上、政治的存在性欠如の責任と共に党組織拡大の面でも菅首相ばかりか、岡田幹事長にしても責任を取らなければならないはずだ。

 しかし菅首相は昨年の参院選大敗北で一度責任を何ら取っていなかった。今回も取らなかったとしたら、責任回避は菅内閣のDNAとしてあるものであり、文化として生きづいている責任構造なのだろう。




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