本質的な問題は行政事業レビューでもなければ、行政刷新会議の事業仕分けでもない

2011-10-21 09:51:19 | Weblog

 迂闊で恥ずかしいことながら、無知・不勉強のため「行政事業レビュー」なる制度について何ら知識を持ち合わせていなかった。「事業仕分け第4弾」を伝えるWeb記事でこのことを知った。

 《事業仕分け第4弾の内容判明 原子力と社会保障は明記せず》MSN産経/2011.10.20 01:30)

 事業仕分け第4弾の概要が9月19日分かって、20日の行政刷新会議で了承されるという内容である。平成24年度予算編成作業に間に合わせるため、2つのワーキンググループで12月上旬までに仕分け結果を纏めるとしている。

 仕分け対象は蓮舫行政刷新担当相自身は「原子力政策」「社会保障」に強い意欲を示しているが、具体的な決定は11月初めへ先送りで、現在のところ未定、政府資料は「主要な歳出分野」を対象とするということにとどめているという。

 但し24年度予算編成に於ける「主要な歳出分野」の仕分けのみならず、それを超えて「中長期を見通した政策的・制度的対応を各府省に促す」としていると記事は書いている。

 とは言っても、24年度予算編成に関しても「中長期を見通した政策的・制度的対応」に基づいた編成であるはずである。

 例えばハコモノを一つ造っても、造ってすべてが終わるわけではなく、ハコモノを造るに当って目的とした中身の事業が中長期の将来に亘って社会的貢献や文化的貢献、あるいは経済的貢献等々の効果を上げて初めて造った意味が証明され、ハコモノは単なるハコモノであることを脱することができるのだから、予算編成はその年度に限らずに「中長期を見通した政策的・制度的対応」に基づいていなければならないはずだ。

 勿論ハコモノを政策や制度と言い換えることも可能である。

 記事は、〈20日の刷新会議では、各府省に検証を求めてきた「行政事業レビュー」の結果も報告される。〉と書いてあり、初めて「行政事業レビュー」なる制度があることを知った。

 記事は次のように結んでいる。報告の〈対象事業は5000件以上。レビューでは、事業の「廃止」「見直し」により、24年度予算の概算要求ベースで約4500億円の削減効果があったと強調。経済産業省がレビューを公表していないことを「極めて遺憾だ」と批判する一方、警察庁については「事業概要を分かりやすく整理している」と評価した。〉・・・・

 「行政事業レビュー」なる制度があることも知らずに10月14日のブログ記事――《野田事業仕分けのマッチポンプな自己矛盾のパフォーマンス - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》を書いたことになって、内容に不備や矛盾を来たすことになるが、趣旨自体にそれ程の間違いはないと思う。

 それをこれから証明したい。

 この記事が言及している文言だけでは私自身が「行政事業レビュー」なる制度を詳しく知ることができないので、インターネットで調べてみると、行政刷新会議のHPが触れているのを見つけることができた。一部抜粋。 

 行政刷新会議 行政事業レビューについて(2010年〈平成22年〉3月11日)
  
1 趣旨

(1) 昨年の事業仕分けは、予算が最終的にどこに渡り(支出先)、何に使われているか(使途)といった実態を十分に把握した上で、その事業の遂行が税金投入の効率性や効果の面から適切であるかといった検証を行うことの重要性を、あらためて明らかにした。

(2) これを踏まえ、本年より、各府省が率先して、

1 予算の支出先や使途等について十分な実態把握を行い
2 外部の識者等を交えた公開プロセスも含め自ら事業を点検しながら、
3 レビューの結果を、事業の執行や予算要求等に反映するとともに、
4 組織や制度の不断の見直しにも活用する

「行政事業レビュー」(以下、「レビュー」)を実施することとする。

レビューの一連の作業は、事業仕分けの内生化・定常化と言うべきものである(全面公開や、現場の実態把握等を踏まえた外部の視点による点検など、事業仕分けの原則に従う)。

(3) この点検の過程と結果を国民に明らかにしながら、国民の視点に立った事業の執行と予算の策定が徹底されることにより、行政が筋肉質で政策効果の高いものへと刷新されるとともに、政治に対する国民の信頼を高めたい。

なお、本年は試行とし、その作業状況を踏まえ、必要な見直しを図りつつ、来年からの本格的な実施を目指すこととする。

2 本年の実施体制

(1) レビューは、各府省に設けられる「予算監視・効率化チーム」(「予算編成等のあり方の改革について(平成21年10 月23 日閣議決定)」)を中心に実施する。各府省は、3 月中にレビューに取り組む体制を確立する。

(2) レビューの対象は、基本的に、21年度に実施した事業(庁費など各府省の事務的経費、人件費等は除く。)とし、その検証は、公開の場で、外部の識者・経験者により行う(公開プロセス)。

行政刷新会議は、レビューの手順、内容等につき、各府省に基本的なルールと枠組みを示すとともに、レビューの活動を随時チェックしていく。

 要するに行政事業レビューとは各府省に設けられた外部の有識者等を交えた「予算監視・効率化チーム」が予算の支出先や使途等を点検・精査して、事業の執行や予算要求等に反映すると共に組織や制度の不断の見直しにも活用することを役割とする制度だと分かる。

 そして行政刷新会議は行政事業レビューの実施ルールや実施方法を示すと共にレビューの活動を随時チェックする。それが仕分けだということになる。

 予算監視・効率化チームのメンバー等については上記HPは触れていないが、「Wikipedia」を参考にした。

 チームリーダーは担当副大臣。各章の官房長がチーム事務局長。官房長を置いていない省庁は同等クラス。以下のメンバーはチームの果たすべき役割を踏まえて、会計課長、人事課長、政策課長、政策評価担当課長、官房総務課長、各局総務課長、各地方支局総務部長等々を各府省で適切に選任、参画させる。

 原則として当該定例会合にはチームの構成員たる外部有識者を参加させるとなっている。

 こう見てくると、例え外部有識者を交えたとしても、あるいはチームリーダーに副大臣を置いていたとしても、メンバーの主体は各省庁の官僚であって、彼らが自分たちが決めた予算であり政策だと自身が所属する省庁に有利な証言を行わない保証はなく、外部有識者にしても副大臣にしても省庁に有利な証言に基づいて正否の判断を迫られない保証もない。

 各省庁内の組織や制度の見直しに関しても、自分たちが有利になる範囲内の、いわば省益に叶う範囲内の見直しか、例え硬直化していようとも、自己利害を優先させて見直さないまま死守するか、いずれかの道を取りかねない。

 尤もあとに控えた行政刷新会議が純粋な意味で第三者機関ではない、ほぼ身内で固めた予算監視・効率化チームが点検・精査して適正化した予算内容やその支出先や使途にムダや矛盾がないか、あるいは政策や制度そのものにまで踏み込んで、問題点を洗い出し、すべきこととすべきではないことの最終的な仕分けを図る。

 だからと言って、最終的な仕分け(=最終チェック)がすべて正しい方向で問題解決するわけではないことは会計検査院のムダ遣いの指摘や制度不備の指摘が跡を絶たないことを証明している。

 いわば各省庁が予算のムダをつくる、あるいは不適切な組織や制度を抱え続けている、そういった体制を身内同然の予算監視・効率化チームが行政事業レビューを通してチェックし、さらに後に控えた行政刷新会議が事業仕分けを行う二重チェックをさらに会計検査院が各種ムダや制度の不備を洗い出し、改善を指摘する、結果的に三重チェックとなる、そういったチェックの構造自体が既に循環形式を宿命づけられていることになる。

 それは問題の解決方法が省内で洩れ一つなく解決をる原因療法ではなく、漏れてくるものを待ち構えていて外部から解決を図ろうとする対処療法に過ぎないからだろう。問題が生じたら、改善していくという適正化の構造自体が既に循環型を取っているのである。

 上記当ブログ記事には、〈行政機関を管理・監督し、業務全般を監視する所管大臣以下の政務三役のチェックが機能しなかった部分を同じ内閣がチェックするという政権レベルで言えば内閣による自作自演に相当する自己矛盾を演じることになる。〉と書き、それを以て、マッチポンプだと指摘した。〈首相が任命した自身の内閣に所属する大臣以下の政務三役が「行政監視」のチェック機能を果し得ずに発生させた問題点を同じ内閣が洗い出すという自作自演はまさしくマッチポンプ相応の事業仕分けと言うことができ、自己矛盾そのものであろう。〉と。

 マッチポンプという行為自体も循環の性質を帯びている。 

 「行政事業レビュー」なる制度に無知で、無知なまま書いたブログ記事ではあったが、趣旨自体にそれ程の誤りはないと思う。

 要は東大出だ、何々大出だと優秀な人材が次官として君臨させ、以下次官に準じて優秀な官僚を抱えている各省庁に於いてムダな予算をつくったり、不適切な組織・体制を抱えていること自体が官僚の優秀さに反して既に問題であって、その非効率性・非生産性の根を断たないことにはいつまでも二重チェック、三重チェックを繰返す悪循環を辿ることになる。

 一つ譬え話をしよう。

 母親がいくら言っても、小学生の子どものムダ遣いが直らない。父親が母親に、子どものムダ遣いは直ったのかと聞く。直らなくて困っていると答えると、躾がなっていないのではないかと母親を叱り、子ども呼んで厳しく言い聞かせる。

 延々とその繰返しで、小学生から中学生、高校生になっても直らない。小遣いを下手に制限すると、万引きに走ったり、誰かを恐喝してカネを巻き上げるようになるのではないのかと恐れて、ひたすら本人の自覚が芽生えるのを待ち、小遣いに不自由しないようにカネを与え続ける。

 子どもはそれをいいことに母親がどんな小遣いの使い方をしているか調べようと、父親が調べようとムダ遣いを続けて、いつまで経っても直らない。
 
 これは子ども相手の躾である。だが、既に書いたように各省庁のトップは東大出だ、京大出だと最高学府を出ている人間が君臨し、以下上層部は学歴早々たるメンバーが固めている官僚組織である以上、許されないムダの生産であり、ムダな組織や制度の生産であるはずである。

 自らの能力によって元を断たないと何も変わらない。

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大川小学校津波避難と震災時消防士水門操作に見る人の命に対する危機管理

2011-10-20 11:39:56 | Weblog

 ――人の命を如何に守るかを常に念頭に置き、そのことを第一義としたとき、危機管理は全般的な有効性を持つはずだ――

 大川小学校は大震災発生直後の避難を津波から逃れる方向の、子どもたちがシイタケ栽培で何度も登り降りしていた近くの裏山ではなく、津波が押し寄せてくる新北上川に架かっている新北上大橋の袂(たもと)の三角地帯と呼ばれている空間に向かって行い、児童108名中70名を死なせ、4名が行方不明。教職員13名中、校内にいた11名のうち9名が死亡、1名が行方不明の被害を出した。

 究極的には災害を念頭に置いた危機管理を考えることはできていても、常に人の命を念頭に置いた危機管理を日常普段から疎かにしていたために危機に直面しても危機感(=危機意識)を持って対処できなかったということではないだろうか。

 危機感(=危機意識)を欠いていたから、避難場所の選定を過つ以前の問題として、校庭から歩いて1分程の裏山に逃げるか、3分程の川近くの三角地帯に逃げるかの選択に30分以上も時間がかかり、最終的に津波は高い場所・高台に避難の鉄則を無視して、場所の選定まで間違えた。

 ましてや相手は、その多くは小学生である。鋭い危機感(=危機意識)に立った的確且つ迅速な判断を求められたはずだが、教師を含めた大人たちは責任を果たすことができなかった。

 人の命を念頭に置かない危機管理を伝える記事に出会った。《津波出動で水門操作、死亡・不明消防団員72人》YOMIURI ONLINE/2011年10月17日07時02分)

 〈東日本大震災の津波で死亡・不明となった岩手、宮城、福島3県の消防団員計253人のうち、少なくとも72人が海沿いの水門・門扉の閉鎖に携わっていたことがわかった。〉と伝えている。

 設置主体の自治体の委託で行っているケースが多いとのこと。

 〈総務省消防庁によると、震災で死亡・不明になった消防団員は岩手県119人、宮城県107人、福島県27人。このうち閉門作業にかかわった人数を各市町村、消防機関に取材したところ、岩手県で59人、宮城県で13人に上った。福島県で団員の死者が出た6市町は民間業者や住民組織などに閉門作業を委託しており、同県浪江町では水門を閉めに行った住民1人が死亡した。〉――

