――朝霞公務員宿舎建設再凍結し、跡地は米軍基地に戻して、普天間飛行場の移設先にすべき――
一旦建設が凍結されたはずの朝霞公務員宿舎建設再開が国会で野党反対の追及を受け、昨30日(2011年9月)になって首相自ら現地を視察して最終判断を下すという運びとなった。
建設費105億円、13階建て2棟、850室だそうだ。家賃は新築3LDK(75平方メートル)で約4万円、駐車場月額3262円と民間相場の3分の1以下の格安と「週間ポスト」は書いている。
野党反対の理由は、〈復興のために巨額の財源が必要ななかで、新たな公務員宿舎を建設することは税金のムダ遣い〉(NHK NEWS WEB)となっている。勿論、建設中止を迫っている。
これまでの経緯を各記事から見てみる。
自民党政権下の2008年に埼玉県朝霞市の在日アメリカ軍朝霞キャンプ基地跡地に朝霞公務員宿舎は建設決定となった。だが、民主党政権となり、2009年11月に行政刷新会議の事業仕分けでムダ削除の対象となって建設凍結が決定。ところが2010年12月に建設凍結を解除、一転建設再開となり、今月(2011年9月)1日から建設着工の運びとなった。
建設ゴーの判を押したのは当時の財務大臣野田佳彦、現在の首相である。
9月26日の衆院予算委員会で、「建設のゴーサインを出したのはあなたですね」と追及されて、野田首相は次のように答弁している。
野田首相「私を含め、政務三役で決めたのは事実です」
政務三役とは大臣、副大臣、政務官の3人を言う。そのトップに位置しているのだから、最終責任者は野田財務大臣である。当然、最終決定権者は野田財務大臣だから、「政務三役で決めた」と言うのは責任回避意識を働かせた発言であろう。
だが、自ら建設凍結解除を行っておきながら、反対の声が高まってきたのを受けてのことなのだろう、昨日(9月30日)になって現地を視察して最終判断を下すという姿勢に転じた。この現地視察は建設再凍結の儀式に過ぎないに違いない。
建設の凍結解除に当っては行政刷新会議がムダ削除の対象として建設凍結の決定を下した以上、ムダではない、国益に利するとする理由があったはずだ。
ムダ削除の対象としたということは国益に利することはないと看做したということと同じ意味を取る。
この国益に利するとする理由は復興のために巨額の財源が必要だとする、同じ国益に利するための理由を以って簡単には排除できないはずだ。復興財源確保は朝霞公務員宿舎建設を再凍結させて浮く建設費を計算外に進められていたはずだし、宿舎建設の国益には公務員の労働意欲、効率的な職務、生産性向上等の期待要素が関与し、将来に亘っての国家運営に深く関係するはずだからだ。
いわば単に宿舎を提供するだけでは終わらない、公務員の労働意欲、効率的な職務、生産性向上の確保といった国益の観点から建設凍結を解除したということであろう。
家賃や駐車場料の超格安を補う入居公務員の労働意欲、効率的な職務、生産性向上等が動機づけとならなければならない。
当然、朝霞公務員宿舎建設と復興財源確保は優劣つけ難く併行させて実現させなければならない国益に相当することになって、建設維持の姿勢を貫かなければならないはずだが、貫かずに現地視察をして最終判断を下すというのだから、建設再凍結へのステップと位置づけた儀式と看做さないわけにはいかない。
問題は行政刷新会議がムダ削除の対象として建設凍結の決定を下した公務員宿舎建設の一つである朝霞公務員宿舎を野田財務大臣がどのようなムダではない、有益であるとする理由で凍結を解除、建設にゴーサインを出しかである。
ここに興味ある記事がある。《蓮舫氏、批判噴出の公務員宿舎建設認める「私が了としている」》(MSN産経/2011.9.30 12:12)
9月30日午前の記者会見。
蓮舫「(建設について)行政刷新担当相の私が了としている。説明責任は財務省にあるというのが基本的な考え方だ」
要するに野田財務大臣が建設凍結解除、建設再開にゴーサインを出した決定を行政刷新会議のメンバーの一人として了承した。
このことを裏返すと、野田財務大臣は蓮舫一人にではないだろう、民主党として一旦は事業仕分けで凍結を決定した手前、行政刷新会議の関係者はもとより、菅内閣の閣僚の了解を取ったことになる。
