現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

タリバンか?

2009-03-07 22:50:14 | 社会問題
病気で頭巾姿の高校生に「お前はタリバンか」…警官が暴言(読売新聞) - goo ニュース

日光に当たると皮膚が腫れあがるポルフィリン症。
そんな病気があるとは知らなかった。誰も知らない
のだから、警官がとがめても仕方あるまい。写真を
見る限り異様だ。まして自転車の二人乗りをして
いたのだから、咎められるのは仕方ない。それを
親は二度に亘って警察に抗議し、議会にまで持ち
込んで警察署長の謝罪を求めるとは??であるが、
まぁ、両親の抗議で、こうして世間に周知徹底で
きたのだから良かったのかも。

ところで「タリバン」は差別用語なのか?
実は「虚無僧か!」というのは、差別的準禁止用語
なのだそうだ。最近の若いお巡りさんは虚無僧を
知らないから、とがめられたこともないが。
「虚無僧の私に『おまえは虚無僧か?』と言って
も議会で取り上げる問題にはならんな。

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出し忘れミス

2009-03-07 22:17:40 | 社会問題
教師、大学へ指定校推薦の出願忘れ 第1志望受験できず 都立高(朝日新聞) - goo ニュース

教師が願書提出を忘れて、受験できなかったと。
今年も有るような予感がしていた。これからも
出題ミス、採点ミスで不合格とかいろいろ出て
くるのだろう。

学校側はどう責任をとるのか。「取り返しのでき
ないことをしてしまい申し訳ない」と謝って済む
話ではない。その子の将来がフイになったのだ。
人間不信の傷は一生ついてまわるかもしれない。
こういう場合の学校としての責任の取り方をきちん
と示してほしい。

また当の生徒は、この災難をどう受け止め、立ち
向かっていくのか、つっこんだ取材記事が欲しい。

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人を殺すということは?

2009-03-07 14:13:04 | 心の問題
3/7 中日新聞 「今週のことば」中村薫
「さるべき業縁がもよおせば、いかなるふるまいも
すべし」親鸞『歎異抄』

親鸞は「これまで自分が悪事をしなかったのは、心が
賢善であったからではない。たまたま縁が無かっただけ
だ。人を殺せと云われても殺せないけれど、殺すなと
云われても、状況いかんでは殺すかもしれない」と。

私もそう思う。おそろしいことだ。そうならないように
神仏に祈るばかりだ。

毎日のように殺人事件やら交通事故のニュースが紙面を
にぎわす。テレビをつければ、サスペンスドラマは、必ず
誰かが殺される。「人を殺す」ということが日常身近にある
からか、人を殺すことになんのためらいもなくなった事件が
増えている。

一方、世界各地で戦闘は繰り返されている。つい60余年前
の戦争では、1,000万人の命がなんのためらいもなく奪わ
れた。

チャップリンの『殺人狂時代』の名セリフ「人一人殺せば
死刑となり、何千人、何万人殺せば英雄となる」は、私の
頭の中に常にある。
人を殺すことの善悪の価値観の転倒は、私には不思議で
ならない。どんな事情にせよ、人の息を恣意的に止めるのは、
気持いいものではない。

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生かすも殺すも

2009-03-07 14:06:54 | 心の問題
パーキンソン氏病で11年も自宅で闘病生活を送った父は、
病院にいれたが最後、喉を切られ、パイプをつっこまれ
言葉も発せない状態で3ヶ月生きた。

見舞いに行った時、父は身動きできない身体で私を見つめ、
しきりに指を動かした。それは「し(死)」と空に書いている
ようだった。今思うと、「死なせてくれ」というメッセージだ
ったようだ。しかしあの時、そんなことは思いもよらなかったが、
もし、それが父の望みであっても、酸素吸入器をはずすことは、
私にはできなかった。その後の3ヶ月、筆舌に尽くしがたい
苦痛を本人に与えるならば、死なせてあげることが本人の為で
あったかもしれないが、それでもできなかった。生かし続ける
ことも、自分の満足のためという矛盾に苦しむ。

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先祖が武士だったなんて

2009-03-07 11:56:34 | 社会問題
ネットに「先祖が武士だったなんて」という書き込みがあった。
10代の女性か。「武士ということは、人を殺していたという
ことですよね。そんな人の子孫であるなんてイヤだ。困った
困った。どうしたらいいでしょう」という悩みごと相談だった。

『国家の品格』などで「武士道」が見直され、私などは、
先祖が侍であったことに誇りを持って生きてきたが、
「武士であったことがたまらなくイヤ」というのには驚いた。
そういう見方もあるかと。

さて、ネットでは、丁寧に答えてあげている人もいるもんだ。
「先祖は先祖、あなたは、あなたです」というものがほとんど。
「先祖の“業”の贖罪のために、殺された人の霊を弔いなさい」
というような意見が無いのは、むしろ意外だった。

たしかに、人を殺せば祟りがありそう。でも仏教では本来、
霊の存在を否定しているから、「殺された人の祟りなど無い」
という人もいる。「霊が祟る」というのは道教のようだ。
所詮人が考えだしたもの。あとは自分の心のもちようだ。

それにしても、人を殺すことになんのためらいもないような
事件が増えてきた。やはり、宗教は必要か。

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