 「水門・門扉の閉鎖」と書いてあるから、河口に設ける上下開閉方式の水門のことだけではなく、岸壁の倉庫や事務所の裏に波除けとして設けた一定の高さのコンクリート製の塀の人間やトラック等の出入口用の何箇所かの左右引き戸開閉方式の扉を閉める役割も担っていたのだろう。

 岸壁以外の海岸沿いには土盛りの防潮堤もあり、そこにも出入りの通路があって、普段は開けっ放しの波除けの門扉が設けてある。

 そういった水門と門扉が岩手、宮城、福島3県で計約1450基あるという。

 但し記事は1450基すべてが手動式開閉なのかどうかは書いてない。

 各自治体や総務省消防庁の調査として、〈死亡・不明者は閉門中に津波にのまれたケースもあるが、閉門後に住民の避難誘導にあたるか、自身の移動中などに被災した例が多いという。〉と伝えている。

 閉門作業で全員が死んだ訳ではないといった主旨が伝わってきて、何となく責任逃れのニュアンスを嗅ぎ取ってしまう。閉門という任務を指示されて、大川小学校の生徒たちが津波により近づいていったようにより危険な海岸方向に向かっていた事実は消すことはできない。

 移動中であったとしても、閉門後に住民の避難誘導に当っていたとしても、余分に死なせてしまった命と考えることができないわけではない。

 何よりも無視できない事実は、〈地震直後に海へ向かう危険な作業のため、遠隔操作できる門を増やすよう求める声が以前から出ていた。〉と記事に書いてある点である。

 改善の要求がありながら、要求に応じなかったばかりか、少なくともすべてに応じていなかったために、「危険な作業」であることを承知していながら消防士を派遣していた。

 消防署は津波や地震等の危機管理に於いてもプロ集団である。地震の異常なまでの揺れから津波の襲来、津波の程度といったことを連想しなかったのだろうか。

 ましてや1611年の慶長三陸地震 明治三陸地震 昭和三陸地震津波 1960年のチリ地震等の地震で津波が発生、多くの死者を出す歴史を抱えてもいた。
 
 記事は書いている。〈国は、当時の状況などを検証するほか、水門閉鎖のルールや運用の変更についても検討を始める。〉

 殆んどの危機管理が少なくない人命を失う失敗を経験してから、ときには大勢の人命を失う失敗を経験してから、不足や不備に気づき、その手直しに取り掛かる。

 あるいは地震・津波時の水門・門扉の手動閉門の危険性が指摘されていて、改善を求める声が前々から存在していたにも関わらず手を打ってこなかったように前以て危機管理の不足・不備の指摘を受けていながら、人命を失うという取り返しのつかない失敗体験を経なければ、その不備・不足の手直しに重い腰を上げないといった、何ら学習できないことが繰返される。

 これもあれも人の命を常に念頭に置いた危機管理を心がけていないことからの人の命に対する危機感(=危機意識)不足が招いている後手の対応であろう。

 岩手県、宮城県の消防士が自治体から委託を受けた水門・門扉閉鎖の任務に携わって死者を出した危機管理欠如を早速学習したのだろう、高知県が津波の到達まで余裕がない場合、水門を閉めに行くことを取りやめる方針を固めたという。

 だが、この危機管理も犠牲者を出すという他県の失敗があって初めて学習した、失敗がなければ学習しなかったに違いない後手の対応であることに変わりはない。

 《水門閉鎖 余裕なければ行わず》NHK NEWS WEB/2011年10月19日 17時58分) 

 〈総務省によりますと、県レベルでこうした方針を打ち出すのは全国で初めてではないかということです。〉と記事が書いている高知県の一番乗りは、順次右へ倣えの横並び方式で増えていくだろうが、逆に高知県以外の自治体の対応の遅さを教えている。

 記事はまた次のように書いている。〈高知県は、来年4月に市町村などと交わす水門の閉鎖についての契約書に、この方針を明記することにしています。〉――

 来年4月の契約ということは年度が変わることからの時期設定だろうが、それまでに東南海地震や南海地震、東海地震の何れか、あるいは連動した地震が起きた場合はどうするのだろう。既に口頭なり、通知なりで新規の取扱いを抜かりなく通知しているということなのだろうとは思う。そうでなければあまりにもお役人仕事となる。

 高知県土木部「消防団員など住民に危険な任務を負わせることはできない。命を最優先に考え、時間がないときには閉めに行かないという判断をした」

 当たり前のことを今更のこととして言っている。人の命を常に念頭に置いた危機管理とはなっていなかったということの証明としかならない。

 20年程前、当時の清水市に西に隣接する静岡市の大谷川放水路整備工事(擁壁及び河床工事)に土木作業員として加わっていた。大谷川放水路が完成したのは1999年5月だが、工事は河口から順次上流に遡る形で行われていて、既に河口に設置した大川水路水門は完成していて、地震で震度5以上の揺れを感じると、自動的に門が下降閉鎖されると聞いていた。

 2009年8月11日5時7分に静岡県御前崎沖の駿河湾で発生したマグニチュード6.5、最大震度6弱の静岡沖地震で、この大谷川放水路水門は設置後初めて規定異常の加速度(震度)を感知し、自動閉鎖したという。

 特に騒がれていた東海地震対策ということなのだろが、津波対策用のすべての水門が自動開閉だと思い込んでいた。

 だが、この地震震度感知による自動閉鎖の水門が全国に波及しているわけではなかったことを今回知った。

 どう考えても、津波防止という危機管理の視点は持つことはできても、手動で水門閉鎖に向かう人間の命まで守る危機管理の視点にまで到達していなかったという結論を導き出さざるを得ない。

 冒頭の言葉を再度繰返す。――人の命を如何に守るかを常に念頭に置き、そのことを第一義としたとき、危機管理は全般的な有効性を持つはずだ――

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平野復興相の「バカなやつ」発言は取り立てて批判する程のことはないと思うが、しかし・・・

2011-10-19 11:35:47 | Weblog


 平野達男震災復興担当相が18日(2011年10月)、福島県二本松市で開催の「民主党・新緑風会」の研修会で挨拶、その中の発言が人を傷つける言葉だ、大臣にふさわしくない発言だと批判を受けている。

 どんな発言か、この問題を多く取上げている「MSN産経」記事から、その発言要旨と釈明会見発言を全文参考引用して見る。
 

 《平野氏の発言要旨》MSN産経/2011.10.18 20:37)
 
 民主党参院議員らの研修会での発言について釈明する平野復興相=18日夜、福島県二本松市
 平野達男震災復興担当相の発言要旨は次の通り。

 「(津波被害を受けた)現地で何が起こったのか。これもさまざまな角度から検証が必要です(中略)。前の津波の経験からここの高さに逃げていれば大丈夫だと言ってみんなで20~30人そこに集まってそこに津波が来て、のみ込まれた方々もいます。逆に、私の高校の同級生みたいに逃げなかったバカなやつがいます。まあそういったね、彼は亡くなりましたけれども、バカなやつって言われてもしようがないですけどね、そういったことも全部、一つ一つ検証して、次の震災に役立てることがもう一つの大きな課題だと思っています」

 《「個人の思いが入ってしまった。心からお詫びする」》MSN産経/2011.10.18 22:53)

 民主党参院議員らの研修会での発言について釈明する平野復興相=18日夜、福島県二本松市

 平野達男震災復興相は18日夜、自身の「私の同級生のように逃げなかったバカがいる」とした発言に対し、訪問先の福島県二本松市内で記者団に対し、緊急に釈明を行った。詳細は以下の通り。

 「今日の私の、東日本大震災の一連の報告の最後の部分だったと思いますが、今回の震災の教訓を生かさねばならないという話の中で、高台でここは大丈夫だといって波に飲み込まれた方もいる、その中に、逃げなかった方もいる-という話の中で、私の友人の、友人というより高校の同級生ですけどね。その話をして『バカなやつ』と言いました。

 この同級生は、高校の時の私の友人で、私(の出身高校)は水沢高校ってとこですけど、彼は陸前高田で、そこによく遊びいって、高田松原で一緒に遊んだ仲でして。

 今回、彼は高田で歯医者やってたんですけどね、逃げられると思えば逃げたんですけど、高校の時から、どっちかというと豪胆な男で、だいたい想像できたのは、こんな地震で大丈夫だといって、逃げなかったのは想像つくんですよ

 「そういう意味で『何で逃げなかったのかな』という思いはずっとあって、地元で話をするときに、『何で…、あいつはバカなやつだ、逃げなかった』と。どういう表現していいのか、残念だったという話をすればいいのか、逃げればよかったのにというふうに話をすればいいのか。この間の地元の同級会でもそういう話で、『あいつバカだった、なんで逃げなかったんだ』とちょっと言ったんですが、そのときの思いが今日の中にでてしまい、冷静に客観的にしゃべらなくちゃなんないところに、個人的な思いが入ってしまいました」

 「趣旨は、もう正に、あの(民主党研修会であいさつした)瞬間は、客観的な状況から友人への思いがふっとこみ上げてきて、そういう言葉が出たんだと思います。字面にすると、逃げなかった人はバカだ、みたいな報道になっているようですけど、私は今回の震災、亡くなった方、私の友人、その友人を含め、後援会で世話になってる方も何人かいますし、私の友人にも津波で亡くした方たくさんいます。

 助けようとしても助けられない。目の前で手をおって、助けようとしても助けられない、それを悔やんでる人もたくさんいます。

 そういう方々の思いは十分踏まえているつもりで、それが本当に伝わらなかったのは残念だし、これでもって不快な思いをされた方には心からお詫び申し上げます」

 「要は、この震災を踏まえて、なぜ亡くなったのか。助かった方もいます。普段から防災教育を受けて、逃げたとか(という例もある)。なぜ逃げなかったのか。その結果、なぜ亡くなったのか。それも今回の重要な検証の課題だと思ってまして、それを防災担当大臣として、これからしっかり詰めていこうと思います。

 それらを踏まえ、次の震災にしっかり備えるというのが、それを言いたかったんですが、どうも言葉の使い方が、あの瞬間だけその同級生への個人的な思いがちょっと重なってしまって、ああいう表現になったということであります。重ね重ね、報道が出ましたので、もし不快な思いされたのなら本意でもないし、その表現についての稚拙さ、おわび申し上げたい。以上です」

 --悔しいという思いで言ったのか

 「それはもう、逃げれば逃げられたんだから。高田松原のすぐ後ろにうちがありましてね。逃げれば十分時間があって、後で聞いたら、本人は地震が来て『大丈夫だ、大丈夫だ』と言っていたという話も聞きましたから」

 「無念というか、何で逃げなかったんだと。そこだけね。もっと客観的に話をする部分なんだけど、同級生の話がぼっとかぶさってしまいましたね。逃げなかった方でも、逃げたくても逃げられない方々もいるし、本当に大丈夫だと逃げなかった方もいるし、状況はいろんな客観的な状況はありますが、あそこだけ、その、友達の顔みたいなところがぽっと重なってしまった」

 「無念というより、表現のしようがない、わかりませんね。いまだに逃げれば良かったのになって思いますね。その友人に対してだけはね。一般的に、家にとどまってた方々もたくさんいますから、その方々のことを、冷静に言うべきだったと思いますが、そこだけ個人のやつ(思い)をぽこっと持ってきたということです」

 --野党からは被災者への配慮に欠けるという指摘があがっている。国会審議に影響も与えることにならないか

 「こういうことで国会審議に影響与えるようだったら、私の本意ではない。今のような話をしっかり説明して、(野党議員に)聞かれたら、理解を得るべく努めたいと思います。

 以上です。こんな時間帯に集まっていただきありがとうございました。皆さんまだ残っていただいて、釈明の機会を与えていただいたことに感謝申し上げます」


 確かに取り返しのつかないことをしてくれたという悔しさから、「何ていうことをしてくれたんだ、バカな奴だ」といったふうに激しい思いに駆られて、その思いを言葉にしてつい口に出してしまうこともある。

 平野復興相は「何で逃げなかったんだ、バカなやつだ」と舌打ちしたい思いを募らせたのだろう。

 だが、平野復興相は被災地全体の復興及び被災者全体の生活再建を所管する大臣である。いわば全体の代表者であって、例えそれがごく親しい友人であっても、個人を代表しているわけではない。

 また、復興と生活再建の中には被害状況の検証と学習と学習したことの活用が入るのは断るまでもないが、全体の代表者による個人個人に対する検証は、それが特異な事例でない限り、同様な事例の集積による類型化の中で行われるゆえに個人個人を離れた全体的ケースとし扱われることになる。

