現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

落日燃ゆ

2009-03-15 23:06:16 | 虚無僧日記
3/15 メーテレ『落日燃ゆ』を見る。
名古屋出身の作家城山三郎の小説。
戦後A級戦犯に問われ、文官としてただひとり処刑
された広田弘毅の生涯を北大路欣也が好演していた。

開戦前夜、総理や外務大臣を務め、軍部に抗しながらも
抑えきれず、軍部の独走を許した罪だ。不条理を感じる。
「黙して語らず、一切弁解せず」は、戦前まではカッコ
よかったかもしれないが、現代では、もどかしく、じれっ
たく、いやみにさえ思える。時代の流れで今は「沈黙」より
「雄弁は金」だ。

この作品、すでに1976年にテレビドラマ化されており、
その当時から「城山三郎は小説として事実を曲げている」
という指摘が一部であった。最後の「天皇陛下万歳」を
拒んだというのは、どうも嘘らしい。

先日は、北野タケシで東条英機がドラマ化された。あの
時は広田弘毅はどう描かれていたか記憶にない。

私の叔父も終戦時、翼賛政党会選出の代議士だったため、
戦後戦犯に問われ、公職追放され、多額の罰金を払わされた
あげく、農地開放で全財産を失った。そして叔母は自決
している。東條英樹に反対して投獄され、自決した中野正剛も
遠戚にあたる。それだけに軍部の独走には憤りが込み上げる。
戦後の事件は、まだまだ身近に感じる世代なのだ。

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犬にもかなワン

2009-03-15 20:23:13 | 虚無僧日記
3/15 栄の交差点で虚無僧に立つ。通行人の目が
こちらに・・・・いや、私の後方に向いている。ふり
向くと一匹の犬がおとなしく座っていた。よく見ると
リヤカーにつながれている。リヤカーには雑多な物
が乗っていてビニールや板で囲ってあったから
気がつかなかった。横に貼紙がある。
なんと2007年3月に北海道中標津(なかしべつ)を
発って、日本を縦断。鹿児島までいってターン。
復路、紀伊半島を回って今名古屋に着いたところ
らしい。フェリー以外は乗り物には乗らず、所帯
道具をリヤカーな積んで、全行程徒歩とのこと。
若者らしいが、主はどこへ行ったかいない。犬は
主の帰りを不安げに待っているのだった。

通行人は私の横をすりぬけてワンちゃんの頭をなで
ていく。虚無僧は無視。犬にも負けるか。かなワン。

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あぁ無情

2009-03-15 20:20:22 | 虚無僧日記
3/15 栄の中日ビル前で虚無僧。
ビルの入口に 100名ほどのご婦人方がたむろしている。
レ・ミゼラブルの公演が終わって、ひいきの役者が出て
くるのを待っているのだった。寒風吹く中、待つこと
1時間。一人二人と役者が出てくると、サインをねだっ
たり、ツーショットで写真を撮ったり。虚無僧の吹く尺八
の音などに、誰も見向きもしない。あぁ無情。

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3/15 広小路通り 門付け

2009-03-15 14:09:45 | 虚無僧日記
3月にはいって、いただくお布施の額がガクンと
減った。ゼロの日が続く。入れていただいても
1円5円10円。不況の影響が末端の虚無僧に
まで及んできたか。

津の本願寺からいただいてきて冷凍しておいた
おにぎりも今日で尽きた。門付けするしかない。
ねだりがましく、布施を強要するようで申し訳け
ないが、お情けにすがるしかない。栄から名古屋
駅まで広小路通りに面した商店を巡る。メイン通り
の店だから、みなガラス戸がしっかり閉まっている。
中にまで尺八の音が届くよう、目いっぱい吹く。
名古屋のど真ん中の商店だが、意外にも出てきて、
喜捨してくださった。100円、500円とはいる。
店の前で真剣に吹くのがよかったのか、通行人も
入れてくれる。意外だった。ありがたい。

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3/21 広小路祭で虚無僧

2009-03-15 14:09:25 | 今後の予定
3/21. 22 名古屋のメインストリート広小路通りで、開設
350年記念のイベントが開催されますが、それに虚無僧
として出演します。晴れて公認です!

名古屋では江戸時代、東照宮の祭礼に、各町ごとに巡礼、
山伏、草刈などの仮装をして行列に参加しました。
広小路の呉服町(現丸栄)からは、虚無僧姿で14人が参加
していたのです。それも大人2人とあと12人は子供です。
そして、吹く曲は近頃の流行り歌だったといいます。

虚無僧は、下総の一月寺、青梅の鈴法寺、京都明暗寺が
元締めになって、「士分(侍)しか入門できない」とか、
「虚無僧以外に尺八を吹いてはいけない」など、勝手な
規則を作って特権を振りかざしていました。しかし、
名古屋には虚無僧寺が無かったので、虚無僧本山の取り
締まりが及ばなかったのどしょう、町人や百姓、子供までが
自由に虚無僧の恰好をして尺八を吹いていたようです。

しかも、明治になって虚無僧の普化宗は廃止されても、
明治43年の名古屋祭で、虚無僧が出ています。
(神田可遊『名古屋の尺八』)

この機会に虚無僧復活です。名古屋と近郊の皆さん、
ぜひ見に来てください。

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