現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

東京見物

2009-03-31 20:50:42 | 虚無僧日記
毎年、春夏の休みには、マネージャーの鈴花とその
子供たちを東京に案内してきた。モウ10年になる。

名古屋しか知らないのでは“井の中の蛙”になって
しまうから、東京の刺激に触れさせたいという教育心
だった。銀座や六本木をはじめ、丸の内、証券取引所、
朝日新聞社、国会議事堂や防衛庁、築地市場などなど、
東京人の私でも行ったことのない所だが、子供のため
となると、面白い見学場所を探しては行ってきた。

その効果は、二人の子供で分かれた。上の“一珍”くん
は、“1を聞かずとも10を知る”タイプ。洞察力が鋭い。
東京には嫌気がさして、名古屋大学に決めた。
下の娘は、さすが女の子だ。東京の最先端の流行に
敏感。原宿や渋谷の御用達の店での買い物が生き甲斐だ。

“鈴花”は“女帝”に憧れる。夜8時、新橋から銀座の
クラブ街を見物。和服を着こなしたクラブのママさん
たちの出勤風景にしばし見とれる。高級外車が並び、
黒服のお兄いさん達も路上に並ぶ。私もバブルの頃は
一、二度足を踏み入れた世界。

この不況で、600店が姿を消したというが、どうして
どうして、こういう世界がまだまだ存在している。
東京は刺激的だ。年に一、二度、東京で刺激を得て
くることが、明日からの活力源になっているのだ。

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一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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3/30 東京 原宿 渋谷

2009-03-31 20:49:04 | 虚無僧日記
今回の東京行きは、“ナナお嬢”の高校入学祝いだ。
実は、毎年2、3回は、鈴花とナナの二人を伴って
東京に行く。私は東京に50年住んでいたから、地理は
案内できるが、新しい情報は彼女たちの方が明るい。

東京に着くなり、ナナお嬢は「スイカを買おう」と。
オロオロする私を尻目に二人は券売機の方へ。カードの
『Suica』だった。さすが若い子は、そういうのにすぐ
飛びつく。私などまだ抵抗があるのだが、なるほど、
買ってみると便利。山手線だけでなく私鉄も地下鉄も、
いちいち切符を買わずに乗れる。自動販売機でジュース
を買うのもSuicaだ。

1日、原宿、さらに“ウラ原”(竹下通りからはずれた裏道)
を回り、渋谷では109(イチマルキュー)でショッピング。名古屋
では売ってない物を見つけては買うのだ。
月曜日というのに、春休みとあって、小中学生からピチピチ
ギャルまでものすごい人。その98%が女性。わずかな空間に、
所在なげな“おやじ”が固まった状態で立ちすくんでいる。
娘に着いて来て、買い物が終わるまで待たされているのだ。

私は、時代から取り残されたような虚無僧だが、実は、彼女
たちから、最先端の流行や情報を常に得ているのだ。

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カーネル・サンダース

2009-03-31 07:04:39 | 社会問題
「道頓堀からカーネルおじさんの像発見」のニュース。
S60年、阪神優勝に熱狂したファンによって胴上げされ、
投げ込まれたのだが、その後阪神は一度も優勝できず、
「カーネルの呪い」とささやかれてきたそうな。
持ち去られたKFCの店も今はなく、親会社も倒産。川から
救出されて「これで呪いは解けるか」との期待も空しく、
阪神はますます不調とのこと。

カーネル・サンダースの話は10年前、私が50歳で退職した時、
スキルアップの研修で聞いた。
「彼が、KFC(ケンタッキーフライドチキン)の店を立ちあげようと思い
たったのは、なんと65歳。会社を辞め、「さぁこれからは
年金で悠々自適の生活を」と思ったが、受け取った年金の
あまりの少なさに、これでは老後は危ういと、年金に代わる
ビジネスを考えた。
それは、子供の頃母が作ってくれたフライドチキンのレシピを
作り、その通りに作って販売してくれる人(店)を探すこと。
しかし、いざ人に話しをしても誰も相手にしてくれない。
自分の町を一通り回り、隣の町へ、そこもダメ、断られ断られ
の連続で、いくつかの州を回り、ついに1,000軒目。ケンタッ
キー州で、引き受けてくれる店にめぐりあった。その1号店の
成功を見て、2号、3号店と序々に店舗が増えていった。
そして彼は、世界で初めて、フランチャイズビジネスを創始し、
大富豪となったのだ。

断られた理由は、それまでアメリカ人はチキンを食べる習慣が
無かったという。チキンが売れるはずがないという思いこみだ。
カーネル氏は自分ではフライドチキンを作らない。店を開く人を
探し、レシピを売るだけなのだ。彼の老後は莫大な権利収入が
入るようになった。
日本でも店舗を広げるに当たって、彼は90歳の高齢にもかか
わらず来日し、多くの人とにこにこ笑顔で握手を交わした。
「この一人ひとりが、私に収益をもたらせてくれる」と心に
つぶやきながら。
それが、あのカーネルおじさんの像になった。アメリカには
あの像はないそうだ。

彼から学ぶことは、「母の作ってくれたフライドチキンの味は
誰にも愛されるものだ」という信念。そして断られても断られ
ても足を運び、人と面談。そのあきらめない努力だった。

これから定年、老後を迎える人々に、彼は勇気と智慧を教えて
くれたのだ。大阪店の倒産も彼には全く影響はない。

この不況、失業者続出の中で、ヘドロの中から亡霊のごとく
甦ってきたカーネルおじさん。また阪神の、大阪の、日本の
世界の再生に、力となってくれるだろうか。

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