 例えば大川小学校の悲劇にしても親は犠牲となった、特に自分の子どもがどのような指示を受け、どのように行動したか、あるいは行動させられたかを考え、自分の子どもという個人を離れることはないだろうが、生徒全体を代表する校長を始めとした大川小学校、あるいは大川小学校を管轄する教育委員会は子どもを大きな全体として扱い、その全体に対して学校はどういう避難指示と避難行動を要求したか検証することになるゆえに生徒という個人を離れることになる。

 だが、平野復興相は全体の代表者でありながら、また、「(津波被害を受けた)現地で何が起こったのか。これもさまざまな角度から検証が必要です」と言っている検証は個人個人を離れて、類似の被害例を類型化する中で全体的な取扱いをしなければならないにも関わらず、そのような検証に友人という個人の例を混同させた。

 いわば全体の代表者であり、全体的な検証を行わなければならない立場にありながら、私情を挟んだと言われても仕方がないだろう。

 さらに言うなら、「前の津波の経験からここの高さに逃げていれば大丈夫だと言ってみんなで20~30人そこに集まってそこに津波が来て、のみ込まれた方々」の例、あるいは「一般的に、家にとどまってた方々」の例は一つや二つではなく、多くの場所で見られたはずの例であり、検証する場合、類型化しなければならない事例であろう。

 「逃げられると思えば逃げたんですけど」の友人の例も友人に限られたことではなく、多く見られた被害例であるはずである。当然、類型的な事例として扱わなければならない。

 このように類型化されるとする文脈からすると、個々の例を取り上げて、それをバカな奴と言った場合、類型化されている類似の犠牲者も実際にはバカなやつかどうかも分からないにも関わらず、バカな奴ということになる、逆の類型化を受けることになる。

 いわば命を落としてしまった悔しさが言わせた「バカな奴」であったとしても、平野復興相が友人の立場から、「地元の同級会」で一個人として喋るのは許されるが、一個人であることを離れて全体の代表者である立場に立って「民主党・新緑風会」の研修会で喋る場合、友人一人にとどまらない「バカなやつ」ということになる。

 意図的に類似の例を抱えた犠牲者まで非難するつもりのない、私情を挟んだが故の他に同様の評価を与えかねない不適切発言と言えるが、少々合理的判断能力を欠いていることからの失言といったところで、果たして大臣に相応しい判断能力かということの方が問題であるように思える。

 類型化という点でもう一つ例を挙げるとすると、野田首相の9月13日(2011年)の所信表明演説での発言。

 野田首相「この国難のただ中を生きる私たちが、決して、忘れてはならないものがあります。それは、大震災の絶望の中で示された日本人の気高き精神です。南三陸町の防災職員として、住民に高台への避難を呼び掛け続けた遠藤未希さん。

 防災庁舎の無線機から流れる彼女の声に、勇気づけられ、救われた命が数多くありました。恐怖に声を震わせながらも、最後まで呼び掛けをやめなかった彼女は、津波に飲まれ、帰らぬ人となりました。生きておられれば、今月、結婚式を迎えるはずでした。被災地の至るところで、自らの命さえ顧みず、使命感を貫き、他者をいたわる人間同士の深い絆がありました。彼女たちが身をもって示した、危機の中で「公」に尽くす覚悟。そして、互いに助け合いながら、寡黙に困難を耐えた数多くの被災者の方々。日本人として生きていく『誇り』と明日への『希望』が、ここに見出せるのではないでしょうか」・・・・・

 住民を救おうとして自ら犠牲となった例は彼女だけではなく、「公」を尽くすべく使命感を貫いた消防士もいれば警察官も多くいたはずである。一般人であっても、近所同士で顔見知りと言うことで助けようとして、助けようとした方が命を落としてしまったという例もテレビや記事を通じて多く聞く。

 このようなケースを検証する場合にしても自分の命だけが助かればいいというわけにはいかない職務上の制約を受けるゆえに難しい問題だが、やはり類型化の中で職務上の救命と自身の命の保護との兼ね合いで論じられることになるはずである。

 このような他者の救命と引き換えに自身の命を犠牲にした者に対して友人、知人の類い、あるいは近親者の中には「人を助けて、自分が犠牲になってしまった。バカを見たのは本人だ。バカなやつだ」と、救命を試みた者が犠牲となる不条理に我慢ならなくなってつい罵ってしまう場合もあるだろう。

 しかしそのような罵りが許されるのはあくまでも個人の立場にある者であって、個人の立場からの他の個人に対する評価でなければならないはずだ。

 貶める意図はなかったとしても、如何なる全体の代表者も決して口にしてはならない評価であるはずだ。

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改めて言う、普天間は県外、あるいはフィリッピン、シンガポール、マレーシア等の国外に移転させるべき

2011-10-18 12:21:19 | Weblog

 野田内閣が沖縄の反対を無視していよいよ普天間飛行場の辺野古移設に向けて動き出した。環境影響評価(アセスメント)の最終段階となる「評価書」を今年12月に県に提出と、来年6月をメドに県に対して移設先の名護市辺野古沿岸の埋め立て申請を行う方針を固めたとマスコミが報じている。

 これは野田首相が国連総会出席のためにニューヨークを訪れた際の9月21日に行われたオバマ大統領との日米首脳会談で、大統領から直々に普天間の辺野古移設への具体的な進展を求め、「結果が必要だ」とせっつかれたことから動き出した方針なのは誰の目にも明らかである。
 
 野田首相が心得としている“安全運転”志向からしたら、ギリギリまで放っておくことだったに違いないが、そのギリギリがアメリカの強硬な態度によってこの時期の前倒しになったということなのだろう。

 なぜなら、普天間移設はそもそもからして卵アレルギーの子どもが卵を受けつけないように“安全運転”を受けつけない、逆にヤケドを誘って政権運営に致命傷を与えかねない厄介な安全保障問題となっていて、野田首相の“安全運転”志向とは相反する位置にあったのだから、余程の覚悟を持って首脳会談に臨まなければならなかったはずだが、そうはなっていなかったことがギリギリまで放っておくことを決めていたことの証左となる。

 《米大統領 日米合意実施へ結果を》NHK NEWS WEB/2011年9月22日 11時47分)

 本来なら野田首相の方から持ち出すべき事柄だが、“安全運転”に徹していたのだろう、記事はオバマ大統領の方から普天間基地の移設問題を持ち出したと書いている。

 オバマ大統領「結果が必要だ。これからの進展に期待している」

 結果を出せと突ついた。

 野田首相「両政府の合意に従って協力を進めていきたい。地元沖縄の理解が得られるよう全力を尽くす」

 オバマ大統領から直接「結果が必要」と求められたのに対して何度でも言って遣り過ごしてきたために手垢がついて月並みとなった常套句を野田首相も用いて遣り過ごそうとした。

 「地元沖縄の理解が得られるよう鋭意努力している最中です」と言えば済むのだから、これまでも済ませてきたのだろうから、ギリギリまで放っておく意思がなければ口に出して言えない常套句であろう。

 ホワイトハウス高官(NHKの取材に対して)「来年夏までに具体的な進展を求めるというアメリカの立場は明確だ」

 記事は書いている。〈来年夏までに滑走路建設のための手続きに着手するなど、目に見える進展が必要だという考えを示し〉たと。

 当然オバマ大統領も共有していた「来年夏まで」の「具体的な進展」ということでなければならないから、首脳会談でも持ち出した「来年夏まで」の期限であったはずだ。

 ところが野田首相は“安全運転”志向が全身の隅々にまで染み付いてしまっているのか、往生際の悪さを引きずるに任せていた。《普天間移設:首相 米大統領の「結果求める」発言を否定》毎日jp/2011年9月26日 21時50分)

 9月21日のオバマ大統領との日米首脳会談から5日後の9月26日の衆院予算委員会。

 野田首相(普天間の辺野古への移設時期について)「いつまでにと明示するのは困難だ。誠心誠意、説明しながら、(沖縄県側の)理解をなるべく早い段階で得られるようにしたい」

 日米首脳会談でアメリカ側が要求した「来年夏まで」の「具体的な進展」を否定している。〈ニューヨークでの日米首脳会談後、米側はオバマ大統領から「結果を求める時期が近い」と早期実現を求めたことを発表した〉ことに関して――

 野田首相「(記者に)ブリーフした方の個人的な思いが出たのではないか。大統領は『その進展に期待する』という言い方だった」

 要するに具体的な結果への要請は「ブリーフした方の個人的な思い」から出たもので、大統領自身の思いではないと、結果を求められたことも、結果の期限についても否定して、オバマ大統領は期限を区切らない進展を単に期待したに過ぎないとしている。
 
 「NHK NEWS WEB」記事はオバマ大統領は「結果が必要だ。これからの進展に期待している」と言ったと書き、「毎日jp」記事は「結果を求める時期が近い」と言ったと書いているが、両者の表現に通じていることでもあるが、アメリカ側が言っている「進展」とはアメリカ側の立場として当然のことだが、具体的な「結果」を答とする具体的な進展のことであり、早期実現という「結果」を求めない「進展」ではない。

 例えオバマ大統領が「結果」を求めなかったとしても、日米合意を謳っている上に結果を出さなければならない立場に立っているのは野田首相の方であることを弁えて、自ら率先して「結果」を出すべく行動することを伝えるべきを、伝えなかっただけではなく、結果ではなく、進展を期待しただけだと責任を放棄するようなことを言う。

 余っ程安全運転を身体に染み付かせていなければできない現状維持志向と言わざるを得ない。

 だが、アメリカは期限つきの段階的進展を伴った具体的な「結果」を求めた。野田首相が言っているように単に「進展に期待」したわけではない。「評価書」の沖縄県への提出を今年12月までに。そして来年6月をメドに名護市辺野古沿岸の埋め立て申請をと。

 ホワイトハウス高官が言っていた「来年夏までに」に符合する期限である以上、オバマ大統領がせっついた「結果」であり、野田首相が逃げ込もうとした「いつまでにと明示するのは困難だ」の現状維持だったのだろう。

 対して沖縄側は仲井真県知事も移転した場合、辺野古基地を抱えることになる稲嶺名護市長も反発している。

 但し仲井真知事の反発が事実かどうか疑わせる面白い記事がある。《改めて問われる野田政権の説明責任 戦略のない政権に怒りと不信感》MSN産経/2011.10.17 22:19)

 仲井真知事「名護市前市長は(移設に)賛成していたが、市長選で民主党は反対派を応援した。にもかかわらず辺野古に回帰したことに県民は怒っている。海兵隊のこと(存在)はわれわれなりにわかっているが政府としての説明が欲しい。質問書を出したが回答がない。再質問も出したが返事をもらっていない」

 知事側近「知事は県外説を繰り返しているが、本音では辺野古案以外にはないと考えている。県民にも本音の部分では辺野古移設は仕方がないと考えている容認派も多い」

 地方議員「早急に普天間の危険を除去するために辺野古に移したい――というのが知事の本音だ。県外移設を訴えて知事選に再選した以上、簡単には振り上げた拳をおろせない。知事は辺野古回帰の理由を説明するようメッセージを送っているが、政府には真意が伝わらない」

 県幹部「ほかの自治体にも打診したというなら、政府はどの自治体に打診したのか、反応はどうだったのか、そしてなぜ沖縄なのかなど具体的な説明をし、けじめをつけるべきだ。振興策と並行して辺野古に回帰した経緯を論理的に説明しないと前に進まない」

 鳩山元首相が言っていた県外(=本土)の自治体に基地受入れを打診したが、答を得られなかったために仕方なく辺野古回帰を選択をせざるを得なかったと言っていたことを指すのだろう。

 仲井真知事が「質問書を出したが回答がない」と言っている質問の一つでもあるのだろう、どこにどう説明して、どう断られたのか具体的に情報公開せよと言っていることになる。それが辺野古を納得させるための虚偽情報なら、県外自治体に対して改めて打診を迫るよう求めることにつながるが、実際に打診して、引受け手がなかったが事実の情報となった場合、それを以て沖縄側自身が辺野古以外に答えはないとする口実につなげる可能性も考えることができる。いわば「前に進」むことになると。