だがである、「行政刷新担当相の私が了としている」から、建設再開には正当性がある、「説明責任は財務省にあるというのが基本的な考え方だ」とする態度は傲慢に過ぎないのではないだろうか。
「私が了と」する以上、「了と」するだけの理由説明を受けていたはずである。当然、財務省から、あるいは当時財務大臣であった野田首相からこれこれの理由で建設を再開したいという説明があり、私なり、閣僚なりが了承したと発言するのが誠実にして懇切丁寧な説明責任となるはずだが、「説明責任は財務省にある」と説明責任を財務省に丸投げしている。
いわば「了と」した自身の判断理由を述べなければならない説明責任があるにも関わらず、それを無視して説明責任を他に転嫁したばかりか、「私が了としている」からと説明責任抜きの自己判断を絶対とする態度が傲慢だと言うわけである。
「私が正しいと言っているんだから、正しいんです」と言っているようなものである。
尤も別の記事では理由を述べている。《舫行政刷新担当相、公務員宿舎建設批判に反論「宿舎集約で財源が生まれている」》(FNN/2011/09/27 22:50)
9月27日朝の記者会見。
蓮舫「朝霞においても集約することによって、いらなくなった施設あるいは土地を売却して、財務省のあくまで試算ですけれど、10億(円)から20億(円)の余剰が生まれて、それが復興財源に回る。仕分けの結果を受けた集約、まとめをしなければこの財源は生まれていない」
記事は、〈建設凍結を求めた仕分け結果と宿舎の建設開始は矛盾しないとの認識を示した。〉と書いている。
だが、昨年12月に建設凍結を解除した時点ではまだ震災は起きていない。「10億(円)から20億(円)の余剰が生まれて、それが復興財源に回る」は後付けの理由説明であって、凍結解除の直接的な理由説明と看做すことはできない。
大体が建設費105億円が建設を中止して復興財源にまわるとしたなら、「10億(円)から20億(円)の余剰」どころか、110億、120億以上の「余剰」が復興にまわることになる。そこまで考えない意味もないこじつけの発言に過ぎない。
小賢しいばかりのこの程度の政治家だということを自ら暴露した。
但し財務省から建設凍結解除の震災とは関係のない理由説明を受けて、蓮舫が「了と」した経緯を辿ったことは理解できる。だとしても、財務省の理由説明を受けて自身が「了と」するに至った自身の判断については後付けでしかない建設費だけ、あるいは財源だけの説明責任で済ませている。
昨年12月の時点で「了と」した説明責任は無視したままである。
もし建設費だけ、あるいは財源だけの理由で「了と」したとしたら、事業仕分けの際も国益に資する必要性の有無の問題を抜きに建設費だけ、財源だけの問題で建設を凍結したことになる。
勿論、そういった選択肢もあるが、もし国益に資する必要性の問題も検討課題として凍結したと言うなら、凍結解除に於いても一旦は必要性を認めなかった国益理由を覆して改めて必要性を認めるに至った国益理由の説明責任を負ったことになるが、その点の説明はないことからすると、建設費だけの問題、財源だけの問題に矮小化した取扱いと見られても仕方がないだろう。
安住財務相も蓮舫と同じく建設凍結解除の説明責任を果たさない発言を行っている。《公務員宿舎の着工批判に反論=朝霞への集約で復興財源捻出―安住財務相》(The Wall Street Journal/
2011年 9月 26日 18:08)
この記事は[時事通信社]の記事の転載扱い。
9月26日の衆院予算委員会。
安住「全国の宿舎の廃止・集約で15%削減する方向だ。朝霞宿舎の着工だけを見て、公務員は贅沢をしてけしからんという見方にはくみしない」
15%削減の対象の一つとなった朝霞公務員宿舎建設凍結であり、その凍結解除の正当性ある説明責任を果たさずに、その説明を「公務員は贅沢をしてけしからん」の感情論にすり替えている。
記事は同じ9月26日午後の衆院予算委での野田首相の国会答弁を伝えている。
野田首相「特段変更するつもりはない」
9月26日午後の時点では凍結解除、建設再開の正当性を主張していた。
