野田内閣は震災復興が柱の今年度第3次補正予算案を前以て自民・公明両党との与野党協議で内容を合意させ、閣議決定を経て国会に提出、成立を図ろうとしている。
復興基本法案も同じ構図を取って6月20日(2011年)に成立したが、自公両党の主張をほぼ丸のみして政府案の修正を経ることになった。
勿論、与野党ねじれ状態の参議院を通過させるための止むを得ない手段だが、言ってみれば、菅前内閣の2010年参院選敗北がもたらすこととなった成果とも言える。
だが、与野党協議と言っても、野党は自公のみではない。みんなの党もあれば、共産党、社民党、たちあがれ日本もあれば、国民新党、新党改革もある。
これらの党を協議の相手として数の内に入れない与野党協議の形を取っているのは与野党ねじれた参議院で賛成多数の成立を図るには過半数を得る16議席を獲得できれば望みを達することができるものの、そこには政策の近似性を受けた政党としての近親性を不可欠の必要条件とするため、その条件を満たす少数野党が存在しないことの選択として、予算案や震災復興に関わる政策に関しては国の姿形、あるいは国の方向性を決めることになるため、野党の中でも代表的野党を入れないことにはその体裁を取ることができないため、議席数が多い自公との与野党協議に結果として限定することになっているという理由もあるに違いない。
尤も自民党参議院89議席に対して19議席のみの公明党が与野党協議の一角を占めているについては自公が政権交代前に連立を組んでいたことと、自民党が公明党の協力を得ることによって衆参共に民主党の議席数に対して数の上で自身の議席数以上の勢力を形成することになる与党に対する対抗上の意味合いから仲間として必要としている思惑に対して、民主党からしたら公明党を連立相手として引き込みたい政局的思惑から与野党協議の一角を占めることに意味があり、尚且つ公明党にしても勢力形成上、時々の状況に於いて自民党を必要とし、あるいは民主党を必要とすることから、このような三者の思惑が寄り合って民自公の与野党協議を成立させていることになっているはずだ。
いずれにしても自公以外にも全野党が加わって然るべきだと思うが、自公以下の少数野党を排除しながら、与野党協議だと名乗っている。みんなの党以下を野党とすら認めていないのかもしれない。
現在、1票の格差が問題となっている。
最高裁が2011年3月23日、民主党が大勝利し、政権交代を果たした2009年衆議院選挙を違憲状態と判断した。小選挙区300議席のうち、47都道府県に1議席を「別枠」として割り当て、残り253議席を人口に比例して配分する「1人別枠方式」を「投票価値の格差を生じさせる主要な要因」であり、「不合理」と断定したことから、従来以上に問題視されることになった。
民主主義社会に於ける議席は人口比例で選ばれることが原則であるとしていることを根拠とした「1人別枠方式」の否定ということなのだろう。
だが、この原則は有権者一人ひとりの権利を平等に価値づけていると同時に一人ひとりの判断をも平等に正当性を有すると価値づけていることを意味する。
もし判断に優劣をつけて判断の平等な公平性を否定した場合、各1票の平等性は失われ、最高裁が言っていることと何ら変わらない「投票価値の格差を生じさせ」ることとなって、有権者一人ひとりの権利の平等性をも否定することになる。
2009年と2010年の民主党代表選で菅直人に投票した国会議員、地方議員、その他の判断が決して正しくなかったことは菅首相の末路を見れば何よりの証明となるが、前以て誰の判断が優れていて、誰の判断が劣っていると決定づけることはできないことからの平等性であるに違いない。
いずれにしても有権者一人ひとりは平等の権利を有し、このことが担保されることによって各1票は平等な価値を備えることになり、このような平等性に則って配分された議席は正当で平等な判断に基づいているとしていることになる。
いわば1票の格差是正の要請は1票の平等性の確立を以って少なくとも政治執行に於ける第一歩の公平性が担保されるとする考えに立っている。政治の初期的公平性と言ってもいい。
このような初期的公平性を以って政治はスタートしなければならないということなのだろう。
例えそれぞれに平等な1票、平等な判断を以ってして一方に一大政党を形成し、一方に小政党をいくつか形成しようとも、政治の初期的公平性は担保されたことになる。
このことを逆説するなら、政治の初期的公平性のうちには選挙結果としての小政党の価値が含まれることになる。また、含まれなければならない。
含まれないとしたなら、小政党に投票した1票の平等性は、あるいは平等な価値は排除され、その時点で1票の平等性、平等な価値を否定することになる。
小政党の価値は他の政党に投票した有権者と平等な権利を有した、小政党に投票した有権者の他の票と同等の平等性を持った各1票によって成り立つ側面を有しているのだから、その存在意義を認めない場合、小政党に投票した有権者の平等な権利、そして1票の平等性、1票の判断の平等な判断を共々抹消することになるはずだ。
有権者一人ひとりが平等な権利を有し、各1票の判断が平等な正当性を有するとすることを政治の初期的公平性と位置づけるなら、与野党協議と言いながら、限定した野党の参加のみを認め、他の野党を排除するのは政治の初期的公平性の否定に当らないだろうか。
有権者一人ひとりの平等な権利を否定し、各1票の平等性、あるいは各1票の判断の平等な正当性を否定することになるのではないだろうか。
この否定を消去して、有権者一人ひとりの平等な権利、各1票の平等性、各1票の判断の平等な正当性といった政治の初期的公平性を担保するには与野党協議にすべての野党を参加させることによって可能となる。
与野党協議がより多くの野党を参加せて構成した場合、政策・意見の違い、利害の異なりが複雑多岐に絡み合うことになり、纏まるものも纏まらなくなると言うなら、与野党協議をやめて、国会で議論すべきだろう。
政治の初期的公平性の担保という点では与野党協議よりも国会の場での方がより確保できるはずであり、司法が望む「投票価値の格差」解消にもつながるはずである。
1票の格差是正を言って、1票の平等を求めながら、与野党協議では同じく1票の平等性によって成り立っている小政党を排除し、それが1票の平等性の排除にもつながっていることは矛盾そのもので、民自公は政治の場面で不公平を演じていることになって、奇々怪々と言わざるを得ない。 |