 この後者への疑いは知事側近の、知事は辺野古をホンネとしているとする発言に合致する。

 前者だとしても、やはり辺野古以外にないと辺野古へとつなげるための情報公開請求ではないかという疑いは捨てきれない。

 仲井真県知事とその周囲が実際に辺野古をホンネとしているなら、沖縄は上層部にユダを抱えていたことになり、辺野古反対派にとって最も恐れる事態が生じることになる。

 記事の結び。〈条件付き受け入れの姿勢を崩していない辺野古の容認派住民の声を忖度(そんたく)せず、県側を説得する努力を怠る。沖縄の思いを尊重するといいながら、頭越しに移設を強行しようとする政府。移設賛成派の中にも「国家統一の危機だ」と「独立論」の台頭を危惧、沖縄県民の誇りを背景に不信感が広がっている。(那覇支局長 宮本雅史)〉――

 既に当ブログ記事――《前原・石破の沖縄依存安保論は首都東京の福島・柏崎刈羽両原発依存と同根の論理 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に取り上げたことだが、9月25日(2001年)のフジテレビ「新報道2001」に前原民主党政調会長と石破自民党政調会長が出演、それぞれが次のように発言している。

 石破「日米安全条約というものは日本だけのものじゃない。アジア・太平洋全体のものなのですよ。そのために沖縄にあるのだということを本当にみんなが理解していますか」

 前原「石破さんもおっしゃるように日本の安全保障だけではなく、この地域全体のための公共財なんだということを沖縄のみなさん方にもお話しすることは、日本全体にもお話をし、(グアム一部移転や負担軽減等の)このパッケージが動き始めると、沖縄だけじゃなくて、他の所にも色んなお願いをしていかなくてはいけないわけです」

 沖縄に海兵隊を置く日本の安全保障は「日本だけのものじゃない。アジア・太平洋全体のものなのです」と言っている。

 だとしたら、アジア・太平洋地域の国々も平等に負う安全保障でなければ、「アジア・太平洋全体のもの」とはならない。〈米軍基地は九州であっても、四国地方であってもいいわけであるし、ベトナムやフィリッピンに米軍基地建設を求めてもいいわけである。〉とブログに書いた。

 アメリカは6月14日(2011年)から10日間、フィリピン、シンガポール、マレーシア、タイ、インドネシア、ブルネイの各海軍と海上合同軍事演習を実施している。名目は海上テロ、海賊、多国間犯罪、密輸等の取締りに置いているが、真の狙いは防衛力の近代化と増強を図り、海洋進出を進めている中国を対象とした訓練でもあったはずだ。

 参加国の多さがそのことを証明しているし、大は小を兼ねるが、小は大を兼ねない。兼ねない軍事訓練はカネのムダ遣いとなる。

 そして10月半ばのアメリカとフィリッピンの合同軍事演習はフィリピンと南沙諸島の領有権を巡って対立する中国を牽制する狙いからのものであった。

 アメリカ、フィリッピン双方の海兵隊合わせて3000人が参加したことがそのことの補強証拠となる。

 かつてフィリッピンには米軍基地が存在したが、1991年のピナトゥボ山大噴火がクラーク米空軍基地機能を損ない、撤収することになり、1992年にスービック海軍基地からも撤収、フィリッピンには米軍基地は存在しなくなった。

 だが現在、フィリッピンは自国の安全保障上、中国に対抗するために米軍の軍事力を必要としている。

 勿論、フィリッピンだけがアメリカの軍事力を必要としているわけではなく、シンガポール、マレーシア、タイ、インドネシア、ブルネイ、さらに日本も韓国も台湾も必要としている。

 それぞれがお互いに分かち合わなければならない、中国対象の安全保障であるはずである。分かち合って初めて、安全保障は沖縄を離れて真正な意味で「アジア・太平洋全体のもの」となり、前原、石破両氏の発言にも添う、満足な結果を得ることができる。

 日本本土で普天間移設先の引受け手がないというなら、自国の安全保障上、アメリカの軍事力を必要としているアジア・太平洋地域の国々が引き受けるべきだろう。

 アジア・太平洋地域の国外とした場合、機動性・即応性の点でも、沖縄に遜色ない確保が可能となるはずであるし、距離的に沖縄を上回る国もあるはずである。

 日本は既に多くを引き受けている。特に沖縄は過重なまでに引き受け過ぎている

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三陸鉄道等の復旧は枕木を用いた軌道工事ではなく、制震ダンパーの使用は不可能だろうか

2011-10-17 11:30:34 | Weblog

 今回の東日本大震災で岩手県などが出資する第三セクターの三陸鉄道(盛岡市)が大きな被害を受け、被害と被害額の大きさからいって自治体の負担も大き過ぎる、鉄道会社も赤字続きで出費に耐え得ることができない、復旧のメドが立たないでいると言われていたが、国がその復旧費の殆んどを持つことになったとのこと。

 《三陸鉄道:「地元負担を限りなくゼロに」国交省が新支援策》毎日jp/2011年10月8日 2時37分)

 10月7日の閣議後の記者会見。

 前田国土交通相「地元の負担は限りなくゼロにしたい」

 事業費の大半を負担する意向を示し、新たな支援策を盛り込んだ第3次補正予算案を国交省は提出したという。

 三陸鉄道のほか、仙台空港鉄道(宮城県)、ひたちなか海浜鉄道(茨城県)、鹿島臨海鉄道(同)などが対象になると見られると記事は書いている。

 従来は国と自治体が4分の1ずつの負担、半分は鉄道会社の負担となっていたが、新たな支援策ではレールや橋などにかかる事業費は国と地元自治体が半分ずつの負担とし、自治体分についてはその85・5%以上を地方交付税で国が支援、残った分が自治体の実質負担となるという。

 地元負担分のうち、県と市町村の負担割合は定めてないとのこと。

 国交省「自治体の話し合いで決めてもらう」

 国交省鉄道局担当者「今の制度では再建が難しい状態。鉄道は市民の足であり、新しい枠組みで何とか復旧につなげたい」

 「鉄道は市民の足」で、復旧は不可欠だと言っている。だから、赤字でも何とか経営を維持してきた。だとしたら、最初から自治体にしても鉄道会社にしても過重な負担となるのは分かっていたのだから、震災発生から7か月近くも経っての新支援策というのは遅すぎるように思える。

 鉄道のレールは平らな地面に大き目の砕石をカマボコ型に盛り上げた上にコンクリート製の枕木を等間隔に並べ、その上に枕木と直角の方向にレールを2本並べる。

 枕木とレールはボルト等で固定してある。その下にカマボコ型に盛り上げた砕石を敷くのは砕石にクッションの役割を持たせているからだが、一定の時間が経つと、砕石は角が割れたり、磨耗したりして小さくなっていくために砕石の山自体が次第に沈んでいったり、あるいは走行する鉄道の圧力そのもので土を上から踏み固めるのと同じ要領を受けて次第に沈んでいき、クッション機能がが弱まっていく。

 そのため最初のうちは先端が尖った太い鉄棒で出来たバイプレーターを差し込んで振動を与えて砕石と砕石の間の隙間を広げてクッションの効きを回復させたりするが、最終的には砕石そのものを新たに入れ替える工事を順次行って、正常なクッションをつくり出す。

 コンクリート製の枕木とレールはボルト等で固定してあるが、砕石の山に枕木だけを沈める形で乗っけてあるだけで、今回の震災の津波でレールは枕木ごと持ち上げられて押し出されて、アメのようにひん曲がってしまった箇所もあった。

 津波に襲われなくても土砂崩れで、崩れてきた土石にやはりレールが枕木ごと正常な位置から大きく押し出されて曲がってしまった箇所もあった。

 土石に単に埋まってしまった状態なら、土石を取り除けば復旧は簡単に済むが、何せ砕石の上に乗せたままの状態だから、横からの力に弱い宿命を本来から備えている。

 完全復旧を果したとしても、100年後か200年後か分からないが、再度の大震災までの復旧状態となりかねない可能性は否定できない。あるいは大震災を待たずに台風などによって大雨が降り、大水が出てレールを押し流す事態も考えられないではない。

 地球温暖化のせいなのか、年々大雨が降る回数が増えている。

 だからと言って、枕木を地面に固定したなら、砕石のクッションの役目を殺してしまい、多くても三輌連結程度で速度も遅い街中を走る電車の類いなら走らせることはできても、現在のような連結数と高速で鉄道を走らせることが出来なくなる。

 建築学の専門家ではないが、超高層ビルで地震で受ける振動を和らげる目的で設置したり、高架道の橋脚と橋桁の接着箇所の間に車の走行によって受ける振動を和らげる目的で設置したりする制震ダンパーを砕石の代替とすることはできないだろうか。

 画像を載せておいたが、鉄道のレールとコンクリート製の枕木代わりのH鋼等の鋼製の枕木をボルト等で固定し、さらに枕木と制震ダンパーを固定、制震ダンパーをコンクリート土台にアンカーボルトで固定。土台は地中深く埋め込んだパイルで、今回の東日本大震災のマグニチュードにも耐えることがきる強度を持たせて固定すれば、すべてを強固な状態で一体化できる。

 枕木同士の間隔と枕木一本に設置する制震ダンパーの数は工学的な計算によって決める。

 このようにしたら、100年後、もしくは200年後に再度大震災が襲おうとも、耐えることができるのではないだろうか。

 勿論、コストの問題が残る。コストさえクリアできれば、素人考えながら、砕石を用いる軌道設置よりも工事は短期間に済むと思うし、地震云々は別にして、耐久性は優れているように思える。

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野田首相の誰にでも頭を深々と下げる低姿勢とトップリーダーとして必要な資質に見る二律背反性

2011-10-16 11:52:05 | Weblog

 野田首相が10月12日(2011年)、東京都内で中曽根康弘元首相と会談。会談時間は約10分間。野田首相が就任挨拶のために申し入れたのだそうだ。

 《中曽根元首相「低姿勢続ければ長期政権」 野田氏を激励》asahi.com/2011年10月12日20時15分)

 中曽根元首相「首相に向いている。今のような低姿勢でまじめにやれば長期政権になる」

 中曽根元首相は戦後4番目に長い5年の政権を維持したというから、これ程心強い太鼓判は辺りを見回しても見つかるまい。

 野田首相のこの低姿勢は融和重視の思いから発している姿勢だと記事は指摘しているが、と言うことは何事も「低姿勢でまじめ」という立ち位置を野田首相は生涯のあるべき姿勢としているのだろう、そういった姿勢を貫くという条件付きの長期政権ということになる。

 菅前首相の景気回復策、「一に雇用、二に雇用、三に雇用」の勘違いしたスローガンに準えるとすると、野田首相の場合は「一に低姿勢、二に低姿勢、三に低姿勢」となる。

 記事添付の写真は中曽根首相が握手する右手を自然な形で突き出して軽く前傾姿勢を見せているのに対して野田首相は中曽根元首相の右手を両手でしっかりと握った全身に力をこめた姿勢で中曽根元首相の胸の辺りにまで深々と頭を下げている。

 相手がそういった姿勢を見せるから、中曽根元首相は自然と野田首相の脳天を離れ位置から上から眺める形となり、否応もなしに心理的な上下関係まで浮き立たせることとなっている。

 自分が低姿勢を見せることで中曽根元首相に対して最大限の恭しさを演出したということなのだろう。見ようによっては就任の挨拶というよりも、時の首相が切羽詰ってどうしても実現させなければならないからと必死な思いで元首相に陳情か何かお願い事に行ったシーンに見えないこともないが、これぞ低姿勢を凝縮させた姿だと誰に説明しても恥ずかしくない野田首相のワンポーズとなっている。

 中曽根元首相「あなたは非常に得している。敵がいない。まじめに一生懸命やったら国民は支持する。あなたはドジョウではない。もっと清潔だ」

 手離しの絶賛であるが、全身に慇懃さを込めた野田首相の低姿勢が功を奏して、ついつい乗せられたのかもしれない。

 中曽根元首相(11月以降、主要20カ国・地域(G20)首脳会議など外交日程が続くことを踏まえて)「30分も話せば、どの程度の重さのある人物か分かる。よく準備して、思い切って発言するとよい」

 この発言は最初の発言と比較して矛盾する。「低姿勢でまじめ」は長期政権を約束する条件になるかもしれないが、低姿勢は必ずしも人間的な重みを約束する条件足り得ない。

 低姿勢とは一言で言えば、周囲の人間に対して常に自分を下に置くことを言う。常に自分を上に置いたのでは低姿勢にはならない。自分を下に置くためには自説を押し通さない、自説を伝えない、相手の主張を受入れることが必要条件となる。

