現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

3/3 ひなまつり

2009-03-03 20:10:22 | 虚無僧日記
3/3 昨日に引き続いて、津市分部の本願寺での
「ひなまつり」に呼ばれて行った。津市内とは云って
も周りは田畑が広がる田園地帯だ。檀家さんは
農家が多いから、野菜をふんだんに使った料理、
漬物、炊き込みご飯、餅菓子、ごま豆腐と、食べ
きれないほどの料理を運んできてくださる。
その余ったものは全部いただいてきた。冷蔵庫は
満杯。これで1ヵ月は過ごせる。ありがたいことだ。

これも幸運は向こうから突然やって来たのではなく、
こうなるべくしてなった。すべては必然なのだ。
そうなるためには、日頃から“感謝”の心を忘れない
ことだ。私の尺八に耳を傾けてくださることに感謝。
徹夜して料理を作ってきてくださった方々に感謝。
その料理を、余ったから捨てるなどということは
絶対にできない。感謝の心で全部いただいて帰る。
何事にも感謝の心を忘れなければ、幸運はますます
大きく舞い込んでくると思う今日この頃である。

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念ずれば通ず

2009-03-03 20:10:06 | 虚無僧日記
風水の伊藤夢海さんの話。「人は皆、自分の思い
通りに生きている」と。

金持ちになりたいと思ってはいても、今あれを食べ
たい、あれが欲しい、これも欲しいと、ついつい
買ってしまう。だから金持ちになれない。でも、
あれが欲しいこれも欲しいと買ったということは、
思い通りに生きているのです。本当に真剣に金持ち
になりたいと思っていたら、そのような生活をする
でしょう。そしてお金を貯めるでしょう、と。

なるほど、そう言われれば、私はお金にまったく
執着がない。入ればすぐ使ってきた。入るのを
あてにしてカードで使いまくってきた。使わない
よう努力していれば、1億円くらい貯まっていた
のだ。だが、そんな倹約の生活より、ずっといい
人生を歩んできた。

私の人生は、まさに「念ずれば通ず」だった。
子供の頃から虚無僧生活に憧れてきたわけで、
会社が倒産してくれて、妻も別れてくれて、
念願かなって虚無僧になれた。みんな願い通りだ。
バラ色の人生を送ってきた。後悔はしていない。
もういつ死んでもいいと思っている。


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念ずれば通ず?

2009-03-03 20:09:43 | 虚無僧日記
虚無僧で立っていると、若い男性が近づいてきて、
私に手を合わせ「運を呼ぶにはどうすればいいですか?」
と聞いてきた。なんとなく元気がなさそうな声。リストラ
でもされたかと思い、元気づける意味で「念ずれば通ず、
自分は運がいいと思うことです」と答えた。すると青年は
なにがしかの布施を入れてくれ「私は運がいいんです」と。
(あ、そう・・・?)。どうもまだ、相手の心が読めない。

「念ずれば通ず」で検索してみると3,330件ヒットした。
「念じて、叶えられた」という喜びの声が多い。「あれが
欲しい、ああなりたいと念じていれば、自分自身そう努力
するから叶えられる」とも。

ふむふむ。だが、念じても叶えられない場合もある。運の
悪い人もいる。努力しても叶えられない場合もある。たとえば
志望校に合格できなかった人にはどんな慰めができるのだろう。

今朝の朝起会でWさんがこんな話をされた。
当たりくじ付きの自動販売機の前で、父と女の子の会話。
「ようし、絶対当ててみせる。当たる当たると念ずれば絶対
当たるからな」とお父さん。しかしその思いも空しくはずれ。
娘はがっかりするかと思いきや「これで、他の人が当たるね。
当たった子は喜ぶでしょうね。良かったね」と。10歳にも満た
ない女の子でも、他人に喜びを譲って、それを自分の喜びと
する。その言葉にお父さんはびっくりしたと。

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偶然は無い

2009-03-03 19:46:15 | 虚無僧日記
本のタイトルを忘れたが、数日前の新刊書の広告に
サブタイトルで「幸運は、偶然という衣に隠れてやって
くる」というようなことが書いてあった。

偶然は無い。物事はすべてなるべくして起きている。
宝くじが当たったという人も、当たるべく相当の
努力をしているという。買わない人には当たらない。

そう考えると、思い通りに生きてきた私だが、そう
なるように人一倍の努力はしてきた。自分の運命は
自分で切り拓いてきた。また逆に、己の限界を弁えて、
望んでも無理なことには挑戦しない。手の届く可能性の
ある目標に向かって、ひとつひとつ手に入れてきた。
その達成感。それが人生の満足感かと思う。

ノーベル賞受賞者の小林誠氏もそのようなことを言って
いた。ひとつひとつ明らかになっていく達成感。でも、
このまま続けても結果が得られるかどうか、あきらめ
ない努力とともに、見極める勇気も必要と。私には
ノーベル賞は望むべくもないのは当然。では名古屋市
文化賞くらいは可能性無きにしも非ずだが、無位無冠
だった一休や福沢諭吉に憧れる私である。やはり要ら
ない。だから獲れない。これ必然。

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