津市分部の本願寺の尼僧、眞道さんとは、もう20年来の
お付き合い。眞道さんが出家する前からだ。そもそもの
出会いは、眞道さんが、カーネギーホールでリサイタルを
開くための資金集めと、PRを兼ねて、東京芝のABC
ホールでリサイタルを開いた時。当時、眞道さんは京都
に住んでいて、東京には全く人縁が無い。チケットを捌く
ために、千代田生命に売り込みに来られた。各生保はじめ、
東京に支社、本社がある主要な企業に片っ端から飛び込み
して、チケットを売り捌いたという、そのバイタリティには驚く。
私は「尺八を吹くので」と名刺を渡し、観に行った。
その後しばらくして、「桐生での公演に尺八を吹いてくれ」
と電話がかかってきた。私の尺八を一度も聞いたことのない
のにである。「あなたなら間違いない」と自信たっぷり。
私も舞踊や詩吟の即興演奏には慣れていたから、即刻OK。
以後、鎌倉など2、3回、公演に使ってもらった。
その直後、バブルがはじけて、眞道さんは2億の財産をすべて
失って、着の身着のまま坂本の西教寺に逃げ込んだ。
私は東京を離れ、名古屋に単身赴任。そして5年が経って、
私もリストラ、離婚、帰る家無く、サラ金に追われる日々。
その同じような境遇の二人が、偶然に再会したのだ。そして
眞道さんは、津分部の本願寺の安寿さまにおさまり、一絃琴
の演奏活動を再開された。そして私は尺八伴奏で、あちこち
呼ばれることとなったのだ。本当に、ご縁で、眞道さんには
助けられている。
10/23(金) 津市のリジョン・ホールで『小野小町』を上演する。
前回、昼夜2回公演で、立ち見も出る満員盛況。1,500人が
来聴された。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
お付き合い。眞道さんが出家する前からだ。そもそもの
出会いは、眞道さんが、カーネギーホールでリサイタルを
開くための資金集めと、PRを兼ねて、東京芝のABC
ホールでリサイタルを開いた時。当時、眞道さんは京都
に住んでいて、東京には全く人縁が無い。チケットを捌く
ために、千代田生命に売り込みに来られた。各生保はじめ、
東京に支社、本社がある主要な企業に片っ端から飛び込み
して、チケットを売り捌いたという、そのバイタリティには驚く。
私は「尺八を吹くので」と名刺を渡し、観に行った。
その後しばらくして、「桐生での公演に尺八を吹いてくれ」
と電話がかかってきた。私の尺八を一度も聞いたことのない
のにである。「あなたなら間違いない」と自信たっぷり。
私も舞踊や詩吟の即興演奏には慣れていたから、即刻OK。
以後、鎌倉など2、3回、公演に使ってもらった。
その直後、バブルがはじけて、眞道さんは2億の財産をすべて
失って、着の身着のまま坂本の西教寺に逃げ込んだ。
私は東京を離れ、名古屋に単身赴任。そして5年が経って、
私もリストラ、離婚、帰る家無く、サラ金に追われる日々。
その同じような境遇の二人が、偶然に再会したのだ。そして
眞道さんは、津分部の本願寺の安寿さまにおさまり、一絃琴
の演奏活動を再開された。そして私は尺八伴奏で、あちこち
呼ばれることとなったのだ。本当に、ご縁で、眞道さんには
助けられている。
10/23(金) 津市のリジョン・ホールで『小野小町』を上演する。
前回、昼夜2回公演で、立ち見も出る満員盛況。1,500人が
来聴された。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。