 自己主張を自ら封じるということである。誰に対しても低姿勢であった場合、八方美人ということになる。

 こういった政治家に人間的重みが期待できるだろうか。

 断っておくが、自分を上に置くということは偉ぶるということではなく、主導的位置に立つ、あるいは主導性(=リーダーシップ)発揮の姿勢を示すということである。低姿勢=自分を下に置いたのでは主導的位置に立つことにはならないし、主導性(=リーダーシップ)を発揮する姿勢にもつながらない。

 このことから導き出すことができる唯一の答は低姿勢とトップリーダーとして必要な資質とは二律背反の関係にあるということであろう。

 中曽根元首相は野田首相に対して「低姿勢でまじめ」を求めながら、ないものでねだりであるにも関わらず、人間的重みを求める矛盾を犯した。

 野田首相の政権運営を滞りなく進めるための低姿勢の3条件を伝えている記事がある。《野田首相:気配り政権運営「安全運転」3原則》毎日jp/2011年9月26日 2時30分)

 (1)余計なことは言わない、やらない
 (2)派手なことをしない
 (3)突出しない

 この3原則だそうだ。これも自分を下に置く低姿勢の範疇に入る姿勢であるはずである。あるいは低姿勢を基本とする3原則であろう。

 野田首相が就任直後に首相官邸で官房副長官や首相補佐官らを集めて「3原則」を自ら説明。「これを徹底してほしい」と指示したと記事は書いている。

 〈与野党や官僚に気配りして「安全運転」の政権運営を進める首相は、次期通常国会に提出する12年度予算案や、悲願の税制関連法案の早期成立を念頭に、与野党協議の成功を最優先。来年3月までの半年間は、波風を立てず融和に努める構えのようだ。〉と解説している。

 菅前政権の失態の反省に立った、そうと決めた姿勢だそうだが、元々の低姿勢の性格がそう仕向けた面もあるに違いない。低姿勢を性格としていない人間が低姿勢を演じるのは苦痛で難しく、ツケ焼刃で終わりかねない。

 少なくとも低姿勢を本来的な性格としていることによって、最大限に低姿勢を表現し得る。

 記事の結び。

 11年度第3次補正予算案や12年度予算案、税と社会保障の一体改革の関連法案を〈念頭に、首相は8月の民主党代表選前から既に「3原則」を考えていたとみられる。代表選期間中の党中堅議員との会合で、首相は「政策課題で突出してはいけない。党内融和、与野党協議ができなくなる」と、自らに言い聞かせるように語った。

 ただ、強くこだわる財政健全化の取り組みに関しては「ぶれない、逃げない、おもねらない」とも周辺に語っており、「3原則」が功を奏するかどうかはまだ見通せない。週明けの衆参両院の予算委員会が首相にとって最初の本格的な試練の場になりそうだ。【小山由宇】〉・・・・・

 野田首相の前後の姿勢が矛盾している。

 予算編成も、それが補正であっても、また税と社会保障の一体改革であっても、深く財政健全化に関わっている。財政再建と一体化しているはずの予算及び税と社会保障の一体改革に関しては3原則に抵抗を感じないとしながら、財政再建化に関しては抵抗を見せるとする矛盾である。

 勿論、3原則は単なる立ち位置であって、最終決定に関しては自身の判断を上に置くと言い逃れはできる。だが、初期的に「余計なことは言わない、やらない」、「派手なことをしない」、「突出しない」の自分を下に置く低姿勢でスタートし、他者を上に置く状況を受入れた場合、自他のこの関係を最終局面にまで維持していかなければならないはずだ。

 維持されなければ、あの男の低姿勢は見せ掛けだと警戒心を呼び、低姿勢に誰も乗ってこないことになる。

 スタートから中盤、終盤まで貫いてこそ、3原則の低姿勢は意味を持つ。一旦見せた低姿勢は最後まで消すことはできないということである。 

 自分を下に置き、他者を上に置く低姿勢は、また、臨機応変の行動の放棄を背中合わせに持つことになる。臨機応変の行動は自主的・主体的判断に則った行動であるのに反して、自分を下に置き、他者を上に置く低姿勢は他者の判断に従う行動を言い、両立する行動ではないからだ。

 臨機応変の行動とはブレたり、迷走したりすることを意味しないのは断るまでもない。逆に他者の判断を基準とした低姿勢の行動の方が、他者の判断に従うということだからブレや迷走を呼び込みやすい。

 臨機応変の行動の放棄は自分で自分の行動を規制することによって成立する。

 低姿勢がブレや迷走を呼び込みやすいことを証明している記事がある。《「低姿勢」で政権迷走 首相、周囲の考え「丸のみ」》asahi.com/2011年10月15日20時34分)

 記事は冒頭で、〈「低姿勢」が売りの野田佳彦首相だが、政策の方針は定まらない。低姿勢のあまりに閣僚や周囲の考えを尊重して、「丸のみ」するためだ。最優先課題とする東日本大震災の復興策でも迷走するため、政権の掌握力を問う声も出ている。〉と言っている。

 「丸呑み」にしても自分を下に置き、周囲を上に置くことによって可能となる姿勢である。与野党協議で野党自民党の案を丸呑みするといったことはそういうことであるはずだ。

 復興に関しての野田首相のブレ、迷走は「ポピュリズム(大衆迎合)」というキーワードで10月19日(2011年)の当ブログ記事――《野田首相の災害復旧事業全額国費負担は動機不純な震災復興ポピュリズムが正体に見えるが? - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で取上げた。

 上記「asahi.com」記事では復興庁の設置場所の決定を迷走の最初の例に挙げている。首相が9月下旬の衆院予算委員会で「現地に設置」と表明したが、4日後の平野復興相の「県には復興局、本部は東京が基本」の否定を受けて、復興庁は東京、復興局が被災3県に設置の復興庁設置法案が固まったという。

 野田首相が菅前首相がオハコとしていたように前以て関係省庁や被災自治体と検討を重ねずに先っ走りして独断で打ち上げたとしたら、自らが掲げた「余計なことは言わない、やらない」、「派手なことをしない」、「突出しない」の3原則、低姿勢に反することになり、このこと自体にもブレ、迷走したことになる。

 矛盾を突かれて、野田首相は次のように発言したという。

 野田首相「(復興)局をそれぞれ置いておくという趣旨だった」

 要するに「現地に」と言ったのは復興局のことで、復興庁を指したのではないというわけである。

 だとしたら、平野復興相は「県には復興局、本部は東京が基本」とわざわざ断ることはなかった。

 低姿勢も然ることながら、弁解、ゴマカシの類いもなかなかの才能を持ち合わせているようだ。

 次の例。

 首相が「重要政策を統括する司令塔機能」と位置づけたものの、未だにテーマや人選が決まっていない国家戦略会議。最初のテーマとしたTPPの交渉参加問題は立ち上げの遅れを理由に除かれたと書いてある。

 藤村官房長官 「遅れているのではなく、総理がじっくり考えてきた」

 なかなかの言い逃れである。低姿勢を基本姿勢とすることによって自主的・主体的判断に基づいた臨機応変の行動を放棄しているのである。当然、「じっくり考え」たとしても、適切な考えは思い浮かびようがない。

 首相周辺「総理が具体的なイメージを持っていなかった。心配して見ていたら、1カ月余りが過ぎてしまった」

 この解説こそを妥当と見なければなるまい。

 細野原発相「野田総理は説明すれば『そうか、そうか』と聞いてくれる」

 この発言に自分を下に置き、周囲を上に置く低姿勢=主体性・自主性の放棄を象徴的に見ることができる。当然野田首相自身の臨機応変な行動や考えは期待できないことになる。

 〈迷走の背景には、低姿勢ゆえ周囲の意見を聴いてしまうことがある。〉、周囲に〈受けがいいが、周囲の意向に配慮するあまり、首相や政権としての主体性はぼやけてしまう。 〉

 トップリーダーとしての「意向」をトップリーダーらしく重視する主体性の保持=リーダーシップ(=指導力)を優先させるのではなく、周囲の意向をより重視する他者の主体性尊重はやはり自分を下に置いた低姿勢から発しているはずだ。

 内閣府のスタッフ「首相や閣僚が政治決断すべきところを避けている。みんなで集まってババ抜きをしているようだ」

 「決断」は深く主体性・自主性に関わって発揮し得る。周囲の人間に対して自分を上に置く主導性(=リーダーシップ)を必要条件とする。野田首相が「余計なことは言わない、やらない」、「派手なことをしない」、「突出しない」の3原則に立っているから、「政治決断すべきところを避けている」ということだけではなく、何よりも周囲の人間に対して常に自分を下に置く低姿勢を自らの姿勢としていることが主体性・自主性に始まって主導性(=リーダーシップ)を欠くことになって、決断の回避につながっているはずだ。

 トップリーダである首相が決断しないから、閣僚も責任を押し付けられるのを嫌って同じく決断しない姿勢を倣うこととなり、誰かに損を掴ませる「ババ抜き」をし合うことになるということなのだろう。

 中曽根元首相が言うように「今のような低姿勢でまじめにやれば長期政権になる」としても、そのことによってトップリーダーとして必要な資質の欠如を必然的に伴うとしたら、そのような長期政権にどれ程の意味があるだろうか。

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小沢裁判、石川事情聴取の任意性・違法性、何れかを問う

2011-10-15 12:25:33 | Weblog

 東京地裁での小沢氏の第2回公判が昨日(2011年10月14日)午後開廷、元秘書石川議員がICレコーダーで隠し録音した去年5月の保釈中に行われた東京地検特捜部の任意の事情聴取が再生された。

 これは元秘書三人に対する特捜部の捜査が違法かどうかを争う材料として証拠提出され、今回再生されたのだという。

 石川被告は裁判の段階で収支報告書のウソの記載について「小沢元代表に報告して了承を得た」と供述している。弁護側は違法捜査だとすることによって、石川被告の供述を強制されたものとし、その信用性を否定する戦術らしい。

 対して検察側は勿論のこと適法捜査だとして、小沢氏が了承を与え、深く関わった収支報告書の作成だと持っていく戦術なのだろう。

 このときの事情聴取は5時間以上に亘ったそうだ。取調べを5時間設けるのは、例え途中、短い休憩が合ったとしても、神経を使うしんどい時間の拘束だったに違いない。

 次ぎの記事が録音した石川被告と検事の遣り取りを伝えている。全文参考引用。

《石川議員再聴取やりとり詳報》47NEWS/2011/01/31 02:02【共同通信】)

 東京地検特捜部の検事が衆院議員石川知裕被告を再聴取した際の主なやりとりの詳報は次の通り。

 検事「石川さん、録音機持っていない?」

 議員「大丈夫です」

 検事「この前もさ、そういうこと言っててとってたやつがいてさ。大丈夫?下着の中とかに入っていない?」

 議員「大丈夫です」

 検事「(一部報道にあった別件の疑惑で)『しかるべき時期に議員辞職します』みたいな内容の調書があったじゃない」

 議員「はい」

 検事「そりゃもうそんなの出したら大騒ぎだからね。まあ現状でいく限りね、(上司は)そんなもの世に出そうなんていう気はないと思うけど、これがまた変な方向へね、鈴木宗男(元衆院議員)みたいに徹底抗戦みたいになっちゃうとさ、『やれるものはやれ』と」

 議員「私に今日できることって何ですかね」

 検事「無難なのはさ、従前の供述を維持するのが一番無難だって。検審の、うちの方針もそうだけど、石川さんが今までの話を維持している限り、(小沢一郎民主党元代表は)起訴にはならないんだろうと思うんだよ」

 議員「今日の調書は検審も見るんですよね」

 検事「見るよ。そのために取るんだから。見せて、検審が(小沢氏は)絶対権力者であるというところにどれだけ疑問を持つかっていうかさ。絶対権力者とか何とか言われてるけれど、きちんと話をして、逮捕されている時と同じ話をして」

 議員「圧力はかかってません。今日も自分の思いを、やっぱり変えようと思う部分を、変えられたらいいってことだけです」

 検事「今度の判断は重いからね。強制起訴までは不要と検審の4人が言ってくれれば、不起訴不当で終わるわけだから」

 議員「先に(議決を)出した5人の人がまだ残っているんでしたっけ? その人たちも変えてくれればいいですけどね」

 検事「だから最初に言ったように、ここで全部否定することは火に油を注ぐことになるよね。ここで維持することが彼ら(審査員)の気持ちをどう動かすかだよね」

 議員「今回(再聴取に)応じないっていう線もあったんですよね、選択として」

 検事「あった。あったけど、それは一番最悪だよね、検審に対して。うち(検察)にとっても」

 議員「小沢さんが起訴になったら、それはそれで複雑ですよね、私も。いや、検察内でですよ」

 検事「検察が起訴した場合、いや、しないよ。石川さんが供述を維持する限りそれはできない」

 検事「陸山会の2004年分収支報告書への不記載、虚偽記入の理由ですが、『私(議員)は深沢8丁目の土地を購入するに当たり、小沢先生から提供を受けた4億円につき、小沢先生が政治活動の中で何らかの形で蓄えた簿外の資金であり、表に出せない資金であると思ったため、これを04年分の収入として収支報告書に記載しませんでした』」