そして4日後の9月30日午後5時からの首相記者会見冒頭発言。
野田首相「朝霞の公務員住宅についてのご指摘は、私としても真摯に受け止め、近々実際に現場に行って、自分なりの考えをまとめた上で、最終的な判断をすることとしたいというふうに考えております」
質疑――
フジテレビ高田記者「フジテレビの高田ですが、先ほど冒頭の発言でもありました朝霞の公務員住宅について、視察をされるということでしたが、いつ頃どのような姿勢で臨むのかということと、あと確か国会答弁の中で、あれは震災前の判断だったということを言及していましたけれども、それを受けてまた審議の中で新たに感じたことがあって、また見直す可能性があるのか、もう一歩踏み込んだお話をお願いします」
野田首相「判断をしたのは確か昨年の暮れだったと思います。その時は全体として公務員宿舎を15%減らすなどして、様々な財政的な貢献をしていこうという全体像の中で、朝霞については、これは行政刷新会議の事業仕分けで一応凍結をするという中で、政務三役が議論を進めて欲しいというそういう見直しだったと思います。
それを踏まえて昨年12月決めました。その後に大きな震災があったわけで、そのことを踏まえて、被災者の感情とか国民感情を踏まえてこの国会で様々なご提起、ご示唆もいただきましたので、まずは9月1日から着工に向けての動きが始まったと思いますが、その進捗状況なんかを現場に見に行きながら最終的な政治判断を私がくだしたいというふうに思っております」――
政務三役共同の主導だったとしても、自身が政務三役の一員としてトップに位置しているのだから、既に触れたように最終的決定権者は野田財務大臣自身であって、最終責任者も野田財務大臣であることに変わりはないにも関わらず、政務三役を第三者に位置づけて自身を関係ない場所に置いた表現で、「凍結見直しを進めて欲しいというそういう見直しだったと思います」と言い、その結果として昨年12月に決めたことだとしている責任回避意識は一国の首相が発揮してもいい態度ではないはずだ。
このことも問題だが、もう一つの問題は最終的に「昨年12月に決めた」凍結解除の理由が首相の発言を以てしても不明であり、説明責任を果たしていないということである。
もし2009年11月の行政刷新会議事業仕分けで労働意欲や生産性向上の動機づけといった国益からの観点は無視して、財源捻出の観点からのみムダだと判定して凍結としたなら、いわば贅沢だと看做す判断からの凍結だったとしたら、その凍結解除は国益とまでいかなくても、ムダや贅沢を上回る有益性の理由づけがなければならないことになるが、そういった理由からの凍結解除だったとすると、今度は野田首相が「その後に大きな震災があったわけで、そのことを踏まえて、被災者の感情とか国民感情を踏まえてこの国会で様々なご提起、ご示唆もいただきました」と言っている贅沢批判は説得して撤回させるべき批判となるが、受入れる姿勢は整合性不一致をきたす。
ムダではない、贅沢でもない、それを上回る有益性を認めたから凍結解除したのだから、ムダ批判、贅沢批判は当りませんと反論して初めて整合性を得るということである。
このように見てくると、安住財務相の「朝霞宿舎の着工だけを見て、公務員は贅沢をしてけしからんという見方にはくみしない」の発言はムダ・贅沢を上回る有益性があるとしたことからの凍結解除の示唆に見えてくる。
野田首相は事業仕分けで一旦建設を凍結した朝霞公務員宿舎を財務大臣当時に建設再開としたのはムダや贅沢を上回る有益性があってのことだと国民に対する説明責任を、特に首相となった現在、「正心誠意」果すべき立場にあるはずだ。
蓮舫が言っている「10億(円)から20億(円)の余剰が生まれて、それが復興財源に回る」は意味もないこじつけに過ぎないとした。単に財務省からムダや贅沢といった理由抜きに説得されて建設凍結解除を行ったであってはならない。
最後に朝霞公務員宿舎建設用地を元の米軍基地に戻して、沖縄普天間基地の移設先に転用することを提案する。日本の安全保障上、首都防衛は最大の国益であるはずであり、首都地域がそれ相応に担うべき米軍基地負担であるはずだからだ。 |