 議員「いや、購入した不動産が明るみに、公表されるのをずらすということが一番の主眼点で、4億円が明るみに出るのを避けるためっていうのは、今でもやっぱり、そんなことはありませんとしか言えないんですよ」

 検事「だったらこうしようか。今まで通りの供述をした上で、最後のところで調書を読み聞かせした後、最後にその4億円についてね」

 議員「4億円を隠したいがためっていうのがね、どうしても引っ掛かるんですよ。土地登記の公表をずらすことが主眼で経理操作したっていうのが実際の話なんで」

 検事「修正できるところはするけど、ただ、趣旨を、要するに隠そうとは思っていないというのはまずいと思うから。だからそこをうまく、まず4億円ありきではないんです、という風に修正していくしかないよね」

 議員「4億円がいかがわしいお金だなんて、実際どう作られたかなんて私には分かりません」

 検事「そこは4億円不記載には関係ないよね。不記載で起訴されているから、もうしょうがない。不記載にした理由は何なのってなった時に、みんなはゼネコンからの裏金に決まってると思っていて、だから書けないんだってなる」

 議員「そういう意識はない。汚いお金だから4億円を何が何でも露見したくないっていうのは今でも違うと言いたい」

 検事「汚い金だっていうのは、検察が勝手に言ってるだけで、別に水掛け論になるから相手にしなくていいんだよ。証拠ないんだから 議員「そういう疑問を持ったことがないんで」

 検事「俺はそこ責められてるの。上が『本当にこんなこと言ってんのか』って言うわけ」

 検事「例えば、(小沢氏に)報告、了承してませんというふうになったら、強制起訴の可能性が高くなるよね」 

 検事が事情聴取を開始するに当っての発言。

 検事「石川さんさ、録音機持ってない?」

 石川議員「大丈夫です」

 検事「大丈夫?この前もさ、そういうこと言っててとったやつがいてさ。大丈夫?下着の中とかに入っていない?」

 だが、実際には石川被告はICレコーダーを鞄に隠していた。バレないか、バレた場合はどうしよか、あれこれ考えをめぐらせて極度に緊張し、そのことが気づかれないように何食わぬ顔をすることに相当神経を使ったに違いない。

 ここで取調べる側の検察官と取調べを受ける側の被告の立場上の関係を考えなければならない。仮に取調べを受ける側の被告がいくら海千山千の国会議員だとしても、取調べる側が常に支配的立場に立ち、取調べを受ける側が支配を受ける立場に立たされることに変わりはない。

 言葉を変えて言うと、取り調べる側は多かれ少なかれ証言を強制する立場にあり、取調べを受ける側は証言の強制に従属する立場にある。

 冒頭の検事の「石川さんさ、録音機持ってない?」の発言自体が既に検事が支配的立場に立っていることを物語っている。

 このような関係が取調べを成り立たせる。立場が同等であったり、逆転したりしたら、取調べは成り立たなくなる。

 例えば暴力団の親分とかが取調べの刑事の弱みを握っていて、取調べの刑事に対して支配的立場に立つ逆転状況が生じていたなら、親分から刑事に対してウソの証言を認めることを強制し、刑事はそれに対してウソの証言に従属する関係が両者の間に成り立つことになり、取調べは正当性を失うことになる。

 問題は取調べる側と取調べを受ける側の一般的なこの支配と被支配の関係、強制と従属の関係が法律の一線を超えているか、いないかであろう。

 教育現場に於ける教師と生徒の関係も同じ関係力学が支配している。そこにもし体罰を与える強制が働いたなら、法律の一線を超えることになる。

 検事が必要以上に強制意思を働かせた発言箇所を拾ってみる。

 「無難なのはさ、従前の供述を維持するのが一番無難だって。検審の、うちの方針もそうだけど、石川さんが今までの話を維持している限り、(小沢一郎民主党元代表は)起訴にはならないんだろうと思うんだよ」

 検事は小沢氏の起訴・不起訴は検察審査会の決定事項でありながら、越権行為を犯してその不起訴を餌に供述の維持を半ば強制する誘導を行っている。検事が取調べに於ける支配的立場に立っていなかったなら、不可能な越権行為であり、強制と誘導であろう。

 この発言を裏返すと、供述を翻したなら、小沢氏は起訴になるよの威しである。

 実際には小沢氏の起訴・不起訴は特捜が関係しないことなのだから、関係なしに供述を得なければならないはずだ。検察審査会にしても得た供述を基に判断すべき小沢氏の起訴・不起訴でなければならない。

 石川議員の「今日の調書は検審も見るんですよね」の質問に対して、検事は「見るよ。そのために取るんだから。見せて、検審が(小沢氏は)絶対権力者であるというところにどれだけ疑問を持つかっていうかさ。絶対権力者とか何とか言われてるけれど、きちんと話をして、逮捕されている時と同じ話をして」と答えているが、検察審査会に「絶対権力者」の印象を持たせないためには供述は翻してはならないとする巧妙な誘導となっている。

 検事の取調べでの役割は強制や誘導によってではなく、淡々と事務的に供述を取り、もし前の供述と違っているなら、違っている理由を追及するものの、取調べを受ける側がそれが事実ですと断言した場合、二つの証言を記した調書とし、その証言の違いの何れが事実なのかは裁判を通して追及し、最終判断は裁判所に委ねることであろう。

 もし取調べが全面的に可視化されたなら、記事が伝えている検事の誘導や強制の態度は消えて、このような推移を取るはずだ。

 検事の「今度の判断は重いからね。強制起訴までは不要と検審の4人が言ってくれれば、不起訴不当で終わるわけだから」にしても、「だから最初に言ったように、ここで全部否定することは火に油を注ぐことになるよね。ここで維持することが彼ら(審査員)の気持ちをどう動かすかだよね」にしても、「不起訴不当」を餌にした利益誘導と「ここで全部否定することは火に油を注ぐことになるよね」を威しに使った供述維持の強制とで成り立たせた発言となっている。

 言葉は柔らかいが、意味していることが法律の一線を超えた事情聴取となっていないと言えるだろうか。

 「検察が起訴した場合、いや、しないよ。石川さんが供述を維持する限りそれはできない」にしても、それがさも可能であるかのように匂わせて、不起訴を交換条件とした供述維持の強制となっていて、これを誘導と言うことはできても、事情聴取とは決して言えない。

 また問題となっている4億円に関する遣り取りにしても、検事の言葉はすべて供述を維持させるための取調べとは言えない、ほぼ全編誘導そのものとなっている。

 特に石川議員が「4億円がいかがわしいお金だなんて、実際どう作られたかなんて私には分かりません」と言ったのに対して、「そこは4億円不記載には関係ないよね。不記載で起訴されているから、もうしょうがない。不記載にした理由は何なのってなった時に、みんなはゼネコンからの裏金に決まってると思っていて、だから書けないんだってなる」と答えているが、誘導そのものの不当な発言となっている。

 例え殺人罪で起訴されていたとしても、殺人罪を否定して無罪を主張することもできる。「もうしょうがない」ということは決してない。石川議員自身、無罪を主張し、控訴している。

 検事の最後の発言である「例えば、(小沢氏に)報告、了承してませんというふうになったら、強制起訴の可能性が高くなるよね」は、やはり言葉は柔らかいものの、威しそのものの強制意志を働かせた発言となっている。「強制起訴の可能性」を威しのネタにして供述維持への誘導である。

 上記記事が触れていない、石川議員から小沢元代表に対して「報告して了承を得た」とする時期に関する遣り取りがある。 

 《談笑・訂正渋る…石川議員聴取の隠し録音、法廷で再生》asahi.com/2011年10月15日1時29分)

 〈報告時期を「2005年3月下旬ごろ」と言う検事に対し、石川議員は「それは04年の年末ですね」と訂正を求めた。〉――

 検事「12月だろうが3月だろうが、変わんねーからさ。変わると、なんで変わったのってなっちゃうからさ。めんどくせーからさ」

 石川議員「分かりました。なんか忸怩(じくじ)たる思いが」

 上記「47NEWS」とは別の「47NEWS」の石川議員の発言は次のようになっている。

 石川議員「じくじたる思いがありますが、まあしかたないです」

 他の事実との関連で「変わんねーからさ」ということは決してないはずだ。ここでは検事の言葉は柔らかい言葉から一転して乱暴な威し口調に変化している。

 声色自体にも強制的意思を滲ませ、供述の維持を不当に強要している。

 以上を以ってだろう、「NHK NEWS WEB」記事によると、〈弁護側は検察官が威嚇、利益誘導を用いて違法な取調べを行ったと供述調書の信用性〉を否定していて、対して弁護側は〈検察官と石川議員が談笑しながら話しているやり取りを法廷で流し、特捜部の取り調べには問題はなかったと反論してい〉るとという。

 だが、例え談笑している発言箇所があったとしても、取調べの場に於ける取調べる側と取調べを受ける側との支配と被支配の関係、強制する立場と強制に従属する立場との関係が消えるわけではなく、そのような上下関係のメカニズムを受けた中での談笑であることを無視している。

 もし5時間に亘る事情聴取の全編を通してときには談笑が洩れる和やかな関係が維持されていたなら、検事の石川議員に対する供述維持の強制も利益誘導も行われることなかったろう。

 石川議員は隠し録音をしていた。バレないか、その不安と緊張は最後まで解けなかったはずだ。露見することの恐ろしさを隠すために殊更冗談を言って冷静を装い、相手に疚しいことはことはないと伝えるサインとする場合がある。

 冷静を装う手段として殊更冗談を言った可能性は否定できない。

 検察官役の指定弁護士と弁護側の弁護人の公判後の発言を伝えている記事がある。《「強制ない」「威迫」…石川議員の聴取録音再生》YOMIURI ONLINE/2011年10月15日03時05分)

 検察官役の山本弁護士(供述の任意性に問題はないとする発言)「ざっくばらんに供述している。自らに不利益なことも認めている」

 主任弁護人の弘中惇一郎弁護士(閉廷後の記者会見)「検事は再逮捕の可能性も示唆しており、恐怖心をあおる威迫と利益誘導は明らか。友好的な雰囲気とも解釈できるが、実際は石川被告が迎合しているにすぎない

 「検事は再逮捕の可能性も示唆して」いるとする発言。

 石川議員「また逮捕されるのではないかと、おびえながら生きてますよ」

 検事「組織として本気になった時に、全くできないかっていうと、そうでもない」

 逮捕は本気か本気でないかに基づく行為ではなく、あくまでも立証可能な証拠に基づく行為であるはずである。

 この発言こそが検察官側が談笑や「ざっくばらん」な遣り取りを以ってして任意性に問題はないとする根拠を全面的に否定し得る象徴的な言葉と言える。

 弘中惇一郎弁護士の発言こそが、全うな判断と言えるだろう。

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野田事業仕分けのマッチポンプな自己矛盾のパフォーマンス

2011-10-14 11:12:51 | Weblog

 野田首相の指示で蓮舫行政担当相が民主党政権として4回目の事業仕分けを11月下旬に開催するとのこと。

 事業仕分けは行政刷新を目的としていたが、これまでの事業仕分けはムダな予算やムダな事業を洗い出して見直しや存廃を判定、歳出削減を図り、削減したカネを必要な政策の財源にまわすことを主眼としていたが、野田事業仕分けは従来の方法とは趣を異にすると言う。

 《野田政権、11月に事業仕分け 行政監視にシフト》日経電子版/2011/10/13 19:48)から見てみる。

 〈個別事業の存廃を判断する従来の仕分けと異なり、原子力・エネルギーと社会保障の個別政策の問題点を洗い出す行政監視に軸足を置く。子ども手当など民主党マニフェスト(政権公約)の主要政策の財源捻出の色彩は一層薄れる見通し。〉と記事は解説している。

 4回目の仕分け対象は原子力・エネルギーと社会保障に限定、行政監視に軸足を置いて、個別政策の問題点を洗い出すが中心となるということである。

 具体的には原子力・エネルギー関連では、東電に限らない電力会社や関連公益法人への元公務員の再就職状況の調査。社会保障関連では生活保護制度を巡る不正受給の問題点の調査を行うとしている。
 
 NHKテレビのニュースで、野田首相が先月行われた就任後初めての行政刷新会議で事業仕分けを深化させ、行政刷新を確固たるものにするよう指示したと伝えていたが、事業仕分けの「深化」とは予算・事業のムダの洗い出し作業から「行政監視」作業への転換を指すことになる。

 「行政監視」そのものは省庁等の行政機関が行う業務全般を監視することを言うはずだ。

 だが、この「監視」は民主党の場合、各行政機関の所管大臣を筆頭とした政務三役の役目としてある管理・監督の任務の中で行うべき責任行為であるはずである。

 管理・監督という役目には組織を率いて目的とした事柄を効率的・実効的に実現させる責任をも含む。組織を率いて自らに課せられた責任範囲内の次官、その他を使った業務全般の「監視」を満足にこなせないようでは、自分たちの責任としている管理・監督の役目に適格性を欠くことになる。

 このことの矛盾も然ることながら、行政機関を管理・監督し、業務全般を監視する所管大臣以下の政務三役のチェックが機能しなかった部分を同じ内閣がチェックするという政権レベルで言えば内閣による自作自演に相当する自己矛盾を演じることになる。

 この自己矛盾は首相が任命した大臣を筆頭とした政務三役がその能力を十分に発揮していないことによって発生することになるのだから、首相の任命責任にも関わってくる大臣以下の政務三役の能力の機能不全となる。

 逆説するなら、事業仕分けといったチェックを待たずに大臣以下の政務三役の段階でチェックしなければならない、いわば「行政監視」でなければならないということではないだろうか。

 もし所管大臣以下の政務三役の段階で「行政監視」のチェックが機能しなかったことが判明した場合、今度行うとしている事業仕分けはマッチポンプ形式のチェックということになり、そこに自己矛盾が存在することになる。

 ここで言うマッチポンプとは、「自分でマッチを擦って火をつけておいて消火ポンプで消す意」の和製語で、「自分で起した揉め事を静めてやると関係者に持ちかけて、金品を脅し取ったり、利益を得たりすること」の意味で使われていると『大辞林』(三省堂)に書いてあるが、元々の意味で使っている。

 いわば、首相が任命した自身の内閣に所属する大臣以下の政務三役が「行政監視」の機能を果し得ずに発生させた問題点を同じ内閣が洗い出すという自作自演はまさしくマッチポンプ相応の事業仕分けと言うことができ、自己矛盾そのものであろう。

 例え問題点を洗い出して見直すことができたとしても、「行政監視」に関わる機能不全という元を断たずにこのことが繰返されて常態化した場合、その常態化は大臣以下の政務三役の責任事項である「行政監視」が機能していないことの常態化とその放置をも意味することになり、事業仕分けそのものが自分で火をつけておいて自分で消して、その成果を誇るパフォーマンスと化すことになる。

 行政機関を管理・監督・監視する大臣以下の政治家がその能力を十分に身につけ自らの責任範囲としなければ、何事も始まらない。

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1票の格差是正を言いながら、与野党協議の名の元民自公のみで政治を動かす奇々怪々

2011-10-13 11:40:35 | Weblog

 野田内閣は震災復興が柱の今年度第3次補正予算案を前以て自民・公明両党との与野党協議で内容を合意させ、閣議決定を経て国会に提出、成立を図ろうとしている。

 復興基本法案も同じ構図を取って6月20日(2011年)に成立したが、自公両党の主張をほぼ丸のみして政府案の修正を経ることになった。

 勿論、与野党ねじれ状態の参議院を通過させるための止むを得ない手段だが、言ってみれば、菅前内閣の2010年参院選敗北がもたらすこととなった成果とも言える。

 だが、与野党協議と言っても、野党は自公のみではない。みんなの党もあれば、共産党、社民党、たちあがれ日本もあれば、国民新党、新党改革もある。

 これらの党を協議の相手として数の内に入れない与野党協議の形を取っているのは与野党ねじれた参議院で賛成多数の成立を図るには過半数を得る16議席を獲得できれば望みを達することができるものの、そこには政策の近似性を受けた政党としての近親性を不可欠の必要条件とするため、その条件を満たす少数野党が存在しないことの選択として、予算案や震災復興に関わる政策に関しては国の姿形、あるいは国の方向性を決めることになるため、野党の中でも代表的野党を入れないことにはその体裁を取ることができないため、議席数が多い自公との与野党協議に結果として限定することになっているという理由もあるに違いない。

 尤も自民党参議院89議席に対して19議席のみの公明党が与野党協議の一角を占めているについては自公が政権交代前に連立を組んでいたことと、自民党が公明党の協力を得ることによって衆参共に民主党の議席数に対して数の上で自身の議席数以上の勢力を形成することになる与党に対する対抗上の意味合いから仲間として必要としている思惑に対して、民主党からしたら公明党を連立相手として引き込みたい政局的思惑から与野党協議の一角を占めることに意味があり、尚且つ公明党にしても勢力形成上、時々の状況に於いて自民党を必要とし、あるいは民主党を必要とすることから、このような三者の思惑が寄り合って民自公の与野党協議を成立させていることになっているはずだ。

 いずれにしても自公以外にも全野党が加わって然るべきだと思うが、自公以下の少数野党を排除しながら、与野党協議だと名乗っている。みんなの党以下を野党とすら認めていないのかもしれない。

 現在、1票の格差が問題となっている。

 最高裁が2011年3月23日、民主党が大勝利し、政権交代を果たした2009年衆議院選挙を違憲状態と判断した。小選挙区300議席のうち、47都道府県に1議席を「別枠」として割り当て、残り253議席を人口に比例して配分する「1人別枠方式」を「投票価値の格差を生じさせる主要な要因」であり、「不合理」と断定したことから、従来以上に問題視されることになった。

 民主主義社会に於ける議席は人口比例で選ばれることが原則であるとしていることを根拠とした「1人別枠方式」の否定ということなのだろう。

 だが、この原則は有権者一人ひとりの権利を平等に価値づけていると同時に一人ひとりの判断をも平等に正当性を有すると価値づけていることを意味する。

 もし判断に優劣をつけて判断の平等な公平性を否定した場合、各1票の平等性は失われ、最高裁が言っていることと何ら変わらない「投票価値の格差を生じさせ」ることとなって、有権者一人ひとりの権利の平等性をも否定することになる。

 2009年と2010年の民主党代表選で菅直人に投票した国会議員、地方議員、その他の判断が決して正しくなかったことは菅首相の末路を見れば何よりの証明となるが、前以て誰の判断が優れていて、誰の判断が劣っていると決定づけることはできないことからの平等性であるに違いない。

 いずれにしても有権者一人ひとりは平等の権利を有し、このことが担保されることによって各1票は平等な価値を備えることになり、このような平等性に則って配分された議席は正当で平等な判断に基づいているとしていることになる。

 いわば1票の格差是正の要請は1票の平等性の確立を以って少なくとも政治執行に於ける第一歩の公平性が担保されるとする考えに立っている。政治の初期的公平性と言ってもいい。

 このような初期的公平性を以って政治はスタートしなければならないということなのだろう。

 例えそれぞれに平等な1票、平等な判断を以ってして一方に一大政党を形成し、一方に小政党をいくつか形成しようとも、政治の初期的公平性は担保されたことになる。

 このことを逆説するなら、政治の初期的公平性のうちには選挙結果としての小政党の価値が含まれることになる。また、含まれなければならない。

 含まれないとしたなら、小政党に投票した1票の平等性は、あるいは平等な価値は排除され、その時点で1票の平等性、平等な価値を否定することになる。

 小政党の価値は他の政党に投票した有権者と平等な権利を有した、小政党に投票した有権者の他の票と同等の平等性を持った各1票によって成り立つ側面を有しているのだから、その存在意義を認めない場合、小政党に投票した有権者の平等な権利、そして1票の平等性、1票の判断の平等な判断を共々抹消することになるはずだ。

 有権者一人ひとりが平等な権利を有し、各1票の判断が平等な正当性を有するとすることを政治の初期的公平性と位置づけるなら、与野党協議と言いながら、限定した野党の参加のみを認め、他の野党を排除するのは政治の初期的公平性の否定に当らないだろうか。

 有権者一人ひとりの平等な権利を否定し、各1票の平等性、あるいは各1票の判断の平等な正当性を否定することになるのではないだろうか。

 この否定を消去して、有権者一人ひとりの平等な権利、各1票の平等性、各1票の判断の平等な正当性といった政治の初期的公平性を担保するには与野党協議にすべての野党を参加させることによって可能となる。

 与野党協議がより多くの野党を参加せて構成した場合、政策・意見の違い、利害の異なりが複雑多岐に絡み合うことになり、纏まるものも纏まらなくなると言うなら、与野党協議をやめて、国会で議論すべきだろう。

 政治の初期的公平性の担保という点では与野党協議よりも国会の場での方がより確保できるはずであり、司法が望む「投票価値の格差」解消にもつながるはずである。

 1票の格差是正を言って、1票の平等を求めながら、与野党協議では同じく1票の平等性によって成り立っている小政党を排除し、それが1票の平等性の排除にもつながっていることは矛盾そのもので、民自公は政治の場面で不公平を演じていることになって、奇々怪々と言わざるを得ない。

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野田首相リップサービスの「拉致、解決するならいつでも北朝鮮にいく」は富士山丸船長釈放方式で

2011-10-12 10:30:13 | Weblog

 野田佳彦首相が10月8日、拉致被害者家族15人と首相官邸で面会した。《拉致解決へ訪朝意欲 首相、被害者家族と面会 具体策は示さず》MSN産経/2011.10.8 22:55)

 野田首相「震災で家族と連絡がとれず、つらい思いをした人が私を含め日本中にいる。長い歳月そういう不安を持つご家族の思いを共有できる状況で、今まで以上に拉致問題の解決に全力を尽くす」

 〈家族からは北朝鮮に行って交渉するよう求める声が上がった。〉

 野田首相「私が行くことで拉致問題を含めた諸懸案が解決するならいつでも行く。拉致は時間との闘い」

 但し、記事題名にもあるように、〈交渉に持ち込むための具体策は示さなかった。〉という。

 飯塚繁雄氏(73)拉致家族会代表(田口八重子さん=拉致当時22歳=の兄)「意気込みは感じた。われわれは期待するしかなく、注視していきたい」

 野田首相に「意気込みは感じた」が、交渉に持ち込むための具体策構築の確約と構築早々に自ら北朝鮮に乗り込んでいくとする強い意思表明を示すまでの「意気込みは感じ」なかったと言うことか。

 HP《救う会:★☆救う会全国協議会ニュース》に野田首相の発言の概要が記載されている。箇条書きの記載だったが、発言形式に変えた。

 〈野田総理と家族会との面会〉(2011/10/08)

 総理の発言の概要は以下の通り。

 野田首相拉致問題は主権の侵害であるとともに重大な人権侵害だ。国が責任を持て解決しなければならないことが基本だ。どの内閣でだれが総理でも同じだ。

 わが国としての全力で取り組むとともに、国際社会に重大性を認識していただき理解と協力を求めることも必要だ。国連総会での演説では、通常は核とミサイルと並行して取り上げてきたが、拉致問題を特に取り上げた。オバマ大統領、李明博大統領、潘基文事務総長との会談などでも取り上げた。これからもあらゆる機会をとらえて理解と協力を求めていきたい。

 要は実効性のある協議をかの国とどう持つか、そのためにあらゆる手立てをとりたい。

 (家族会メンバーから)北朝鮮に行けと言われたが、行って解決できるならいつでも行く。まずは環境整備だ。

 (家族会メンバーから)話しがあった帰国者への更なる支援について検討を指示する。

 自分の子どもだったらと考えよと言われた。家族の高齢化について言われた。まさに時間との勝負であると認識している。緊迫感を持って内閣としてやっていく。

 (救出のための)青写真について問われたが、交渉ごとであり、ある程度ベールに包まなくてはならない。言えることと言えないことがあるが、全力を尽くす。

 (家族会・救う会の)決議にもあったが、国際社会への取り組みはありとあらゆることを行う。

 (制裁について)わが国として実効性ある協議をするためにあらゆる方策、実効性ある方策を政府一丸で実行に移したい。

 朝鮮学校の高校無償化の扱いについては、前の内閣で決めたが、文部科学省に厳正に審査するように指示した」・・・・・

 北朝鮮に率先して自ら乗り込まない理由に前以ての「環境整備」の必要性を挙げているが、拉致解決は国家責任であると言い、当然のこととして「どの内閣でだれが総理でも同じだ」としている以上、小泉内閣が2002年9月17日に訪朝、日本人拉致被害者5人の帰国を約束させる成果を上げ(同年10月15日、5人帰国)、このことを以って拉致問題の幕引きを謀ろうとしたが、国内世論が5人のみの帰国に激しく反発、全員帰国を求めたことから、小泉内閣は2002年9月26日に第1回「日朝国交正常化交渉に関する関係閣僚会議」を開催して「拉致問題を最優先課題としてその解決に全力を尽くす」ことを政府の基本方針とすることになった。

 それ以来、いわゆるのちに「拉致解決なくして国交正常化なし」と表現することになり、現在ではすっかりスローガン化してはいるが、その政府方針を歴代内閣が継続しているのだから、「環境整備」は2002年9月26日以降、2011年10月の現在に至るまで小泉内閣も含めて「どの内閣でだれが総理でも同じ」ように歴代内閣が取り組み、それ相応に固まってきてもいい訪朝の「環境」のはずだが、「まずは環境整備だ」と今以て整っていない、整うのはまだ先のことだと、これまでの取り組みが何ら成果を上げていないことを暴露している。

 要するに順次見てきているように北朝鮮側の「拉致問題は解決済み」の態度をクリアできるアイデアを築き得ていないということなのだろう。いわば訪朝の「環境整備」は北朝鮮側の「拉致問題は解決済み」の態度を日本側が如何にクリアできるかどうかにかかっている。

 クリアできていないために結果として解決に向かうことのない現状放棄の状態が続いていた。

 クリアできるかどうかが一番の問題となる「環境整備」と見た場合、クリアできていない以上、「北朝鮮に行けと言われたが、行って解決できるならいつでも行く」はほぼリップサービスに等しい。

 また、北朝鮮側の「拉致問題は解決済み」の障壁をクリアできていない以上、救出のための青写真について、「交渉ごとであり、ある程度ベールに包まなくてはならない。言えることと言えないことがある」と言っていることについても、殆んど意味を失う。言えるとか言えないとかの問題であるよりも、「ベールに包まなくてはならない」秘密事を秘密事のままに如何に救出に生かすかがより重要な問題となるだからだ。

 外交交渉で20年、30年先に初めて明らかにされる、いわゆる新事実と言われる取引情報がいくらでもあるということは外交交渉時にはベールに包んで言えないことの存在の証明以外の何ものでもなく、秘密事よりも交渉の成立を優先させていたことの証明でもあろう。

 勿論、秘密事が交渉成立のための常に正しい取り計らいとは限らない。不平等取引きや不正取引きであったりするために密約として意図的に隠す場合も存在する。

 交渉を成立させることを第一意義としなければならない以上、救出のための「青写真について問われたが、交渉ごとであり、ある程度ベールに包まなくてはならない。言えることと言えないことがある」は北朝鮮側の「拉致問題は解決済み」の障壁をクリアできるアイデアを見つけ得ず、訪朝の「環境整備」を整えることができていないために訪朝できないことを正当化する口実に過ぎないと見るべきだろう。

 北朝鮮側の「拉致問題は解決済み」の態度を取らざるを得ないのは拉致首謀者が北朝鮮の最高権力者である金正日本人だからだろう。

 このことはブログやHPに書いてきたが、一例を挙げると、2007年6月8日記載の当ブログ記事――《安倍首相の脱北者対応に見るお粗末な政治創造性 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に次のように書いた。

 〈北朝鮮にとっては例え韓国向けと同様の経済援助方式であろうと日本からの戦争賠償と日本との経済関係の確立が北朝鮮経済建て直しに喉から手が出るほどに欲しい最重要な宝の山のはずだが、そのような宝の山を手に入れることよりも拉致問題は解決済みの無視を優先させている。

 普通の感覚なら、宝の山を手に入れることが拉致問題よりも優先事項のはずで、拉致解決に早々に取り掛かるはずだが、その逆で、宝の山を自ら遠くに追いやることとなっている拉致解決の引き延ばし、あるいは解決済みとして無視する態度はそれが宝の山に代えてもそうすべき国家的重要事項となっているからだろう。つまり両者を天秤にかけて、宝の山は秤から外せても、拉致問題は秤に乗っけたままにしておかなければならない状況にあるということを意味している。

 別の言葉で言い換えるなら、宝の山はキム・ジョンイル体制の強化につながる重要事項の一つでありながら、それを無視すると言うことは、拉致解決抜きをスケジュールに乗せて初めて体制強化の保証となるということだろう。拉致解決への取り組みはキム・ジョンイル体制維持・強化を相殺しかねない、あるいはそれ以上の障害物だということを裏返しに証明している。

 ここに拉致がキム・ジョンイルの直接指令による国家犯罪だと主張する根拠がある。〉――

 そして生存者を全員日本に帰国させた場合、その中に金正日が首謀者だと知っている者が存在するから、「拉致問題は解決済み」の障壁を設けなければならなかった。

 金正日自身は拉致は「特殊機関の一部の妄動主義者による犯行」だとしていたが、絶対的独裁国家に於ける独裁者たる最高権力者金正日と工作機関・諜報機関の類いとは独裁体制維持装置として一心同体の密接なつながりを持ち、独裁体制維持装置としての存在意義を担わされている以上、独裁者の意向に反する「妄動主義」は決して許されない否定要素であるはずである。

 いわば絶対的忠実を常にモットーとしていなければならない。

 それが忠実に反して30年、40年と金正日の知らないところで妄動主義者が横行していたということはあり得ない事実としなければならない。

 金正日を限りなく拉致首謀者に確定している記事が存在する。全文参考引用。 

 《拉致工作機関、金総書記が直接指揮 日本政府調査で判明》asahi.com/2009年11月2日3時2分)

 北朝鮮による日本人拉致事件を計画・実行した朝鮮労働党対外情報調査部(現35号室)が、金正日・朝鮮労働党書記(現在は総書記)から直接指揮を受ける形で活動していたことが、日本政府の関係当局の調べで明らかになった。金総書記からの指示を受ける際には「伝達式」が行われていた。日本政府内では、金総書記が日本人拉致を指示したか、少なくとも知りうる立場にあったとの見方が強まっている。
 金総書記は02年9月の日朝首脳会談で、当時の小泉純一郎首相に「特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走ってこういうことを行ってきたと考えている」と述べて謝罪。責任者をすでに処罰したとも説明した。自身の関与を否定するこうした主張の根拠が揺らげば、拉致、核、ミサイル問題を包括的に解決して日朝国交正常化を目指す方針を掲げる鳩山内閣の取り組みは困難なものになりかねない。

 政府関係当局の調べでは、日本人が拉致された70年代から80年代初め、対外情報調査部は、金日成国家主席(故人)の後継者の地位を固めつつあった金正日総書記直属の工作機関と位置づけられていた。部長、副部長、課長、指導員、工作員という構成。副部長は3人おり、課は1課から7課まであった。課ごとに日本、韓国、中国などを国別に担当していたほか、工作員養成を担当する課もあった。

 金総書記からの命令を受ける際には、朝鮮労働党の本部に部長、副部長、課長が集められ、「伝達式」が開かれていた。命令は「親愛なる将軍様、金正日同志が次のように指摘されました」という言い回しで始まり、それに続く形で具体的な内容が文書や口頭で伝えられた。命令はその後、課長から指導員、指導員から工作員の順に必要事項が文書や口頭で伝えられた。命令は絶対で、背いた場合には職務更迭や処刑などの厳しい処分があったという。

 日本人拉致事件をめぐっては、すでに警察当局は金総書記に近い対外情報調査部の李完基(リ・ワンギ)・元部長と姜海竜(カン・ヘリョン)・元副部長が、地村保志さん、富貴恵さん夫妻、蓮池薫さん、祐木子さん夫妻の拉致を計画、指示したと判断している。政府関係者によると、福田政権時代に逮捕状を請求することも検討されたが、官邸側の意向で見送られたという。

 日韓外交筋によると、この幹部2人の関与を裏づける過程で、08年2月中旬に日本政府関係者が、78年に北朝鮮に拉致されてその後脱出した韓国の女優、崔銀姫(チェ・ウニ)さんに事情聴取した。崔さんは著書にこの幹部2人と金総書記が写った写真を掲載している。崔さんは事情聴取に対し、金正日総書記が70年代に金日成国家主席から政権運営を譲り受けていたと説明し、日本人拉致については金総書記の指示が「あったと思われる」と証言した。

 但し鳩山内閣自体の日本政府はこの報道を否定している。 
《「金総書記が拉致指揮」報道を否定=官房長官》時事ドットコム/2009/11/02-11:56)

 平野博文官房長官は2日午前の記者会見で、北朝鮮の金正日総書記が日本人拉致事件を実行した機関を指揮していたことを政府が確認したとの朝日新聞の報道について「この事実関係を政府としては把握していない」と否定した。

 日本政府としては誰の内閣であっても、拉致首謀者は金正日だと正式に認めることはできないだろう。拉致解決のすべての扉が閉ざされるばかりか、秘密を葬り去るために拉致生存者の命を抹殺する暴挙を誘導する危険性を犯すことになりかねない。

 野田首相が言っていた「交渉ごとであり、ある程度ベールに包まなくてはならない。言えることと言えないことがある」の秘密事項の内に“金正日拉致首謀者”も入っている可能性がある。
 
 金正日が拉致首謀者であるを前提とした北朝鮮側の「拉致問題は解決済み」の障害をクリアするためにはアメリカその他の国で行われている司法取引に倣い、倣いながら、司法取引の規定以上に免罪のみならず、金正日の犯行という事実自体を隠蔽する必要があり、その必要性を満たすために帰国した拉致被害者の内、秘密を知る者の口から事実が洩れないようにしなければならない。

 第18富士山丸事件は「Wikipedia」記事を参考にする。

 1983年11月、日本の冷凍貨物船「第十八富士山丸」は北朝鮮の港を出港後、密航者となっていた朝鮮人民軍兵士を発見、法律上、密航者は元の国に送り届ける義務に反して、海上保安庁の指示で北九州市門司で身柄を引き渡し、取調べることになったが、本人から亡命の申請があり、身柄の送還ができなくなった。

 約10日後、第18富士山丸が北朝鮮の港に入港すると、乗組員5人が抑留され、内船長と機関長が密航幇助及び継続的スパイ行為の容疑で拘留を受ける。

 約7年後の1990年、金丸信を中心とした日本国会議員による訪朝団の釈放交渉の結果、訪朝団と共に日本に帰国。釈放の条件は「日朝の友好を乱さぬように」とする政治的事由から朝鮮民主主義人民共和国に於ける体験については公言せず沈黙を守ることであり、そう宣誓させられたという。

 だが、2人は金丸信が失脚後、沈黙を破って、拷問に近い取調べを受けたこと、証拠を作っておくためにだろう、罪を認めれば日本に帰国させるというウソをまともに受け止めて罪を認めるとする調書にサインし、投獄されることになったことなどをマスコミに対して話すこととなった。

 もし2人が一切口を噤んでいたなら、第18富士山丸船長釈放方式が生きるのだが、先ず最初に2名が釈放の交換条件とされた沈黙を破った前例を如何にクリアするかにかかってくる。
 
 これをクリアして、「拉致問題は解決済み」の障害のクリアにつなげなければならない。

 もし拉致被害者釈放を最優先させるなら、金正日が拉致首謀者であることは我々は知っている、証拠も挙がっているという態度を阿吽の呼吸で相手に知らしめた上で、全員釈放が実現できた場合、日本政府は北朝鮮に対して誰が首謀者であるか真相解明を求めないし、当然、処罰も求めない、日本政府自身も帰国者に取調べをして拉致の実態を明らかにすることはしない、帰国者自身にも生涯に亘って沈黙を守らせる、交換条件としての日朝国交正常化後の日本からの戦争賠償と経済援助が北朝鮮に如何にメリットとなるかということと、北朝鮮の経済の崩壊が国の崩壊に向かわない保証はなく、その場合、金正恩への権力の父子継承もうまくいかないだろうし、経済的立ち直りが権力の継承を保証する唯一の手立てであり、そのためにも日本の戦争賠償と経済援助は欠かせないはずだと説得する。

 他にいい方法があるだろうか。

 尤もこの方法でも、ミサイル問題をどう扱うか、クリアしなければならない。日本だけの問題でないから、なお難しい対応が求められることになる。

コメント (1)
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